夏のある日、起きてきた薫の耳にカリカリとドアをひっかく音が聞こえる。音の元を辿り、ドアを開けると犬が飛び出してくる。
「わぁ?! レオンくん?!」
ユニットの後輩大神晃牙がいたく可愛がっている犬で、一人と一匹暮らしだった彼は寮に入居するにあたって一緒に連れて来ていた。確か同じ部屋の風早巽は犬が苦手だったと認識しているのだが、大丈夫なのだろうか。
「レオンくんどうしたの、ご主人様はいま学校だよ~」
夏休みの期間ではあるのだが、何やらクラスでライブを行う企画があるとかで、晃牙は早々に登校している。嬉しそうに声を上げながら羽風の周りを飛び回っていたレオンは、足の上にのしっと乗っかると、キラキラとした瞳で見上げてきた。
「なぁに。お兄さんに遊んでほしいのかな?」
返事をするように「わふっ♪」と声が上がる。抱き上げるとふかふかの毛皮はじっとりとしていて、クーラーがついている館内だというのに熱い。
「うーん、冬場はいい湯たんぽだけど、夏場だと厳しいねぇ」
共有スペースに連れて来て、ボールや紐で遊んでやる。窓の外は晴天夏空。暑すぎて陽炎がゆらゆらしている。
「こんな中でよく登校したなぁ、晃牙くん。俺だったらさぼっちゃってたかも。まあ、今はお仕事に対してそんなことしないけどね」
去年の今頃はまだ迷っていて、あまり積極的じゃなかった。それがこうも変わるんだから人生って不思議だ。窓の外を見ながらぼーっとしていると、レオンが窓辺にいってカリカリしだす。
「どうしたのレオンくん? お外出たいの?」
くぅ…と鼻が鳴るのは肯定だろうか。こんな暑そうな時に外に出たがるなんて、よく分からないと思いつつ、羽風は「あ」と声を上げた。
「水浴びする? こんなに暑かったら多分その方が気持ちいいよね」
「わんっ♪」
サンダルを持って来て外に出る。むわっとする暑さに包まれ、一瞬で汗が滲んだ。夏は好きなサーフィンが気持ちいい季節でもあるし、海が一番キラキラしてる季節で好きだが、年々暑くなるこの気温と湿度には辟易してしまう。
星奏館の庭は広く、珍しいくらい豊かな緑に囲まれている。とはいえ森の中ではなく見回せばビルに囲まれている土地なので、せいぜい草花が敷き詰められるように広がっているというだけではあるが。それだけにいたるところに水道の蛇口があり、羽風は一番近い所に水撒き用のホースをつなぎ、水を出した。シャワーヘッドがついているので、細かな水が雨のように弧を描いて降り注ぐ。
「わふ、わふ♪」
「あはは、レオンくん大はしゃぎだね。やっぱりお水が気持ちいいのかな。冷房の涼しさよりは確かにこっちの方がいいだろうし」
積極的に浴びに来るレオンにかけてやりながら、時折自分の足にも水をかける。じりじりと焼けつくような日差しで濡れるのは気持ちがいい。何よりこの天気なら濡れてもすぐに乾いてしまうだろうと思えば、多少服が濡れるくらい気にせずにいられる。
「わ、っ! ちょっとレオンくん!」
なんて思っているうちに羽風の傍でレオンがぶるぶると身体を振って水滴を飛ばしてきた。そういう犬の習性だと分かっているが、タイミングといい距離といい、狙ってやってるんじゃないかと思うくらいだ。
「んもー、そういうことすると終わりにするよ? はい捕獲~~~」
うっすら友人の口調と似ているなと思いながらレオンを抱き上げる。不満だったのか短い手足をじたばたさせてもがくので、抱える羽風もあわあわする。
「あっ、ちょっとレオンくん! 思ったけど足ドロドロだね?! あーもー服着替えればよかった~~手形しっかりついちゃったじゃん」
よりによって白いTシャツに肉球の形がくっきりとスタンプされる。いっそそう言う柄なんじゃないかと思うほど、暴れられるほどに模様が増やされていった。
「わぁっ、もー……レオンくんってば……」
腕から飛び降りたレオンは芝生の上に出来ていたぬかるみに足をつけると、そのままぱちゃぱちゃとし始めた。ただそんなものでは足りないのか、もう一度水を出せと言うみたいに甘えた声で羽風の周りをうろうろしはじめる。
「甘えればいいと思って~。んもう、してあげるけどさぁ」
甘えられると弱く、仕方ないともう一度水を出す。きゃんきゃん飛び跳ねて喜んでいるのを見てしまうと、怒る気持ちも無くなってしまうから不思議だ。
「羽風」
呼ぶ声がして振り向くと、出てきた窓の所から蓮巳が呼んでいる。相変わらず険しい顔だなぁと、条件反射でげんなりする羽風は水を止めててこてこと近づいた。
「おはよ、蓮巳くん」
「もう昼近いがな、おはよう。貴様本当にこの炎天下の中帽子も被らないでいるんだな」
えっ、と思っていると帽子をかぶせられる。つばの広めな麦わら帽子だ。こんなのドラマの中で白いワンピースの女の子が被っているのしか見たこと無い。
「貴様もアイドルだろう。日焼けとか熱中症とか気をつけろ。後輩たちが心配していたぞ」
「後輩たち?」
「ああ、共有スペースの窓だからな。たまたま飲み物を取りに来て、庭で犬の相手をしている貴様を見ていたものが何人か、俺に『心配だ』と訴えに来たぞ。まったく、今は俺ぐらいしか寮監督生と言う肩書がないから何でも俺に報告が来るんだろうが、こんな子細なことくらい自分で管理しろ」
「あー、ごめんごめん。ちょっと遊ぶつもりだったから帽子はいいかなって思っちゃって」
「ちょっとでそんなに服が泥だらけになるものなのか? 相当やんちゃなんだな、ええと……確か大神のとこの」
「レオンくんだよ」
「レオンか。羽風で遊ぶのもほどほどにしてやれ」
「俺が! 遊んであげてるの!」
「恩着せがましい言い方をするな。……ふむ、放水しているだけだから地面がぬかるんでしまっているな。それにこの気温じゃすぐに蒸発してしまうだろう。ちょっと待っていろ、確か空き部屋にしまってあるものがあったはずだ」
話が読めないまま、待っていろと言われたので窓辺に腰掛けて待っていると蓮巳が何やら手にして戻ってくる。
「えっと、なにそれ」
「ビニールプールと、あとは空気入れだな。どうして寮に用意されているのか分からないが、備品の一つとして最初からあったんだ。使いどころもなくて放置していたが、犬一匹入る分にはちょうどいいだろう」
「へえ、よかったねレオンくん。プライベートプールだって。リッチだねぇ」
プールが何かわかっているのか、興奮気味のレオンはずっと鳴き声を上げている。一応がっちりと羽風が抱えているので跳ねまわることはしないが、短い手足はバタバタ動きっぱなしだ。
「羽風、しっかり押さえていてくれよ。まとわりつかれては設置できんからな」
「おっけー、任せて。もう一度汚れちゃったから、おわっと…もう汚れる事は気にしないで抱えてられるから」
待つことしばらく、プールが膨らんでいく。
「よし、こんなものだろう。羽風、蛇口を開けてくれ」
「了解、っと」
蛇口をひねるとプールの中に伸ばしたホースから水が出てくる。プールのサイズは直径約100センチほど。袋には子供用ビニールプールと記載があったけれど、ほんとに何に使う予定だったんだろう。ある程度水が溜まった所でレオンの足を洗ってプールの中に入れてやる。水浴びをするより気持ちいいのか、うっとりとした笑顔が見えた。
「わあ、見て蓮巳くん、レオンくんの尻尾。あんなに一生懸命振っちゃって」
短い尾がぴぴぴぴっと高速で動いている。それを見ていると蓮巳も知らずのうちに破顔していた。
「うむ、あれだけ喜んで貰えると設置した甲斐があったな。この夏はペットを飼っているアイドル向けにビニールプールをこのまま開放しておくか」
「えー、あと誰が飼ってたっけ」
「明星のところと姫宮のところ、あとは噂では巴が漣との寮生活中に飼っていたと聞いている」
「結構いるね。一遍には入れないだろうから順番制かな。動物達にとってこの暑さはきついだろうし、悪くないと思うよ」
見ている間にぽつっと羽風が「良いなぁ、俺も水入りたい」と言い出すから、椅子を持って来て足だけ入らせて貰うことにする。蓮巳は切り上げても良かったのだが、誘われたら断るわけにもいかず、ズボンをまくって足を浸した。
「あー、やっぱりいいねぇ、夏の熱い日差しに水」
「深海みたいなことを言うな貴様は」
「あはは、流石に干からびるとは思わないけど、俺も海は好きだしね。そういえば今年はまだサーフィンに行けてないなぁ。去年は南の島でfineとライブがあったからその合間にさせて貰ったりしてたけど」
「そういえば在学中は屋上にサーフボードを置いていたな。私物を置くなと何度注意しても聞かんから、あの時は相当に貴様に手を焼かされたぞ」
「卒業して半年は経つんだからそろそろ水に流してくれてもよくない?」
「サーフィンだけにか? そんな簡単に貴様の印象が変わるなら世間の評価ももっと違ってくるだろう。一度付いた印象を払しょくするのは大変だと身をもって知れてよかったな」
「意地悪……」
むーっと膨れた羽風は足元にいたレオンを足で捕獲する。柔らかい毛が足の裏に当る感触はくすぐったいけれど気持ち良くて、そのまま手で撫でる時と同じようにもみくちゃにした。嫌がる様子のないレオンはむしろテンションが上がって来て、足をおもちゃか何かと勘違いしているみたいにじゃれついてくる。
「あっ、そうだ写真撮ってない」
「写真?」
「そう。やっぱり家にいない間何して過ごしてるか飼い主としては不安になるかなって、俺が寮にいる間はちょこちょこ晃牙くんにレオンくんの写真撮って送ってるんだ。ご飯食べたよ、とか何して遊んだとか、簡単なやつだけどね」
スマホを翳すと分かっているのかきりっとした顔を作ってくれる。何枚かレオン単体で撮ってから、蓮巳を引き寄せて一緒に写真に写らせる。
「俺は別にいいだろ」
「何言ってんの、プール用意してくれたのは蓮巳くんなんだから、ちゃんと写らないとね」
蓮巳と同じ画面に写ることは滅多とないが、事務所のSNSに載せるのにも丁度いい。自分のユニットと仲良くしているのは勿論喜ばれるが、意外と『在学中に同じクラスだった』なんて書いて載せると反響が良かったりして、バラエティに呼ばれた時のネタにもなるし、記録は残しておくに越したことはない。
撮影していると、ひらっと鮮やかな羽根の蝶が映り込んだ。見ると結構立派な揚羽蝶で、レオンの鼻先の辺りを優雅に舞っていく。
「久々に見た、揚羽蝶」
「俺もだ。めっきり外に出る機会も少なくなったからな」
「意外だけど蓮巳くん案外ちっちゃい頃って外で遊んでるんだよね」
「男兄弟な上に兄がわりと外に出ていく行動派だったから、一緒になって外で遊んでいたという感じだな。おまけに寺で木が多いからか、カブトムシやクワガタがよく寄り付くもんだから、夏は虫取りなんかしょっちゅうだった」
「見た目だけで言えば大人しい引きこもりっぽそうなタイプなのにさ。ギャップがあるって言われない?」
「うむ……仏像を蹴飛ばした辺りはやんちゃを通り越して罰当たりと言われそうなので流石に隠してはいるが、相応に男子らしく遊んでいた話をすると確かに驚かれるぞ。俺としてはそんな風に見える事の方が驚きだがな」
「眼鏡の似合うインテリキャラって、見た目してるからでしょ」
蝶は変わらず辺りをひらひらと舞っている。身体に対して大きすぎる羽を動かして飛ぶ姿は実に優雅で綺麗だ。レオンが気になったように蝶に視線を向け、手を伸ばしたりしている。
「レオン、気になるだろうが蝶は取るなよ。羽が繊細で、少しでも傷がつくと飛べなくなってしまうからな」
聞こえていないのか夢中なのか、次第に蝶を追うレオンに力が入る。「わんっ!」と叫んだかと思うと飛びかかったレオンに、蓮巳と羽風は思わず腰を上げたが、その手は届かず、ただビニールプールの縁をひっかいた。
ぷしゅう。
その拍子に聞こえてきた音に、二人とも視線を音の方に向けたままひくりと頬を歪ませる。
「あー、嫌な音がするんだけど、気のせいかなぁ……」
「そうだな、縮んでいっているのも目の錯覚だと思いたい……」
歪んでいくプールの縁。溢れていく水。
レオンはおろおろとしたように言ったり来たりを繰り返していたが、ややあってそっと覗き込むように羽風と蓮巳を振り返った。
「きゅぅん……」
「そんな顔しても自分が悪いんだからね、レオンくん?」
グイッと持ち上げると大人しく抱かれるレオン。穴を確認する用に蓮巳がしゃがみ込んで確認していると、人影が窓の傍に寄ってくる。
「よお、二人で何してんだ」
「鬼龍」
「鬼龍くん、おはよ」
「おはようってかもう昼だけどな。飯作りに出てきたらなんか楽しそうなことになってるじゃねぇか」
「楽しそうに見えるかこれが?」
「あっ、ちょうどいいや。鬼龍くんどっかに紙とペン無い?」
「紙とペン? なんか書くのか?」
「うん、できれば鬼龍くんが書いてくれると助かるかな。『私が壊しました』って」
「なんだ、折角のプール壊しちまったのか」
「ああ、儚い命だったな。……塞げばもう一度使えるのかもしれんが、ビニールの性質なのか裂けている部分が大きいから、もうこれを塞ぐのは至難の業だぞ」
「ちょっと待ってろ、いま書いてきてやるよ」
引っ込んだ鬼龍に、羽風と蓮巳はやれやれと椅子に腰を下ろす。ちょっと前までプールで涼む楽しい景色だったのに、すっかり景色が変わってしまった。
「これも写真に撮って大神に送るのか?」
「まあね。責める訳じゃないけど、事実として飼い主には伝えておかなきゃでしょ」
「そうだな……」
ミンミンと蝉が鳴き、日差しがじりじりと肌を焼く。すっかりしょげてしまったレオンを双方で構いながら、鬼龍が戻ってくるのを只静かに待った。
これはこれで穏やかな、記憶に残る夏の一日。
* * * * *(ここを残すか残さないか微妙)
ぴろん、となった音にポケットを探った晃牙はすぐさまスマートフォンをひっぱり出した。傍にいた明星が口いっぱいに焼きそばパンを詰め込みながらもごもごと晃牙を見る。
「がみふぁん、ふぇーふぁいほほお、ひああか、んぐ…だめだよ」
「途中で飲み込むぐらいなら飲み込んでから喋れよ、行儀悪ィだろ」
「だって食べてるタイミングだったんだもーん。良かったね、お昼休みで。これが椚センセの授業中とかだったら怒られてたかも」
「全然鳴らなかったから気ィ付かなかったけど、確かに音はきっといた方がいいな」
「それで、なんか連絡あったの?」
「おー……羽風、センパイから? なんか画像が送られてきてんな」
開くとレオンのプールに入っている写真で、「おおっ♪」と晃牙のテンションが上がる。
「プール入れて貰ってんのかよ、たまには粋なことすんじゃねぇか♪」
「えーっ! なになに、これ寮じゃん! プールあったんだ~! いいなぁ、あとで大吉も連れて行ったら入れてくれるかな?」
「そんなに小さくなさそうだし、行けんじゃねぇか? 何だよ、眼鏡ヤロ~も一緒に居るじゃねぇか。『プールは蓮巳くんが用意してくれた』ってよ。ふーん、今日ぐらいは褒めてやっても……」
画面をスクロールしていた晃牙の手が止まる。表情も消えたことから明星は心配そうに顔の前で手をひらひらさせた。
「あれ、ガミさーん?」
「……残念だが明星、大吉を連れてってもプールは入れねぇぞ」
「えっ、何で? 昼間で仕舞っちゃうの?」
「いや……」
言うよりも見て貰った方が早い。晃牙は画面を明星に向ける。あまり見られたくはない姿だが、仕方ない。
「えっと……『私が壊しました』……って、えー?! プール萎んじゃってる!」
さっきまで水をたっぷりと湛えていたはずのプールは空気を入れる前みたいに縮み、水はどこかに消えてしまっている。さっきまで笑顔で映っていた羽風と蓮巳は苦々しい顔になり、レオンもどこかしょげた顔で羽風の腕に抱かれていた。蓮巳の左手には紙に油性ペンで大きく書かれた『私が壊しました』と言う文字がレオンの傍に掲げられるように持たれ、右手でビニールプールに開いた穴を見せてくれている。
「『丁度いいタイミングで鬼龍くんが来たから紙を書いてもらって写真も撮って貰いました。ビニールプールはとっても短い命でした』だって。あーあ、ざんねんだけどまあ……ビニールだもんねぇ」
「くそ……誇り高いレオンがこんな……」
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【未完】薫敬SS
初公開日: 2020年08月17日
最終更新日: 2020年08月17日
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コメント
薫敬、と言うかただレオンと戯れてるだけの話(予定)
今やっとプロットが書き終わったとこなので完成はまだです。
防衛部でスタバに行く話(会話のみ)
伊香保の帰りのバスの中(約2時間半)で絵描きの友達と設定を作った話
木更津慧
【完結】妖異譚SS
昨日書き始めたSS編集(word⇒TLにコピペしてからの途中スタート)
木更津慧
【運営配信】8月レポートといろいろと【2021/9/11】
2021/9/11 22:00 スタート 内容は ・8月のレポート ・現状とこれから ・みんなで企画…
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