また一日が始まったばかりの清浄な空気のなかで、彼女は箒を動かしていた。
乾いた箒の先が地面にこすれて、ざ、ざ、と固い音を立てている。足元に散らばっている無数の葉を、軒先から押し出すようにして掃き集めていく。
葉は、円みを帯びた葉が五枚、根元でゆるやかにつながったような形をしており、まだ青々とした新鮮なものから、水分が抜けて乾き始めたものまでさまざまだった。
この植物は建物のほど近くに多く植えられているものだった。そして、落葉の季節でもないのに、建物の周りは毎朝それらの落とされた葉でいっぱいになる。誰かがちぎって落としているのではないかと思うぐらい、建物は緑の葉に埋もれていた。それだけ葉が落ちれば、植物も痩せ衰えるだろうと思われるが、まったくそんな様子は見られず、落ちる葉と、伸びる葉との間で釣り合いがとれているらしかった。今になってみれば、それはとても奇妙な状態だったのだが、彼女たちは誰一人疑問には思っていなかった。
葉が落ちることに支障はないものの、土のないところに落ちてしまった場合、葉は徐々に腐り始め、悪臭を放ち始める。そのような都合もあって、朝も早くから、建物の周りは葉を掃き清める少女の姿が幾人か見られるのだった。こういった当番は一人だけで担当することはなく、必ず二人組があてがわれ、その二人組が二組、建物の四方を掃き清めるのだった。石畳や玄関、窓枠に入り込んだ葉を掃き出して土のあるところへ押しやるだけの作業なので、そこまで骨は折れない。なぜだか、どんなに風の強い日であろうと、少女たちが朝に掃き清めた葉は、建物側に吹き戻るということがないのだった。
ただ、基本的にこの作業は二人組でおこなうのだが、当然例外も存在する。今日の彼女はその例で、一人きりで裏手の玄関を静かに箒で掃いている。彼女のパートナーは今朝になって熱を出してしまい、代わりの当番を見つけられなかった彼女は、朝の掃除を一人で担当することになっているのだった。
見つけられなかったというが、むしろ見つけなかったといっていい。彼女はたとえ朝のささいな当番であろうとも、人と一緒に何かをすることはあまり好きではなかった。昼は自分とおなじくらいのーお喋りなものも少なくないー少女たちに混じって生活しており、夜は複数人の寝起きする部屋で過ごしている。賑やかな仲間たちに渋い顔をしてみせたことはないのだが、仕事を余計に請け負ってみせる頼り甲斐を装って、ひとりで仕事に没頭することは、彼女の望んだ時間だった。
誰も話しかけてこないことが保証されている時間は彼女にとって幸福だった。頭の使う作業でもないので、目をこころもち伏せて、箒の音に聞き入りながら仕事を続ける。瞑想しているかのようにゆっくりと、ゆっくりと仕事をする。
彼女の耳はただ葉のゆれる音と、箒が葉と石畳を掃く音に包まれる。視界は足元の緑色だけになる。そこでふと、気づく。
あまりに目の前が緑色ばかり。これじゃ私は、まるで葉の中に蹲っているみたい……
そして次に、彼女は自分の体に冷たい湿ったものがひんやりとふれているのを感じる。自分の体のどこに、それが触れているのかを知ろうとして、彼女はわずかに身じろぐと、わずかに胴をねじった動きが、自分の下半身の節々へ、遅れて伝わっていく、奇妙な感覚。列車に乗った時、先頭の車両の動きをなぞるようにして後ろの車両が線路を辿るのが愉快だったっけ。なんで今、そんなことを思い出すのだろう。
彼女の体は列車を連想させるごとく、節々のつらなりとなっている。箒を持っていた華奢な腕は無数の弱々しい吸盤となって、足の下の地面を落ち着きなく、こわごわと探っている。
自分の体を見ることができない。首をめぐらして見ることができない。頭だけがいやに体の先頭に張り出して、顧みることができないようだった。なぜなら、顧みる必要がないからだ。目の前の仕事をすればよい。眼前の緑を、口先を忙しなく動かして体内に取り入れていく。今度は箒の固い音ではなく、しゃりしゃりしゃり、という、柔い葉を刻む咀嚼音が聞こえる。ずっと聞こえてくる。
彼女は自分の身にただならぬことが起こったことは理解していたのだが、別段驚きはしなかった。むしろ、今までしていことの仕事の延長線上ーそれよりもー自然な仕事のように思えるのだった。
なぜなら彼女は考えたくないからだ。少女たちのなかでは幾分年長者であるから、落ち着いた物腰で振舞うものの、本当は自分の意志など持ちたくはないのだった。
目の前の仕事を飲み込み続ける。望まれたのだから演じ続ける。果たし続ける。そうし続けるかぎり、自分はずっと放っておいてもらえる。
それから体感にして、数分か、数時間かは定かではないが、彼女は気づくと、箒を持ったまま、呆けたように裏口に佇んでいた。実際の時間はというと、日は少し高くなっていたが、まだ朝の範疇だった。熱を出した当番だったはずの子の状態が、ふと気になり始める。氷嚢や着替えも、世話しておいたけれども。
戸口脇に箒を立てかけると、傍の蛇口をひねり水で手を洗い流した。箒を握っていただけなのに、何か粘り気のあるものをさわったかのように、指に違和感が残っていた。
タリコ
放蕩に食をくらひ、飽くまで肥太り、繭を作の時に臨で、惣身膿汁と成、腐り死す。是をタリコといふ
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初公開日: 2020年07月20日
最終更新日: 2020年07月20日
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