色とりどりのドレス。
華やかな正装。
それから、顔の半分ほどを隠す仮面たち。
誰がどこからどう見ても、『仮面舞踏会』と名のつくそれであった。
立派な邸の入り口で、ひそひそと声を交わす二人がある。
「俺浮いてねえか?」
「あなたはそれが目的でしょう」
潜入すると聞いた時にはこんな格好をするとは思っていなかった。リムは己の格好を見下ろし、それから横に立つイポスを見上げる。当の彼はイヒヒ、と笑って、開け放たれた扉の向こうのホールに視線を遣った。
「久々だな、こんなかしこまった場に呼ばれるのは」
どうやら本気で楽しみにしているらしいイポスの装いは、ホールに入る前である今の段階から既に人々の目を引いている。堂々たる体躯を包む服は黒一色だが、翻った裏地は深々とした紅色だ。髪は後ろで小さく結ばれて、いつもよりフォーマルに見せている。身に着けた装飾品の数々がまた趣味がよく、極めつけは額から右目ほどを隠す、獅子のモチーフを取り入れた仮面だ。
「俺が精々目立ってやるから、お前は手早く邸の中を調査してくれ」
「ええ。手筈通りに」
視線は交わさず、各々のすべきことを確認しあう。リムは敢えてどこにだっているような装いをしている。少し見回しただけでも似たような着こなしをしている者が複数あり、これならば群衆に紛れるのも難しくはないだろう。
グスタフが、宴を楽しんでほしいという理由でイポスを呼んだわけではないことは見え透いている。
「何を企んでるかは知らねえが、乗ってやろうじゃねえか。だが、ただ乗ってやるんじゃ意味がねえ」
招待状を受け取ったその日、イポスはそう言うが早いか、アジトと傭兵団の詰所に赴き、己とリムの舞踏会のための服を持って戻ってきた。仮面まで誂えたように存在していたのが驚きだったが、イポスは「こんなこともあろうかと、な」と笑うばかりだ。
ホールに入る手前で二人は別れた。まったく関係のない二人を装わなくてはリムのいる意味がない。給仕からグラスを受け取ったリムはそろりと壁際に移動した。ふと辺りを見回すと、覚えのある顔がある。バティンだ。あちらもリムに気が付いたようで、温度の低い微笑を浮かべて、それから近づいてきた。
「こんばんは」
「あなたも参加していらっしゃったのですね」
「イポスさんに頼まれまして」
「ご迷惑をかけます」
「お気になさらず」
ちらりと目を遣った会場の端には楽団がいて、会が始まる前の空間にさりげなく音楽を満たしている。弦楽器とフルートにクラリネット、それから今は演奏されずに椅子に置かれている打楽器、そして――バンドネオン。珍しい編成だ。たしかにイポスが目立つに申し分ないだろう。
やがて、主催たるグスタフが現れて挨拶を述べ始めた。人々は聞くともなしに聞いている。この場をよき情報交換の場にしてほしいというそれは、確かにこの街に長く居続け、また、人々との日常的な関わりから一線を引いた彼がそうしたいからこその望みでもあるだろう。リムが見ているうちに、ホールが暖かいざわめきで満ちる。しばらくは歓談の時間だ。仮面舞踏会という趣向は常の事ではないが、しかし初めてでもないらしい。人並を縫い、怪しまれぬ程度に供される食事を口に運んで――そうしていると音楽が聞こえてくる。舞踏の時間だ。華々しい序曲は短く終わり、どこか憂鬱で柔らかく、ゆったりした三拍子が流れ始める。人々は手に手を取り踊り始め、あるいは壁際で手持ち無沙汰にそれを眺めている。
目立ってやると吹いたのは、はったりでも何でもない。人々の感嘆する声は漣のごときざわめきとなってリムの耳に届く。ちらと見たイポスは、見知らぬ貴婦人の手を取って踊っていた。リムは扉にじりじりとにじり寄る。だが、ホールを抜け出すのは今ではない。最も人々の目を奪う好機は今ではないのだ。貴婦人の気が済んだのだろう、手を離してイポスは一人になって、それでも踊りを止めない。周りの誰もが、自分の足を止めて彼を見ている。空気そのものを揺り動かすような踊りである――たとえば、場所が違えばそのまま戦場で戦士たちを鼓舞するために天に衝きあげてみせる剣先のような。人を惹きつけ、しかしその在り様は手を伸ばすには躊躇わせるのだ。
――しめやかな空気を塗り替えたのは、ヴァイガルド、ことにこうした場では珍しい、バンドネオンの音だった。場の温度が少し上がったような、そんな錯覚がある。
同時に、イポスの表情、佇まい――そうしたものが一気に生き生きとしたものになる。それは錯覚かもしれないし、もしかしたら本当にそうであるのかもしれない。
イポスは周りを見回した。集まっているあらゆる者たちを視線で撫でてゆくような。微笑した口元、それから、仮面の下から覗き、あるいは前髪の影になっている不敵な色を宿した目の色が、己の動きから一秒たりとも目を話すなと告げている。
最初のステップを踏む音が硬く響いた。否、それこそ錯覚だ。このホールの絨毯は分厚く、どれだけ深く足を踏もうと音は吸われて聞こえるはずもない。だが、確かにこの場の全員がその音を聞いた。楽団がやや猥雑な色に塗り替えた空気を、今度はイポスがその佇まいひとつで塗り替える。
ゆったりした踊りでも十分目を引くイポスは、しかし、こうした空気のなかで行われる情熱的な舞踏こそが本領だ。そうリムは思っているし、おそらくイポス本人もそうだろう。だからこそリムは待っていたのだ。誰もが固唾を飲んで、その指先の動きひとつを、その視線の行方を追っている。
楽団さえもが空気に飲まれていた。ここが舞踏会のホールと忘れて、酒場だと勘違いするような、雑多で活気にあふれた猥雑をたった一人が作り上げ、楽団もいつの間にかそういう演奏を促されたように始めている。
――さあ今だ、
獅子を象った仮面の下から、やや好戦的な光を含んだ視線が飛ぶ。それを受けて小さく頷く。
加速するステップと感嘆の声を背後に、リムはホールの扉を開け、熱を帯びた空間から抜け出した。
熱はあっという間に冷める。一息で冷静さを取り戻して、リムは申し訳程度に目元を覆っていた仮面を外し、ポケットに潜ませていた眼鏡をかけた。
廊下には人気がない。仮に邸の者と出くわしても、用を足しに出たのだとか言い訳はいくらでもあるが、人がいないならばそれに越したことはない。
リムが調べるべきは、まず地下通路のあるなしだった。それが街に通じているのか。本当にそうだったとして幻獣はどこに棲みついているのか。それさえ判明すれば今日は目的を達したと考えてよく、後はひっそりとホールに戻るだけだ。
何かアクシデントがあった時にどうするかの算段はイポスや団員たちと共につけてある。死にさえしなければ、予想外に襲撃されても情報を持ち帰ることは出来るだろう。
幸い、リムはこうした建物の内部構造から、何がどこにあるかをなんとなく察するだけの経験がある。迷いなく廊下を進んで――ほどなく、客室のそれとは違う、倉庫のような扉があるのを見つけた。
「ここ――でしょうね」
鍵はなく、閂だけがその扉を戒めていた。静かにそれを開け、扉に手をかける。
扉を開くと、ひやりとした風が頬に吹き付けた。空気が通っている――つまり、ここはただの倉庫ではなく、風の吹く先がどこかにあるのだ。
地下に下りる階段の脇の壁には松明が掛かっている。リムはその様に違和感を覚えた。
ただ地下空間に下りるための通路というには明るすぎるのだ。そして、実際に例の幻獣と交戦した団員たちから得た情報を思い出す。
――奴は明かりを嫌う。
なるほど、と呟き、リムは一番扉に近い場所に掛かっていた松明を手に取った。おそらく、ここに出入りする者もこうしているのだろう。
そして、階下に続く
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初公開日: 2020年09月21日
最終更新日: 2020年09月21日
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コメント
原稿をやっています 尻叩きに来てくれると嬉しい
エワ展示物を慌てて書く
ワートリオケがめちゃくちゃ良かったので、オーケストラ幻覚を出力しようかなって思って……オーケストラで…
なっと
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原稿をのそのそやっています
なっと