レノがカフェ店員になるお話。きっと潜入捜査だと思う(多分)
──以下本文
世の中には“器用な人間”と言うのが一定数いる。手先だけでなく、初めてやる事においてもソツなくこなしてしまう人間が。──ミッドガルにあるカフェで働いて早三年。そんな“器用な人間”とはかけ離れた私はこの仕事の基本的な仕事をこなすのにみっちり三ヶ月はかかった。今となってはお客さんに出す料理の食材や備品の発注なんかも、任せされるまでになったとは言え、当時の先輩にはよく頭を抱えさせてしまったのは未だに申し訳なく思っている。
そんなことをふと思い出すのは、私もいよいよ新しく入ってきた子に仕事を教える立場になったからに他ならない。
「っせー」
カウンター越しのレジに立った入って間もない新人は店に入ってきた客にそう声を掛けた。どうやら彼は“いらっしゃいませ”が言えないらしい。接客業としてあるまじき問題ではあるが、続けざまに「ご注文はお決まりでしょうか、と」なんとも独特の語尾をつけつつもきちんと接客しているので、まぁ今はあまりうるさく言わないようにしている。
と言うのも年度の切り替えで今年は特に退職者が多く、今に至るまでギリギリの人数で店を回していた。そりゃもう毎日一人で三人分くらいの仕事量をこなす日々で、いくらこの仕事をそこそこ続けていたとは言えいい加減辟易としていた。
そんな時に赤髪がよく目立つ彼──レノが新人として仲間に加わった。初めはいくら人手不足とはいえ髪は凄いし目の下には髪と同色のペインティングがあるしなんか挨拶も本当に新人か?と疑いたくなるほど太々しいしなんて奴を雇ったんだと店長を恨みもしたが、とにかく彼は“器用な人間”の類いだった。
私があれだけ苦労して覚えたコーヒー豆の種類も淹れ方も、カフェにしては数の多い料理だって一度教えただけで完璧にこなしてしまった。しかもそのコーヒーも料理も同じレシピか?と疑うくらいに美味しい。試食した際に意味がわからないと黙って首を傾げた私にレノは「なんか間違えたか?」と聞いてきたがそれはむしろ私が聞きたいくらいだった。私はいつも何を間違えているんだろう、と。
「なんかやることあるか?」
出社前のお客さんのピークを終え、レジから備品の補充をしていた私にレノが近付いて来てそう言った。本当、彼がきてからというもの、たった一人増えただけだと言うのにその一人辺りの負担は恐ろしいくらいに平常に戻っていた。だからこそ“いらっしゃいませ”がちゃんとは言えないくらい目を瞑ってしまう。
「ううん、私の方も午後に向けて補充終わっちゃった」
「そんじゃ、一息ってとこか」
レノが小さく息を吐いてそう言うものだから、やはりソツなくこなしているように見えるがなかなかに神経を使っているのだろう。あまりにも簡単そうにやってのけてしまうものだから本当に人間か?と思ったりもしたが、やはり彼も“器用な人間”ではあるが超人ではないようだ。
慣れないことをしているのだから当然なのだけれど勝手に沸いた親近感に一つ笑い、「あ、」と少しお疲れの様子の彼に閃いたと言わんばかりに声を上げ空のカップを二つ、手に持った。
「なんだ?」
「最後の研修」
首を傾げるレノに二つの内の一つを手渡し、空いてる手に油性ペンを握った。その時点で察しのいい彼は「ああ、」と納得したように蓋を外したペンでそこに絵を書き始めた私の手元をじっと見つめた。
「出来た、どう?」
「……トンベリ?」
正解!と私の絵を見て出た彼のドンピシャな答えを称えればレノが小さく笑ってくれて安心する。貴重な戦力、いや、幼気な新人の気を少しばかり緩めてあげるのも大切な仕事だ、と私は思う。
「アンタがたまに客のカップに書いてるやつか」
「そう、混んでない時にね。メッセージとかも書くよ」
数秒で出来る程度の絵を描いたその横に“おつかれさま!”と書き足し再びレノに見せれば「マメだな」と感心した声が漏れた。だが自分の手にも同じ空のカップがあることを思い出した彼は途端にそれを見つめ思案する。
「まさか、最後の研修って」
「そう、これ」
はい、とレノに油性ペンを手渡せば意外にもさらさらと描き始めつい前のめりになってその様子を伺う。
「ま、こんなもんだろ」
「これって」
目の前に差し出されたカップに描かれた人と思わしき絵。ツンツンとした髪に長い尻尾のようなものが耳の横から飛び出し目の下にはどこかで見たことのあるペインティング。
「俺様だぞ、と」
「……ぷ、」
したり顔で言うレノに思わずお腹から笑いがこみ上げる。仕事中のため声を殺す代わりに目尻に涙が浮かぶ。どうやら気を緩めてもらったのは私の方だったらしい。
「普通自分の顔描く?」
「俺が淹れてやったって分かっていいだろーが」
「ちょっとやめてお腹痛、い」
溜まった涙を拭ってレノを見上げて、息をのんだ。口元に笑みを浮かべた彼が目を細め、あまりにも優しく笑っていたから。どきり、と心臓が脈打つ音が聞こえた。
「は、はい。最後の研修終わり!」
無理やりそう話を断ち切ってレノに背を向ける。まだ、胸の鼓動がうるさいくらい耳について離れない。いかんいかんと自制を促し小さく首を振る。確かにレノは顔がいい。白いワイシャツに黒エプロンというシンプルな制服をここまで着こなす人間は今まで見たことがない。細身かと思いきや捲った袖から見える腕はどうにも私の視線を奪って止まない、が。絶対チャラい。遊んでる。
これだけ“器用な人間”がモテないわけがないのだ。現に彼が働き出してから女性客も増えたし、ここで惚れたりでもしたって、“器用でない人間”の私は遊ばれて終わりだろう。それは流石に避けなければならない。まだ、引き返せる。
「なーんか勘違いしてねえか、と」
「な、何がですかね」
背後から怪しむ声が聞こえ思わず声が吃った上に彼に使ったことのない敬語まで登場してしまった。これだから“器用でない人間”は嫌になる。隠し事は、あまりにも難易度が高い。
「アンタ、もうすぐ休憩だよな?」
「え、あ…本当だ。もうそんな時間か」
腕時計を確認すれば確かに私の休憩時間まであと三分。というか人の休憩時間まで把握してるとか、どんな新人?でも、この沸いてしまった熱を冷やすにはちょうど良い“休憩”になりそうだった。
「じゃあ、世話になった先輩に一杯奢らせてくれよ、と」
「いいよそんなの、仕事だし」
と、言ってる側から機械を操作してるレノに自由だなぁ、と思いつつその心遣いは素直に嬉しかった。
「ほらよ、アンタいっつもこれだよな」
そう言って差し出されたカップを受け取れば、店内のビターな匂いを縫って甘いミルクティーの香りが鼻腔を掠めた。それにいくらか驚いてカップを見つめた視線の先で、私の手にレノの一回り大きな手が重なり体が硬直する。少し屈んだ彼の肩から、背後に束ねた髪がさらりと落ちた。
「……俺にも一杯奢ってくれよ、と」
耳元で囁かれた言葉と、指の隙間から見えたカップに描かれた“レノの顔”と──
「返事はその時、な?」
──微かに見えた“好き”の文字に、私の指はそこから一ミリだって動かせはしなかった。