八月下旬、ロンドン。
 数日後に九月を控えたこの時期、ユウリ・フォーダムはハムステッドにある自宅の庭にいた。九月を年度初めとするイギリスでは現在日本で言うところの春休みにあたる期間であり、先日もう一つの祖国である日本から戻ってきたばかりのユウリは、新学期に向け絶賛時差ボケや言語を切り替え中だ。
 本来ののんびりした気質に加え、生まれてからしばらくを日本で過ごしていたこともあり、ユウリは日本に馴染むのが早い。だがそれは裏を返せば英語圏で生活していた勘を取り戻すのには時間がかかるということで、自分でも『しっかりしなくては』と危機感を抱いているユウリは、戻って来てからずっと読書や力不足な点の勉強に取り組んでいる。
 とはいえ天気もいいのに日々閉じこもっているのも身体にはよくない。
 そこでユウリは気分転換を兼ねて庭の手入れを申し出た。これなら日差しも浴びれるし、自分の住んでいる所の環境をきれいに整えることで、心身ともに穢れなく、すっきりと新しい生活を迎えられる。まさに一石二鳥の好プランだ。
 だが、本来その仕事を任せているエヴァンズは、ユウリが申し出た一瞬、僅かに苦い顔をした。これでもユウリは子爵の爵位を持ちながら、オックスフォード大学で教鞭をとり、学者としての挙動を注視されているレイモンド・フォーダムの息子である。その子爵邸で長年勤めているエヴァンズ夫妻は家族のように温かくユウリを見守ってくれているが、やはり二人にとってはあくまでユウリは『主人』であり、そういった仕事はやらせたくないらしい。
「別に全然、良いのになぁ」
 日本語で呟きつつ、ユウリは草むしりの終わった一帯に、伸ばしてきたホースで水を撒いた。シャワーヘッドから雨のように細かくなった水が放物線を描いて植物の上に降り注ぎ、日差しがそれをきらきらと輝かせる。
 普段エヴァンズが夫人と一緒に丁寧に手入れをしてくれているだけあって、元々整然と整っていたがより一層綺麗になったようだ。草花は色を鮮やかにさせ、
濡れたことで香りも一層強くなる。水と混ざった土の郁々とした香りを胸いっぱいに吸い込むと、とても気分が良い。
(あ……)
 ついっ、と目の端をひらりとした色彩が飛んで行く。惹かれたように顔を上げたユウリは、突如として突き刺してきた強い日差しに、反射的に目を瞑った。身体が強張るのと同時に、シャワーホースが地面に落ちる。幸い先端がユウリとは反対を向いて落ちたので水はほとんどかかってはいないが、流れる水が土に浸み込み、また浸透しきらない分が表面に水溜まりを作っていく。
 朝からすっきりと晴れ渡っているのも知っていたし、『夏の太陽だなぁ』とも体感して分かっていたはずだが、流石に窓の反射で光が強くなることは想定していない。
「あー……やっちゃった……」
 ユウリは足を止めたまま目を擦った。何度瞬いても視界が白くフラッシュバックしており、見えないことにくらくらしてくる。
 なかなか戻らない目に一人苦戦していると、頭にぽすん、と何かが乗せられた。
「大丈夫、ユウリ?」
「えっと、アンリ……?」
 視界が陰ったのを確認し、ユウリは眇めた瞳をそろりと上げた。日差しを遮るようにユウリの正面に立った青年が短く「うん」と答える。
 彼、アンリ・ド・ベルジュはユウリと同じロンドン大学に通うフランスからの留学生で、ユウリの寄宿学校時代からの親友、シモン・ド・ベルジュの弟だ。知らない仲ではなくましてやユウリと同じ学校に通うと言うので、去年からユウリの家にホームステイと言う形で暮らしている。そんなアンリもこの夏はフランスの家に戻っていたようだが、つい二日ほど前にこちらも大学の準備等でハムステッドの屋敷へと帰って来ていた。
「まったく、外に出るのに帽子も被らないなんて。特にユウリの黒髪は太陽の光を集めやすいんだから、そのままでいたらすぐに倒れてしまうよ。ユウリが熱中症にでもなったら、兄が五月蠅いし、僕だって心配する。それから、エヴァンズが『水分補給を忘れないように』ってミントティーを用意してくれているし、ちょっと休憩したら?」
「うん……でもあとちょっとだから……」
「そんなこと言って、倒れる時は一瞬だからね。というか、ずっと目を擦ってるけどどうしたの?」
「なんか、すぐ傍を綺麗な蝶? が飛んで行った気がして、顔を上げたら太陽の光で、目がちかちかして……」
「サングラスぐらいかければいいのに」
「だって、サングラスは似合わないから……」
「『似合う』『似合わない』の問題じゃないよ」
 年下にぴしゃりと言われ、ユウリはうっ、と言葉を詰まらせた。過保護すぎるというか、自分の方が年上なので一応お兄さんらしく振る舞いたいのだが、どうしたってアンリの方がしっかりしている。
 ようやく目が落ち着いてきたユウリは、数度瞬いてからようやくしっかりアンリを見た。柔らかな巻き毛の黒褐色の髪は背中に背負った太陽の日差しに縁どられ、見下ろす瞳は心配しているような色合いで真っ直ぐユウリを射抜いてくる。けれども『あれ?』と首を捻ったのは、アンリが眼鏡をしていたことだ。一緒に暮らすようになってから約一年。出会ってからも何年か経つけれど、眼鏡をかけている姿はほとんど見たことがない。
「あれ、アンリ眼鏡なんてしていたっけ?」
「うん? ああ、違うよ」
 流れるような手つきで眼鏡を外したアンリは、そのままユウリにそれをかけさせた。てっきり度が入っているものだと思って覚悟を決めたものの、視界は何ら変わらない。いや、代わったとすれば色だろうか。透明の一般的なレンズだと思っていたが、こうしてみると世界がほんのりオレンジがかって見える。
「これ色が入ってるんだ?」
「そ。凄い薄くだけど、それもいわゆる『サングラス』って分類。家族に比べて色素が濃いから日差しには強い方なんだけど、『一応持っておけ』兄が言うから用意したんだ。ブルーライトカットも入ってるからパソコン作業にも使えるよ」
「そっか、これも『サングラス』かぁ」
 今でこそ薄い色付きのサングラスをファッション的にかけている人を見かける機会が増えたが、ユウリの中でイメージするサングラスというのは真っ黒に塗りつぶされたようなものだ。とりわけ夏になるとシモンがかけていたり、寄宿学校時代に一つ上の学年だったコリン・アシュレイも濃い色のものを好んでかけているから余計にその印象が強いのだろう。
 だからユウリ自身、余計に『自分に馴染のないもの』として無意識のうちに遠ざけていたのだが、こんなものがあるのなら購入を考えてもいいような気がしてきた。特に今なおガラケーと呼ばれる携帯電話を愛用しているユウリだが、大学生になった今、レポートなどでパソコンを使う機会も増え、『ブルーライトカット』と言う言葉も少し気になり出している頃合いだ。
「なるほどね。ありがとう」
 ユウリは丁寧に蔓を持って外し、アンリに返す。けれど首は横に振られ、気付けば落したはずのホースもさっさと拾われてしまい、ユウリは慌ててアンリの腕を引いた。
「いいよアンリ、お客さんがそんなことしなくて」
「確かに僕はユウリの家に居候させて貰ってるけど、お客さんって扱いは嬉しくないな。それにあとちょっとで終わるんでしょ? 早く終わらせて中入ろう」
 体格の差もあるしこうなるとアンリは聞かないので、ユウリは奪い取ることは諦め、大人しくサングラスを掛け直した。手に持つよりもかけている方が壊したり、汚してしまう可能性も低い。
 そうしてアンリの手伝いの方にまわりながら行うこと約十分。すべての庭仕事を片付けて室内に戻ると、エヴァンズがタオルを用意して待っていてくれた。汗をかいてしまったし、土で汚れてしまった部分もあるのでユウリは一度シャワーを浴びてくることにする。
 さっぱりしたユウリが書斎に戻ってくると、テーブルには飲み物や軽食が用意されていた。汚れるほど仕事はしていない、とタオルで滲む汗を拭うだけだったアンリは、ソファーに足を乗せてタブレットを抱えるようにして見ている。サングラスをかけている姿をようやくまじまじと見つめる機会を得たユウリは、声をかけるのも忘れ、じっくりと見ながら近づいて行った。
「やっぱりシモンと似てるんだ……」
 うっかり溢した声に反応したアンリが顔を上げる。思っていたよりも詰まっていた距離に一瞬驚きながらも、聞き取れたワードだけをどうにか拾い上げて問いかける。
「兄が、どうかした?」
「いやその、シモンも眼鏡はかけないけど、夏場にサングラスをかけているのはよく見ているから、やっぱりこう……似てるんだなって」
「そう? あまり似ていないと思うけれど」
 透けるようなプラチナブロンドに地中海を思わせる淡い水色の瞳をしたシモンに対し、アンリは黒褐色の髪と瞳をしている。それはベルジュ夫妻や双子の妹にも言えることで、アンリだけがベルジュ家の中で異質だった。それはアンリだけが異母兄弟であるからなのだが、ユウリの言いたい所はそこではなく、首を振って否定する。
「髪色や細かい所で言えばそりゃ全然違うけれど、やっぱり雰囲気はそっくりだし、あと目元とか、今気付いたのはサングラスをかけた時の鼻筋も似てるかな」
 格好いいよ。
 これはユウリの本心だ。英国人の父親と日本人の母親を持つユウリはどちらかと言うと母親の血を色濃く引いている。だから未だにロンドンを歩いていると旅行客と間違えられることもあるし、彫の深い西洋人に比べて自分はのっぺりとした東洋人顔だという自覚もあった。高くはない鼻を掻きながらいるユウリに、虚を衝かれたアンリはしばらく目を白黒とさせ、こそばゆそうに首の後ろを擦る。
「……まあ、兄大好きのユウリに褒めて貰えるんならいいか」
 小さく呟かれた言葉はユウリの耳には入らない。グラスに氷と一緒にたっぷりと注ぎ込まれたミントティーを飲んでようやく人心地着いたユウリは、人の気持ちなど知らずに平和そうな顔をしている。
 一人気持ちを切り替えたアンリは、タイミングを見計らって今度はしっかりとユウリに声をかけた。
「ユウリ、この後の予定は?」
「特にないよ。息抜きのために水やりをやらせて貰ったから、もうちょっと勉強しようかなとは思っているけれど」
「じゃあ夕方ぐらいに少し出掛けない? サングラス見て来ようよ。さっきユウリがこれかけてるの、結構似合ってたから」
「ほんと? じゃあそうしようかな。久々に外で夕飯を食べてもいいし」
 似合うと言われるのは結構嬉しい。一にも二にもなく承諾し、提案までもするユウリに、アンリは非常に言いづらそうに顔をしかめた。
「それはやめておこうかな。……実は内緒と言われてしまったんだけれど、『水やりを代わってくれたお礼に』って夫人が腕によりをかけてご飯を作ってくれるみたいで」
「えっ、うそ!」
 確かに良い顔はされなかったが、ユウリがやりたくてやったことであり、お礼を言われるほどの事ではない。これぐらいでお礼をしてくれるのなら、ユウリはエヴァンズ夫妻にもっともっと感謝するべきことがある。
 空気を口に含み、右に、左にと考え込みながら頬を膨らませていたユウリは、やがて諦めたように息を吐きだした。
「うーん、今度からもうちょっと頻繁に手伝うようにしようかな。そうすれば当たり前のことになるもんね」
 それはどうだろう。
 自身もフランス貴族の末裔であり、一大財閥を築いているベルジュ家の次男であるアンリは、いまでこそフランスの城での生活も慣れてはいるが、母親と暮らしていた時代の、ロマの民との生活の方が自分の肌にはよく馴染む。だからかバランス感覚に長け、『使う』側の人間と『使われる』側の人間、そのどちらの言い分何かもよく分かった。
 そんなアンリからすれば、ユウリの今の発言は、未来の爵位を継ぐかもしれない人間としてはあまり良しとは言えない。けれど、だからこそエヴァンズ夫妻もユウリの事を自分の息子のように可愛がっているのだろうし、アンリ自身、そんなユウリが好きだ。
 傍にいて落ち着くというか、自然体で楽に生きられるというか。ユウリの周りだけは優しくて温かい。
こんなに心地よくさせられて、この先ユウリなしの生活に戻れるのかいささか不安だが、とにかく一緒に居られるこの貴重な今を大切にしたいと思ってしまう。
「さて、アフタヌーンまでにもうちょっと勉強してくるね」
 様々な人の心を乱しているとも知らず、呑気に告げたユウリは、手を振ったアンリと別れ、ひとまず自分の部屋へと戻っていった。
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ひとりごと
・話めっちゃ逸れたっていうか書こうと思いながらいたのと話全然違うんだけど、どこに終着するんだこれ???
・とりあえずベースが終わり。ここから修正していきます。むり。ここが一番しんどい。
・メモ機能あったんだ
・やばい、細かいとこ全然覚えてない。マリア……カルデラスって18巻の首狩りの庭の子だよね?あれ、マリアカルデラスで合ってる?もーーーーーーまとめつくろ。出先で書く時に資料ないのめっちゃ困る。20周年に向けて纏めサイトみたいなの作ろう。
・英国時代だけタイトル全部言えるんだけど、欧州全然言えないな……多分3巻ぐらいまで……いやそれも怪しいな、内容も怪しい。
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【完結】妖異譚SS
初公開日: 2020年08月07日
最終更新日: 2020年08月07日
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昨日書き始めたSS編集(word⇒TLにコピペしてからの途中スタート)
防衛部でスタバに行く話(会話のみ)
伊香保の帰りのバスの中(約2時間半)で絵描きの友達と設定を作った話
木更津慧
【未完】薫敬SS
薫敬、と言うかただレオンと戯れてるだけの話(予定)今やっとプロットが書き終わったとこなので完成はまだ…
木更津慧
ワンライをやるぞやるぞ〜!
ワンライチャレンジ。ネタ出しから&別作業と並行してるのでゆっくりゆるゆるです。
星菜