ことんことん。
人の少ない電車の中。
隣に座る大きな男は、首を捻り窓の外を見ている。
ことんことん。
(……かっこよ)
引き攣るようなケロイドの残る横顔に、ふ、と啓悟は目元を緩めた。
太宰府へ行くんだが。
突然、だった。そう、炎司が切り出したのは、一週間前の夜のことだ。
行きたい、でも、行こう、でもない、決定稿。はぁ、と間抜けな返事を返した。
彼の手元の猪口に酒を注ぎながら「そりゃまたなんで」と尋ねると、少しむず痒そうな顔をして
「夏雄の娘が」と言って、直ぐ口を噤んでしまった。
だが、啓悟にはそれで十分だった。
「ああ……そういえば、彼のとこの娘さん、中学受験するんですっけ」
はやいなぁ、もうそんな年かぁ、としみじみ呟いた。夏雄が大学を卒業し、就職して直ぐ結婚し――子供が生まれていたと聞いたのはいつだったか。その家庭に炎司が関わることはないが、円満に過ごしているらしい。
「それで、太宰府にお参りに?」
ふふっと笑い、今度は自分の猪口に手酌で酒を注ぐ。すりきれ一杯まで湛えた酒に唇を持っていきながら
「別に態々福岡まで行かんでも……湯島でも神田でも、なんなら亀戸でいいんじゃないですか」と言うと、反論がしにくかったのだろう。押し黙ったまま、少し乱暴に猪口を煽った。
照れ隠しだ。だが、その孫娘のお受験のために態々お守りでも手に入れにいこうとは、相変わらず手を抜かない男だと好ましくも思う。
「太宰府ね、いつ行くんです?」
「来週だ」
「折角行くなら、あれ食べてきてくださいよ。活きイカ。うまいんですよ」
その日、あがったイカが無ければ食べられない。透き通った身は甘く、歯ごたえがすごい。
こっちじゃあ食べれるとこが無いしなぁ、後造りでてんぷらとか塩焼きとかにしてもらうのもむっちゃ旨いんですけどねぇ。
「あー……久々に食いたくなっちゃうな。水炊きはごちそうしたことあったけど、イカはありませんでしたよね」
しくったな、あんなに旨いものをと肩を竦めると、まあでも博多へ行くなら店だけ紹介すればいいかと思い直す。
博多に居たのはもう十五年は前の話だが、いい店だったからきっと潰れてはいないはずだ。
「活気があって騒がしい店ですけどね。個室は静かで落ち着くんですよ。掘りごたつ形式なんで、脚も楽だし」
あそこの店主は元気だろうか。時折食事に行くと、色々サービスしてくれて、遠慮しようとすればかえって怒りだすような頑迷な親父だった。
(なんか、この人みたいだなって思ったことある)
思い出してまた、ふふ、と笑うと、スマホに手を伸ばした。店を検索してみようと思ったのだが、その意図を察した炎司の手が伸びてきた。
「探さんでいい」
「え、ああイカ、お嫌いでした?」
「いや。お前が予約を入れておけ。一緒に行くから」
「ん?」
「来週だからな。火曜にこちらを出て、二泊三日だ」
「は?」
「休みは受理されとるから心配するな」
「はぁああああああああああ??????」
とまあ、そんな経緯で、啓悟は今、太宰府行きの電車に揺られていた。
勝手に旅行の予定を決められて、仕事がある、と主張しても無駄。荷造りも飛行機や宿の手配も、全てが終了していたし、公安にも根回しがすっかり終わっていた。
(まあ……外堀埋めるのがうまいっつーか、用意周到っつーか)
オフシーズンの平日昼間。観光客も比較的少なく、気候もいい。
旅行なんて終ぞしたことのなかった啓悟は、なんだか落ち着かなくて仕方がない。
そもそも、博多の街を上空ではなく地上を移動する、なんてほとんどなかった。況してや電車なんて一度も乗ったことがなかった。
正直、案内しろ、と言われて、どの路線に乗るのか、どこから乗るのか、どれもこれもさっぱり分からなかったのだ。
「炎司さん、それうまい?」
炎司は今、参道の途中にあったくずアイスバーを堪能している。しゃりしゃりモチモチした食感がむちゃくちゃうまい。しかもイチゴ味。
「冷たくて美味いですねぇ」
「もちもちが良いな。葛の風味がとても生かされている」
「あまおうなんですってよ。あまおう……あっ、ちょっと待って」
とうの昔にアイスバーを食べつくしていた啓悟は、ぴたりととある店先で足を停めて
「梅が枝餅、一個くださ……炎司さんも食べます?」
「お前、さっきもそれ食っただろうが」
「美味かったんですもん。食べ比べですよ」
「そんなに変わるもんじゃないだろう」
「まあまあ……じゃあ一個でいいです。ください」
若い女性の店員に、ニコッと微笑みかけると、スマホを取り出し電子マネーで支払いをする。手のひら大の焼きたての餅が、紙にくるまれ手渡された。外はカリッと香ばしく焼かれていて、中のもちもちとあんこが堪らなく旨い。
「あっち」
ハムッと口にした途端、熱々のあんこが口の中に飛び込んできて、熱い熱いと大騒ぎする。それを呆れたように眺めていた炎司は、アイスバーの最後の一口を平らげた。啓悟も、餅をたったの三口でバクバクッと食べてしまうと、また、違う店に目を付けたようだ。
「あっ、ぬれおかきですって! あれ食べましょう、ぬれおかき。わーなんか色々味がある。迷うな?」
今度は店のメニューを炎司も覗き込み、ふむ、と首を傾げる。
「俺、梅七味にしよっかな。明太も捨てがたい……」
「なら、俺が明太にしよう。半分ずつ食えば、ちょうどいいだろう」
背後からそう声をかけると、驚いたように炎司を見上げ――嬉しそうに、「そっすね!」と答えた。
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初公開日: 2026年06月25日
最終更新日: 2026年06月25日
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