夏の日照りも悉に潜み、寒気を孕んだ風が肌を撫でる秋冷の時分。陽の差す庭では鵙が囀り、紅葉が揺れざわめいている。散歩日和とも呼べる気象の最中、私は薄暗い自室の中で秋の盛りに彩られた庭を、籠に囚われた蝶の如く硝子越しに眺めているばかりである。
 ここいらで一番の豪商といえば皆口々に#name1#の名を出すだろう。家長は株式仲買人として手腕を振るい巨万の財を為した#name1#雪之丞。涼やかな顔つきからは想像もつかぬ熱意を胸に秘め、生まれ持った才覚と勇猛さで株式界に名を轟かせた。人柄は劉寛温恕、明朗闊達。財や才を鼻に掛けないその姿勢は男女問わず憧れと親しみの的であった。
 雪之丞の住まいには、彼の妻であるスミと彼女の間に生まれた一人娘であるこの私、#name2#が仲睦まじく暮らしていた。大勢の使用人に囲まれながら寓話の中に登場する姫の様に蝶よ花よと育てられ両親の愛を一心に受け育った私は、この幸せが永久に続いて当然であると思っていた。
 最愛の母が亡くなったのは、私が十の誕生日を迎えた二月後の事である。元々病弱であった母は季節風を拗らせ呆気なく息を引き取った。寝具に身を沈め瞼を閉じる母は深い眠りに落ちているかのように見えるのに、触れる素肌は冷たく寝物語を読み聞かせてくれた桜貝の唇は僅かとも動かない。十になれば死というものが何で有るか理解出来る。物言わぬ躯となった最愛の人が炉に入るのを、菩提寺の経を耳にしながら泪の枯れた瞳で呆然と眺めていた事は今でも良く覚えている。
 母が居ない生活というのは、如何にも侘びしく空虚である。父は変わらず私を愛してくれたが、其の忙しさで家にはあまり寄り付かず胸の空虚が埋まることは無かった。
 そんな私を案じてか父は新たな母を娶った。広間で初目見えた新たな母は男爵家の四女である。気品に溢れ絵画と見紛う美貌に慈愛に満ちた笑顔を湛える彼女はまるで天女のようで、母の愛に飢えていた私はすぐに心を開き膝に縋ったものだ。
「あゞ嫌だ。湿っぽくて埃っぽい。まるで鼠の巣ね。」
 大音をたて無遠慮に開け放たれた入り口から、侮蔑と嘲笑を隠しもせぬ吐き捨てるような継母の声がした。窓枠に切り取られた美しい庭に釘付けられた虚ろな視線はそのままに、麦藁で水を吸う如く小さく開いた口で形ばかりの挨拶をお返しすると継母は浅く息を吐き苛立った様子で雉のように甲高い声を張り上げる。柳眉を寄せ人形のように大きな瞳に怒気を燃やし鬼女の形相を浮かべているのだろう。毎度の事であるので振り向かずとも私には分かる。
「可愛げのないこと。縁談の話はとうに聞いていましょうね。」
「はい、御継母様。りつかより聞いております。」
「お受けするのでしょうね。」
 短く承諾の返事を返せば継母は鼻を鳴らし、入室と同じ様に激しく扉を扱い足を踏み鳴らして部屋を後にした。我が継母ながら嵐のような女である。
 彼女が変わったのは五年前、父が亡くなってからだ。思いやり深く淑やかであったのは仮染の上面だけであり、この激しい気性こそがこの女の本性である。男爵家の生まれとあれど所詮は四女。そして没落寸前に傾く家の再興の為#name1#家の資産を手にすべく父に取り寄ったのだ。父と継母の間に子はついぞ出来はしなかった。其れ故に財産を分かつ私は目の上の瘤が如く鬱陶しく早々に追い出してしまいたい存在なのだろう。
 縁談というのは、父の友人であるという男が持ち込んできたのだった。今の時制、顔も名前も素性も知らぬ殿方との結婚は珍しくはない。家名の為、継母の様に金の為、様々な事情で宝石のように取引されるのが女というもの。私は何れにも当て嵌まらないが、居場所のないこの家から飛び立てるのであれば建前など如何でも良い。
 飼い殺しにされた籠の蝶から庭先の自由な鵙と成れるという期待だけが私の胸を震わせ、沸き立たせている。
 
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えふご夢かくよ15
初公開日: 2020年05月15日
最終更新日: 2020年05月15日
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コメント
大正パロディ長編を書こうと思い立ったので煙草吸いながらのろのろと導入を書きます。