HQ/モブとあつむ
兄が全国大会に出場するらしい。
と言っても、高校2年の兄はベンチ入りがいいところで、出場機会はさほどないと言う。それでも全国なんてすごいと煽てる母に、私も便乗する。家族みんなで応援に行こうと決まるのにそう時間はかからなかった。弟は嫌がっていたけど、知ったことじゃない。
全国大会は、年始の寒い時期、東京で行われる。そう、大都会東京。修学旅行くらいでしか行く機会のない、憧れの街。こんな片田舎には無い流行りのものやオシャレなものがたくさんあるはずの街。兄の試合を少し見て、あとは東京観光をしたい。高いタワーに上ったり、たくさんお買い物をしたり。芸能人にも会えるかしら。
試合にはさほど興味はなかったけれど、私の心は、ずっとわくわくしていた。
試合当日、チームメイトたちと先に東京入りしている兄を追うように、試合開始ギリギリに私たち家族は会場に到着した。
この時点でたくさんの人。同じ高校の、顔見知りの保護者の人たちに挨拶をして、私は応援団の席の後方にちょこんと座った。
ルールは、少しわかる。体育の授業でやったから。でも、腕は痛いし、ボールは思った方向に飛ばないし、あんまり好きじゃなかった。だから今日も、周りに合わせてなんとなく応援すればいいかなって、そんな軽い気持ちでいた。早く終わってくれれば、その分遊ぶ時間も増えるなあ、なんて、口にはださなかったけれど。
「一回戦、勝てるかなあ」
近くの会話が聞こえて来る。
「相手がなあ。最初から稲荷崎なんて、ついてないわ」
稲荷崎。行きの車の中で母が言っていたことを思い出した。確か、兵庫の高校で、強豪で、それから……。
突如響き出した金管楽器の音に、私の思考は分断された。音の圧だ。たくさんのトランペットに、トロンボーンに、私の知らない楽器に、それから太鼓。驚いて音のした方向を向くと、体育館のコートを挟んで反対側に、私たちの五倍はいるんじゃないかってくらいの大人数の応援団がいた。
「なに、あれ」
思わず口をついた言葉に、近くのおばさんが答えてくれた。
「あれが、稲荷崎さ」
稲荷崎の応援の前には、私たちの声なんて、ちょっとした鳴り物なんて、意味がないように思えた。
そんな稲荷崎の応援が、ふと止む瞬間があった。
一瞬の静寂。コートに目を向けると、金色の髪の人が、サーブを打とうとしていた。
「なんで静かなの?」
隣に座る母親に、こそっと尋ねた。応援団はみんな、固唾を飲んで試合を見守っていて、関係ないことを聞くのはすこし憚られた。
「彼はね、サーブのときは音楽を止めるの」
この日のために勉強をしたのだと豪語していた母が、その知識をこそこそと話す。
「なんで?他の人のときは、そんなことないよね?」
「きっと、静かな方が集中できるのよ」
自陣に飛んできたボールは、それはもうすごい勢いで、こっちのキャプテンの腕に弾かれて、大きく逸れていった。
瞬間、ワッと割れるような歓声に続いて、楽器の音が轟々と鳴り出す。
「宮侑くんって言うんだって」
サーブが決まった彼は、チームメイトと喜び合うと、またボールを持って定位置に向かう。手の中でボールをくるくると回したあと、片手を少し上げて、ぐっと拳を作った。
また、静寂が訪れる。
嫌だな、と思った。
音が、完全になくなるわけではない。隣のコートからも、客席からも、ありとあらゆるところに音はあるのに、どうしてか今この瞬間だけは、なにも聞こえなくなってしまう。耳の奥がワンワンして、吸い込まれるように、ボールを見つめてしまう。
そうして次の瞬間には、ボールは床を叩いているのだ。
「みや、あつむ……」
誰がこのサーブを取れるのだろう。
誰が、あの静寂を打ち破ってくれるのだろう。
試合よ、早く終われ。
どうか私に、音を返してください。
おわり