ひっそりと、藤の咲き乱れる山があった。地元の者たちに藤襲山と呼ばれるその山は、いつも薄くぼんやりと、藤色に輝いていた。
 あの御山に入ってはいけません、鬼に喰われてしまいます。あの御山には、藤の怨念があるのです。あの御山には、あの御山には。
 よく考えたら、あの山の藤が枯れることはなかった。狂い咲き、というのだろう。季節を問わずに、山の藤波は輝いていた。風が吹けば垂れさがった花が揺れ、雨が降れば花の先から雫が垂れ、霞を纏えばいっそう幻想的な趣になり、ときには蝶が舞い踊り、蛇が絡みつき、地に落ちた花は岩の上でも可憐に存在を示す。
――わたしは、その山が好きだった。
 三十分ほども歩けば、藤襲山に着く。弟妹の面倒を見る傍ら、仕事のすきまを見つけては山に行った。山の入り口にうず高くそびえる松の根元に寄りかかり、絡み合う藤と松を見上げるのが好きだ。わさりと揺れる藤の波間に見える模様は、わたしの心をざわりと騒がせた。
 此の藤の花は、どこか寂しそうだと思って首を傾げる。濃密な藤の芳香に酔ってしまったのかもしれない。ぼんやりとした意識のなかで、わたしは松に抱かれて眠った。
 藤襲山を登っている。登る気はないのだが、足が動いているのだから仕方がない。しゃらりと揺れた隙間に、人の指先を見た。その指に意識をとられて、足が止まる。藤のあいまから生え出でるそれは、しなやかな白魚のようだ。爪の先は仄かな桜色、きれいな女の五指が、手招きをする。するり、するりと招いている。その指が、不意にわたしの足元を指ししめした。
(あの御山には、藤の怨念があるのです)
 足元を見たときには、もう遅かった。踏みしめていた藤の亡骸から、ぞわりと蔦が生え昇ってくる。右の足首を二度巡って、ぎりぎりとわたしの身体を締め上げる。
 痛い、痛い。戻りたい。こんなところに来るんじゃなかった。たすけて、たすけて。
 心の底から、非現実に放り込まれたおそろしさが湧き上がる。どうしよう、死にたくない。藤にくびり殺されたと言って、誰が信じるだろう。そうだ、これは鬼だ。鬼の仕業だ。
「……あ、ッ!」
 藤に巻き上げられて、膝から崩れる【もっと何か別の表現】どさりと、若紫が渦巻く地の上に崩れて、わたしは必死に助けを求めた。手を伸ばした先、あの指先が迫ってくる。指先から、腕が見える。蝶の羽のような、ふしぎな模様の羽織の奥から白い腕が生えている。艶めかしい女の腕だ。うす青く、肌の奥に血のすじが見える。その指先が、わたしの指先にふれ――わたしは、藤の拘束からずるりと引き上げられた。案外力強いんだな、などとぼんやり考えて、私はその片腕を両手で包む。
「ありがとう」
 ふふ、と腕の主が笑んだ気がする。ずるりと藤棚の上空に放り上げられ、わたしは空を舞った。すごく高いところから見下ろす藤襲山は、まばゆいばかりに裾野が藤に覆われていて。やっぱりきれいだった。山を覆うような藤波がわさりと揺れて、隙間からのぞく藤の枝が、横たわる女の人のように見えた。すやすやと眠りながら、とこしえに誰かを待っている。
――いばら姫のようだ。めざめを待って、ただただ眠り続けるお姫様。黒髪を結い上げた蝶のかみかざり、ふわりと横たわった夜色の髪、静かに閉じられたひとみ。その身を包む、白地に揚羽蝶のような模様の羽織が優しく靡いた。
 その指先がぴくり、と震える。ざわりと藤が瞬いて、豪雨が藤を襲った。雨が溜まる。湖になる。水面のなかに、藤がうかぶ。わたしは、雨に打ち付けられて、そのまま水面に入り込んだ。息苦しくもなんともない。水中でくるりと身をひるがえすと、こぽり、こぽりと、藤の花から気泡が漏れていた。湖面に打ち付ける雨はなく、静かに波立っているさまがある。
 丁度、お姫様の指先のあたり。そのあたりにわたしは沈んでいた。ぼんやりと模られたそれが、かすかに動く。桜色の爪先は、青く、藤色に染まっている。
 ふと。湖面が凪いだ。ざあ、という音と共に(水中でも音は聞こえるんだな、と思った)湖面から一切が消える。そこにひとつ。男の指先が入ってきた。まるで自らが水の一部でもあるように、凪いだ湖面を動かすことなく、とぷりと水中に侵入した指が、眠り姫の指を、てのひらを絡めとる。その左手は優しく、干れた天に降り注ぐ雨のように、女の手を握りしめた。
 指が語る。そんなことはありえないのだけれど、細い指を数度撫でて、愛を語った。女の指がぴくりと動く。するすると指が絡まり合って、女が嬉しそうに笑った。
(ようやく、ですね)
 女の唇が動く。ふわりと開いたひとみが、きれいな紫水晶のいろだった。精霊。その言葉が思い浮かんで、思い出したように沸き立った水泡にまみれて、わたしの意識は浮上した。
 目を開けば、わたしは松の根元にいた。相変わらず、藤の房が揺れている。
(わたし、なんだか、とても)
 凄いものを見てしまった、気がする。藤襲山には藤の精が棲んでいる。それはどうやら、水の神様と恋仲のようで。雨が降るとその精は姿を見せるのだ。彼女はそうして、すこしだけ。逢瀬を楽しんで消えてゆく。
2086字(メモ) タイバニ一挙が終わったのでおわりまーす ありがとうございました
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タナ声をききながら
初公開日: 2020年05月09日
最終更新日: 2020年05月10日
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コメント
ものを形にする目的@kmt,ぎゆしの
さねぎゆをかいてみる、にょた
女体化、ちょっと考えながらなので遅いです
R-18
はすみ
あきるまで書く
kmt,gysn,らぶらぶさせたい(希望)、なんか流れでいろいろかく
はすみ
ワンライ#3
30でりだつしちった
きょむい〜ぬ