##クレイス 椅子・花束・沁みる
人間は、他者を祝福するために死にゆくものを贈る。新しく迎え入れた者、あるいは旅立つ者のために。あるいは、愛しあうふたりの門出に。茎から分かたれた花は、どれだけ手厚く世話をしたとしても、生き続けることはない。
花を贈る風習の発祥は中世ヨーロッパにあるとされる。結婚を申し込む際、求婚者が花束を渡したことが由来だそうだ。確かに、当時身の回りにある『美しいもの』は限られていたのだろうから、そうした……儀式に花が用いられるのは妥当だろう。だが今は、当時は存在もしていなかった選択肢がある。それでも、人が心を込めるのは『花』なのだ。|生|き《ヽ》|た《ヽ》花──いずれは枯れてしまう花だ。
市警を退職することになった別の課の警官──アンディ・カールソン『元』巡査──は、大きな花束を抱えて笑っていた。
「花を模した、別の何かでは……きっと意味が無いのでしょうね」
「ああ、あれか?」
ハンクが椅子を回転させて、今まさにエントランスへ出て行こうとする元巡査を見た。彼は半ば野次のようにも聞こえる仲間からの別れの言葉に笑いながら、書類の入った箱と大きな花束を抱えたまま、器用に中指を立てて見せた。
「あれは連中の恒例行事みたいなもんだ」ハンクは笑って、肩をすくめた。「馬鹿みたいにデカい花束を送りつけるんだよ。お前も何ドルかカンパしたんだろ」
「ええ」コナーも、控えめな笑みを浮かべた。
こういう時に『人間は面白いことをするものですね』というようなことを口にすべきではないのだということが、徐々に理解できるようになってきたところだった。
「ミスター・カールソンは、あの花をどうするでしょうか」
向かいの席から、ハンクの、少し呆れたようなため息が聞こえる。「さあな。家に花瓶があるような奴じゃねえから、バケツにでも突っ込んでおくしかないだろうな」
こめかみのLEDが黄色く回転する。そして、コナーは呟いた。「そうか……」
ハンクは、さらに大儀そうなため息をついた。「なにが『そうか』なんだ」
「それは……」
コナーは、それを言葉で説明することが出来ると思った。なぜ、人間は花を贈るのか。なぜ鮮やかな写真や、精巧な造花ではなく、枯れてゆくさだめの花なのか……だが、掴んだと思った答えを言語で表そうとすると、途端に意味を成さない文字の羅列になってしまう。
LEDは黄色いまま、何度も回転し続ける。
その様子を、ハンクはモニター越しに見つめて待ってくれていた。
なんとか言葉で表現したいと思う。だが、自分のせいでハンクの仕事の効率が低下している状況を回避すべきだとも思う。結局、コナーは首を振って、「なんでもありません」と答えるほかなかった。
あれから、いくつもの季節が巡った。正確な時間を、その秒数をコンマ以下まで述べることも出来るけれど、そんな必要も無い。人間のそういう曖昧さを、コナーもまた心地よいと思うようになっていた。椅子の背にかけられたままの上着だとか、トレイからはみ出た車のキーだとか、クッションについたスモウの毛──それこそが『生活』なのだと。
いま、ハンクとコナーが暮らす家のテーブルの上には、大きな花束がある。
「柄じゃねえんだけどよ」と彼は言った。
『柄じゃない』と言ったのは、花束を贈ることだろうか。それとも、その花束に意味を込めたことだろうか。
「そんなことありません」とコナーは答えた。どちらでも構わなかった。答えは同じだったから。
そしてコナーは、彼の瞳の色と──自分のLEDの色によく似たブルースターを一本だけ抜き取り、ハンクに渡した。
ハンクはその一本を、水を入れた小さなコップに活けるだろう。そうして、花がその役目を終えるまで慈しむだろう。
彼に贈った、この心と同じように。