(だって、しょうがないじゃないか)
今日だけで、何度この言葉の組み合わせを脳裏に思い浮かべただろうか。
今、彼は自宅の自室に居て、目の前には暖かな湯気を立ち昇らせるカレーライスと、オニオンスープで満たされたマグが並んでいる。どちらも彼の為に、かの人が用意したものだ。
今日は調査が長引きそうだからと、簡単に作れるものにしただとか何だとか言っていたその人物は、もうこの屋敷には居ない。今頃、ターゲットを捕捉するべく大空を飛んでいる事だろう。……それとももう、辿り着いているだろうか。話によれば、彼は最大で時速六十キロものスピードで飛べるそうだから、既に尾行を開始していてもおかしくはない。
「……」
今、この九条館に居るのは自分だけ。盛大に溜息を吐こうが、この真っ白なポロシャツにカレーをこぼそうが、待ってましたとばかりにお小言を並べ始める口は存在しない。
「……しょうがないじゃないか」
だから、こうして呟いてみたところで、彼に聞かれる事は無い。もしこんなものを聞かれようものなら、根掘り葉掘りされるのは間違いない。そんな事になれば……文字通り、この体の内側にあるものを全て白日の下に晒された上、丁寧に丁寧に検品され、“品評”されてしまうのは間違いない。そんな目に遭いたいとは、流石に思えないから……こうして一人きりだと自信をもって言い切れる時にだけ、思い浮かべて、口にするのだ。
しょうがない、とは、諦めの言葉だ。大体、この諦めの言葉が出てくること自体がおかしい。自分で考えている事に自分で疑問を持つだなんて滑稽が過ぎるが、そう感じざるを得ない状況が今まさに、自分の身の上に存在する。
“あんな”別れと再会を経てもなお、こうなのだから……たぶんずっと、俺という人間はこのままなのだろう。こんなものが本質とは実に情けないが、それが八敷一男であり九条正宗であるのであれば、それこそ、しょうがない。
「……好きなものは好きなんだ」
恋は熱病だと、誰が言っていたのか……思い出せないが、実に言い得て妙だと今にして思う。そう、これは病なのだ。自分から進んで“そうなった”のではなく、“気が付いたらそうなっていた”という性質のものなのだ。そして困った事に、この熱病には特効薬もワクチンも存在しない。一度発病してしまうと、それはとてもとても厄介で……扱いに困る。何が困るって、自分で自分の胸の扱いに困るのだから、非常に質が悪い。
「……はぁ……」
カレーをひとすくい口に運ぶ。完成して間もないそれは、スパイスのキリッとした辛みと素材そのものの味とがまだ馴染み切らず、かといって不協和音とはならない微妙な調和を口の中で奏でる。それはまるで、今の自分そのもののようで……思わず自嘲が漏れた。
真下が好きだ。それは紛れもない事実で、間違いなく自分の中に存在している。一方で、それでいいのかと問う自分が居る。何がそれでいいのかと問えば、そいつは言葉を濁し、とにかくそれでいいのかと繰り返すだけ。……嗚呼、今日も俺は、滑稽な生き物だ。
「……あちっ」
考え事をしながら、熱いものを口にするのは危険だ……そんな事も思いつかない程、俺は自分を見詰め続けていたらしい。口に含んだオニオンスープは想像よりもかなり熱く、舌先をチリリと焼いた。……これは、暫く痛みが残ってしまうだろう。
「……あぁもう……」
きっとこの舌先が痛む度に、また俺は思い出すんだ。そして、また繰り返すんだ。しょうがないと。
「もういいだろう、いい加減腹をくくれよ九条正宗……どう御託を並べたって、お前はもうどうしようもなく真下に惚れてるんだ、それこそハラの中をナンダカンダされるのを拒否できない位にはもうどうしようもないだろうが、何を今更こんな、こんなグダグダとウジウジとしてるんだ……」
もう上体を支えているのもままならなくて、出来る事なら今すぐ机に突っ伏したいが……流石に、四十が見える年の男が平日の真昼間に、自宅で顔面をカレー塗れにして悲鳴を上げる、等という醜態を晒す気にはなれず、どうにかこうにか持ち堪える。
嗚呼、嗚呼、嗚呼。恋とは、恋とはこんなにも人をどうしようもないものに変えてしまうものなのか。だとしたら、あいつは? 真下にも、俺のような『どうしようもない』瞬間があったりするのか? あるとして、それは……どんな状態だ?
「……むぅ」
奴はどちらかというと、思考を練りに練って堂々巡りにハマるタイプではない。そうなると感じたら、早々に思考を打ち切って行動に出る事が多いように思う。だとすれば、彼は元からこの手のドツボとは縁がない人間……否、怪異という事ではなかろうか。
……いかん。余計に情けなくなってきた。こんなにも綺麗な独り相撲があってたまるか。
少し視線をずらせば、置き鏡が目に入る。そこに映っているのは、まあ何とも情けない顔をした男が一人。こんな顔を見られたら、本当に何を言われるか解ったものじゃない。自分自身でさえ説明のつかないもの、説明のしようがないものを、説いて見せろと言われようものなら……。
「大体、可愛いってなんだ、こんなオッサン捕まえてか、可愛いって」
段々と、感情に怒りが混じり始めた。そうだ、彼には一度、この“どうしようもないもの”を知られた上で、そう評された事があるのだ。こんな情けないものを、どうしようもないものを、あの男は言うに事欠いて『可愛い』と評したのだ。当然、その時の自分は何を言われたのか理解出来ず、思わず聞き返して……結果、二度三度と同じ言葉を聞かされる羽目になったのだが。
『ハッ、何度でも言ってやるよ。可愛い、可愛い、アンタは可愛いぞ、一男』
「あーもう!」
まるで昨日の事のように思い起こせるその小生意気な顔と背に虫の這う声色を必死に意識の中から追い出して、俺は大口でカレーを食らう。全く、あいつは前々からそうだったが、何なら生前、出会った頃からそうだったが、人に対する口の利き方に難があり過ぎる。そんなだから有村や広尾と会う度に衝突し、自分が間を取り持つ羽目になるのだ。彼がもう少し、自分の発言に気を配りさえすれば……。
「……言ったところで聞く耳持たんか……」
あの男が、自分如きのお小言で改心するとは思えない。どうせ、やれ『生きてる人間との会話はアンタがした方がいい』だの、やれ『面倒は徹底的に省く主義だ』だのと言われて右から左、馬耳東風、馬の耳に念仏となるに違いない。
「……はぁ……」
でも。そんな男が、自分は好きなのだ。文字通り、どうしようもなく。
そんなどうしようもない感情を持っている自分は、結局のところ、どうしようもないのだ。だから。
「しょうがないじゃないか……」
今日も思考は回る。回り回って堂々巡りして、俺に現実を突きつける。お前は真下悟を愛しているんだよと告げてくる。
分ってる、解ってるから、もうそろそろ勘弁してくれと思えども、俺の頭は考える事をやめてくれない。
だから、今日もそんな『どうしようもなさ』をスプーンに乗せて、胃袋へと流し込む。
一番どうしようもないのは、この状態を、何処か心地よく思っている自分だ。何だろうか、人生初の恋に、やはり舞い上がっているのだろうか。
嗚呼、本当に、どうしようもない。どうしようもないぞ、八敷一男。お前は本当に、どうしようもない。
そしてそんなどうしようもない奴を、あいつは死んでなお愛しているんだそうだ。……あいつもあいつで、随分とどうしようもない。
「似た者同士でお似合い……か」
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向き
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酷薄のyskさんがグダグダするだけのお話
初公開日: 2020年06月03日
最終更新日: 2020年06月03日
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コメント
脳内映画館がパンクしそうなのでとりあえず適当に垂れ流し。
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