何から語り始めれば良いだろう。出会いからと言うなら冗長に過ぎるし、かといって交際が始まった明確なきっかけなど無いのだから切り口に困る。
いつの間にか、なんとなく。目が合って、お互いに熱があることを知って、確かめて、だからどうしたというのだろう。
この男の頭の中身など、真意など、いまだに理解しきれていない。
掌の温もりを知っている。柔らかいところの無い、肉刺のできた、しかしきめの細かい、触れると心地よい肌を知っている。
口腔の熱を知っている。甘い錯覚のする唾液の味も、軟体動物のようにくねる舌の動きも、わりにかさついた唇の感触も、何度も重ねて、だから、知っている。
瞳に閃く光を知っている。怖くなるくらい鋭い、いっそ痛みさえ孕んだまなざしを知っている。
けれど。言葉を知らない。心を知らない。
何故手が触れるのか、何故口づけを交わすのか、何故こちらを見つめるのか。知らない。
「なぁ」
「なんだ」
夜更け。酒も入ってふわふわと浮く心地がする。同じだけ杯を重ねた筈なのに朱の乗らない頬を横目に伺う。
うわばみ、ざる、あるいは――何と例えるべきなのだろう。いつもこちらばかり酔わされている。
いつもいつも、見つめるだけで照れてしまって、正対することのできない端正な顔。今、何を見ているのだろう。
「なんで、こんな、付き合ってくれてるのん」
口が滑った。聞くつもりじゃなかった。白い頬。赤面の一つもしない。口の端がほんの少し上がって、笑った、のか?
への字の印象の方が強いが、あれで以外と笑顔を見せる。そう、気が付いたのは知り合って随分経ってからだった。えらそうな笑い方ではあるけれど、むっつりと唇を引き結んでいるよりかはかなり良い。
そうやって笑っていれば、オンナにもモテるだろうに、と言ったら頭を叩かれたのだけれど。まぁ、分かっていた。そういう冗談が嫌いで、けれど無視はしない男だ。
「こんな、とは」
どういうことだ。低い声だった。酔うと声が下がるのは常だったが、それ以上に低い。よもや怒らせたか、と不安になる。
成人男性が怒っているところに居合わせるのは苦手だ。その矛先が向かうのが自分なら尚更。身のすくむ思いがして、言い訳を重ねたくて無意味に口を開いた。
けれど、実際に吐き出せたのは、言い訳にもならない、支離滅裂なブツ切れの単語だけだった。
「だって、こんな、以外に言いよう無いこと」
視線が上げられない。どんどんと俯いていく視界に、足の先だけが見える。つま先が二度床を叩いて、止まる。
大きなため息。
「嫌になるな」
嫌になる。もう一度繰り返して、そのまま沈黙される。失望されたのだろうか。血の音がごうごうと煩い。手足の先から冷えていく。視界が狭まって、あぁ、十秒前の自分を縊り殺せたらどれだけ良いだろう。
「言葉にするのを怠ったのは俺のミスだった」
つま先だけ見える。床をにじる動き。普段の印象と違って、迷いのような。
顔を、あげられたらどんなにか良いだろう。その表情を確認できたら。いつもの、自分の知っている熱がそこにあることを確かめられたら、どんなにか。
けれど、怖い。それを期待している自分がいることが、余計とその恐怖を加速させる。期待したらしただけ裏切られる人生だった。生きていくのに一番良いのは希望を持たないことだ。そうすれば裏切られないで済む。
今、この顔を上げて、そこにそれが無かったら。不用意な言動のせいで、失わせてしまっていたら。
その痛みに耐えられる気がしない。
「お前が好きで、お前を愛しているからだ」
だから、『こんなこと』もするんだろう。
後半まで台詞はブレなかった。揺らぐことのない言葉。顔を上げても、良いのだろうか。
「なるほど。態度だけで示しても、伝わらないものらしい」
つま先が引かれる。立ち上がる動き。一瞬世界から彼の姿、その欠片すらも消える。見失う。
次に見えたのは指先だった。肉刺の有る手。爪の整えられたそれが、自分の頬に触れてくる。熱い。
顔ごと掴んで持ち上げるように。むりやり相対させられる。真っすぐな目。刺し通してそのまま人を射殺すことぐらいきっと容易い、そんな鋭い眼光に、今、晒されているのは自分だけだった。
その目に、自分しか、映っていない。事実。
今、貫かれる。今、焼かれる。
いっそ殺意のような愛に捕らえられて、もう逃げられないのだと思い知らされる。
知らなかった頃にはもう戻れない。多分その方が幸せだった。
味噌煮へのお題は『嫌ってほど好きで、憎たらしいくらい愛してる』です。
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