##小雪 向かい合わせ・額・夜
いつの間にか、吐く息が白く煙るようになっていた。
冬が近づくにつれ、グレート・プレーンズの景色は徐々に色彩を失ってゆく。枯れ草色の草原の奥で、悠然と横たわる山脈と空だけが、涙がにじむほど強烈な青を湛えていた。人の目を盗むみたいに、太陽はそそくさと西空に落ちていこうとしている。あともう何度か瞬きをすれば、あっという間に夜が来るだろう。
じきに、奴が帰ってくる頃だ。
アーサーは大地を渡る風の音に耳を澄ませた。山から下りてくる風は、すでに身を切るほどの鋭さでもって、容赦なく吹き付けてくる。分厚いコートの中で身をすくめ、革の手袋が軋むほど強く手綱を握った。
「ほら、いけ」
のんびりと草を食んでいた牛たちを急き立てて、小屋へと導いてやる。ジョンはまだ戻ってこない。
商売の首尾はどうだっただろう。妙な奴に目をつけられていないと良いがと、今日何度目になるかも知れない、些細な心配を弄ぶ。
小屋の戸を閉め、最後に牧場の見回りをするころには、日は沈み、西空には穏やかな残照が留まっていた。遠くの家々の窓に灯る明かりが、薄闇の中に浮かび上がる。
「なにをぐずぐずしてる」
呟くともなしに呟きつつ、牧場をぐるりと囲む柵を確かめてゆく。昼間すでに確認したところだし、日も暮れかかっているこんな時間にする作業でも無いのだが、何故だか、まだ家の中に戻る気にはなれなかった。
もしかしたら、またどこぞの詐欺師の口車に乗せられて、ニュー・オースティンくんだりまで薬の配達に行かされたなんてことはないだろうな。今度またそんなヘマをしでかしていたら……
その時アーサーは、馬車の音を聞いた。ランタンを揺らして、座席を軋ませながら、地面を転がる車輪の音と、馬の蹄の音を確かに聞いた。それから、のんき極まりない口笛の|音も。どうやら、商売は首尾良くいったらしい。ポーチで寝そべっていた|犬が目を覚まし、主人の帰還を出迎えるために、一目散に掛けていった。
遠くから、ジョンの声が聞こえた。「いい子だ。お前に土産だぞ!」
馬鹿でかい、牛の大腿骨かなにかが地面に落ちる音がした。フォックスハウンドには大きすぎる骨をなんとか引きずりながら、千切れそうなほど尾を振って、マブと馬車とが戻ってきた。
夜気に白く留まるほど大きなため息をつく。呆れと……それから安堵が半分ずつ混ざったため息だった。屋根も暖炉も、扉もある場所で安穏と夜を過ごすことに、まだ心のどこかが慣れないでいるせいだ。だが、今夜は大丈夫だ。
「アーサー!」
ジョンはアーサーを見て、見ているものが恥ずかしくなりそうなほど顔を輝かせた。馬車から降りる背中を眺めつつ、酒でも飲んでいるのかと思う。だが、そんな皮肉を、今日は胸にしまっておくことにした。今日こそ、一年かけてやってきたことの結果がわかる日だから。
馬車の音を聞きつけて、おじさんとチャールズが顔を出す。
「で、お前の七面鳥は?」おじさんは、最悪の結果も覚悟しているという表情をありありと浮かべている。「来年の春まで食いつなげるのか?」
「全部売れた」ジョンは言い、大げさな辞儀をしてみせた。「一羽……残らずな」
「本当か!」
笑い声が上がり、でかしたと背中をたたき合う。
「俺たちの分も、そろそろ食える頃だ」チャールズが言い、手招きした。「だが、見た目が悪くても怒るなよ。やろうと言ったのは俺じゃない」
どういうことだ? という顔で、ジョンがアーサーを見る。
アーサーは肩をすくめた。「七面鳥の尻にビール瓶が刺さってる」
「はぁ!?」
「絶品じゃぞ。いいか、文句があるならワシが全部いただくからな」
「料理したのは俺だろう──」
おじさんとチャールズは言い争いながら家の中に戻っていった。
その後ろ姿を横目に、ジョンが小さな声で言った。「ただいま」
「ああ」アーサーは頷いた。
「全部売れたら……どうするって言った?」声に笑いが混じっている。「賭けは俺の勝ちだぜ、アーサー」
「本当に売れたんだろうな? 途中の森に捨ててきたりしてないか?」
「アーサー」
すっかり生意気な顔をするようになりやがって。いっそ本当にニュー・オースティンくんだりまで薬の配達に行かされてたらよかったんだと思いかけて……取り消す。
「わかったよ」
手袋を脱いだ手で首根っこを掴み──冷え切っていたので、ジョンは悲鳴を上げた──ぐっと引き寄せる。ごつんと音がするほどの勢いで額を合わせる。ほんの一瞬、向かい合わせのまま互いの目を見つめ合う。何故だかそうすると、妙な気恥ずかしさを捨て去るのが容易になる。
指先が感覚を取り戻す前に、アーサーは小さなキスを一つだけくれてやった。
ほんの短い口づけに、ジョンは満足しきった狼のように、唇を舐めた。それから、幾分冷静さを取り戻して、顔をしかめた。
「尻にビール瓶?」
アーサーは唸って、ジョンの背中を叩いた。「今夜は七面鳥の悪夢を見るぞ」
そして、二人で笑いながら、温かな灯火に満ちた我が家へと向かった。