ワートリオーケストラ幻覚の話
・先日のワートリオケで描き下ろしのあったキャラの担当楽器はそちらに準じますが、それ以外は完全に自分の幻覚です。
・オーケストラ幻覚でありますが、同時に学生オケとか音大パロみたいな感じで見ていただけるとそれっぽいのかな~と思います。
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目覚まし時計のアラームがけたたましく鳴って、三雲修はもぞもぞと包まっていた布団から這い出した。枕元のそれに手を伸ばす。長年使っているその目覚まし時計はただ押しただけでは止まらないことも多くて、丁度いい叩き方をしないと中々静かになってくれない。そして、今日はどうやら機嫌が悪いようだった。徐々に大きくなっていくアラーム音に焦りながら戦っているうち、今度はスマホまでもがアラームを鳴らし始める。
「わあ、わあ」
ようやく目覚まし時計を止めて、次に手を伸ばしたスマホは、修の目の前で小さな手に攫われていった。
「空閑。……おはよう」
「おはようオサム。今日はちょっと寒いもんな」
既に着替えまで済ませていた同居人、空閑遊真が、スマホのアラームの停止操作をした後で修にそれを返す。
「時間は全然あるから、ゆっくり着替えて出ようぜ」
「ああ」
頷いて、修はベッドから下りる。ひやりと冷たいフローリングの床が、秋の深まりを示している。
今朝はばたつくだろうと踏んで、朝食は買い置きのパンにコーヒー、それからインスタントのスープだ。身支度をさっと済ませて、部屋に置いてあった自分の荷物を手に取る。
普段の荷物に、分厚い楽譜、それから楽器。いかにも演奏会に赴く奏者の荷物だが、装いはカジュアルだ。
--それもそのはず、今日は本番ではなくゲネプロの日で、しかし演奏以外の物事は本番当日よりずっと多い。動きやすい服装で臨むのが良い。
「空閑、行けるか?」
「勿論。オサムこそ忘れ物はないか?」
「楽器と楽譜があれば、まあ」
「そりゃそうだ」
チェロのハードケースを背負った修の出で立ちはかなりどっしりとして見える。同じくヴァイオリンのケースを背負った遊真と合わせて、どこからどう見てもこれから演奏会のある音楽家――と言うには少し若いが、実際にその通りであった。
「そういやチカは?あいつも楽器でかいだろ」
「レイジさんが車を出してくれるそうだ」
「なら安心だな」
「うん」
そんな話をしながら、外への扉を開ける。秋の空気、その低い温度を頬に感じて、二人は朝の街へと踏み出してゆく。
ホールの搬入口では、既にメンバーの半数くらいが待機していた。こういう時の集合時間は大抵ホールが開く10分前だ。それより前に来ても、そもそもホールに入れないので意味がない。だが早い者は早くて、各々雑談などをしながら時間を待っている。
「おはようございます」
「おう、おはよう」
修に声をかけたのは出水だった。肩にトートバッグを掛けていて、そこから打楽器のマレットが覗いている。
遊真の方はといえば、中のいい村上や影浦を見つけたようで、そちらに向かって歩いてゆく。
「おはよう、かげうら先輩とむらかみ先輩」
「よう」
「あれ。今日は二人とも楽器違うんだ」
そうなんだよ、と村上が背負っているケースを指した。
「今日はバンド楽器も入る編成だから」
「へー」
「もうちっと興味示してるっぽい感じになれよ」
影浦がそう言って、遊真の白髪をわしゃわしゃと撫でた。
そうしているうちに、どんどんホール前の人は増えてゆく。誰かの声が「トラック着いたよ!」と知らせると、人々は速やかに搬入トラックの通る道を空けた。
さて、ホールの開く十分前、集合時間である。
「セッティングの担当分けは元々渡してる資料の通りだ」
諏訪洸太郎が皆を見回しながら告げる。
「まず各々の荷物はホールの客席に置いといてくれ。楽屋が出来たらそっちに移動、リハは11時から。変更のある場合は連絡を入れる--よし、ちょっと早いけど搬入口も開いたな」
ホールのスタッフと話していた風間が「搬入OKだそうだ」と声をかけて、「つーわけだ」と諏訪は資料を仕舞う。
「それじゃ搬入始めちまおうぜ!」
ステージのセッティング。大まかには、管楽器の乗る台と打楽器、編成によってはピアノやハープ。そうした楽器たちを置いたのちに椅子や譜面台などを置いてゆく作業だ。大抵は打楽器や管楽器の人間が担当しがちで、今回もそれに準じている。
普段の練習場とホールの舞台では大きさや距離感が異なっていて、だから大きい楽器を置くときに「本当にこれで良いか?」という会話が発生しがちだ。そうした会話がある中で、楽屋のセッティングも裏で進んでいる。
「椅子足りてる?」
「オッケー。これで弦の楽屋は全部整ったかな」
修と遊真、それから千佳はそんな会話をしながら指差し確認をする。
「じゃあぼくが知らせてくるよ。今って音出しどこでやってるんだろうな」
「確かホワイエの方じゃなかったかな」
「そうか。行ってくる」
そうして修は楽屋の廊下をゆく。ホールを通って、ついでに自分の荷物を回収し、ホワイエ側へ行くのが早いだろう。
ホールの重い扉を開ける。防音性の高い扉は分厚く、そして重い。
高い天井のホールには、静謐が満ちていた。ステージ上は完璧に出来上がっている。セッティングをしていた面々も今はどこかへ行っているらしい。出演者の荷物と、開けっぱなしで空になった楽器ケースがそこかしこに置かれている。
その中で、ひとつだけ音がある。否、ふたつだ。
出水が、要塞のように組まれたティンパニの中心で、静かにそれを叩いている。トン、トン、と柔らかく静かに、そして一定の間隔を保って音が鳴っていた。その傍らではチューナーの無機質な電子音が鳴っていて、ティンパニの音はその音を基準にして合わされてゆく。出水は修に気付く様子もなく、集中しきった顔をしている。
(チューニングしてたのか)
それは人もいないはずである。修もまたそれを邪魔するつもりはなく、早々に自らの荷物と楽器を持ってホールを出た。
「あれ、そういやイコさんは?」
「あの人今回はドラムや言うてたで」
まだ楽屋の出来ていない状況で、ホワイエで音出しをする者が多い空間の、その端で隠岐孝二と水上敏志がそんな雑談をしている。トロンボーンは片手に携えられたままで、演奏をする気配はないーー朝から練習をしすぎてもバテてしまうので道理ではある。
「ドラム。はー、あの人何でもできますね」
「なー。まあ今回はトップが嵐山さんやし、それはそれで普段と違うくて面白いやろ」
「それはそうっすねえ。あれ、でもギターは?ギターこそイコさん最近ハマってましたやん」
「ギターはカゲや言うてたかな」
「ああ、なるほど」
隠岐は今回の演奏会のプログラムを思い返して、それから生駒と影浦の顔を思い浮かべた。確かに今回は影浦向きだろう、生駒は意外と言うべきかどう言うべきなのか、品のよい演奏をする。
そんな話をしながら、二人は賑わっている方を見るとはなしに見ている。弦楽器の音、管楽器の音、とりどりの音がてんでばらばらに鳴っている。
いくつか設えられたソファのひとつ、その周りでは、弦楽器のトップの者たちが顔を突き合わせて何かを話している。チェロを持った東が何かを言い、残りの三人が苦笑した。何を話しているのかはここからは窺えない。
そうしているうちに弦楽器の楽屋が出来たらしい、漣のように鳴っていた音たちはいつのまにか消えて、後にはぽつぽつと管楽器の音出しの音だけが聞こえている。
「ここにいたのか」
やあ、と片手を挙げて寄ってくるのは蔵内だ。クラリネットと楽譜を携えて、水上の隣の壁に寄り掛かった。
「もうちょっとで管楽器の方の楽屋も整うらしい」
「ほんま?はよ椅子に座りたいわ」
「座ればよかったんと違いますの」
遠くのソファを指した隠岐に、「それはちょっと違うねん」と答える。
と、蔵内のポケットの中でスマホの震える音がした。画面の通知を確認した彼が「楽屋が出来たらしいぞ。行こう」と促したので、寄り掛かっていた壁から背を離して、三人は舞台裏へと向かう。
11時。リハーサルの始まる時間だ。全員それぞれの席へとついて、各々の気になるところをさらっている。
そうこうしているうちに、指揮者である城戸がステージに姿を見せた。途端に音が止む。指揮台の上に人が立つと、不思議な緊張感が場を満たす。
城戸はコンサートマスターの迅と目配せをして、迅は頷いた。曲名を告げられて、一同は慌ただしくその楽譜を譜面台に出し、広げる。
「では練習番号のEからーー」
本番が近づいて練習量に不安があればあるほど、リハーサルというのは早く過ぎてしまうものだ。
ホールの近くのカフェでランチセットを待ちながら、生駒が口を開く。
「あかん、もうこの後ゲネ?」
「そうだよ。泣いても笑っても」
迅はそんな様子を見ながら微笑んでいる。
「大丈夫だよ、生駒っち。そんな緊張しなくてもさあ。別にさっきのリハだって問題なかったよ」
「緊張するものはするんだから好きなだけ緊張させてやればいい」
柿崎が、運ばれてきた料理をウェイターから受け取りながらそう言った。
「そういや嵐山と弓場は?」
「後で来るってさ」
「ああ、それでこの広い席なわけね」
リハーサルの後は大抵、パート単位で共有事項があればその話をしてから解散になるので、昼食に入るタイミングもまたまちまちだ。
「噂をすれば、やで」
生駒が店の入り口を指差して、入ってくる二人を示す。迅が「こっちこっち!」と声をかけた。
「遅くなってすまない!」
空いていた席に座る二人に、柿崎がメニューを手渡した。注文を済ませて待つ間にも、先に来ていた三人は食事を進めている。
「ゲネって何時からだっけ」
「14時だ」
嵐山と弓場はそんなことを話している。
「じゃあ結構急いで食べないとまずいな?」
「だなァ」
だが食べないという選択肢はない。朝も早かったし、セッティングで体を動かしてもいる。あとはゲネプロを残すのみとはいえ、ほとんど2時間通してステージか舞台袖にいるわけで、ある意味で体力勝負はまだ続いている。
ゲネラルプローベ。略して「ゲネプロ」、あるいは「ゲネ」。入りからはけまで全て本番の通りに行う通し練習だ。
一人もいない客席は、椅子の背もたれの深い赤がよく目立つ。修は自らの椅子からちらりと横目でそちらを見て、そんなことを思った。
ここまでのリハーサルと違って、何かがあってもここからは決して止まることがない。あらゆることが本番通りのこの一度は、演奏のミスなどが起きても、それを理由に止まることはないのだ。本番とはまた違った緊張感がある。
それとも、と修は思う。
本番の高揚感を差し引いて、それに覆い隠されない緊張感が表出しているということなのかもしれない。
本番と全く同じに消えてゆく客席の照明を感じる。ステージだけが照らされて浮き上がる。
本番とは違う、ラフな姿の城戸が指揮台に進み出て指揮棒を構えた。――本番と同じようで違うたった一度はこうして始まる。
まだホールには人が残っている。本番前の最終確認をするパート、どうやら即席のトップ会議をしているらしい弦楽器のトップたち、そうしたものを背にして、修は遊真と一緒に楽屋口から出た。朝に来た時には冷たく青かった空は既に夕暮れの色だ。
「日が短くなったな」
「そうだな」
今日は楽器を楽屋に置いておくので、二人とも帰りは身軽だ。
「冷蔵庫の中、何があったかな」
「多分なにもないだろ」
「そうだよな。明日の朝食もどうせ買わないといけないし、スーパーに寄って帰ろうか」
そう話をしている二人の後ろから、「修君、遊真くん」と声がかかる。
「千佳。コントラバスももう解散したのか?」
「うん。あとは明日来てからでいいみたいーーそれで、レイジさんが車で来てるから、良かったら一緒にご飯なんてどう、だって」
「おっ。おれはぜひとも、と言いたいところだけど。オサムはどうだ?」
「勿論。ここで待ってればいいのかな」
「うん。10分くらい待ってろって」
そうして木崎を待つ間、修はじんわりと今日一日の心地よい疲労に身を浸して考える。明日が本番の日だ。ここまでの練習の数か月は明日の二時間の為にある。いつだって、演奏会というのはそういうものだ。
演奏会の当日はやたらと早く目が覚める。それは遠足を前にした小学生の心境にも近い物があるかもしれなかった。
目覚まし時計とスマホ、それぞれのアラームをなり始める前にオフにしてから、修は身支度と朝食の準備を始める。
早く起きた方が朝食の準備をする、それは修と遊真がルームシェアを始める時になんとなく決めたことだけれど、修が朝食を準備することはさほど多くない。だから、これは久々の機会だ。
セッティングがない分、集合時間は昨日より少し遅い。荷物は楽器がないだけ軽く、しかし衣装の分の重さは存在している。家から正装の者はあまり多くない。ワイシャツだけは着ているというのが一番多いだろうか。
修と遊真もそのタイプだ。上着などは楽屋で着ることにして、昨日よりはゆったりと家を出る。
「蝶ネクタイ忘れてるやつがいたら俺に言えよ、予備あるから貸してやれるからなー」
諏訪がそんなことを言いながら楽屋を回っている。その言葉の後に「テメー太刀川!」という声が聞こえたということは、太刀川が忘れていたのだろう。
昼食と着替えを終えて、千佳は鏡の前でおかしなところがないかを確認した。あとは自分のコントラバスをステージに上げておかなければならない。コントラバスは大きいので、他の楽器のように入りはけの時に抱えずにステージに置いておくのが常だ。楽器を抱えてステージ上手袖へと向かう。途中、ステージ袖への扉の前で、こちらもすっかり正装に着替えた荒船と行き会った。
「よう、ちびちゃんじゃないか。ステージか?」
「そうです」
頷くと、荒船は己のヴィオラを抱えたまま、大きな扉を開けた。ステージ袖の暗闇がその向こうにある。
「ありがとうございます」
「暗いから気をつけろよ」
ステージ袖は、多少の照明があるとはいえ他よりも随分と明かりが乏しい場所だ。ヒールのある靴で、慎重に歩く。
ステージに出ると、その照明で突然明るさが増した。本番を控えて多少の音出しをしている者が何名かある。
「雨取。楽器を置きに来たか?」
「はい」
「なら俺達はちょっとどいたほうがいいな」
ステージの上手側で音を出していた村上と影浦が寄って、千佳に道を空ける。きっちりとした正装にエレキギターとエレキベースは、ミスマッチなようで不思議に似合う。
「雨取はこの演奏会は今年が初めてだったかな」
「そうです」
村上の言葉に頷くと、影浦がふと口の端だけで笑った。「そんな緊張するもんでもねーよ。すぐに終わっちまうし、意外に悪くねえ」
「……お二人は、今日はいつもと違う楽器なんですね」
「意外だろ?」
エレキベースを携えた村上は、いつもはコントラバスを弾いている。楽器として同じようなものなので弾けておかしいことは何もないが、やはり新鮮だった。
「三人とも、そろそろ楽屋に戻ったほうがいいぞ。そろそろ開場時間が近い」
自分のチェロを抱えた東がそう言って、先に舞台袖へとはけてゆく。
「じゃあ、俺達も戻ろうか」
村上がそう言って、千佳と影浦はその後に続いた。
ーー本番前の舞台袖はいつだって不思議な静謐と熱に満ちている。
ステージの壁を為している反響板を隔てて客席のざわめきが聞こえて、それらは遠い漣にも似ている。まだステージの上と客席の世界は交わらない。
遊真はステージ下手の袖で高い天井を見上げている。遥か高い天井には照明がたくさん吊られていて、それだけで普段の練習場とはまるで雰囲気が違う。照明で熱くなる分だけ空調はしっかりと効いていて、その分だけ舞台袖は少し乾いて寒い。
入りの順に整列をして、開演のベルが鳴るのをまつこの時が一番、場のエネルギーが高い瞬間だ。始まってしまえば、あとはここまで積み上げてきた物を吐き出しきるだけになる。だから、積み上げたものの頂点は今ここ、正確に言うならば指揮棒が振り上げられる瞬間、その一瞬、詰めた息が鳴る音のするその時だ。
隣で静かにリズムを指で取っている緑川を見る。その前では王子が緊張なんて何一つ感じないようないつもの佇まいで立っている。それぞれにこの時の過ごし方は違って、それこそがこの場の混沌としたエネルギーの高さを生んでいる。
やがて開演のベルが鳴る。客席の電気が静かに消えて、ざわめきは潮が引くように消え、ステージは明るく浮き上がる。ドアが開く。列をなして入場していく人々を、雨音のような拍手が迎えている。
何があっても一度きり。始まったら終わりまで一直線の2時間。僅かな緊張と高揚を押さえつけて、遊真もまた、舞台へと踏み出してゆく。
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エワ展示物を慌てて書く
初公開日: 2021年10月23日
最終更新日: 2021年10月23日
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コメント
ワートリオケがめちゃくちゃ良かったので、オーケストラ幻覚を出力しようかなって思って……
オーケストラで描き下ろしのあったキャラの担当楽器はそれに準じますが、それ以外のキャラに関しては本当に独自の幻覚を見ているのでそのつもりでよろしくお願いいたします。