//遠雷
 突き抜けるような空に雲が大きく膨らんでいく。ビルの狭間から見える入道雲は、平面的ですらある青空の中に異物混入されたかのような妙な存在感を発していた。捉えがたく、けれど確かにそこにある。俺はそれを見ていると空恐ろしさすら感じる。白々しく、傲慢で、圧倒的な力を持つ。その強大な存在に取り込まれてしまうのではないか、という予感があるのだろうか。それとも、いずれ雷雨を誘いこむからか。青空と共にあるというのに、必ずしも共鳴しえない。そのことに孤独を覚えてしまうのは、きっと考えすぎだろうけれど。
 梅雨も明けていないのに、既に真夏のような様相であった。じわじわと迫る暑さ、珍しく汗もかいている。ジャケットを脱ぎ、首元のネクタイを緩める。コンビニの前の喫煙所で、新しく購入した煙草の箱の封を開けた。アイスが食べたいと強請る後輩は、まだ自分のものを選びきれていないらしい。新商品だとか期間限定だとか、そういうのに弱い男なのだ。普段なら良しとしないコンビニへの寄り道を許可した時点で、この展開は想像がついていた。自分も暑さに参っていたし、たまにはという甘えもあったように思う。
 しかし、これほど暑がっているのに懲りずに煙草は吸うのだ、と笑えてしまう。ライターを持つ右手は一本火をつけるだけで、いつもよりも疲弊しているようだし、煙が充満するこの片隅のスペースは空調のある場所からも遠く離れている。ぐるり、静かに渦を巻くようにしてあがる煙の様は、目の前に見える入道雲のそれと似ている。
 嵐の予感、を呼ぶ。ここは匂いがしない。車の排気ガスに人々の生活臭、ビルを建てるが故の騒音。すぐ後ろのコンビニでレジ対応する店員の声が入り混じる。そうして、煙の匂い。
 考えないようにしているようだと思った。煙は俺をひとつの世界に幽閉する。外の世界の事象から一時、手放されることを許される。だから吸い続けてしまうのかもしれなかった。はじめはこんなつもりで吸い始めたわけではなかったというのに。
「先輩、お待たせしました! これ、夏限定のスーパーハードミント味なんですけど……」
「あー、俺はいいから。早く帰って調書作るぞ」
「これだけ食べるので待っていてください!」
 コンビニの袋の中には、どうやらアイス以外の諸々も入っているようだった。どうりで遅いはずだ。俺はため息の代わりに、煙草を口にした。目の前の入道雲の様子が、どうしてか気になって仕方がなかった。はじめは真っ白だったそれは、少しずつ灰の部分を増やしているようだった。膨らみは増し、空の青も濁っていく。
 それは錯覚だったかもしれない。積み重なる雲の隙間で、小さな光のわななきを見たような、気がした。
 灰が足元に、落ちた。視線を落とすと、灰色に乾いたコンクリートの地面に、ぽつぽつと水玉模様が表れる。その正体を確かめるために顔を上げた。
「――笹塚さん!」
「弥子ちゃん?」
 小走りでやってきた彼女は、白いシャツを少しばかり濡らしていた。突然の登場に、俺は目をいつもより心持ち大きく開けた。
「あれ、石垣さんもいる。雨宿りですか?」
「探偵じゃん。俺たちは休憩がてら……本当だ、降ってきてるな」
 先ほどまでは青空だったのに。空は一瞬でも目を離すと、その様相をまるで変えてしまう。機嫌を悪くして、駄々をまき散らすようにして、強い雨が降り落ちてきた。打たれた人々が逃げ場を求めてコンビニに駆け込んでくる。彼女もそのひとりのようだった。
「雨降ってきたからしのげるかなと思って寄ったんですけど……すごく降ってきちゃった」
「ギリギリセーフってとこかな」
「コンビニ寄っておいてよかったですね、先輩!」
「……そういうことにしておいてやるよ」
 俺たちは車だから別に変らないんだけどな。得意げな石垣を訂正するのも面倒だった。俺は煙草の続きに口をつける。
 かろうじてひさしの下にいるので、身体が濡れることはない。ただ、打ち付けるような雨が跳ねて、履き古した革靴をわずかに濡らす。煙草の煙と少し似ていると思うのは、強い降雨は壁のようにしてその先を拒むからだろうか。
 いつもと違うのは、横に別の人間がそっとたたずんでいるということだ。
 濡れたシャツは、弥子ちゃんの腕に張り付くようにしてあった。俺はそれを見て指摘しようとするのをつい躊躇する。
「出られないですね」
「そうだね」
「入道雲が出てたから降るかもなあとは思ったんですよね。あ、そうだ」
 弥子ちゃんは何かを思い出したような声を出して、それからパタパタと中へと入っていった。石垣もそれにつられるようにして再度中へと戻っていくので俺は小さくため息をついた。新しい煙草に火をつけようとする頃、弥子ちゃんがひとり戻ってきて、俺の右横に身を置く。
「石垣は?」
「中でカップ麺食べてます」
「アイツ……」
「私はね、これです」
 そういって差し出してきたのは、くるりと渦を巻く白いソフトクリームタイプのアイスだった。
「入道雲を見たとき、食べたいなあって思ったんですよね。あれ、見るたびに美味しそうで」
 それでコンビニ方面に向かってたら雨が降り始めて。と続けた彼女に、ああと俺は少しくぐもった声を出した。そういえばそのようなことを思ったこともあったか。夏の象徴のような、眩しさのような。それだけれど、嵐を迎える印象が強いのはどうしてなのだろうか。目を細める。後々やってくる、こうした雨風の予感に敏感だからだろうか。
 遠雷が聞こえる。稲妻は見えない。風は生ぬるい。
「綿あめにも見えるなあ。ホイップクリームでもいいし……」
 それでも、弥子ちゃんは不思議と変わらなかった。
 煙草の煙は雨の湿気に絡まり、行方をすぐに失ってしまう。俺と彼女の境界線が曖昧に解かれるのがわかった。俺は美味しそうにアイスを口にする様子を見て、自分が無意識にこうした天気に緊張しているらしいことを理解する。そうして、それを無効化するような力が彼女にあるらしいことも。
「笹塚さんには、どう見えますか?」
「……煙草の煙って言ったら、怒る?」
「怒らないですよ! むしろそれっぽいというか」
「でも、確かにソフトクリームだったな」
「あはは、ですよね!」
 その髪は湿り気を帯びており、頬に少し張り付いているようだった。雨はまだ強く、石垣は戻ってくる気配がない。
「一口、貰えたりする?」
 気まぐれの一言に、弥子ちゃんは珍しそうな顔する。彼女から差し出すことはあっても、自分から求めることはそういえばなかった。肯定の意を表すように頷いた彼女の手元にある、その白く冷たいものを口にする。それは久しぶりに食べた、眩暈がするほど甘いもの。舌の上に残った、煙草苦味とまじりあって、妙な後味がする。
「雨は困りますけど、こういうのも悪くないですよね」
「……そうかもね」
 次第に打ち鳴らす雨の音は収まっていく。俺はもはやどこかに行ってしまったあの雲や、目の端で捉えたような稲光、耳に入れた遠雷の音について少し考える。それから、横にいる彼女との非日常な時間の終わりの到来に気づく。
「先輩、雨やんだっぽいっすね?」
「……戻ってきたか。石垣、弥子ちゃん家まで送るルートでな」
「あ、いいんですか? やった!」
「少し先のところに車停めてるから、それまでは少し濡れるけど、良いかな」
「もちろんです!」
 小走りでひさしの下に出ると、すでに雨粒は細やかに変わり、俺たちの肌をささやかに濡らすに過ぎなかった。空の切れ間からは太陽がじわりと姿を現し、先ほどまでの日常を衝くような世界は影をひそめてしまった。
 もしかすれば、次あのような雲を見たら、俺はこの瞬間を思い出すのではないだろうか。それは喉が熱くなるような、どうにもいえないこそばゆさがあった。君にとってはなんともない時間であろうとしても。
篠突く雨 // 激しく雨が降る様
・・・
前に描いたのとほとんど変わらないような設定になってしまったなと、勢いで書くと好きパターンになってしまうなと改めて。
雨という、日常とは違う景色を表す天候と、笹ヤコという精神性の強いCPは相性が良すぎてついつい併せて書いてしまいがちです。
ご視聴いただいた方、読んでいただいた方、アーカイブを見られた方、ありがとうございました!
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笹ヤコ
初公開日: 2020年06月06日
最終更新日: 2020年06月07日
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書けるところまで書きます BGMと打刻音
(音声配信ありにしてみます)(何かあればコメント等お気軽に)
二次文章
すこしのあいだかきます 仁王音ありにしてますが BGMとキーボードタッチの音が聞こえるだけです 作業…
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笹原ゆら
國忍かきます
國忍文つらつら書きます 途中止まることもあるかと思います
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ペーパー代わりのやつをまったりと書いています。
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