分かった、と真斗は返事をしながら手際よく準備をしていく。トキヤはさっき聞き逃してしまいそうになった恋人の言葉を反芻しながら、ゆっくりと噛み砕いていた。いや、きっと彼にとっては他愛ない返しだったのかもしれない。それでも、そんな些細な言葉ですら『そういう』ことを期待してしまいそうになる。そういう意味合いで吹っ掛けたのはトキヤ自身だが。
ずるずるとソファからずり落ちるかのごとく、後頭部を背もたれに擦り付けながら小さくて長い息を吐く。そしてその状態でしばらく悶々と本能と格闘していると、頭上から一ノ瀬、と呼ぶ声がした。
「待たせたな」
そう言いながら真斗は少し大きめの木製のお盆をひとつ、またひとつとローテーブルの上に置いていく。トキヤは居住まいを正しつつ、彼のその一連の動作をじっと眺める。それから彼は次いで、氷の入った透明なタンブラーグラスに淡いやや青みがかった緑色がそこへゆっくり注がれていく。時折、パキッ、カチャ、と氷同士がぶつかり、グラスの中で小気味好く音が立ちあがる。たったこれだけで、夏っぽさや涼しさを感じられる、ということがとても不思議だ。
「これは……、」
「ああ、本当はお前にしっかりと食べてもらいたかったのだが、一ノ瀬は夜遅いと何も食べないだろう」
たしかにその通りだ。普段から食事の量や食べるタイミング等、諸々厳しく節制している。だからこそ、それを踏まえた上で彼はこの料理にしてくれたのだろう。
トキヤは自身への誕生日プレゼントのひとつとして、真斗の手料理が食べたいとお願いしたのだ。それがこの日だったというわけである。それに、彼の手料理ならばどんな豪勢なものでも、シンプルなものでも、自分のポリシーなんて例外として多少捻じ曲げてしまっても構わないくらいの勢いだったのだが……。
きっと、この料理を出す、この瞬間まで自分のことだけを考えてくれていたのだろうと思うと、ああ私は彼から愛されているのだ、と実感してしまう。じわり、なにかが満たされるような灯るような感覚。
トキヤは真斗の言葉に小さく頷いてみせる。
「だから、これを作ってみたのだ」
「お茶漬け、ですか」
「うむ、今の季節では温かいものもどうかと思ってな。冷やし出汁茶漬けにしてみた」
ガラス製の深いお皿には、細かく角に切られたトマトとしらす、千切りにされた大葉がご飯の上にのせられている。さらにそこへ、白ゴマが色を添えるように散らされていた。そしてその隣、三つほど仕切りのついた、小ぶりでやや長めの皿の中には、左端から塩昆布、明太子、それから食べやすいようにほぐされた蒸し鶏が。
「まずは今乗っているものを食べてみてくれ。その後で塩気やもう少し食感などが欲しければ、そこにあるものを自由に乗せて食べるのもいいぞ。ご飯は、腹持ちや噛み応えのある麦を多めに入れてみた。一ノ瀬の分は俺よりも少なめによそってある。もし、足りなければ遠慮なく、おかわりしてくれ」
「……ありがとう、ございます。ちょうど、こういうさっぱりしたものが食べたいと思っていたので、凄く嬉しいです。ちなみに、この出汁は?」
「ああ、これは、仕事が終わってお前の舞台が始まるまで合間があったので作っておいた。」
「こんな簡単に出来るものなのですね……」
微かに感嘆の息が漏れる。感心しつつ、琥珀色の透明なだし汁をじぃっと見つめていれば、隣からくすくすと笑う声がトキヤの耳に届く。
「今度、よければ作り方を教えるぞ?」
「えっ、いいんですか!?」
「そこまで喜んでくれるとは思ってもいなかったが……、嬉しいものだな」
首を傾げながら照れるようにはにかむ。傾けられた際、重力に従ってさらりと彼の髪の毛が流れ落ちていく様が、どことなく色気めいていて。そんな真斗の仕草に、トキヤの胸がどきりと高鳴る。なんだか居たたまれない気持ちを払拭するように、さっと視線をそこから逸らし、目の前にある料理に。パシッと乾いた音を立てながら手を合わせる。
「いつまでも料理に手をつけず話しこんでしまうのは、よくありませんよね。……いただきます、聖川さん」
「あ、ああ、たしかにそうだな。俺もいただこう」
いただきます、そう呟く真斗の声を聞き届けてから、トキヤは木製の匙をそこへ潜り込ませた。
手前から、少しずつ具と一緒に混ぜて掬い上げ、口の中まで運ぶ。トマトの酸味、大葉のぴりっとした辛味と清涼感のある香り、そして、しらすのほのかな魚独特の甘さが、出汁とご飯に合いとても美味しい。出汁の味もくどくなく、かと言って決して他の具材に負けてしまっているという訳でもなく。さっぱりとしつつも味がしっかりついており、周りと上手く調和しかつ支えているような。そう、一言で表せば、まろやかで優しい味だ。
トキヤの頬が思わず綻ぶ。
「んんっ、これ凄く美味しいです……!」
「それなら良かった」
「これは、思わずおかわりしてしまいそうになりますね……」
はー、と小さく息を吐きながら、左右に緩く頭を振る。そんなトキヤの様子に真斗は、ここまで満足してもらえるとは、作った甲斐があったなと瞳をきゅっと細くさせた。
「そうだ、一ノ瀬。改めてだが、舞台お疲れ様。無事最終日まで辿り着けてとても嬉しく思う」
「そんな……むしろ、そういう風に仰ってくださって嬉しいです」
「俺も何度か観させてもらったが、瞬時に役が切り替わる所や、細やかな目の動きや仕草……、どれも見ていて勉強になることばかりだった」
トキヤが演じた役は、二重人格を持つ男の役だった。表向きは善良な性格をしているが、裏向きは悪事に快楽を見出す醜悪な性格をしている、というもの。劇中、表と裏の顔が幾度も入れ替わるのだが、表の時は絵に描いたような優しく慈悲深い男を、裏の時は他人を容赦なく痛めつけてはそこに愉悦さを感じる男を。彼はそのどちらの役も見事演じきっていた。それはひとえに彼の努力の賜物だと思う。きっと自分ではこうはいかない。……いや、ああいう場では俺だってやり遂げられる自負はある。そうではなく、自分が彼のことを役者として尊敬している部分は他にもある。
元より、自分と彼とでは役への入り方が真逆なのだ。一度役に入り込んでしまえば、撮影中や舞台中は問題ないのだが、プライベートになるとその役を引きずってしまうことが多々ある。中々抜け出せないせいか、たまに、ほんのたまにだけ、『本当の』『本来の』自分が分からなくなってしまいそうになることを。しかし彼は、役は役、自分は自分と割り切っているらしく、オンオフの切り替えが非常に上手なのだ。そして、瞬時に様々な役になりきってみせる。アイドルとして役者として、仲間や恋人として、表情や言動を変え———それはさながら映画のワンシーンを見ているかのようで。
「……やはり、お前は凄いな。心から尊敬する」
「ひ、じり、かわさん……」
自分は一体どんな顔をしていただろうか。彼はなぜ寂しそうな悲しそうな顔をしているのだろう。トキヤを悲しませるために言ったものではないのに。
「そういえば、直接言うのが遅れてしまったな。一ノ瀬、誕生日おめでとう」
「え、ええ、ありがとうございます。……聖川さんには沢山私の我儘を叶えてくださって、とても、幸せです」
「これは我儘でもなんでもないぞ、一ノ瀬。それに俺がしたくてやってることだって入っているんだ。素直に受け取っておいて損はないだろう?……それに、」
「それに?」
「俺からもお前にプレゼントがある」
小さく咳ばらいをしながら、少し待っていてくれと言って、真斗はソファから立ち上がった。トキヤはそれを目線で追う。いくらもしないうちに、片手で持てるくらいの小ぶりな紙袋を手にした真斗は再び、トキヤの隣に座る。それを自身の膝の上に置くと、おもむろに袋からなにかを取り出し始めた。
どこか見覚えのある、紺色のスウェード生地であしらわれた小さなジュエリーケース。真斗がそれを慎重にゆっくりと開けると、ひとつのシルバーリングが輝きを放っていた。シンプルなデザインだが、中央にある紫色の宝石に目を奪われる。トキヤは彼の誕生日にこれと全く同じデザインで、色違いのリングをプレゼントしていたことを思い出す。
「これ、って……!」
「そうだ。お前が俺の誕生日に言ったこと覚えているか?」
「う、そだ……」
「む、俺は嘘は吐かないぞ。お前の持つ色と、俺の瞳の色を宝石に閉じ込めた」
真斗の左手の薬指には、対になる青の宝石が電灯によってキラリと反射している。真っすぐな青、夜空を彷彿とさせるような青。この紫も、陽の当たり方や角度によって色とりどりな煌めきを魅せる。淡い青みのある紫、星型で優美な花を咲かせる桔梗よりも青みを帯びた濃い紫。自分の瞳、彼の持つ色。これを自分と同じように、トキヤにもそばに置いてもらえるのならば。
「想いは、お前と同じだ。今ならあの時のお前の言葉が分かる。最初は飾っておいてもらえるなら、と思っていたのだが、いざ渡すとなると……その、やはり肌身離さず持っていて欲しい、と思ってしまってだな……」
「ふ、ふふ……っ、ふふ、ありがとうございます。私もいつもどこかに身に着けておきますね」
「う、うむ。……一ノ瀬、手を出してくれないか」
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06:33
柚南(ゆずな)
いつまで配信するかは、いまのところ未定です。
80:58
柚南(ゆずな)
ちょっとだけ休憩します。配信はこのままにしときます。
100:26
柚南(ゆずな)
再開します。
174:01
柚南(ゆずな)
あと一時間ほどしたら終わろうと思います。
230:15
柚南(ゆずな)
ちょっと早いですが配信の方終わります。ありがとうございました。
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誕生日ネタ(トキマサ)
初公開日: 2020年08月23日
最終更新日: 2020年08月23日
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コメント
トキヤ誕の前半としてあげた(https://kabe-uchiroom.com/mypage/post.php?id=1254465 )の続き。最後まで書けたらなと。
全年齢になるので、どなたでも閲覧可能です。