一度は目前までメテオが迫った影響もあり瓦礫だらけとなったスラムと呼ばれていた場所にはミッドガルだった物があちらこちらに散乱していた。簡易的に作られたこの建物の一室から見た景色にも星が終わりかけた名残が未だ色濃く残っている。真っ直ぐ見据えた、教会意外には。ほとんどの家や建物だけじゃなく、人や目に見えないものまでも押し潰された世界で、まるで何かの加護でも受けたかのように無傷とは言わずとも原型を留めた数少ないモノの一つだ。
一足先に準備を終えた俺は一人、……そういえば、あの場所でアイツと出会った時も雨が降り、彼女は花を見つめていたな、なんて思い出して一人微笑む。無鉄砲で明るくて、誰からも好かれたアイツは、ただ一人、神にだけは好かれていなかった。いやきっと……神でさえ彼女を強く愛してしまっていたんだ。
「十年以上、か」
言葉にすればたった四文字で片付いてしまう年月は、その数字以上に重く、かつ鮮やかだったように思う。思う、と他人事のように言ったのは、俺にとっちゃその過ぎ去った一日一日が“願い”の積み重ねだったからだ。気付けばそんなに時は流れていたのだといま口にして初めて気付いたくらいには。
「……そんな顔してたな、アンタは」
窓辺の縁に飾られた枯渇寸前までいった“星の命“の影響で、まだまだここらでは貴重な花が花瓶に挿さっている。それに重なるように現れたあの頃と変わらない黒のスーツに身を包んだ──幻。口の端から漏れた笑みに、やはりソイツはあの頃と変わらない“今を生きる笑み”を浮かべていた。自分の何も残さないよう、精一杯残りの短い今に咲く……徒花のように。
人の記憶はまず聴覚から曖昧になるらしい。次に視覚、触覚、味覚、そして、最後に嗅覚だ。ああ、だからか。古代種がこの場所を離れた二年前まで、エアリスが俺らに渡し続けたこの花が、記憶の中のあいつを呼び起こしたのか。いつもあいつの傍にあった教会に咲く白と黄色の花。花言葉は確か純真と──再会。そんな余計な知識を覚えているのも、きっと彼女が言ってたからに他ならなかった。
「安心しろよ、もう大丈夫だぞ、と」
その幻の頬に触れて、いや触れられはしなかったが、手を添えて、あの頃の彼女に微笑む。もうアンタがいないように、あの頃の俺だってもういない。痛みも知らず、失う恐怖も知らず、願うことすら知らなかった、俺は。だから、
「──だから、さよならだ」
そっとその唇に口付けて、別れを告げる。一筋の涙がキラキラと窓をすり抜け雨の降る空へと消えていく。その視線を彼女に戻せば、もうそこに愛した幻はいなかった。
◇◆◇◆
「あ、来ちゃった?」
タークスに入って少しした頃、ツォンさんに言われ古代種のボディーガードという名の監視、あわよくば神羅に連れてくると言う仕事を任された俺の前に現れたのは、その古代種とともに伍番街スラムにある教会で花を眺めながら楽しそうに笑うアイツだった。タークスの制服に身を包んでいる辺り同僚なんだろうが初めて見た彼女に目を瞬かせた俺にソイツはそう蹲み込んだまま聞いた。聞いたと言うよりは俺が来た事によって“時間切れ”になってしまったと言うニュアンスの言葉だった。
(チッ、俺の他に誰か来てるなんて聞いてないぞ、と)
傘をさしていたとはいえ馴染んで来たスーツの袖を撫で、ついた外の気温を含んだ冷たい水を払いながらそんな事を思った。当時派手な任務を求めていた俺はなかなかYESと言わない色気のない“ガキのお守り”に今日の鬱陶しい天気も相まって道中不満を零しながらここに来た。その上聞かされもしてない俺以外のタークスの登場に思わず心で舌打ちを打つ。だったら俺はドンパチやれる仕事にでも行きたかったぞ、と。
女のその口ぶりと俺らにはやたら冷たく当たる古代種が心を許したように綻ばせていた表情に俺よりも前に入ったと言うことだけは伺えるが、当時の俺は正直その光景は疑問しかなかった。古代種含め、任務対象であるエアリスと仲睦まじく話すソイツに。
「アンタ誰に言われて来たんだ、と」
そう問いかけながら立ち上がった二人に近付けば、古代種が俺を警戒してソイツの背後に隠れ肩口から覗かせた瞳が親の仇のように俺を睨み付ける。お前が腕を掴んでる相手だって同業で虎視淡々と本部に連れてこようとしている事には変わりないはずなのに、その扱いの差は歴然としていた。
「ああ、エアリスのお守りね」
一人納得したように口を開いた女は俺の問いには答えず「なーんだ」と言わんばかりに安心したようだ。他にここにくる理由なんてないだろ。そう思った俺は微かに顔を顰めたが、逆にソイツは笑っていた。一体、何が面白いってんだ。
「イッテ!?」
そんな俺を襲ったのは弾かれたような痛みだった。パチン!と軽快とは言い難い重い頭蓋骨から出たような音が俺の額から鳴り響き静かなこの場所にアホみたいに響いた。後に俺の額は一週間ツォンさんと“お揃い”に見たいになったのは今でも少し恨んでいる。
「ッてえな!何すんだいきなり!」
「ごめーん、つい」
親指をトリガーとして放たれた中指にわざとらしく息を吐いて、一瞬にして赤くなったであろう額を押さえた俺を横目にソイツはけらけらと笑う。何っなんだよこの女…!とても一本の指から与えられたとは思えない痛みに目尻にはうっすらと涙が膜を張った。
「そんな怖い顔しなさんなって」
そう、ふっと口角を上げた表情は柔らかく、逆立っていた毛並みが体に纏わり付くように自然と落ちていったような感覚がした。細く尖った瞳孔が緩く丸みを帯び、はるか彼方でカチャン、と何かが開く音が響いた……気がした。
「にしてもすごい赤髪だねぇ、お花みたい」
「な、おい触んな……!」
初めての感覚に自分の中で何が起こったのか分からずぼうっとしてしまった俺の髪をソイツはまるで呆気に取られ目を丸くした野良猫にでもするように撫でた。いや、コイツにはそう見えていたのかもしれない。誰にも心を開かず誰彼構わず威嚇する、獣とでも。
お花、こんなにガラ悪くないよ!なんて失礼な抗議をする古代種に「えーそう?」なんて俺に邪険にされたって気にも止めずソイツは言った。女の手を振り払った腕も、体のどこにも変化はない。背後の扉だって俺が入って来た時と同じままだ。…さっきのは一体何だったのか。答えを探そうにもその手掛かりすら今はもう完全に消えてしまっていた。
「……はいレノです、と」
『レノ、エアリスと一緒か?』
「もちろんだぞ、と」
ポケットの携帯が鳴りそれを耳に当てれば電話の相手はツォンさんだった。俺は降り掛かった違和感を気のせいにして、いつもの調子で受け答えしていく。……やはり、自分の中で変わったものなんて見当たらなかった。
『そこにタークスの女はいないか』
「…」
ちらりとその言葉を指す可能性のあるソイツを見れば、それだけで全てを察したように女は「シー!」と口元に人差し指を当てていた。その仕草に俺の中でその可能性は確定へとシフトする。まるでツォンさんが自分を探していることをわかっているかのようだ。……なんだ、ただのサボりかよ。そう思えば、続く言葉なんて決まっていた。
「いるぞ、と」
「あ、バラしやがった」
俺の額の仕返しだと言わんばかりに躊躇いもせずにチクリを入れれば「あーあ」なんて対して残念がってもいない口調でエアリスと顔を見合わせる女に、耳元からはそんな彼女が目に浮かんでいるかのようなツォンさんの酷く深いため息が聞こえた。
『今すぐエアリスを家に帰して彼女を連れて戻って来てくれ』
「……それは仕事か?」
タークスの任務でも古代種の確保は最重要案件だ。いくらこのガキを長い目で見てるとはいえ、それを強制的に終わらせてまでこの女をわざわざ俺が連れ帰る意図が分からない。ただ単に帰るよう伝える、とかでもいいんじゃないのか。サボっているとはいえ招集されて断るようじゃそれは単なる職務放棄だ。この女がそこまでするようにはとても見えなかった。
『いや、頼み……だな』
いくらか声を落とすツォンさんの力のない声に咄嗟にツォンさんの女なのかとも思ったが、その声音からどうにも“訳あり”な気配がして深くは聞かず了承の返事をして電話を切った。
「おい、帰るぞ、…ッてえ!?」
言われてしまった以上、引き受けてしまった以上今日に限ってはこの“面倒な頼み”を完遂しなくてはならない。それなのに、そんな俺の脛に与えられた容赦ない痛みに再び目尻に涙が浮かんだ。っとに何なんだよ今日は!?
痛みにもがきそこを押さえながら顔を上げれば、ベーっと舌を出し俺に喧嘩を売る古代種と、「痛そ〜」と苦笑を浮かべる女がいた。いや、痛いは痛いがアンタのデコピンの方が千倍は痛かったからなクソ女!ったく、これっきりだ。こんなおてんばどもに振り回されるのは。意地でも二度と関わるもんかと、俺は固く決意した。
その日からしばらくが経った。出会った日に共にビルへと戻ったにも関わらず、アイツは「ツォンの小言は聞き飽きた」と本部に寄ることなく俺に手を振りどこかへ消えて行った。タークスは忙しい。ほぼ外に出ずっぱりで営業担当顔負けだ。だから、もう次の日にはあんな女の事はきれいさっぱり忘れていた。あっという間に数ヶ月が過ぎ、俺が入ってから一年が経とうとしていたある日、ふとにアイツに会ったのは本当にあれっきりだった事に気付いた。
二度と関わるまいと思ったというのに、一度気にかけてしまうと何となく今日もいない、まだ会わないのか、なんて思う日々に突入した。当然、それまで会うことのなかった奴に数日で会うはずもなく、あっという間にあの日と同じ冷たい空気の漂う季節になっていた。
「あ、」
「あれー久しぶり」
朝、いつものように本部に出社した俺の目の前に前触れもなく現れたのはあの日の女だった。軽く挨拶をしてくるソイツに、にわかにあの日の出来事すら曖昧になっていた俺は本当にいたんだと非現実な思考に駆られていた。
「何?人をお化けみたいに」
「……別に、そんなんじゃないぞ、と」
つい思っていたことが口に出ていたか、それとも顔に出ていたか。やはりけらけらと笑う女に罰の悪くなった俺は、ヴェルド主任が本部にいないことを見てそのままソイツの横にいるツォンさんに今日の仕事をもらうため近いた。
「まーたそんな顔してるの?」
パシ、と必然的に隣に立ったソイツの掲げられた腕を掴んだ。二度と同じ手を喰らうか……と言う目論見だったのだが、視線の交わったソイツの目は一つ、大きく瞬きをした。一瞬にして微妙な空気が流れた刹那、糸を切ったようにソイツは笑い出し、今度は俺が大きく瞬きをする羽目になった。
「髪、撫でるのもだめか」
「……当たり前だろ
、と」
「もうデコピンはしないよ?」
ふふ、と未だ笑いを引きづりながらそう言う女にチッと舌打ちをこぼして腕を離す。それを見ていたツォンさんもまた数秒前の俺らみたいな顔をして、そして軽く握った手を口元に当て肩を揺らした。くそ、調子狂うったりゃありゃしねえ。
「同行者はレノに任せるとしよう」
「え、いいの?行かなくて」
「ああ、代わりに伝えてくれ──おめでとう、と」
伍番街スラム、教会。一年前と、同じ場所。俺の意見なんか元からなかった、と言うかまぁ反対もしなかったわけだが二人並んでそこへ向かった。──二月七日、古代種であるエアリスの誕生日。今日という日、そして昨年の俺たちが出会った日、らしい。さすがに俺は日付までもを覚えていたわけじゃなかった。だがこの日だけコイツはエアリスの元へと向かうらしいことを道すがら聞いた。だから「おめでとう」か。と一人納得し、誕生日ねえ、と唾を吐く。どうにも俺には二人の感覚は理解出来そうになかった。
その中でこの一年何をやっていたのかを聞こうとしたがやめた。秘密のお仕事が多いタークスにとって互いの仕事を詮索することは暗黙の了解みたいなものだし、コイツが“訳あり”なのも一年前に知っている。関わらないと言いつつ関わってしまったが、深入りはしたくなかった。なかった、が、俺はこの後この一年コイツが何をしていたのかを知る羽目になり、そしてこれからほぼ毎日顔を合わせる事になる。
◇◆◇◆
丸っこい最低限の座面しかない椅子に座り片足を上げたそこに肘をついた。神羅ビルのとある階にある白い部屋で、白い安物のベッドに座った色の薄い病院服を纏った女は、相変わらず何が面白いのか、口元の笑みを隠そうとも消そうともしない。
「私、休職中なんだよね」
聞いてもいないことを話し出したコイツの声は軽く、弾んでさえいた。なんでも過去に倒れてそのままこの状態になったらしい。言動からはどこも異常があるようには見えないが、本人も「ツォンが過保護すぎて」とそこは困ったように笑った。
「と言うわけで暇な私の“話し相手役”、頑張ってね」
一日の空いてる時間に顔を出すだけの決まりも強制力も薄い任務だった。これまではツォンさんが行っていたが、めでたく俺にそのお役目が回って来たと言うわけだ。なんでこんなことに。やっぱり関わるんじゃなかったと、俺の直感は間違ってなかったのだと一年越しに知った。
「どんな仕事も、楽しんだらいいよ」
ソイツの、そんな言葉がやたらと耳に残ったのを、今でも覚えている。
◇◆◇◆