人間誰しも、他人には言えない秘密を抱えているもので。それは、じつはパクチーが嫌いなんだ、みたいな小さなことから、じつは家庭環境複雑で親戚とか従兄弟とかってもんが俺には存在しないんだよね、みたいな重たいことまで様々だ。
そんなことはさ、べつに誰にも話さなくたっていいわけ。話したことで理解が深まる、相手とより深くわかり合える、だなんてまぁとんでもないことなんだわな。簡単にはいかねーの。他人がどんなバックグラウンド持ってようが、結局は話が合うか合わないかとか、一緒にいてその空間が心地いいかとか、そいつの匂いが好きか嫌いかとか、そんなことのほうが重要なんだなって常々俺は考えるわけ。だから、あんまり自分のことは言わない。相手にもむやみやたらと個人情報趣味嗜好を聞き出そうとは思わない。相手からの自己申告より、箸の進み具合で好きな食べ物の傾向とかを探るタイプ。これはこれで結構楽しいのよ。うん。あ、めんどくせーとか言うなよ。
そんな性質なもんだから、つるむなら同じくらい、詮索しないやつがいい。傍から見たらなに考えてるかわかんねぇーってくらいのやつがいい。互いに詮索しあわず、空気感だけ読み合って同じ時を過ごす。そういうの、理想。
さて、そんな話は置いといて、いま俺の手には組み立て途中のテーブルがある。足の長さは三十センチほど。それを正方形に組まれた本体の裏っ側にグリグリねじ止めするだけの簡単なお仕事。そんで太くてちょっとねじねじうねってる電気コードが真ん中から伸びてるわけ。そこに同じく真新しいモコモコの布団をかぶせて、天板をのっけたら完成。
そう、コタツです。
冬の誘惑、コタツ。
しょーじき、俺にとっては要らないもの。百害あって三利くらいしかないやつ。これ、言わなくてもわかるよな。こいつは人をダメにする。きっと使ったことのある人間なら、あぁー愛してるけど別れたほうがいい、だって身を持ち崩す未来しか見えないんだから!ってスポットライトに照らされて叫びたくなるはずだ。コイツは、だめだ。
そんな、俺が絶対に一人暮らしの狭いワンルームに設置するはずのない家具をいそいそと組んでるのは何故かって……何故かって、なぁ。
月島という後輩がいる。高校の時の部活で、他校との交流ってやつで、合同合宿などしたときに知り合った子だ。二学年下。遠く宮城の高校。そこで知り合って、高校を卒業してからもなんやかんや細々と先輩後輩の関係は続いて、月島が上京してきた今もその微妙な距離の関係は続いている。
夏の終わり頃、その月島が俺のアパートからわりと近い場所でバイトを始めた。月島の家はここから電車で数本先、歩くにはちょっとしんどい距離にある。なんでそんなとこで職探ししちゃったかなぁ?彼曰く、「条件の良いところを探してたらどんどん家から離れてっちゃって」「あとほら、クロオさんちの近くだから、困ったときはまぁ頼れるかなぁ、なんて?」……だそうで。あぁー俺も俺だよな。そんなこと言われてホイホイと、頼られてあげますよ、なんて答えてた。
実際、頼られたいと、思ってしまった。
そういうなんつーか、無意識の行動とか無意識の欲求を、俺は大事にしてるんだ。それって深層心理で求めてるってことだろ。お世辞でも社交辞令でもない本心。それならその声に従うべきだ。
そしてそんなやりとりから一ヶ月、本当に月島が俺を頼ってきたわけ。これマジ。ほんとマジ。びっくりした。俺は本気だったけど、向こうは軽い冗談で言ってんだろなって思ってたからね。
「バイトが押しちゃって、電車間に合わなさそうなんで、もし良かったらそちら寄っていいですかね」
俺はその日、壊さないように大事にしているローンがあと十五回残ったゴツい携帯電話を三回取り落とした。フローリングに小さい凹みがついた。そんなことどうでも良くなるくらい、うわぁと叫んだんだ。
俺はまぁそこそこ度胸とか勇気とか行動力とか、あるほうだとは思ってるよ。うん、でもやっぱりいろいろ迷ったり二の足踏んだりするんです。一世一代の勇気ってのを振り絞った俺はとても偉かったと思う。自画自賛、俺。ちょいちょい月島がうちにやってくるようになって、タイミング悪く家主の俺が出かけてて月島が玄関先であの長い手足をコンパクトに折りたたんで待つようなことが数回くり返されたあと、俺はひとり暮らしを始めた初日にクローゼットの奥にしまったままにしていた合鍵を、彼の白くて細長い指に引っかけて言ったのだ。困ったときは避難しておいで、などと。
冷静を装いながら、本当は心臓がバックバック言ってた。口から飛び出すかと思ったし眼球は充血してんじゃないかなとか鼻血出るんじゃないかなとか明日は心因性ぽんぽんぺいんかなとかそんな不安が脳裏をスキップで通り過ぎて行ったけど、結果的には俺はどう見ても健康体のままだった。月島が眉を小さく寄せながらも鍵をぎゅっと握りしめて、イインデスカ?って俺を見るから。俺はニンマリ笑って、ヘンなことに使わないでよってその頭を撫でたんだ。
そんなこんなで、それからは事前の連絡もなく彼はやってくるようになった。時間は大概バイト明けなので深夜帯が多い。俺がバイトに行って帰ってきて部屋に電気がついてると、来てる!!って毎回心が浮き立つ。なんかすごい、この感覚。ぶわーって身体があったかくなって部屋まで本気ダッシュしたくなる。実際、する。そんで扉を開けたらそんなの知りませんって顔でタダイマって言うんだ。その連続。
まるで奇跡みたいだ。月島が、俺のうちで、俺を待ってる!……俺を待ってるかはよくわかんないけど!
そしてあっという間に季節は秋を越えた。秋を越えたらやってくるのは冬だ。寒い、冬。
築四十年、外階段が鉄で出来てて二階に上がるたび靴音がカンカン響く木造二階建てのこのアパートは、十年前にリフォームされたとは言え冬はとても寒い。外気との違いは風が吹かないとこってくらいだ。オンボロアパートってやつ。
エアコンのパワー不足でなかなか暖まらない我が家をどうにかしなきゃな、とは常々思っていたのだけど、なぁなぁになってたわけですよ。俺ひとりならね、それでも春まで耐えりゃあいいだけなんですが。でも、部屋の真ん中でコートも脱がず蹲る月島の姿を何度か見せつけられた俺はついに、魔の道具、冬の誘惑、ザ・コタツ、に手を出してしまったのでした。
さて。
それからどうなったかというと、月島がうちに来る頻度がさらに増した。なによ、コタツに嫉妬しちゃう。月島はその細長い身体を小さく丸め首までコタツ布団に埋まりながらアイスを食べている。
月島が甘いものが好きってのはなんとなく気づいたことだ。ある時うちの冷蔵庫を勝手に漁って、夏の頃に友人の誰かが遊びに来て置いて行ったカップアイスを手に持って振り向いた彼の目が、メガネの奥でキラキラしていたから。特にイチゴ味が好きっぽい。目の輝きが違う。だからコンビニとかスーパーでイチゴ系のカップアイスを見つけては、買い足してそっと冷凍庫に入れておくことにした。なんでいつもアイスあるんです?って質問には、友人がいつも買ってきてくれんだけど消費するの困っててぇ、なんてテキトウに答えとく。そうしたら帰宅すると月島がコタツでアイスを食べている。超楽しい、罠にかかったうさぎを見てる気分。しめしめと冷たいアイスを食べる月島を見ている。俺の思惑通り、好物に食いついて幸せそうに眉尻を下げている。
「クロオさんって実は抹茶とか柚子のソルベとか、そういうののほうが好きデショ」
「えっ、あ、うん、まぁ」
正解。なんでわかってんの?
「僕がここで甘くてクリーミーなアイス食べてるのは、ひとえにクロオさんが食べなさそうなやつを代わりに食べてあげようっていう親切心なんですよ」
「親切心」
「ハイ」
「……ハァァァァァー?なに言ってんの?あっぶね、騙されるとこだった」
思わずプッと笑ったら、月島も目を伏せて笑った。
そうして今夜も、身体が冷えたからとさらにコタツに潜る月島を、冷えた身体が温まるまで、朝まで、帰らないでここに居てねと祈るように見守っている。
俺たちの関係に、名前はまだない。
俺たちの関係って一体なんなんだろう。
月島は何を思ってうちに来んのかな。都合がいいからかな。仲の良い友達みたいな?
俺は何を思って月島をうちに入れるのかな。世話を焼きたいお年頃?そんなの今に始まった話じゃないしな。
こういうのって、はっきりさせたほうがいいのかね。曖昧にしときゃいいのかね。
春になって、暖かくなって、コタツが無くなったら、月島は来なくなるのだろうか。
「は?コタツが無くなったらですか?」
今日はイチゴミルフィーユのアイスとかいうのをちまちまと食べながら、月島が気の抜けた声で言った。向かい側でティーバッグのほうじ茶を飲む俺の前で、いつも通り首までコタツに埋もれながら。
「ツッキー、だって九割コタツに入りに来てるだろ」
「えーそんなことないですよー」
「棒読み」
「コタツだけじゃなくてアイスもありますって」
「あっそぅ、そうね。アイスもね。それ俺のアイスな、一応な、言っとくけど」
あははは、と月島が笑った。相変わらず意地の悪い顔。
「コタツが無くなったら……それって何月くらいですかね」
大事そうに小さくすくった薄桃色のアイスをスプーンごと口に咥えてモゴモゴしたあと、月島が何事か思案するように目線を右上に漂わせて言った。
「コタツって、なんだかんだで片付けられねーんだよな。春って突然暑くなったり、かと思えばいきなり寒くなったりするだろ。だから多分、なんかだらだらと使い続けて、五月の連休に思い切って片付けるとかそんな感じじゃね?」
「あーなるほど」
ふんふんと頷いて、それから月島はプッとスプーンを吐き出してコツコツとまだ冷えて硬いアイスの表面を叩いた。
「五月は結構暑いですよね」
「まぁまぁ暑いね」
「アイスが捗りますね」
「アイスが捗るってナニよその言葉」
「クロオさんちに来ても、僕がやれること残りますよ」
「なんだよぉ。アイスさえあればいいのかよ」
大事なのはアイスを食べること?その他には?ただそれだけのために、月島はうちに来るんだ。
「ハハ、そんなわけ、ないじゃない、ですか」
眉尻をクッと下げて、この子にしては珍しい表情で、月島は笑って言った。
その先の言葉を期待して、じっと黙って待っていたのだけれど、月島の口からはそこから芳しい文言はついぞ漏れ聞こえることはなく、ただ硬いアイスをコツコツ叩く音とそれを削って細らせては赤い小さな唇の狭間に薄氷のような薄桃色を押し込むほとんど無音の仕種だけが、ひたすら繰り返された。
あぁ、これはまずいなぁ。不必要な沈黙が狭いワンルームをどんより埋め尽くす。やな空気。やな予感。
ややあってやっと小さなカップをカラにした月島が、上目遣いに俺を見て、そしてわずかにずり下がっていた眼鏡をクイと押し上げた。
「さっき、クロオさん。コタツ片付けるの五月かなって言いましたけど。それ、クロオさんらしくないですよね」
ドキリ、と胸の奥が凝固した。
間違えた。俺は質問を間違えたんだと、耳の奥でキンキン鳴り響く耳鳴りが数刻前の自分を打ちのめす。
--つきしま、おまえ、コタツがなくなってもまだうちにくるきなの?
「あれはそう意味じゃ」
「クロオさんの性格だったらきっと、五月まで片付けを先延ばしにしたりしませんよ。なんなら年度初めに仕切り直しみたいな気持ちで、まだ寒くたって片付けそう。デショ」
俺は情けなくも、アとかウとか言葉にならない呻き声みたいな返ししかできないまま、観念したようにゆっくりと頷いていた。
なんでわかってんだよ。そうだよ、ほんとの俺はいつまでもコタツ出しっぱなしなんてしない。寒くても春になったらさっさと片付けちまう。だって去年の四月にはコレは存在していなかったし、いなくてもフツーに生活できてたんだし、ただでさえ狭い部屋なんだから、重苦しい気候が過ぎれば部屋の中だって軽くしたいし。
そういうの、なんだよ、月島はもうわかっちゃってるのか。
月島はカップアイスの蓋を戻してその上にちょこりんとスプーンをのせ、居住まいを正して伸ばした背筋で、俺を正面から見た。
いやほんと、そういうのを望んでたわけじゃねーのよ。ほんと、俺のバカ、そうじゃないんだって。
「ここ数ヶ月、半年くらいかな?だいぶお世話になってしまって、申し訳ない……じゃなくて、ありがとうございました。そろそろあったかくなってきたし、終電逃しちゃっても歩いて帰ります。ていうか自転車でも買おうかなぁとか、バイト先変えようかなぁとか考えてるとこだったんで、はい」
「いやいや、いやいやいやそんな、あのさ」
「だいぶ甘やかしてもらってた自覚はあるんで。もうこれ以上迷惑はかけらんないし」
待って、まってくれよ、そんなこと思ってないって。頼むよ。
「月島」
「あ、そうだ鍵」
「月島」
「返しますね。ボクが持ってたらクロオさんお友達とか恋人……とか出来ても呼べないでしょ」
「そんな予定無ぇよ!」
「ハァ、予定するもんでも無いですが」
「そうじゃ、ないんだよ……」
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クロ月つづき
初公開日: 2020年05月16日
最終更新日: 2022年05月07日
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ゆにば行く宿伏になるはず
企画の遅刻参加したいと思っているけど間に合わなかったら普通に投稿予定。ゆにばに行ってひたすら食べまく…
あぼだ