##プリエール 横顔・指輪・気づく
彼は簡素なスツールに腰掛け、机代わりにしている木箱に肘をつき、握った拳に物憂げな横顔を憩わせていた。
彼が王座につくところを、ティ・チャラは見てはいない。エリックがワカンダの王と名乗っていた頃、他ならぬ彼の手によって生死の境を彷徨っていたところだのだから、当然だ。だが、見てみたいと思った。皆からは、滅多なことを言うなと叱責を受けるだろう。
木箱の上には地図が拡げてある。キモヨ・ビーズを使えば、さらに詳細な立体地図を呼び出すことも出来るのだが、エリックはそうしなかった。服や言動──他の局面ではどうあれ、彼は戦いにおいては簡素なものを好んだ。銃に、地図に、コンパス。ワカンダの技術に慣れてしまった身からすれば、原始的とも思えるようなものを。『こいつらは、絶対に俺のことを裏切らない』──彼はそういう言い方をした。
ふたりは、打ち棄てられた倉庫街の廃墟に身を潜めていた。穴の空いた壁から差し込む斜光が、落書きで埋め尽くされた壁を照らし出している。幾重にも描き重ねられた叫びを、この静寂の中に再び蘇らせようとするかのように。
いくつもの人身売買組織が、この国で猖獗を極めている。彼らは世界の終わりを招く実験を行うわけでも、異世界から強大な怪物を召喚するわけでもない。不法移民の子供や貧困家庭の子供を誘拐して売り飛ばす、ただの人間の集まりだ。ブラックパンサーの出る幕ではないのではないかと、控えめに釘を刺されたこともある。
だが、ティ・チャラはここにいる。日常を踏みにじり奪い去る行為は、どちらも等しく許されざる罪だと信じているから。そして、その思いに共鳴したからこそ、エリックもまたここにいるのだ。
この廃墟は、ふたりで追い詰めた組織のアジトから、ほんの数ブロックのところにある。今夜、連中は捉えたこどもたちをコンテナに詰め込み、港へと出発することになっている。
エリックの偵察に寄れば、敵の数は二十人。人質の数は、三十人以上。
どんな作戦を立てても、困難であることは間違いない。だが、エリックは疑いを差し挟まなかった。ほんの一筋の恐れさえ窺わせなかった。
今、地図を見つめる彼の右薬指に嵌まっているのは、ブラックパンサーの指輪だ。ずっと預かったままになっていたのを、昨晩、彼に返した。彼が喜んだのか──それとも別の感情を抱いたのか、ティ・チャラにはわからなかった。エリックの胸の内を、開かれた本のように読み取ることが出来るときもある。大抵は、すぐに閉じられてしまうけれど。
オークランドでの事件のあと、何度か再会を果たしては、その度にほんのひととき心をつなげ、また別れた。再会の度、鍛え直されたナイフのように鋭い敵愾心と向き合ってきた。
だが、これが我々なのだとティ・チャラは思う。一つの正義を巡って、違う軌道で回り続ける二つの星のような、この関係こそが。
「おい」
いつの間にか、エリックがティ・チャラの方を見ていた。
「そろそろ時間だ。ぼーっとしてんじゃねえぞ」
「考え事をしていたのだ」ティ・チャラは、エリックの鋭い視線を受け流した。
「考え事ね」皮肉たっぷりに、エリックが唇を歪める。「公務のしすぎで|鈍
ってやがったら、お前を盾にして突っ込んでやる」
ティ・チャラは、その光景を思い浮かべて笑ってから、言った。
「|鈍ってなどいるものか」
その言葉を証明するように、ブラックパンサーのスーツを身につける。そして、装備を調えたエリックの背中に触れた。
「わたしは絶対に、お前のことを裏切らない」
その言葉に込めたものに気づくとは思っていなかったから、エリックが口角を上げた時、ティ・チャラは少しだけ驚いた。
「どうだかな」彼が笑うと、濃くなった闇の中に金の犬歯が煌めいた。「俺を納得させるのには時間がかかる」
「わたしがそれを知らないとでも?」
ふたりは、咳払いのように小さな笑いを交換した。
そして、夜の中へ身を投じた。新たな戦いへ──約束を果たすための戦いへと。