「王子、どないしょ」
「みずかみんぐ……」
朱い髪を夕焼けににじませながら、彼はゆっくりと王子を振り返った。
「……全然哀しい思えへんのや。自分がこないに薄情な奴やと思わんかった」
呆れたやろ、と泣き笑いみたいな顔で、つい三十分ほど前に父親が死んだと連絡を貰った青年は吐き捨てた。
「ん、これ、天然モンやで」
黄昏を溶かしこんだような色合いの、ふさふさした髪の毛の先を引っ張りながら、水上はその場にいる同僚であり同級生である連中に告げた。
ボーダーのラウンジの六人掛けのテーブルの上にはA5サイズの雑誌が置かれていて、そのカラーページには長机に並べられた将棋盤を前に、誇らしげに、或いは照れくさそうに賞状を掲げた小学生らしき年頃の少年少女が何人か映っていた。第〇〇回ブルースター杯小学生名人戦、とアオリの文字も晴れやかな特集の、最後の写真には丸めた賞状らしき紙とトロフィーを抱えた三白眼気味の、ひょろりと背の高い男の子と、優勝:みずかみさとしくん(大阪府代表/唐綿小学校・六年生)との注釈があった。
「でも黒いじゃないか、この頃」と指摘するのは穂刈だ。
彼の言葉通り、もっさりとボリュームたっぷりの髪の毛は今のような赤毛ではなく、この国にあってはまずまずありがちな黒い色をしていた。
「染めとったんや。悪目立ちするから」
「ふうん」
小学校の頃から将棋なんていう大人の世界で揉まれたせいでだろう、ふてぶてしいの一歩手前のマイペースな性分は、この一枚の写真が写し取ったおもざしからも想像が出来るだけに、水上を生駒隊の仲間たちとは違う形で、ある意味よく知る王子は彼の説明に釈然としないようだった。
六年ほど前の将棋通信を、王子が古書店で目について手に取ったのは、それは当然頭の片隅に水上のことがあったわけで、だがしかしまさかそこの記事で彼の幼少期の姿を見つけることになるのは想定外だった。さすがの王子でもぺらぺらめくっただけでは、この子が水上だとは気づかなかったのだから笑い話にもなる。どれだけ人は目立つ特徴に惑わされがちなのかと。ましてや好いてる相手のことなのに。
ぼくが知らない頃のみずかみんぐだ、と王子は人目を盗むようにして、そっと写真を撫でた。
〔ボーダー帰り? 王子との会話。
後継は自分が務めるからと兄が水上を好きな将棋に打ち込むようにしてくれたこと。
将棋にのめりこむことをよく思わなかった父親とは折り合いが良くなかったこと。
「鬼っ子」のような赤毛を疎ましいと思われて、ほんの小さい頃から染めるのを強いられていたこと。→幼子だったので染料が合わなくてかぶれて夜通し泣いた思い出。
小学生名人になれたら師匠の内弟子になることを許してもらう賭けをしたこと。
師匠は水上の赤毛を気に入ってくれて「染めんでもええんやで」と言ってくれたこと。→師匠がこどもの頃にはじめて触れた盤駒の裏朱みたいや、とかそんなの。
などなど〕
「そこまでして続けた将棋もモノにならへんかった。顔向けできん」
「そうかな」
経験としたたくわえたものは君の中にずっと息づいていて、とっさの判断や戦いの盤面を見渡そうとする視界の広さは、防衛隊員として活かされてると思うよ、と。
くしゃ、とみんぐの髪を掴む王子。
それに、この髪も遠くからでもすぐに分かるいい目印だ。ちらっと見えただけで、誘導弾の標的にするのにちょうどいいよ。
ハウンドの標的はともかく、似たようなこと言うのう。
誰と?
内緒や。
はにかんだ様子に、何となくお察しする。
かつての姉弟子から連絡が来る。※直接三門市に来たほうがいいかも。遠目からでも敏くんだって一発で見つけられる。いい目印やわ。(王子『ああ……』)
実家からだとちっとも連絡が取れないという文句。着拒してる?
何度も、お母さんやお兄さんが連絡しようとしていたのに。
父親が病気で危篤。ずいぶん前から入院してた。
聞いてへんわ
盆も正月も帰らないんだから当然でしょうね、とチクリ。
え、みんぐ、帰省してたよね
……去年の正月はイコさんとこにお呼ばれして、お盆は奈良におるダチのところに転がり込んで、今年の正月は隠岐んところに厄介になった。
で、今年のお盆は、細井さんのところにでもお世話になるつもりだった?もしくはカイくん? まあ、今はそんなこと言ってる場合じゃないや。
今すぐ戻れ
せやけど、任務が
そんなの全部ぼくが代わってやる。
そんなん無理やろ
だったらクラウチにだって、スミくんにだって頼めばいい。ポカリだって、カゲくんだって、ゾエくんだって手を貸してくれるだろう。同級生だけじゃない、諏訪さんみたいな上の人も、ジャクソンたち下の子だって頼ればいい。ぼくらが守るのはこの街や人たちだけじゃない。ぼくら自身だって守られていい。あんまり見損なわないでくれたまえよ。
これだけあれば旅費には足りるよね、とみんぐに財布まるごと叩きつける王子。今から特急で出て、新幹線に乗れば今日中には帰れるよね。ターミナル駅の乗り換えで時間があれば、余った分でお土産くらい買いなよ、と甲斐甲斐しい。
ほら早く早く、とせっついてると姉弟子のスマホに電話。
訃報。
冒頭シーンに繋がる。
さとしくんね、重要な試合で負けると、ポートアイランドまで行ってしばらくべそかいてたのよね
泣いとらへんわ!!
今は君がさとしくんのポートアイランドになってくれてるんだな
積もる話もあるし、(ボーダー提携)ホテルを取ったから姉弟子さんと一緒にいたら、みたいな。
「こんな面見せたら、あんひと余計に自分を責めるやろ。もっと早く来れば良かったって」
「はは、ホント、酷い顔」
あえてからかうようにそう言ってやると、なんやと、とわざとらしくすねた様子を見せてくれる。
いいのに。無理して、平気なフリなんてしなくていいのに。
王子は手を伸ばして、水上の袖口だけを掴む。
親の死には泣けないけれど、彼は十分すぎるほどの情はある。それが例えぼくには決して向けられないものだとしても。
「ねえ、みずかみんぐ、今日、うちにご飯食べに来ない?」
「へ?」
「家族、旅行行っていないんだ。ぼくだけ。コンビニ弁当もカップ麺ももう飽きちゃったし、一緒にご飯食べようよ。春巻、角のお惣菜屋さんのが美味しいって聞いたから買って帰ろう。うどんは冷凍のなら家にあるから。それからみんぐのこともっとぼくに教えて。将棋の、手?定石? 知らないことがいっぱいあるから朝まで話をしよう。どっちかが寝落ちするまで、みんぐのことをぼくに訊かせてよ」
「略すな」
一緒にいようよ、君の気が少しでも紛れるようにめんどくさいぼくと。
「カゲくんちとは違う、関西風のお好み焼きとかって作れる?」
「変わらへんで、そんなに」
「そうなの?」
「せや」
勿論、きみのことが好きだって、絶対に言わないから。そんな卑怯な真似、してたまるもんか。
そうだね、でも出来たらきみの気持をちょっとだけ分かち合えられたらいいな。そして、それはぼくの心の中に一番柔らかいところにそっとしまっておこう。それくらいはまあ大目に見てくれたまえよ?
「ああそうだ。今年のお盆の帰省は、一緒にどっかに遊びに行こうよ。実家になんて寄らなくていいから、君が住んでいた街、過ごしていた場所が見たいんだ。案内してよ」
「えええええ」
心底嫌そうな顔が王子にとってはむしろ嬉しかった。
……一度関西将棋会館のレストランの、バターライスや珍豚美人なるものを食べてみたいしね。君が勝負に負けて立ち尽くした街角、泣き腫らしてひたすら乗り継いだポートアイランドまでの電車からの風景。冷やし飴や串カツやたこ焼きの味。教えて欲しい。
「のう、王子、コレ(財布)返しとくけど」
「?」
「中見てしもて、悪かった」
「イヤ別に使ってくれって渡したんだから中くらい……あ」
そう言えば、パスケース部分に修学旅行の時の写真。自分のクラスでもないのにこっそり買った一枚がしのばせてあって。そんなの誰かって言ったら。
「見なかったことに!」
「努力する」