薄く目を開くとぼやけた視界に白色が映る。僅かに視線を動かせば、天井から吊り下げられた点滴バッグ。其処から伸びる管は自身の腕へと向かっていた。微かに匂う消毒液のつんとした匂いに漸く自分は病院にいるのだと悟った。だけれども、何故病院にいるのか解らなかった。まだ覚醒しきらない頭で記憶の糸を手繰る。確か……そう、確か、五時限目の体育の授業で――水泳の授業をプールサイドで見学していた筈だ。其処までは思い出せたが、その後のことはぷつりと糸が切れていた。
 さて、どうしたものかと思っていると不意に閉め切られていたカーテンが開けられ、現れた看護師らしき女性が「気分はどうですか?」にこやかに告げる。特に気分は悪くない。だけれど躰を動かすには酷く億劫だった。手足が重たく、怠い。そんなことを云うと看護師は少し眉を曇らせて軽い熱中症だと説明した。プールサイドで倒れたのだと。学校では処置が出来なかったので此処に搬送されたのだと経緯を口にして、検温と血圧を測った。それが済むと「付き添いの方を呼びましょうか」と云うので一体誰だろうと疑問に思ったまま頷いた。
 看護師と入れ替わりに病室に入ってきたのは国木田先生だった。
「先生、どうして――」
「気分はどうだ? 大丈夫か?」
 先生は云いながら私の顔を覗き込んで額に触れる。何時も温かいその手がひんやりと冷たい。まだ少し体温が高いな――先生の手が冷たく感じるのは私の方が熱いからなのか。先生は傍らにあった丸椅子に腰掛けてともかくも目が醒めて良かったと安堵の息を洩らした。
「先生、授業は?」
「もう全ての授業は終わっている。今、四時を過ぎたところだ」
「……そう。でも、会議とかあるんでしょう?」
 確か毎週水曜日は職員会議があった筈だ。学校に戻らなくて良いのかと訊くと、先生は「まあな」とやや曖昧に頷く。
「点滴が終われば帰って良いそうだ。そうしたらお前を家まで送って行かねばならん。今日は俺もこのまま直帰だ」
 てっきり先生は学校に戻ると思っていたので、少し意外に思った。でも、嬉しい。先生が傍にいてくれる。
「何だ、ひとりでにやけて。気味が悪いな」
「うふふ。先生、好き」
 すると先生は俄かに顔を顰める。
「莫迦なことを云っていないで、寝ろ」
「だって。好きだなあって思ったから、好きって云っただけだよ。いけない?」
「……別に、今云わなくとも良いだろう」
 そんなふうに先生は素っ気ない態度で云うけれど、顔が少し赤い。照れてる証拠だ。
「そんな先生も好きだよ」
 にっこり笑いかければ愈々、先生は顔を赤らめる。半ば睨みつけるような表情で、
「解ったから。いい加減、寝とけ」
 髪をくしゃりと撫ぜられた。怒っているのか何なのか。言動がちぐはぐな先生が何だか可愛い。云ったら怒られそうだから、これは黙っていよう。
 薄いタオルケットを口元まで引き上げながら、先生――呼んだは良いけれど、その後の言葉を口にするのは何だか恥ずかしくて云えなかった。私が急に黙り込んだのを不審に思ったのか、先生は「どうした?」気遣わし気な目を向けてくる。
「何でもない。少し寝るから」
 おやすみなさい――目を閉じたところで、手を握られた。驚いて先生を見るときゅっと握る手に力が籠った。
「寝るんだろう。寝ろ」
「……うん。先生、ありがとう」
 目を閉じると横で曖昧な返事があって、私は先生の大きな手を握り返した。
 やっぱり、先生のことが好きだなあ。
 そんなことを思いながら緩やかに意識を手放した。
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