パソコンの前に座り、最初に取り掛かるのは収録データの整理。このところ、編集が追い付かない程にデータが溜まり続けている……それもこれも、去年から続く『豊作』のお陰だ。やれ超有名タイトルのリメイクだ、やれ話題作の最新作だ、やれ某定番タイトルの大幅アップデートだ、やれ懐かしの名作の復刻だ……ゲーム実況者としては、そういった実況のネタに事欠かない状況は実に有難い、有難いが……ここまで立て続けとなると、どれを実況するかを決めるだけでも悩ましい。それが超有名タイトルとなれば、当然ながら同業他者もこぞって取り上げるだろうし、かといってそれらを意図的に外すというのも……違う気がする。そんな訳で、基本的に『撮って出し』ではなく、相応の編集を施してから公開する二人の動画の元ネタは、外付けHDDの中にぎゅうぎゅう詰めになっている。
こうなってくると、危惧されるのが……収録データの紛失だ。もう編集した、もう公開したと思い込んでデータを消してしまい、いざ確認してみたらまだ消してはいけないデータだった、とか。間違って、削除していいデータに紛れて消えてしまった、とか。そういったミスは、一度起きてしまうと……リカバリーが非常に面倒だ。特に、今絶賛公開中のゲームについては。
かといって、後生大事にデータを保存し続けていると……あっという間にHDDが満杯になってしまう。PCの快適な動作の為には、容量に余裕が必要だ……でなければ、編集中にパソコンがフリーズする危険性を悪戯に増やしてしまう事になる。それだけは、それだけは絶対に避けなければならない。
「……は?」
投稿済みのデータと編集データ、そして収録データを照らし合わせながら、不要なデータを消していた八敷の手が止まる。見覚えのないファイルがある……音声だけのデータである事を示す拡張子がついたそれは、真下と決めた命名規則から外れた名をつけられ、他のデータと一緒にフォルダの中に納まっていた。
「んん?」
本来、このフォルダの中に保存されるのは、八敷や真下のボイスデータだ。ゲームの音とは別撮りで保存し、後から合成するスタイルを取っている二人が収録を行うと、ゲーム画面の動画と、実況の声が収録されたボイスデータの二つが生成される。これらを組み合わせ、効果音や画面効果を追加し、オープニングとエンディングで挟めば、公開用のデータが完成するといった寸法だ。このゲーム画面の動画と、実況の音声ファイルのペアが分かりやすくなるように、動画と音声のファイル名にはしっかりとした命名規則が存在している。これを無視すると……面倒な事になるとお互いによく知っているから、こんな……命名規則外のファイルが作られる事なんて、まず無い……のだが。
「……」
一瞬、消してしまおうかと思った手を止め、八敷はそのファイルを開いてみる事にした。ひょっとすると、たまたま名前を付け間違えただけかも知れない。もしそうだとしたら、動画を見ながらアテレコをするという、一番気の滅入る作業をしなければならなくなる……それも、真下が。彼はこの作業を蛇蝎の如く嫌っている、その原因を自分が作るだなんて絶対に避けなければならない。そんな事をしたら、何をされるや……わかったモノじゃない。
「よ、っと」
使い慣れたヘッドホンを装着し、ファイルをダブルクリックする。すぐに再生ソフトが立ち上がり、『それ』は再生された。
『お前が何と言おうと、俺の胸は決まってる。 ……愛してる』
「ッぁああああああ!!」
思わずヘッドホンを弾き飛ばし、八敷は素っ頓狂な声を上げた。間違いない、間違いなくこれは……少し前の生放送で、視聴者から寄せられた『お願い』に真下が応えた際に発した台詞だ。とあるゲームのキャラクターの声が真下に似ているとかで、かの台詞を読み上げてみて欲しいという依頼が寄せられ、これに真下はかなり渋い顔をしていたが……最終的には、それを読み上げた。あの直後の、視聴者のチャット欄の爆速ぶりは壮観なものだった。
あの時の自分は、それを聞いて腹を抱えて笑っていたのだが……そうだ、これは、あの時……。
『今回の放送のプレゼントはこれでいいだろ』
『ふざっけるな、こんなもんプレゼントになるか!』
『なるなる、俺と8式の笑い声をちゃんと消しておくから』
『やらんでいい! ……お前らも本気にするなぁ! 要らんだろこんなもん!』
「……あの時のだ……!」
苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、しっかりと演技する事は忘れないその声のギャップに噴き出した自分は、そんな事を言いながらファイルを編集し始めた。そして……適当な名前を付けて、適当に保存した。……このファイルを作ったのは他でもない、自分だった。
「……ぉぅ……」
あの時は、ただのジョークだと解っていたから何も感じなかったが……こうして不意打ちで聞かされると……。
「……」
顔が熱い。心臓が早鐘を打っている。そんな必要は無いと深呼吸を繰り返し、目を伏せて心を無にしても……耳の奥に残る甘い声が、消えてくれない。それは誰に向けられたものでもなく、ただ単に読み上げられた文字の羅列でしかないのに――
「……ぅぅ」
よくもまあ、あの時の自分は笑っていられたものだと感心さえしながら、八敷は停止ボタンを押す。結局、このファイルをプレゼントにするという話は冗談で終わったのだ、もうこのファイルは存在しなくていい。むしろ、これを真下が見付けたら……何を言われるか、解ったものじゃない。
右クリック。削除。……した、つもりだったのだが。
「あ」
ひょい、とマウスを取り上げられ、八敷は弾かれたように振り向く。と、そこには……実に、実に悪い顔をした、真下の姿が。
「え」
思わず凍り付く八敷を、突然の来訪者はにんまりと笑ったまま抱きすくめる。そしてびくりと震える体に確かな圧をかけながら、耳元に囁きかけた。
「お前が何と言おうと、俺の胸は決まってる。 ……愛してる」
「ぁああああああああああああ!!!」
ばったんばったんと両足をばたつかせ、八敷は窮屈な抱擁から逃れようともがく。それが存外楽しかったのだろう、真下は奪ったマウスを持ったまま、声を上げて笑う。
「……まーたバカップルが馬鹿してるのか……」
隣室という名の自室でコーヒーを楽しんでいる九条が、ぽつりとぼやく。そろそろ、編集部屋を別の場所に移動してもらおうか……本気でそう考える家主の耳に、八敷の悲鳴が届いた。
おあとがよろしいようで。