『銀山温泉ボイラーパンク』
 仲野梓は今ではもう珍しい、生身の人間だ。通称銀山温泉と呼ばれる温泉街の一角、老舗の白銀屋で仲居をやっている。
 この仕事ももう長い。慣れたものだ。
 いつものように、お客様の入る予定の部屋の空気を入れ換える。冬期の設定で冷やされた外気が、部屋になだれ込んでくる。裾から寒風が流れ込み、体を舐めた。凍える体に厚着をしたものか少し悩む。梓は生身なので、感覚を遮断するなど器用なことは基本的にできない。寒かったら、ただ凍えるだけだ。
「椿ちゃん。本日の気候設定聞いてもいいかしら」
「本日の気候設定、冬期、最低気温10℃、最高気温14℃、日中は現在以上の冷え込みの見込みはありません」
 椿と梓が名前をつけたサポートデバイスは、飴色の卓の上から、続けて梓が本日着るべき服装のアドバイスをくれる。
 この旅館には無口な機械(サポートデバイス以外は無口なのが当たり前だが)しか居ないため、梓は椿との会話らしきものに、浮き立つ気持ちを覚える。しかしそれ以上に梓が浮き立つのは、何よりお客様がこの白銀屋に宿泊された時だ。
 椿にお願いして、宿泊名簿リストを出してもらう。交通路が遮断されている今、白銀屋に宿泊をする予定なのは一人だけ。
毎年この日に泊まりにくるお客様だけだった。 
「来ないかと思っていました」
 梓はそう言って、無機質なリストの名前をなぞった。
 銀山温泉は長い歴史のある温泉だ。かつて、山形県の北東部、尾花沢市の山あいにあった小さな温泉街は、日本の鎖国継続を経て、鉱山の街としても栄えていた。遙か彼方では資源の輸入などをしている国もあるようだったが、日本は内側に閉じたまま、自国の資源を食い潰していった。資源が食い潰され、枯渇し、新たなエネルギーを求める声があがった時、各地温泉街で小さなエネルギーが生まれていた。天然温泉の熱を利用する、ボイラーエネルギーである。始めは冗談のように提唱されたそれは、既にある温泉施設がエネルギー資源を有せるという点から、ひっそりと水面下で広まっていった。そうして時は過ぎ、温泉が機械化した肉体に対して一定の治癒効果があると科学者が解明した瞬間。ボイラーエネルギーを抱きしめて温泉街は立ち上がった。主導したのは銀山温泉寄合会であった。
 これが歴史に名高い温泉街独立である。
 そして襖の先に居る男は、その独立時代からの馴染み客であった。
 蘭の間にむかって三つ指をつく。やわらかく声をかけ、襖を開ける。そうして開くと、銀山温泉に心も体も癒やされたお客様の顔を目にすることができる。普通はそうだ。その男はいつもそうではない。
「俺と結婚してください」
 そこには、梓に花束を捧げそう告げる、半機械化人間。半ドロイドが居た。
 彼が温泉街独立をかつて主導した英雄。財前翔真であった。
 梓はその半ドロイド、翔真が初めて来た時をよく覚えている。
 銀山温泉の成分が身体を機械化した際の炎症によく効くと噂されはじめてから、この街には半ドロイド(身体の半分を機械化した人間)や半々ドロイド(眼球など一部を機械化した人間)のお客様が爆発的に増えていた。
 彼はそのうちの一人だった。
 今日と同じように蘭の間で、襖を開けた梓に向かってこう言ったのだ。
「温泉は素晴らしい。このままでは国に接収されかねない。温泉街は立ち上がるべきだ」
 当時の梓には、その意味はさっぱりわからなかった。
 ようやく理解ができたのは、本当に温泉街が独立してしまった後だった。
 梓は、にこ、と彼に笑いかけた。
 翔真の思い詰めた表情がほぐれればいいと思ってのことだ。しかし、彼の顔は予想外に喜色に染まった。
(なにか期待をさせてしまったかしら)
 現実音声をオフにした状態で椿に話しかけると、「意味がくみ取れない」というサポートデバイスらしい返事が伝えられた。
 この旅館では、生身の人間の仕事は少ない。一部を除いてだいたいの仕事がサポートデバイスで代用が効くからだ。梓は翔真の期待に満ちた顔に耐えきれず、椿に自分の業務を代わりに行うよう指示した。
「翔真様」
「……はい!」
「今日は抜けるような青空が美しい気候設定となっております。よろしければ、散歩でもいかがですか」
「はい!」
 翔真の返事は、襖と梓の体をびりびりと震わせるほど大きかった。それはかつて「温泉街は立ち上がるべきだ」と叫んだ声と寸分違わなかった。
 翔真と共に、銀山温泉の町並みを歩く。大正時代の趣を濃く残すそれは、梓のお気に入りだった。この町並みが、夜になると蛍光るように窓に明かりをともすのが、いっとう好きだった。国に接収されていたら、この街の風景が今と同じではなかっただろう。開発が進み、昔の面影は失われていたはずだ。だから、梓は隣を歩く男を、口には出さないものの尊敬していた。
 からころ。からころ。下駄の音だけが二人の間に響く。
 歩く二人を、旅館の軒下の鏝絵だけが見下ろしている。
 静かだった。
 そういえば交通路が遮断されているのに、翔真はどうやって銀山温泉に来たのだろう。ふと疑問がわいて、翔真の顔を見上げる。すると存外近い場所にその精悍な顔があったものだから、梓は危うく叫びかけた。
「梓さん」
「……はい」
「この銀山温泉は、まもなく国に接収される」
 翔真が何を言っているのか、梓は理解ができなかった。今まで独立を保っていた銀山温泉が接収されるなどあるわけがない。銀山温泉はいまや国から独立した存在なのだ。
「なぜ……」
「ここは一部の惑星からのラグランジュポイントだった。だから独立が保たれていた。だが今、日本が同盟路線に走り、ここへの交通路を握ってしまった。……かつて独立に関わった人間はどうなるか分からない。だから」
 翔真はそこで言葉を切る。梓を見る目は、真剣だった。
「いつもとは違う。本当に結婚して、一緒にここから逃げてくれ」
「ごめんなさい」
 梓の答えは否だった。
「翔真さん。あなたのお気持ちは嬉しいの。それは本当よ? でも私にも、銀山温泉への思い入れはある。例えただの仲居や、毒味係だとしても」
 毒味係という言葉に、翔真が顔をゆがめた。梓は言ったことを撤回するつもりはなかった。梓は今となっては数少ない生身の体を持つ人間として、銀山温泉をバックアップする要人たちの毒味係をしてきた。それはこの時代に至っても解毒インプラントが開発されなかった以上、仕方の無いことだった。機械化すら受けられる金のない梓がその役目を担うのは。銀山温泉の梓の居場所は、そこだった。
「私はこんな貧しくても、なにも持っていなくても、この銀山温泉の、ボイラーエネルギーによる独立の一助になれていることが誇りでした。ですから翔真様。私は銀山温泉を置いてどこへも参りません」
 そう。そうやってずっと誇りを胸に抱いて、70歳になる今日まで梓は銀山温泉で仲居を続けていたのだ。
 機械化を受けて、若々しい顔のままの翔真に笑いかける。梓と翔真は、機械化を受けた人間には孫とお婆ちゃんにしか見えないだろう。生身は老いる。仕方のないことだSった。
「この歳まで毎年、毎年、誕生日に泊まっては告白してくれたわね。嬉しかった。ありがとう。でも私はこのお役目を死ぬまで続けていきたいの」
 そう笑う梓を、翔真は泣き笑いのような顔で見た。
「そうか。なら来年も必ず訪れよう」
 優しい嘘の約束に、梓も嘘の言葉で返した。
「ええ。きっとよ」
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