『機械人形師』
場面1
 蒸し暑い気温設定は、祖父の好みだ。かつて祖父が住んでいた地球という星の夏という季節が、こういう気候だったらしい。財前有紀は、この気候が嫌いではなかった。背中を伝う汗が風に冷やされる感触も、ちりちりと鳴く風鈴の音も、冷たいラムネが喉を通り過ぎるのも、どこか懐かしい気持ちを覚えるからだ。
「有紀、お爺ちゃんの手伝いしてくれるか」
「うん」
 有紀はそう答えて、縁側から畳敷きの屋内に引っ込んだ。この日本家屋という不思議な造りの建物も、祖父の好みだ。このコロニーでこんな家を構えているのは祖父くらいしか居ない。この家も、気候設定も、祖父がそれを通せるほどの発言力があることを示していた。
 祖父の後をついて、飴色の廊下を進む。奥まったその場所に「人形部屋」はある。
 祖父がこれほど自由気ままにコロニーですごせる理由が、これだった。祖父は現在最後の代の機械人形師なのである。祖父が「人形」と呼ぶそれが、家の外ではアンドロイドと呼ばれているのだと、有紀は知っていた。閉じた襖を開けて、祖父が通るための道を作る。彼の後をついて入った「人形部屋」はいつもと変わらない、ワークステーションと、パソコン、しっちゃかめっちゃかなコードの波の隙間に、美しい人形たちがちょこんと座っているのだった。
場面2
「翡翠の具合を見てやってくれ」
 祖父に言われ、有紀はコードの波から遠ざけられた人形のもとに向かう。生きているのと変わらないような美しい人形は、祖父の名声を一躍高めることになった「宝石シリーズ」のうちの一体だった。祖父は元々からくりの絡まらない人形師として働いていた名残か、高値で取引される高級な人形を作ることを好んだ。市場で100億の値がついた「琥珀」を初めとして、盗まれ未だ好事家が行方を捜しているが行方の知れない「瑪瑙」、持ち主が次々と死に家を渡り歩く「柘榴石」など、祖父の「宝石シリーズ」の人形は常に人気と金と醜聞がからみついている。
「翡翠。本日の体調を知らせて」
 有紀が閉じられた瞼にそう声をかけると、ぱちりと目が開き、名前と同じ翡翠色の瞳が覗いた。
「前日がメンテナンス日でした。特に以上は見つからず。本日も問題はありません」
 翡翠は合成音声でそう返す。合成音声と言ってもチューニングを繰り返しているから、それはまるきり人間の声にしか聞こえなかった。
「ねえ、お爺ちゃん、翡翠はそろそろ売りに出さないの?」
「まだだ。まだ人間らしくねえ。まだだ……」
 幾度も繰り返された問いだった。
 今世紀最高の人形師、財前斗真はアンドロイド「翡翠」を限りなく人間に近い人形として、作り上げようとしていた。
場面3
 有紀の仕事は、祖父の世話ともう一つ、翡翠に人間の感情を学習させることだった。祖父の「宝石シリーズ」の人形は総じて人間の臓器や皮膚などを機械で代用して再現している。脳ももちろんそれに漏れない。故に、人間を限りなく模した人形には心が生まれるはずだ。というのが祖父の主張であった。
 有紀自身はアンドロイドが感情を持つなどとは微塵も信じられず、どうしたらいいかもわからない。祖父の願いがそもそも叶うとは考えられなかった。それでも仕事として有紀は翡翠に話しかける。
「翡翠。なにかやりたいことはないの?」
「有紀のやりたいことが私のやりたいことです」
 有紀はため息をつく。その文言はアンドロイドにデフォルトで設定されている返答パターンの一つだったからだ。
 その時、有紀にふといたずら心が芽生えた。アンドロイドに返答がデフォルト設定されていない問いかけを繰り返したら、どうなるだろうか。普通なら「意味をくみ取れません」と返答してくるはずだ。それ以外の返答が返ってきたら、それは学習であり、情緒の芽生えであり、心と言えるものなのではないだろうか。
「好きな食べ物は」
「好きな異性!どう?」
「嫌いなものない?」
 何度も問いを重ねる。答えは「意味をくみ取れません」だけ。飽きるほど問いかけて、これで最後にしようと有紀は口を開いた
「好きな人はいないの?」
「私は……有紀が好きです」
 そう。と聞き流しかけた。翡翠にはまだマスター設定は行っていない。その場合、翡翠を作った祖父が好きだと回答するようになっている。
 これはデフォルト設定ではなかった。学習の結果だった。心に似た、何かが生まれていた。
「お爺ちゃん!」
 嬉しくて有紀は祖父の元に駆けだしていた
「翡翠!大丈夫だよ!もう市場に出せるよ!」
 翡翠はその声を、機械の耳で聞き取っていた。
場面4
 翡翠のお披露目の為に、吊るしではなくオーダーメイドの衣装を用意した。翡翠に用意されたのは、名前の通りの透き通るような緑の布を用いた着物だった。帯は黒で地味ながらも繊細な刺繍がしてあり、帯留めはほとんど市場に出回っていない本物の翡翠を用意した。
「翡翠! 綺麗だよ。いい人のところに貰われていってね」
 有紀がそう声をかけると、不思議そうに翡翠は首をかしげる。
「有紀は一緒にいかないのですか?」
「うん。お爺ちゃんがいるから。お爺ちゃんの仕事手伝わなきゃいけないし、行けない」
 そう答える有紀を、翡翠は茫洋とした美しい瞳で眺めているのだった。
 結果から言うと、お披露目は大成功だった。
 古典回帰の趣のある昨今の流行のおかげか、翡翠の美しい黒髪も着物とそろいの緑の瞳も、昔の地球の日本という国を思い出させるとして歓迎をもって受け入れられた。何人もの引き取り手希望者の中から、祖父は有紀と同じ年代の子供を一人選んだ。
 事件が起きたのは、翡翠の梱包のために彼女を家に持ち帰った、その日のことだった。
 翡翠の傍で、祖父が死んでいたのである。
場面5
 有紀は眼前の光景が信じられず、ただ下半身から力が抜けるのを感じた。冷えた畳の感触だけが、目の前の光景が現実なのだと教えてくれていた。
「翡翠……? どうしてお爺ちゃんが死んでいるの?」
「心不全です。作り主は2:00に心不全を起こし、まもなく息を引き取りました」
 その答えに、頭に血が上るのを感じた。この木偶人形は一体何を言っているのだ。
「そういう意味じゃない! お爺ちゃんが苦しんでる時、翡翠、あんた何してたんだ! 医療サービスに連絡は? 救急医療センターが対応していないのはおかしいだろう!」
 叫ぶ有紀を、翡翠は見つめる。そのまろい頬は月光に照らされて、白く輝いていた。その唇が開く。有紀は一瞬、目の前の人形が人間のような気がした。
「私は、作り主が絶命するのを見ておりました」
「なんでそんな……見殺しにした!」
 翡翠がその声に、顔を上げる。その顔を見て、有紀は絶句した。悦に歪むその顔は、間違いなく人間だと、そう思ったからだ。
「作り主がいると、有紀は私と一緒に行けません。なので作り主が絶命した場合、有紀は私と一緒に行けます」
 そう答える翡翠を人間だった。感情から行動を起こすことを人間らしさと呼ぶのなら、間違いなく翡翠は人間だった。
「私は……有紀が好きです」
 その言葉を、耳を塞ぐことで聞かなかったことにしてしまいたかった。
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