『仮想アイドル』
起
場面1
この文字の熱狂が、仮想アイドル「ユウ」にとっては何にも代えがたい悦楽だった。最初はただ話すだけの、素人まるだしの配信だった。段々とファンが増え、ゲームの実況配信をするようになってから、人気は小規模な爆発を起こした。その流れに乗って、歌を披露した。歌だけは、自分のちょっとした自慢だった。最初から歌わなかったのは、それでも自分に自信がなかったからだった。恐る恐る歌を披露したその日が、仮想アイドル「ユウ」の誕生の日となった。
旋律に合わせて歌う。なるべくもとの歌を損ねないように、それでも自分なりのアレンジをして。
「あっ」
赤いメッセージが配信の枠の右側を通り過ぎる。投げ銭だった。
『ゆきみ いつも励まされています。ありがとうございます」
メッセージの上には、1万円の金額が白い文字で踊っている。
「ゆきみさんいつも応援ありがとうー!」
歌の途中であれ、投げ銭には必ず反応する。一度歌の途中だからと無視したら、SNSのアカウントが炎上してえらい目にあったからだ。投げ銭は反応してもらいたいというアピールが混ざっている。一度の炎上で「ユウ」はやっとそれを理解した。歌い終わると、コメント欄を大量のコメントが流れていく。
『可愛かった』
『歌うまい』
『またゲームの実況配信もやって欲しい』
中には、『調子乗ってる』なんていう批判的なコメントも含まれていたが、気にならなかった。だって「ユウ」はアイドルなのだから。これは有名税なのだ。
「あれっ」
白いコメントたちの中に、赤いコメントが混じって「ユウ」は思わず声をあげた。また投げ銭だった。他のアイドルとのコラボでは投げ銭合戦になって沢山の赤いコメントを見ることも珍しくない。しかし「ユウ」の個人配信では二度の投げ銭は珍しいことだった。
『ゆきみ 歌素敵でした。これからも応援しています』
メッセージの上には、またしても1万円の白い文字。
「ゆきみさんありがとう!」
精一杯可愛く聞こえるように叫んで投げキスをする。
それが仮想アイドル「ユウ」の日常だった。
場面2
「あんたまた部屋に籠もって……。ハローワークは行かなかったの」
配信部屋から出る瞬間が、崎枝ゆうの最も嫌いな時間だった。母親の声を無視して、配信用の防音室から自室に戻る。母親はゆうが仮想アイドルをしているという事実を正確に理解していない。理解していたら、ハローワークなんて単語は飛び出して来ないだろう。そこらの会社の正社員と同じ額くらい、「ユウ」は稼いでいるのだから。
「ゆう!」
母親の怒鳴る声を無視して、ヘッドフォンを付ける。音量を上げて、外と自分を遮断する。そうすれば、現実の自分を忘れられて楽だった。変化のない、みっともない現実のゆうではなく、可愛くて人気者の「ユウ」に浸っていられた。口の中だけで旋律を紡ぐ。次はどの歌を歌おうか、今から楽しみだった。
承
場面3
配信して、寝て、配信して、寝る。そんな繰り返しの毎日に、ちょっとした変化が訪れたのは冬至の日だった。
やば。と声に出さず、内心だけで呟く。
『ゆきみ 最近寒いですよね。これでよかったら、SNSで欲しいって言ってたブランドの手袋でも買ってください』
金額は、5万円。1日に贈ることのできる投げ銭の中で最も高額だった。サイトの設定でこれ以上高額の投げ銭は1日で出来ないようになってる。
「ゆきみさんありがとう! 手袋だめにしちゃって困ってたの! 嬉しい!」
嘘だった。ゆうは外に出たりしない。SNSで欲しがっていたブランドの手袋も、所謂キャラ作りの一環だった。ただ嬉しいのは本当だ。5万円をぽんと渡されて、嬉しくない人間なんて居るはずがない。
それからの日々は、端的に言って最高だった。
『ゆきみ 喉を痛めていますか? これでいい加湿器でも買ってください』
『ゆきみ 音がちょっと悪いですね。せっかく歌が素敵なのに残念です。配信機材これでいいものに変えてくれると嬉しいです』
『ゆきみ 化粧品あそこのお好きって前に言ってましたよね。クリスマスコフレ代としてどうぞ』
金額はいつも5万円。配信するだけで、「ゆきみ」からなにかと理由を付けて5万円の投げ銭が手に入った。配信は一週間に土日の二日だけだったが、それでも40万が手に入った。
「ゆきみさんありがとー! 愛してる!」
いいファンが付いたという喜びだけがあった。
段々「ゆきみ」の様子がおかしくなり出したのは、クリスマスを過ぎてからだった。
転
場面4
『ゆきみ ユウさん、この前日比谷のショッピングモールに居ましたよね』
その赤いコメントに、思わず歌が止まった。嬉しそうに誤魔化さなければいけないのに、声が出なかった。確かにゆうはクリスマスに日比谷のショッピングモールに居た。従姉妹の女の子と一緒に。しかし「ゆきみ」がなぜそれを知っているのか理解が及ばなかった。
金額は1万円。再び赤いコメントが現れる。その金額も1万円。
『ゆきみ あの女の子誰ですか?』
「……ひ」
思わず恐怖に声が漏れた。なんで知っているのか。その疑問で頭が埋め尽くされ、歌どころではなかった。配信のコメント欄は「自宅バレたの?」と茶化すコメントや、「ゆきみさんなにしてるんですか?」という「ゆきみ」を攻撃するコメントで大荒れだった。「ユウ」の判断ははやかった。一度炎上しているから分かる。これ以上騒ぐ種を与えてはいけないと。この場合の騒ぐ種は、「ゆきみ」のコメントだ。
「今日は配信おーわり! みんなごめんね!」
「ユウ」はそう言って配信を終了した。荒れたコメント欄の最期、赤いコメントが現れていた。
『ゆきみ なんで返事してくれないんですか』
金額は3万円。まるで配信が終わるのを分かっていたかのように、ぴったり上限の5万円まで「ゆきみ」は投げ銭をしていった。
「ユウ」は初めて、自分のファンというものに恐怖心を覚えた。
結
場面5
一身上の都合により、活動を休止させて頂きます。
自分で載せた掲示なのに、見るたびに嫌気がさす。「ゆきみ」という厄介なファンがつかなければ、こんなことせずに済んだのに。そう思う気持ちが消しきれない。一度「ゆきみ」から自分のサイトに長文の、要約すれば「説得してアイドルを続けて貰う」というメッセージが送られてきたので、メッセージの送付も制限をかけていた。もしかしたら「ゆきみ」を騙る愉快犯の可能性もあったが、恐怖が先だった。
活動を休止したことで、収入はゼロになった。それよりも辛かったのは、アイドルとしてもう反応が貰えないということだった。どうしてもハヤに居ると気が塞ぎ、外に出ようと玄関に向かった時、違和感を感じた。
靴が、一足そろえて置いてあった。
ボルドーのそのパンプスは、冬にふさわしくこっくりとした色合いをしていた。ゆうはそんなものを履かない。従姉妹の女の子も履くのはスニーカーばかり。母親はつっかけでどこにでも出かけてしまう。その靴が醸す嫌な雰囲気に、思わずゆうは目をつむった。
「ゆうあんた。友達が来てるから部屋に入ってもらったよ」
「は……?」
母親の言っている意味が分からなかった。ゆうに家を訪ねてくる友人など居ない。
もしかして。もしかして。
恐怖に耐えきれず、ゆうは走り出した。階段を二段飛ばしで駆け上がる。自分の自室の戸を勢いよく開ける。果たして、そこには何の人影もなかった。当たり前だ。数秒前までゆう自身がいた部屋に、母親が「友達」を入れたというなら鉢合わせてなければおかしい。
では、母親はどこの部屋に「友達」を案内したのか。
ゆうは、硬直した視線を自分の部屋から引き剥がし、突き当たりの配信部屋に向けた。
その部屋の扉の隙間からは、女のものらしき髪と、その合間から覗く目玉がひとつ、こっちを見ていた。