WT/モブと辻ちゃん
五時間目が始まって少しした頃、教室の後ろのドアが、カラカラと小さな音を立てた。
教科書を読み上げていた先生は、ドアの方向を一瞥したけれど、なにもなかったかのように、授業を続けている。
それでもみんなの感心はドアに向く。正確には、ドアを開けた人物に。
人一人がギリギリ通れるくらいの隙間から、ドアとは違い音も立てずに現れたのは、辻くんだった。
辻くんは、彼を見てもいない先生にぺこりと一礼すると、そのままするりと自分の席に着く。
隣の席の男子になにやら小声で話しかけられているみたいだけど、私のところまでは聞こえない。辻くんは、その男子にもぺこっと頭を下げて、鞄から教科書を取り出した。男子がシャーペンの頭で教科書をつんつんと指しているから、今何ページだよ、とか、教えているのかもしれない。
辻くんが学校に遅刻してくるのは、そう珍しいことではなかった。ついでに言うなら、早退をすることも。なぜなら彼はボーダー隊員だから。近界民から三門市を守るために戦っているから。だから、学校にあまり来れなくてもお咎めはない。ボーダーが嫌いな先生からは嫌われるけれど、同じくらい、ボーダーを贔屓にしている先生もいるから、プラマイゼロだろうと言っていたのは、去年同じクラスだったボーダー隊員だ。
辻くんが遅刻してくるたびに、クラスの多くの生徒の目が彼に向き、彼はときに驚いたり、身を縮こませたりしながら、席につく。そんなときは、きっと女子と目があってしまったんだろうなと思う。
辻くんが女性が苦手だというのは、彼を知る人間の間では有名なことだった。だから私は彼と話したことなど、一度もない。ただ、彼を眺めるだけ。それが、私が彼に対して唯一できることだ。
好きなのかどうかもわからない。付き合いたいかどうかなんて、もっとわからない。ただ、気になる存在ではある。話してみたいと思ったこともあるし、彼と近しい、ボーダーの女性たちを羨んだこともある。でも行動に移したことはない。話しかけたところで怖がらせてしまうのは目に見えていたし、話しかける以外で距離を縮める方法を私は知らない。
このまま、ただの憧れで、ただのクラスメイトで終わる関係性が、彼と私のベストなのだろう。
こういうの、消極的って言うのかな。
積極的になれって、言われるかな。
辻くんは教科書とノートを開き、すらすらと板書をしている。
このままでいいのだと思う。
だって、その横顔が、こんなに美しいことを、私は知っているのだから。
おわり