曽根崎心中成就せり
仕上げの食事を終え、焼場に戻った私たちは、釜から出てきた骨を見て息を飲んだ。燃え尽きた棺の中に、二人分の骨があったからだ。鼻先を擦り合わせるような近さで隣あう頭蓋骨、折り重なった手指の骨はどちらのものなのか判然としない。その視線をさらに下に向けると、大腿骨の代わりに、奇妙な『尾ひれ』状の骨が目に飛び込んできて、父と母は遂にぎゃあと悲鳴を上げた。すっかり白いお骨となった叔母の傍ら、絡みついて離れないでいるのは、明らかに半人半魚の骨だった。
当然叔母のお骨を拾うどころの話ではなく、おぞましいものを見たかのような悲鳴と怒号が焼場に響き、すぐに警察がやってくることになった。とは言え、叔母の葬式に出たのは、彼女の姉にあたる私の母とその家族、つまりは私たち家族だけだ。叔母は、若い頃数年間神隠しにでもあったかのように行方を眩ませていた時期があって、ふらりと突然戻ってきてからは、親族から気が触れたものだとして遠巻きにされていた。戻ってきた叔母は、半人半魚の生き物や、頭に角の生えた男、獣の耳や尻尾を持つ種族の話などをし始めたからだ。そんな叔母と、叔母の語る世界の話を、母も内心では気味悪がっていたのを知っている。だけど、私にはどうしてもそうは思えなかった。それは私が叔母の語る未知の世界を好んでいたからでもあったけれど、何より、昨夜の出来事が、この骨となった半人半魚の謎の男を、どうしてもおぞましいものとは思わせてくれなかった。
昨夜は故人との最期の夜、私たち一家が寝ずの番を行う日だった。とはいえ、式場の案内で半ば流されるように泊まっただけで、故人が迷うことなく浄土にたどり着けるよう、などと殊勝な思いで線香を絶やすまいとなどしてはいない。私たちは朝まで灯がともり続ける特別に長い線香に火をつけてしまうと、さっさと布団を敷いて寝てしまった。
異変に気づいたのは午前3時、妙な声が聞こえて目が覚めた時だ。布団の中、不意に目が開いた私は、押し殺された嗚咽のような声を耳にして、なんの気まぐれか、叔母の棺を見に行ったのだ。父と母の布団からは、子供のように健やかな寝息が聞こえたまま。二人は親族からも白い目で見られていた叔母の世話がやっと終わったことに、ほっとしているようだった。私は二人の布団の間を掻き分けるように足を進めると、真っ暗な部屋の中で障子の戸を探り当て、覗き見るようにそっと引いた。
叔母の白い桐の棺、その蓋の間からは、涙のように水が溢れ続けていた。押し殺されたようなあの嗚咽は、なおも続いている。棺の側面を滴り落ちた水が床に染みを作っていた。よく耳をすませば、それは男の声だと分かった。私は急に恥ずかしくなって、障子を閉じた。恐ろしかったからではない。霊的なものなど、これまで見たことも、聞いたことも、感じたことさえなかったけど、不思議と恐怖は無かった。代わりに、顔が熱かった。男女の睦言を覗き見してしまったような気恥ずかしさだった。妙な話だが、これは愛し合う男女の最期の時間なのだと、半ば直感していた。それは、叔母が話してくれた秘密を、私だけが知っているからだった。
「海に入れない?」私は言った。叔母は微笑んで頷いた。もう目尻や手指の皺も深い年だったが、恋をする少女のような朗らかさだった。「あの人がね、海に入ってしまったら、きっと連れて行ってしまうからって。海は色んなところに繋がってるから、ひょっとしたら、私を見つけられるかもしれない。だけど見つけたら、連れ去らずにはいられないって」その目はまさしく、愛されることを知る人間の目だった。ねえ、と叔母は微笑んで私の名前を呼ぶ。蝉の音が響く、うだるように熱い青天の夏の日だった。「今日は、海に行くのにもってこいの日ね」そう笑った叔母を、私は助手席に乗せて海へ連れて行った。白い砂浜が有名なその海で、水着姿の家族客に紛れ、叔母は浜辺へ足を踏み入れた。私が彼女の向こう、水平線をぼうっと眺めていた僅な隙に、叔母は音もなく溺れていた。慌て駆け寄った矢先、足を踏み外したかのように勢いよく飛沫を上げ、頭のてっぺんまで海中に浸かってしまう。その場所だけが浅瀬のわりに大人ひとり沈められそうなくらいには深い。海水が目に痛い視界のなか、私は、見た。大蛇のような半人半魚の大きな影が叔母の小さな背にしっかりを腕を回して絡みつき、引きずり込もうとしていた。その時の私はまだ何も分かっていなくて、背筋が凍った体をなんとか動かして、叔母をその大蛇から引き離そうと必死だった。だが、叔母は海中で迷わず私の手を取ると、小さく首を横に振った。もはや何も出来なくなった私は、引きずり込まれていく叔母を眼前に置き去りにしたまま、海面に顔を出した。荒い呼吸を繰り返す私の横で、到着したレスキュー隊が私と叔母を引き揚げた。助けにきた者たちに、あの大蛇は、見えていないようだった。
今となっては分かる。あれは抱擁だ。何十年ぶりか、ようやく再会を果たした男女の末期の愛の囁きだ。私は二対の骨を見つめながら考えていた。半人半魚の生き物だった骨は、僅かばかりを残しすっかり灰になった叔母の骨に絡みついている。棺を包む燃え盛る炎のなか、この生き物は、自身も燃え尽きてしまうまで叔母を抱きしめてたのだろうか。今となっては分からない。
パトカーのサイレンが近づいてくる。焼場の職員と、父と母が玄関口まで飛んでいくのを横目に、私は混乱に乗じて箸を手に取ると、この生き物と叔母の喉元の骨をひとつずつ拾い上げ、骨壺にそっと入れた。この生き物は、叔母と引き離されてしまうだろう。博物館にでも飾られるのかもしれない。海を越え、叔母を追い、炎にまで焼かれた末の姿が哀れだった。例えこの生き物の愛そのものが、叔母を冥土に誘ったのだとしても。せめて骨のひとかけらだけでも、愛する人と静かに眠らせてやりたいという、思いつきだった。