ドレスローザの戦況を眺めながら、ハインは透明な液の入った注射器を一つテーブルに置く。きっちりと密封され、対古細菌とのラベルが貼り付けられたそれをシスターは興味深そうに眺める。
「これは?」
「メコン博士の発明品です。」
さらにもう一個、同じく対古細菌と書かれている小瓶を置く。若干に黄色味のかかった液体が揺れ、ゆらゆらと水面が揺れていた。
前の話だ。
ハインはかの島でドフラミンゴから研究の詳細について書類一式を貰い、ついでにと解毒薬の入った小瓶を渡されていた。吹き荒れる吹雪の中、三個ばかりの解毒薬が入った袋を受け取り、ウエストポーチにしまいこんでいたのである。
ドフラミンゴは予防や対処の為に渡したのではなく、菌をばらまいた地でハインを動かす前提で渡した。ハインもそうだろうなと分かっていたので受け取り、必要となれば動いてやるつもりでいた。お互いに損益が似ているともなれば、研究内容についても共有しておく必要がある。
だが、肝心なタイミングが揃わなかった。
後半海域で汚染地を作るつもりだったのだろうドフラミンゴは、そこに応援としてハインが来るものだと思っていた。マリージョア艦隊演習自体ハインが参加すると考えていたし、当然ドレスローザに踏み込んでくるものだと確信していたのだ。
が、ハインはアラバスタに行き、本部から離れられなくなった。
「…行けるなら行きますけど、今回ばかりは無理ですね。」
「言っても七武海でしょう?」
「えぇ。何とかすると思います。」
それに最悪な結果は既に分かっている。最善を探したとしても程度が知れている。援護に行っても行かなくても結果はあまり変わらない。
それでだ。
ポリューション諸島を確保し、解毒薬を得たハインはこれをメコンに送り付けた。改良の余地を探させて量産を開始しろと伝え、その結果完成したのが注射器の方である。
解毒薬やら治療法やら、メコンはやろうと思えばやれるのだ。魚雷を改悪したり奔放な実験をしたりもするが、それと同時に医療面の難題にも強い。
それでもハインは彼女に苦手意識を持ち続けるし、出来ることならば解毒薬も渡したくなかった。
「解毒薬だけを渡したのです。菌株はおろか資料すら見せず、この液体だけを渡しました。」
そしたら解毒薬と共に資料の束とカプセル一つ、そして空白の目立つ始末書らしきものが錬成されていた。
解毒薬だけで菌の種類を探し出し、似た菌株を変性させて作り上げ、近くの無人島を汚染させてしまいました。と。始末書にはその菌カプセルに詰めたからあげるわーとも書かれていた。
資料は十分に出来が良い。解毒薬も効果が高く、安定して生産されている。ハインとしてはこれだけで良かったのだ。菌を作り島を壊滅させる面倒事まで要らなかった。
「その島は…。」
「立ち入り禁止にしました。本部のすぐ近くです。」
幸い無人島だから良かったものの、メコンなら有人島にもばら撒きかねない。本部から近いからという理由のみでその島を選んだらしく、人の有無など最初から見ていなかった。だから彼女は外出が許可されていないのだ。
つまり許可がなければ司法にも行けない。
「ドフラミンゴさんの場合、菌による汚染地で確実に消さねばならない物があるから動くんです。あの博士は何もない。」
そこで何かに気が付いたのだろう、ハインはふと海図を手に取る。
麦わらがここに来る際に使った特殊な航路に、その島が含まれているのでは?と今更ながらに気付いた。別に海賊が菌で滅ぼうと関係ないが、あの船は今アラバスタに向かっている。アラバスタで菌が広まる可能性が出てきた上に、解毒薬は海軍とドフラミンゴしか持っておらず、送り届けるのは無理な話。海賊を追うのもこの天候では諦めるしかなく、ハインは本部を離れられない。
サンカムに怒られる気がしてため息を零したハインは、それでも仕方なくアラバスタに連絡を取った。
元軍医のサンカムであれば、解毒薬が作れなかったとしても隔離や対応はできるはず。復興に忙しいアラバスタで、ダフネ私兵団と革命軍、王国軍、さらに海軍支部局をまとめる片手間が確保できればだが。
そんなことをしている間にもドレスローザは進み続ける。後半海域の演習はある意味順調のようで、段々と海域を移動しドレスローザへ近付いていた。
サンカムの小言を聞き流しつつドレスローザの海図を見つめていたハインは、こてんと首を傾げる。
ハービンジャーの荷物が細菌、つまり生物兵器だったとして、そこにマリージョア兵と狢関係者と、赤髪の言っていた例の一般人が揃っている状況。近くには白ひげの縄張りがあり、センゴクとサカズキも近辺で警護中。まぁサカズキは別部隊だが、ドレスローザに向かっていることは事実だ。
そんな場所で生物兵器を使うか?
誰をどこで巻き込むか分からない、あんな密集地帯で?
「世界を釣り上げる餌候補はいくつかあるのですが、ドレスローザ自体は現状維持できるものだとばかり…。」
「ドレスローザに大きな教会があるわよ?急いで協力を願ってみる?」
「通信妨害が解決していないんです。タイプが対処しているので、解決し次第お願いしましょう。」
餌は一人だと思っていた。
貉の仲間か、一般人か、ドフラミンゴの可能性も捨てきれず、しかしなるならドフラミンゴが楽でいい。と対処できるように下準備まで進めていたのだ。
しかし一人ではなく複数人で、しかもその内の一人が貉の仲間だった場合。
「革命軍…も、人手が…。」
「ねぇハインちゃん。麦わらが保菌してるとして、彼らが何も気にせず動ける遊撃部隊なら、そのまま当てちゃえばどうかしら。」
「燃えますよ。手に負えないほどに。」
こうなっては身内で解決するしかないだろう、とハインは忙しそうに動き回る気本部局員を見渡した。
まだ蹴れば動くはず。
餌を食い荒らす程度なら、まだできるはずだろう。食い荒らすための駒を得ることも、今ならまだ間に合うはず。リスクは大きいが見返りに期待ができる。
アポロニアを手駒にすれば。
そのまま殉職していただければ。少しくらい駒が得られるはずである。