一片の汚れもない、雲の如き、雪の如き、繭の如き白。輝かんばかりに光を跳ね返す菊の花から、肥前は目を反らした。
 今日の肥前は洗濯当番だった。数十振りぶんの膨大な洗濯物を選り分け洗濯機に入れ、洗い終わったら干して乾いたら畳む。肥前は妙な形の服を畳むのがあまりうまくないので、そちらは他の刀に任せてひたすらにタオルを畳んでいた。気が引けるには引けるが、少なくとも倍の時間がかかる上に畳み直す羽目になるのも容易く想像できたので、それよりはマシと四角い布を四角く畳み続けた。
 畳み終わったタオル類を各所に分ける際、行き合って手伝いを名乗り出てくれたのが歌仙だった。厨の番人は本日は非番であるらしかった。誰かの私物のタオルと厨で使うタオルを二手に分かれて運び、風呂場で使うタオルを半分ずつ抱えて運んだ。
 お陰で早く終わったと礼を言うと、代わりにこれから僕を手伝ってくれないか、と悪戯っぽく微笑まれた。特段用事があるわけでもないので承諾すると、主の部屋の花を生けかえようと思うんだ、と番人は宣った。
 主の部屋には、いつも花が飾ってある。本丸で育てられた花のときもあれば、購入した珍しい花のときもある。柿だとか笹の葉だとか、花でないこともある。ようは事務仕事の多い主の気が少しでも紛れるような何かであればよかった。
 主の部屋の花を誰が管理しているのか、肥前はよく知らない。けれども歌仙が関わっているのは想像に難くないので驚きはなかった。聞けば歌仙と他数振りで順番を回しているという。いつも同じ刀が選ぶのではつまらないだろう? と歌仙は誰かの言葉を引用した。肥前からしてみれば意外な刃選だったが、確かに以前、肥前が近侍のときに花をかえに来たことがある。あのときは誰かの使いなのかと気にも留めなかったが、あの水仙は鶴丸の選んだものであったらしい。
 畑の一部、花ばかりが集まって植えられている区画の半ばで歌仙は足を止めた。支えの棒からさらに飛び出て、真っ白い菊の花が咲いていた。茎の長さと花の重みに耐えきれず、土に向かって花弁を開いている。
 よくよく使い込まれた花切狭でもって、歌仙は躊躇いなく茎を切り落とした。続けて、生けるのに邪魔となる切り口に近い葉を落としていく。濃い、深い緑が土にへらへらと散る。
 肥前は、歌仙が切った菊の花を受けとるだけだった。一、二、三、四、五、六、七。花の数をかぞえるくらいしかやることがなくて、迷いの無い歌仙の手際を眺めていた。
 十を数えたところで、こんなものかな、と歌仙が言った。勝手口の脇の水場で水揚げをする。少し待っていてくれ、花瓶を持ってくるから。言い置いて建物に入っていった歌仙を見送り、桶の中で重なりあう菊をつつく。
 花弁はつやつやと張りがあって、飛び散った水飛沫を力強く跳ね返している。ああこれはいきものなのだ、と漠然と思った。途端にふれるのが躊躇われて、濡れた手をパーカーで拭う。
 戻ってきた歌仙は茶色く大ぶりな花瓶を手にしていた。たくさんの水が蓄えられるどっしりとした形で、口の下が括れている。白い菊の花を際立たせる花瓶だった。
 全体の塩梅を見ながら、歌仙は九本の菊を花瓶に生けた。後は主のところへ届けるだけだから大丈夫だ、手伝ってくれてありがとう。そう言った歌仙は、これはお礼だよと最後の一本を肥前に差し出す。
 受け取れない。そもそこれはタオル運びを手伝った礼なのだし、肥前は何もしていない、見ていただけだ。瞬時に頭の中を駆け巡った言い訳が本当の理由ではないことに、気が付いていた。
 こわいのだ、どうしようもなく。あまりに白くて美しくて、清廉で生気満ち溢れるこのたった一輪の花にふれるのが、こわい。
 たぶん、肥前が怖じ気づいていることに歌仙は気付いているのだろう。引く様子も一切無く、肥前をやわらかく見据えている。遠くで短刀たちがきゃらきゃら笑う声が聞こえる。根負けした肥前が恐る恐る花を受けとるまで、歌仙は一度も目を反らさなかったし、その微笑みを絶やすこともなかった。
 受け取ってしまったはいいものの、それでもやはり自室に飾るなどという気は起きなかった。確かに肥前の部屋は殺風景だけれども、自分の部屋にこの花がある、という状況に耐えられる気がしなかった。誰か捕まえて押し付けてしまおうか。青江とか篭手切とか、あの辺りなら大切にしてくれそうだ。
 そんなことを考え込みながら歩いていたのが悪かったのだろう。曲がり角で出会い頭に衝突などという、漫画のようなことをやらかしたのは。
「うお!?」
 ぶつかった、と思うと同時に、ああこれはまずい、と思った。聞き慣れない、聞き慣れた声。今一番顔を合わせたくない相手と、文字通り顔を突き合わせることになってしまった。
「すまざった、前方不注意じゃったき……肥前の」
 向こうも書類に目を落としていて前を見ていなかったらしい。こちらを見上げて目が合って、ぶつかった拍子に散らばった紙を拾い集めながらの謝罪が途切れた。慌てた表情がすこんと抜け落ちる。
 動作の停止した陸奥守を余所に、屈みこんで紙を拾い上げる。一通り集めきった書類を目の前に翳すと、ようやく弾かれたように動き出した。ぎこちなく受け取って短く謝意を述べ、足早にすれ違っていく。強張った表情はほどけないままだった。
 何なのだ、と、思った。
 きっと陸奥守のあんな顔を見たことがあるのは肥前だけなのだろう。気まずげな、後ろめたそうな、躊躇うような、怯えるような顔は。
 何なのだ、と、思う。自分であの手を振り払ったことを棚上げて。ぎこちなく書類を受け取った手は、肥前に差し出されていたはずの手だった。
 肚の底で渦巻く不快感に掌を握りしめて、菊の花を手にしていたことを思い出した。持ち歩いていたせいかぶつかったせいか、それとも握りしめたせいか、花は僅かにひしゃげ萎れていた。また、ああ、また駄目だった。細く長く息を吐く。肺の中に少しも空気が残らないよう、長く、長く。
 吐ききったところで僅かに息を吸い直す。目を眇めて、うつくしかった菊の花弁をそっと撫ぜた。
Latest / 119:05
118:05
橋間
終わります~
118:14
橋間
ハートありがとうございました!
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向き
菊の花にまつわるひぜむつ
初公開日: 2020年11月30日
最終更新日: 2020年12月01日
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会話もあまりしない部類のひぜむつ
明るい話ではない