「ゆがんだ椅子と細胞死、あるいは笹塚衛士のファンタジー」
 笹塚衛士の光合成は本物だ。その真偽について作中で掘り下げられることは特に無いが、この世界で俺だけはそれを知っている。
『ある朝、早乙女國春が気がかりな夢から目ざめたとき、自分が早乙女國春であることに気づいた。』
 毒虫に変っていたグレゴール・ザムザと違って、俺は昨日までと同じ人間だったが、俺の気づきはそんなふうに、「気がかりな夢から目ざめ」るようなものだった。不安な夢と、終わりの見えている悪夢と、どちらがマシかは分からないが。
 俺は鷲尾に首を切られて死ぬ。この物語のなかでそういうことになっていた。それがいつなのかは分からないが、いつかは確実にそうなる。その為に俺はこの物語に配置されているからだ。何故俺がそれに気づいてしまったのかは分からない。だから「目ざめ」たとしか言いようがない。他人に話しても、他人に同じ気づきをもたらすような要素は描写されない。ばらつきはあるが、今までの経験からいうと、最短なら一つ前の会話に、最長で寝て起きたあと前日の朝に、俺が起こしたイレギュラーは巻き戻る。そして、正しく進行するまで時間はやり直しされ続ける。
「お帰り」
 帰宅すると、笹塚が惣菜パンとインスタント味噌汁の夕飯を食べていた。
 「目ざめ」てから、巻き戻りが起り得ることに気づいた時、一番肝を冷やしたのが、こいつの存在だ。しかし、今のところ、笹塚がここにいることを直接的な原因として世界が巻き戻ったことは一度もない。それもそうかもしれない、と納得するきもちもある。針と糸のトリックで部屋番号が考慮されないように、主人公たちが事務所を得るために発生する殺人事件で、そこで発生する死人が普段どのシャンプーを愛用しているだとかシーツの色は何であるとか、そういうものは考慮されない。
 味噌汁を啜る笹塚は、俺の顔色を見て、言葉を重ねた。
「なんか疲れてる?」
「あたり。うっかり採用面接の話で半日巻き戻しちまって」
「巻き戻し?」
「お前も覚えてないだろ。採用試験の日のこととか」
「んな訳……――え?」
 まばたきをひとつ。
「なんか疲れてる?」
「まーな」
「今日は誰? 今日もゴダイ?」
「俺」
「珍しいな……」
 経験でなんとなく、どのように口を滑らせるとどのくらい巻き戻るのか予測できることもある。
 今の場合、笹塚の「疲れてる?」は帰ってきた俺を見て抱いた疑問で、仕事中の俺と結びついていたりはしない。
今の職を得た状態でこの世界に描写されているということを自覚してしまっても、充分に、俺が帰宅した時点からリカバリーできるとみなされる。
「笹塚、今日ぐっすり寝たいと思わねえ?」
 お決まりの誘い文句だった。
 俺は笹塚の見る悪夢を知る前から、笹塚の眠りが浅いことに気づいていて、だから「お前が意識を飛ばすまで抱く」の意味でこれを言う。この提案は、笹塚がストレスを溜めていて、且つ、切れ切れの眠りしかとれないことに苛立っているとき、または、単に俺が苛々して笹塚を乱暴に扱いたいときのどちらかで使う。今日はもちろん後者だが。
 笹塚は、味噌汁を飲み干すだけの時間を置き、「それも悪くない」と言った。
 既にシャワーを浴びていた笹塚を深い緑のシーツに押し倒したとき、この男は「好きにしろ」と言った。
「色っぽいのか、雑なのか……」苦笑で返す。
「『雑』の方」
「あーはいはい」
 こういうところが気楽で、妙にかわいげもあり、手離したくないな、と思う。どんな出会い方をしたのかすら覚えていなかったとしても、もとい、俺たちの出会いが世界に元々存在していなくても、だ。
 俺が「目ざめ」てから、笹塚の誕生日を祝ったことがある。スーツを着る職業だから無難にネクタイを、と思い、すぐやめた。「笹塚衛士」は、脈絡なく違うデザインのネクタイをするタイプじゃない。少し考えて、十二号のホールケーキを一台買った。
「生クリームは好きだが、外で男一人、気まずい思いをしてまでは食べない。だからいい機会だと思った」
 そんな風に言い、『えいしくんおめでとう』のプレートを真ん中で切り分けた。「おめでとう」側を食べる笹塚が、「誕生日言ったっけ」と首を傾げているので、「言った。いつ言ったかは忘れたけど」と断言してやる。コミックスに個人情報が載ることを知らない笹塚は「そうか」と答えた。ケーキをほおばる、そのリスみたいな輪郭と、小さい口と。巻き戻ってはいないから、本当に納得したのだろう。
 誕生日を設定されておらず、設定されていないことを知る俺は、あの七月二十日、いかに自分が世界とそぐわない存在かをむやみやたらと意識していた。多少、妬むような気持ちがあったのかもしれない。それで、笹塚の記憶に残りたがった。世界に、その書き記されない部分に、ひとしずくでもいい、残りたがった。「早乙女國春」らしくもなく。
 事後、こんこんと眠る笹塚の横で、煙草を吸いながら、枕元に置かれた本を手に取る。描写されない笹塚の私物。俺が贈ったその詩集が、誰の書いたもので何という題名の本なのか、俺と笹塚だけが知っている。
 俺はいつか死ぬが、それは誰だって同じことだ。仕方のないことだ。
 俺の死にざまが他人より恵まれているかもしれない点がひとつある。「苦しみながら死んだ」とかその類の設定はなされていないことだ。最期の表情も、苦悶にゆがんでいるのかそれとも、電話の声に意識をかたむけたままなのか、それすらわからない。世の中にはそうでない人間がたくさんいるなかで、何の痛みもくるしみもなく死ねるという可能性が十二分にある。
 後悔は元より無い。どうせ世の中はなるようにしかならないし、それは「目ざめ」なくたってよく知っていたことだからだ。
 残業が確定していて、定時間際に電話がかかってくることほど煩わしいことはない。職場ではなく、私用の携帯が鳴ったので、余計に「何なんだよ」と思わざるを得なかった。しかし、画面を見ると笹塚からだったので、煩わしさを訝しさが上回る。
「どうした」
「財布忘れていってたけど」
「……今? 早く言えよ」
「昼飯買わなかったのか」
「今日の昼は上司に奢ってもらったから」
 その呼び出しのせいでデスクワークが滞り、任せた部下がつまらないミスをし、俺に皺寄せがきて、今日これからの残業がある。そう思うとまた煩わしさが息を吹き返す。
「で、笹塚、なんで今更電話なんて」
「誕生日おめでとう」
「……なんでお前が知ってんだよ」
「免許証見た」
 笹塚の言い分はこうだ。早乙女國春が金に無頓着な訳がない。遺失物等横領を疑って財布の中身を検めたら、早乙女國春本人の身分証が入っていた。よく見てみたら、誕生日が今日であることが分かった。
「生クリームのケーキがいいんだっけ?」
「そんなことよく覚えてたな」
 不本意にも、目ざめてから初めて、死にたくないと思っている自分がいた。
「あー……笹塚。俺、今日は終わったら社員と飲みに行く予定で、っつっても残業で合流できるかすら分からないんだけど、だから」
「じゃあ」
「仕事片付けながら食べるから、ケーキ持ってこっち来い」
 残業が確定していて、定時間際に電話がかかってくることほど煩わしいことはない。
ないのだが、電話がかかってくることはなかった。職場にも、私用の携帯にも。
「諦めろってことか」
「手伝いましょうか?」
 巻き戻り方に対して愚痴った俺の独り言を、豪田が聞きとがめて苦笑した。気のいい部下に対して生き汚い社長は、「余計に数が合わなくなっても困るから分担しないほうがいい類の作業だ」とか何とか、適当なことを言った。
 まあ最期に、一度祝ってもらえただけでも、いい人生だった。いい悪夢だった。と、そう思うことにしよう。内心言い聞かせながら、電卓を叩いている。あーあ、次の電話はとりたくねえな、そうも思っている。
できました、おわります
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魔人探偵/國笹「笹l塚l衛l士のファンタジー」
初公開日: 2020年06月19日
最終更新日: 2020年06月21日
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