金曜の夜に待ち合わせをするのは、かなり久しぶりの事だった。
かたや売れっ子芸人でシフトなんてものはなく、休みはかなり不定期で、かたや教師で一応カレンダー通りという事になってはいるが、
繁忙期ともなれば帰る時間はかなり遅く、休日出勤だって有り得る。
隙間を縫うように会うことが多く、二人とも翌日が休みという状態で会えるのは一月ぶりの事だった。
「盧笙!待たせたか?」
「いや、今来たとこや。お疲れさん」
「盧笙こそ、最近忙しかったやろ。お疲れさん」
待ち合わせたのは都市部の大通りから、少し離れたところにある個室居酒屋の前だった。
静かな通りには人はあまりおらず、時折行きかう人々も、二人の事――主に簓の事を気に掛ける者はいない。
中に入り、予約している事を告げると、折り目正しく礼をした店員がこちらへ、と二人を先導する。
完全個室なので廊下の両端に並ぶ部屋の中の様子は窺えないが、騒ぐ客はあまりおらず、皆品よく飲んでいるようだった。単価が近隣の店より高めに設定されているからだろうか。
片方が芸能人ということもあり、こういう店を使ってばかりだ。
席に通されてすぐ、簓が盧笙の持っている紙袋を指さした。
「それ、何持ってんの」
「ああ、これや」
盧笙は袋の口を開け、中身を取り出して簓に見せた。
今日発売されたばかりの男性アイドルが表紙の女性誌。
表紙にでかでかと白膠木簓ロングインタビューと軽やかなフォントが踊っていた。
「え、それ買うてくれたん?言うてくれたらもろてきたるんに」
「・・・そういうのは、ズルやろ」
簓にとってはズルとは思えないけれど、盧笙がそういう風に思うのならその考えを尊重してやりたいから、そこはわざわざ追求しない。
「俺が出てるやつ、気にしてくれとるんやろ。ありがとうな」
「・・・別に、礼言われるような事ちゃう」
もごもごと、つっけんどんな言い方を盧笙はした。
「ここで照れるんは、俺の方やと思うで?」
「別に照れてへん!」
少し声高にきっぱりと言い切るのが、正しく照れている証拠なのだが、そこがまた愛おしいので
簓は上機嫌にうんうんと頷いた。
そこにおしぼりとお通しを持って店員が来たので、ついでにドリンクの注文を済ませる。
まずはビール。盧笙が酒に弱いので、水も一杯頼んでおいた。
すぐに届けられたグラスを、互いを労う言葉と共にカチンと鳴らし、一口飲んでテーブルに置き、
今度はタッチパネルのメニューで食べるものをいくつか適当に見繕っていく。
写真で美味そうだと思ったものを適当に選んで注文を済ませた直後、盧笙が雑誌を膝の上に置いて捲り始めた。
目当てのページを開いて、黙って目を動かす。
見開きに大きく自分の写真が載っている頁だ。
「って、本人目の前で読むんかいな」
「・・・せやかて、この後読む暇なくなるやろ、どうせ」
「え」
盧笙の言葉に簓は目を瞬き、それからにんまりと口元を緩ませた。
「なんや、その顔」
「…や、それってつまり、この後いいって事やんな?」
「え、あ…!」
盧笙の綺麗な顔が居酒屋の薄暗い照明の下でも分かるほど赤く染まった。
このあと読む暇がない、という言葉はつまり、この後行為に及ぶから。
一ヶ月ぶりに休みが合うのだから、そう考えるのは盧笙にとっては自然だったのだろう。
「…ッ、ち、ちゃう、つい、」
「センセったら、スケベやなぁ」
「ふ、ふざけんな…!」
余程恥ずかしかったのか、声が震えている。
つい調子に乗りそうになるが、これ以上の深追いは痛い目を見るので禁物だ。
度を越えて揶揄って臍を曲げられれば、盧笙はあっさり席を立ってしまうし、それで済めばまだマシで、最悪はしばらく連絡すらして貰えない可能性すらあるのだ。・・・悲しい事に経験済みである。
「すまん、嬉しゅうて調子乗ってもた。・・・この後、俺んちでええ?」
「……」
ひたと目を合わせ、意識して少し声のトーンを落として言うと、盧笙は目を伏せて、ええよ、と蚊の鳴くような声で答えた。そのタイミングを見計らったかのように、外から失礼しますと声がかかり、盧笙はぴっと上から釣られたように背筋を伸ばした。
まだ目元も頬も赤いままなのが、最高に可愛い。
ビールと、揚げ物に焼き物、少しの野菜。
空腹を満たしながら近況報告と雑談で、会話が落ち着いた段階で簓は腕時計を確認した。
もうすぐ21時になろうとしている。そろそろ頃合いだろうと二人ともが思い、軽く頷き合って会計の為に店員呼び出しのボタンを押した。
外に出て大通りの方へ出てみると、まだ随分と賑わっていた。
二軒目どうですか~なんて軽薄な口調で近づいてくるキャッチをかわし、二人それとなく早足で歩きだした。
途中のコンビニで、飲み物や小腹が空いた時のために菓子類と、サンドイッチ類、それからこっそりコンドームも紛れこませて、盧笙がレジに並び、簓は先に外に出た。
キャップとマスクで顔を隠してはいるが、今をときめく人気ピン芸人の白膠木簓が夜のコンビニで男と連れ立ってコンドームを買ったなんて知られたらスキャンダルになってしまう。
とは言え、そんな事で揺らぐ程度の存在では最早ないし、それすら笑いに変える自信が簓にはあるのだが、盧笙の気遣いを有り難く受ける事にしている。
簓が住んでいるのは、駅から少し離れたタワーマンションだ。
住み心地だとか使い勝手だとかそういうのはあまり気にせず、セキュリティーの面を重視してここにした。
間取りとしては1LDKだが、面積で言えば一般的なファミリー向け賃貸くらいはあるので、一人では少し持て余す程だ。
盧笙は何度来ても、広いなぁ、と少し物怖じしたように呟く。
「盧笙、毎回それやな。慣れる為にもっと来てもらわな。合い鍵渡そか?」
盧笙はゆるりと首を横に振った。
「…ええわ。お前がいる時にしかようきぃひん」
「えぇ~そうか?気が変わったらいつでも言うてな?」
「いや、それよりお前は俺んちの合い鍵を返せや」
ずい、と差し出された手をそのまま握ってやると、盧笙がぴたりと黙る。
「先シャワー浴びる?」
「・・・おん」
お互いがシャワーを終えるのを待つ時間というのは、何度目であっても何だか居た堪れない気持ちにさせられる。
それならばいっそ一緒にと思うけれど、簓は一度それを言いかけてすぐに撤回した。
曰く、「風呂場でそのまま押し倒す自信しかない」そうだ。
だから先にシャワーを浴びた盧笙は、簓が戻って来るまでリビングのソファに座って待つ事にした。
ここで先にベッドに行くのは何だか躊躇われるのだ。
身の置き所の無さに耐えかねて、居酒屋で結局最後まで目を通せなかった雑誌を開いた。
「お待たせ」
「・・・おん」
声を掛けられて、盧笙はすぐにテーブルに雑誌を置いた。
「何か飲むか?」
簓の言葉に首を横に振ると、すっと手を差し伸べられた。
「そしたら、行こか」
寝室のベッドに二人して座ると、盧笙があ、と声を上げた。
「・・・マットレス変えた?」
「分かる?ちょっと奮発したったで」
「ええなぁこれ。めっちゃいいやつちゃう?」
手で押してその感触を楽しむ盧笙の肩をそっと押すと、その身体はあっさりと押し倒された。
菫色の柔らかい髪の毛が真っ白なシーツによく映える。
「ろしょ、それよりもな、簓さんの簓チャンが限界やねん」
「いや早!ってか簓チャンなんて可愛いモンとちゃうやろ・・・」
すかさず開いた口を黙らせようと、ばくりと食らいついた。
言葉も呼吸も奪うような突然のキスを、盧笙は必死に受け止めた。
舌が入り込んできて、口の中を無遠慮に暴かれる。
上顎を舐め、歯列をなぞり、簓の唾液が流れ込んできた。
「・・・ッ、ん」
くぐもった声が漏れだした頃、ようやく唇が離れて行った。
互いの唇が唾液で濡れている。
「いきなり乱暴すぎや」
照れ隠しで思わず口をついて出た文句を、簓はにんまりと笑んでさらりと流した。
するりと骨ばった手がスウェットの中に入り込んで素肌をなぞる。
久し振りの感触に、自分でも驚くほど身体が跳ねた。
「ッ」
「感度抜群やね、嬉しいわぁ」
「うるっさい、やるならさっさとやらんかい!」
これから先、どんな風になるのか分かっていて、そして段々とそういう雰囲気になっていくのに耐えられず吐き捨てた台詞は、それでもこの場の空気をぶち壊すのにはまだ足りない。普段、口を開いていないと死んでしまうのかと思う程よく喋る目の前の男は、こういう時の雰囲気を作る事は抜群に上手かった。
現に盧笙の言葉を聞いても、簓はそれに乗っては来ず、ただまるで子供の癇癪のようになった盧笙をあやすように笑みを深めたのだった。
くたりと沈み込んだ身体が、心地よいマットレスに包まれる感覚に盧笙は幸せそうに眼を閉じた。
「・・・気持ちええ」
散々に喘いだあとの声は掠れ切っていて、それすら色気を感じる。
「せやろせやろ、盧笙喜ぶかな思てこれ選んでん」
「なんやそれ、俺の為かい」
寝具にはこだわるねん、と盧笙は昔から言っていた。
家に居る内で寝る時間が一番長いから、そこには一番お金を掛けるのだと、出せる範囲内の価格で、出来る限り良いものを選んでいた。
現に今でも盧笙の部屋の家具の中で一番高いのは寝室まわりのものだった。
机なんかは、それこそ一人用の大きさのものを適当に置いていたりするのにだ。
やれウレタンだのポケットコイルだのラテックスだのと、マットレスの種類を出されたって簓にはよく分からなかったけれど、そういう盧笙のこだわりだけはよく覚えている。
簓本人にとっては、そういうものかと思うくらいで、自身の寝具にはあまりこだわらないけれど、コンビを再結成して、恋人という間柄にもなりこうして盧笙が泊まっていく時に、彼にとって快適な環境を作りたいと考えた。
一緒に眠る時のマットレスがやたら固かったりとか、シーツの肌触りがあまり良くないとか、そういうのは嫌だと。要するにここは、盧笙にとっての居心地を追求した寝室という事になる。
「盧笙が来てくれるからこだわろうと思ったんや」
思ったままを言葉にしたら、いつもより力の抜けた顔で盧笙が笑った。
「盧笙、風呂どうする?」
「ん・・・明日借りるわ」
目蓋が重たげに閉じかけては、なんとか開こうとしているのが分かって、簓はシーツを引き寄せて盧笙に掛けてやり、その隣に潜り込んだ。
「ほんなら俺も明日にするわ。寝よか」
そう言うと、盧笙はすっと目蓋を閉ざした。一直線に眠りへと落ちて、あっという間に寝息が聞こえて来る。
穏やかな寝息を傍で聞く事の、何と幸せな事か。
美しい菫色の髪の毛をそっと梳いて整えてやり、おやすみ、と囁いて簓も目を閉じた。
肌触りを重視して選んだシーツの感触と、間近に感じる体温に心地の良い眠りが訪れる。
リビングのテーブルの上には、件の雑誌が開かれた状態で置かれていた。
Q13:家具へのこだわりはありますか?
A:何や、変な事聞くなぁ。せやね、ぶっちゃけ特にこだわりはないんですけど、
ある人の影響で、ベッド周りには金掛けてるんですよ。マットレスとか、シーツとか。
あ、これ家具とちゃうか。