終わらせた☆
「恋心を忘れる薬?」
放課後の部活動中、サイエンス部として実験室で料理の研究、もとい化学実験を行なっていたところ、珍しい来客があった。規則に倣い実験服に身を包み、頼み事があるのです、と平素と変わらぬ表情でしかし彼にしては珍しい“頼み事”とやらに興味を引かれ話を聞いてみればその内容がまた突飛なものであったからつい後輩の顔をまじまじと見つめてしまう。そうすれば彼の青みがかった透き通るような瞳は揺らぎ眉間にしわが寄ったかと思えば、不愉快そうに逸らされる。失礼だったかと前屈み気味になっていた体をそらし、そりゃまたどうしてと事情を聞いた。ただ必要なんですと繰り返すだけの彼にふうむと腕を組んで考える。恋心を忘れさせる薬、正式名称俗物坑依存薬。強い気持ちを抱いている物、または人物への想いを忘却させる薬。元は依存症への治療薬として開発されたらしいが、用量を調節すればさまざまな欲求に効くためダイエットや恋の未練などを断ち切るのに使われたりしている、一般的な薬品だ。授業で一度作った際に自分でも試してみたがちゃんと効果が現れたかはよくわからなかった。彼の学年から考えれば生成する難易度の高い代物だが、三年の期末試験までクリアしてしまったと噂の彼であればそう難しいものではないのかもしれない。
「対価はあなたが望むものを、ラウンジ一年無料券でもいいですよ?」
ブリッジを押し上げ緩めた口元で軽口を述べながらも眼鏡の奥では真剣そのものといった薄青の瞳がこちらを見据える。
「……もしやるならクルーウェル先生の許可が必要だが」
「もうもらっています」
ぺらりと目の前に提示された紙には実験許可証と印字されてあり、もろもろの注意書きと見慣れた筆跡で部活の顧問でもある教師の名が綴られていた。次いで目の前にいる彼の名前、そして付き添い人として自分の名も。説明を求める視線を送れば彼はしれっとした顔で自分の返答を待っているようだった。その堂々とした様に笑ってしまう。
「なんで俺の名前がもう入ってるんだ?」
「許可を得るために必要だったので」
「そりゃそうだが…どうやって書いたんだ?」
書面に顔を近づけて見るも慣れ親しんだ自分の筆跡そのもので知らぬ間に操られて書いたんじゃないかと疑ってしまう。
「人の筆跡を真似るのは得意なもので」
「先生のもか?」
「いいえ、それは書面に目を通したクルーウェル先生がくれたサインと判子です」
つまり、違法に作られた書類が合法に認められたと。暗にそう口にする彼の顔はやはり涼しげなものだった。
「俺が断ったらどうする気だったんだ」
「それがただの紙切れになるだけですね」
意外な返答に拍子抜けする。何かもっと巧妙な脅し文句でもあるのかと思っていた。それとも自分以外にもツテはある、ということだろうか。確かに、それはそうである。
「最後に一つ、聞いてもいいか?」
「ええ、どうぞ」
「どうして俺なんだ?」
確かに一人での作成は大変だろうがただ助手が必要なのであれば彼の優秀な副寮長がいるだろうし、自分の魔法薬学の成績は平々凡々、もっと優秀なやつはいくらでもいる。その中でなぜ、他寮である自分に行き着いたのか。当然の質問と思って投げかけたそれは彼にぶつかる一瞬表情を歪ませた。心底腹立たしい、不愉快だ、そうともとれる眉間のしわや歪んだ唇は瞬きの間に消え去り後には柔和な笑みが残された。
「それはもちろん、あなたが一番口が固そうだからですよ」
幻のようなその一瞬が彼の意思によって包み隠されしまわれたなら、そこを突き回してほじくるいわれは自分にはなく、そうか、と相槌を打つにとどまった。
元々断る理由もなくわかった、と一言言えば彼は本当ですか?と喜色をあらわにする。普段とは違う後輩らしい可愛げを感じてまた笑ってしまった。
「対価には何がいいでしょうか」
「そうだなあ、今度またなんでもない日のパーティがあるんだが、そのケーキの材料でも調達してもらおうかな」
「その程度であれば、喜んで」
取引成立、と彼はスマホを取り出し操作する。恐らくおおよその予算でも練っているんだろう。彼はスマホを制服の内ポケットにしまいこむと、材料はすでに揃えてありますと手に持っていた鞄から草や花それぞれを小瓶にわけたものをずらずらと並べ出す。マジカルペンを振り、薬の名を呼べば魔法薬大全と書かれた分厚い本が飛んできてばらばらとページを羽ばたかせ目当ての項目を広げて机上に着地する。
物忘れ草や恋枯草、真言花に、と一つ一つ材料を指差して確認すれば確かに教科書通りのものがほとんど揃っていたが、一点だけ足りないものがある。
「依存の対象は?」
物であればその欠片、人であれば毛髪、皮膚などなんでもいいから対象を識別できる何かを最後の仕上げとして入れなければならない。顔を上げると彼は少し考え事をしているようだった。顎に手を当て、瞳は虚空を見つめている。
「アズール?」
呼び掛ければハッとしたように顔が上がり、またいつもの笑みに吸収される。
「ああ、すみません。考え事をしてました」
「大丈夫か?」
「ええ、もちろん。そう依存の対象でしたよね、大丈夫ですよ用意してあります、この僕がそんなところを抜かるはずがないじゃありませんか」
いつもよりも滑らかにするすると流れていく言葉は量がある割にスカスカで流れてそのまま消えていく。
「わ、わかった、じゃあ始める…か?」
「あ、トレイさん!」
そのままでは止まらなさそうな彼の口を止めるべく材料を手に取れば、静止を求めるように突き出された手の平と自分を呼ぶ声にその場で固まる。伸ばされた腕はそのまま自分の肩へと向かっていき、何かをつまんだ。
「な、なんだ……?」
「いえ、ゴミがついてたので…」
少しずれかけた眼鏡を直し呆気に取られる自分を置きざりに実験用のゴーグルを取ってきます、と背を向ける。
「なんだったんだ……?」
呟きは誰にも拾われずに霧散し手にした小瓶に自分の困惑顔が映るだけだった。
---
流石は成績優秀者と言うべきか、自分は本を見ながら思い出しながらというところを彼は頭に全て入ってるのか材料を刻んだりすり潰すのも手際が良く手間取る自分に指示を出す余裕もあるほどだった。本当は自分など要らなかったのではないかと思うが、彼が望んで自分を頼ったのだから少しぐらいは報いようと手を動かす。それぞれ分量ごとに入れて混ぜたものを煮出して蒸留し試験管にエキスが溜まっていく。黒と紫と茶がまじったような色をしたそれに一滴、月の雫を加えて振れば無色透明の液体となった。ゴーグルの中の瞳が満足げに細まる。
「うまくいきましたね」
「ああ、俺がやった時はこんなに透明にはならなかった」
アズールはやっぱり優秀だな、と笑えばトレイさんのおかげですよ、と謙遜が返ってくる。それが珍しくて試験管から視線をあげれば、にこやかな彼の顔がそこにある。何故か違和感を感じて首を捻った。口も目も微笑みの形を作っているのにその奥の瞳に薄暗さを感じる。その暗がりの中を見たくて目を凝らせば凪いだ海のような瞳がこちらを向いた。ばちり、と視線と視線が噛み合った瞬間に目が大きく開かれ影はどこかへ引っ込んでしまう。
「な、なんですか?」
「ああ、いや、すまん。なんでもない」
踏み込もうとするなんてらしくもない。そこに何があろうと自分の知るところではない。彼に対しても失礼だ。
彼は気を取り直したのか懐からオブラートに包んだ何かを、試験管に入れた。恐らく最後の仕上げとなる彼の依存の対象、つまりは想い人の欠片だ。途端無色透明であった液体はシュワシュワと泡の湧き立つ音ともに色を変え、最後には緑色に変わった。
「これは……成功か?」
「はい、恐らく」
「こんな色になることもあるんだな、俺の時は真っ赤になったから」
授業の際、自分が最後の仕上げとして入れたのは刻んだ苺だ。入れた途端それは今のように泡を沸き立たせ入れた苺の赤よりも濃い、真紅へと変わった。やはり入れるものによって色が変化するらしい。
「それは何を入れたんですか?」
「苺だよ、でも俺はあんまり苺に思い入れはなかったみたいで試しに飲んでもそんなに変わらなかった。とりあえず合格点はもらえたから出来はよかったと思うんだが」
「へえ、僕はてっきり………いえ、なんでもありません」
何かを言いかけて誤魔化すように試験管を振る。彼の手の中にある液体は緑色の中でもいくらかくすんだ色をしている。彼が成功だと言うのではあればそうだろうがあまり飲みたくなる色をしていないのは確かだ。
「さて、飲みましょうか」
あっけらかんと言い放った彼はゴーグルを外し試験管を持ち上げる。
「こ、ここでか?」
「ええ、ちゃんとできているかどうか確認したいので。見ててください」
言われずとも見ているほかないが見ててくれと言われたなら見届けようと頷いた。それを見て彼はにっこりと微笑んだ。だが均等に持ち上がった口角、綺麗にアーチを描いた目元、その完璧な笑みの終わりに覗いた瞳に、先ほどよりも大きな影を見た。その瞳は瞬く間に目蓋の裏に閉じ込められ彼は一気に薬を煽る。緑色の液体が彼の口へと吸い込まれていくのを見届けてもしものときは吐き出させなければとマジカルペンを強く握った。試験管一本が空になり彼の喉元が上下する。開かれた瞳には先ほどの影はなかった。
ぼろり。
大粒の涙が彼の目から流れ落ちた。あ、と思えば次から次へと止めどなく流れ落ちるそれは彼の頬を伝い床へと降り注ぐ。
「だ、大丈夫か?」
「ああ、平気です」
目元を抑える彼に椅子に座るよう促し、使ってくれとハンカチを差し出せば少しの逡巡の後受け取られる。
「これは、副作用のようなものです」
「副作用?」
「ええ、感情の残骸が涙として排出されることもある、と書いてありました」
「そうなのか」
「こうして見る限り、そのようです。無様であまり気持ちのいい状態ではありませんが…逆に言えばうまく作用してると言えます」
流れる雫がハンカチに染み込みじわりじわりとその色を変えていく。一枚で足りるか怪しいその量にタオルでも取ってこようか、と提案すれば首を振られる。
「この状況で一人にされるのは何かと面倒です」
「誰かに見られるって話なら俺がいたところで面倒じゃないか?」
「後輩を泣かしていた、なんて噂が立つかもしれませんね」
「それは困るな」
面倒な幾人かの顔が浮かぶ。彼は笑おうとしているようだが次から次へと溢れ出す感情の残骸とやらのせいで上手くできていないようだった。涙する彼を頬杖をついて眺めていた。奇妙な時間だった。よくちょっかいを出しに来る同輩の影もなく広い実験室に泣いている彼と自分二人きり。残骸だけでこの量ならば彼はどれほどの想いを貯めていたのか。それならば捨てたいと思うのも当然かもしれない。時間にしては十分程度、感覚としては数時間、ようやく止まった洪水に彼は一つため息をつく。目元に添えられていたハンカチは元の淡い緑色が分からないほど濡れそぼっている。絞れば雑巾並みに水が取れそうだ。
「ハンカチ、ありがとうございます。きちんと洗ってお返しします」
「そんなのはいいって言いたいところだが、頼むよ。目元、水かなんかで冷やしといた方がいいぞ」
スマホのカメラで顔を確認したアズールは眉根をよせる。
「忌々しい」
「濡れタオル用意しようか?」
「お気遣いありがとうございます、ですが自分でできますので」
「そうか」
つんけんとした態度はいつも通りと言ったところでそれ以上言うこともなく身を引く。アズールは広げていた材料をまた小瓶に入れ直し鞄の中、元あった位置へとしまいこみ上からかぶせをパチン、と留めた。上げた顔にはよく見慣れた営業スマイルが貼り付けられている。
「お手伝いありがとうございました、ケーキの材料は後ほどご連絡ください。オクタヴィネルにご用の際はぜひモストロラウンジへ」
「ああ、お役に立ててよかったよ」
「ええ、助かりました、本当に。では」
さようなら、トレイさん。
ぺこりとお辞儀をしたアズールは身を翻し背筋正しく出口へと向かっていく。いつも通り、そう思う。そういえばここに来たときの彼はいつもよりも無表情で口数が少なかったなあなんて思い出す。悩みが解消されたならそれでいいはずだ。ただの一瞬垣間見えた暗い海の奥底を覗きたいと思うなんて無粋だろう。彼が飲み干した緑色、鏡の前でよく見かける真緑とは言い難いくすんだ色。
「アズール」
自分の声に、扉に手をかけた彼が動きを止める。振り返ったその顔には薄暗い影なんて見えない。
「何か?」
「いや…今度お邪魔するよ、モストロラウンジに」
「それは喜ばしい。ぜひ他の皆さんも誘っていらっしゃってください、お待ちしております」
そしてなんの衒いもなく背を向け実験室を出ていった。何を期待していたのだろうか。
だだっ広い実験室に一人、胸のざわつきを覚えて首を傾げた。
Latest / 359:02
文字サイズ
The End
初公開日: 2020年08月15日
最終更新日: 2020年08月16日
ブックマーク
スキ!
チャットコメント表示
アズトレ
The End つづき
アズトレ前に書いたものの続きを考え中
みならい
俺と僕5(終)
俺僕シリーズ第5弾。面倒な俺くんに巻き込まれる僕くんの話。
みならい
ただの考え事
短く短く収まりそうなやつをつらつら
R-15
みならい
サボスモSS
ツイッターに投稿してる1日1回サボスモのやつです。
六花