月がゆるやかに沈みゆく音が聞こえるほど、ひどく静かな夜だった。ステンドグラスにランプの仄かな光が反射し、昼とは違った表情をちらちら見せている。鉱物の欠片を燃料源としたランプは明るいとは言い難いが、夜目の効くエラやF.A(エフエー)にとっては十分すぎるほどだ。そして、地下都市から連れ帰った子供にとってもこの灯りはちょうど良いようで、眩しさに目を擦ることもない。ベンチに座る子供と身体半分程度の距離を開けて座るエラは、「それで、結局どうなんだい」とアルトの声音に苛立ちを滲ませた。
「そうだな、これがおそらく情報にあった白い子供だろう。夜の暗闇でも浮く、こんな真っ白い子供なんて初めて見たね」
「……ふつう、こんな白っちい人間が生まれンのか?」
「まさか! F.A、きみ、この子供が《普通》の人間だと思ってるのかい?」
 チャールズはからころと楽しげに笑う。広すぎるホールにその笑い声がぐわんといびつに反響した。対する大男はどこか居心地悪そうに何事かを口の中でつぶやいて、肩をすくめる。エラはそんな二人のどこか芝居じみたやり取りを見て、眉間に皺を刻み直した。適当に切り捨てて寝床に戻りたいくらいだが、この──……浮世離れした、普通でない子供をどうするのかを決めてしまわなくてはなるまい。話題の中心の子供は眠たそうに欠伸をして、ステンドグラスの色彩を眺めるばかり。いっそ清々しいほど、興味がない様子。
「どうしようかな、ううん。適当に売り飛ばすには惜しいだろうし……かといって、オレやシャーロットが子供を連れ歩くのは不自然だよなあ」
「孤児院に連れ込むか?」
「ばっかだね、F.A。そんなことをしてごらん? 人身売買組織がその孤児院ごと買い取って、薬漬け人間の完成だろ? 珍しい見た目の人間は、この街では生きにくいから」
「ぐ……」
「かといって、きみはこの街では有名人だからな。エラ・リリーとはまた違った意味で」
 そして、幼子を見るには君は生活能力がなさすぎる。チャールズは適切で冷静な意見で、"ただ巻き込まれただけの”F.Aを評価した。存外素直な大男は不服げに視線をうろつかせたものの、特に口を出すこともない。この子供が悲惨な道へ放り込まれるのであれば身体を張ってでも引きずり出したろうが、情報屋はそんなことをしない。善意や正義感から為されるものではなく、ただ「未知の情報が金になる前に手を下すのはもったいない」からだ。
「ところで、エラ・リリー」
「あ?」
「地下都市ではどれくらいの化け物を殺した?」
「途中で数えるのをやめた。さっきも話したが、群れにあったからね。数えるどころじゃなかったともいう。群れ全部を殺したわけじゃないから、そういう意味ではそう多くないよ」
「いや、群れに遭って子供担いで無事帰還出来る人間を他に知らねェぞ俺ァ……」
 F.Aが苦笑の形をした唇の端をひくり、とひくつかせる。アタシだって初めてしたからね、と淡々と答える女の苛烈さは直に見たことはなくとも伝わる。化け物と個々に対峙するだけでも年にいくらも死者が出るというのに、彼女は複数を相手取りながら圧倒的弱者の子供を担いで、それでいて完璧に脱出をしてみせた。疲弊こそしていたようだが、子供狙いの悪漢らを相手どって戦闘をしようと試みるだけの余力は残している。つまり、全力ではなかったのだ。F.Aが迎えに寄越されたのも、エラ・リリー自身が危険だからではなく、彼女の手によって三番街に住まう者に危険が及ぶ可能性があるからだった。
 おそろしい女だ。確かに戦術も武器も、ほとんどが退廃した世界ではあるけれど、それだけに個々人の能力が生き残るために必須とされる──……そんな中で、これほどまでに軽々と力を振るう女がかつていただろうか?
「そうだろうな、化け物よりも人間のほうがずっと弱いし……じゃあ、追加の依頼をしよう。エラ・リリー」
「は?」
「その子供……その子についての情報が出揃うまでの間、君が面倒を見る」
「はあ!?」
 エラの大きな声に、うとうとと夢と現実の境目をさまよっていた子供が跳ね起きる。目を真ん丸にして、何事かと辺りを焦って見回していた。相変わらず声はないが、その分行動がわかりやすい。子供の瞳がチャールズを捉え、F.Aを映し、最後にエラの赤毛を見つけて少しばかり細められる。まるで、安堵をしたかのように。
「だって、君以上の適任がいないだろうよ。子供を狙う人間を撃退できて、子供を餓死させない程度の生活能力があって、子供を悪用しない倫理観がある。そんな人間が他にいるかい? それなら、ぜひ紹介してほしいところだな。さて、報酬は……君が地下都市に潜れない間の金銭の提供、とかどうだ?」
 なにより、子供自身がそれを望んでいるのだろう。意識的か、あるいは無意識なのかは定かではないが、白い子供はエラ・リリーという元傭兵に良い感情を抱いているようにチャールズには見える。感情の機敏に敏い人間であればそれに名をつけられたかもしれないが、チャールズは観察眼こそ鋭いものの、人間という物体の感情にはどこまでも興味のない男だった。
「………………クソッタレ」
 どうにか逃げ道を探していたエラが暫しの沈黙の後、肯定代わりの悪態をつく。チャールズはうつくしい顔に零れんばかりの笑顔を浮かべ、「交渉成立!」と高らかに宣言した。首を捻る子供と背もたれに身体を投げ出して天井を仰ぐエラとを見て、F.Aはもう一度苦笑する。どこまでも静かな宵、エラの低い声で紡がれるスラングだけで構成された悪態を聞く者は、他にいない。
カット
Latest / 48:46
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
アルシアの追憶
初公開日: 2020年09月19日
最終更新日: 2020年09月19日
ブックマーク
スキ!
コメント
一次創作 5話目