完成まで
ワードパレット
『プリエール(祈り)』
指輪 横顔 気づく
相手:髭切(現パロ)
プロット
(設定)
・デート帰りに立ち寄ったカフェにて
・会社員の二人
・友人としての付き合いは長いが交際は2年
・映画を見てきた
あとは気分で
 日曜の昼下がり。都内は何処も彼処も人で溢れ、どこまで行っても喧騒が私達を追い掛けてくる。春の訪れを知らせる永い太陽は緩やかに肌を照らし道ゆく人の群れを見守っていた。
 小綺麗なカフェのテラス席に座る私達を包むのは麗かな陽気であるのに、私は涙を流すグラスコップに注がれたアイスティーのレモンを突きながら手元にばかり視線を向ける恋人を睨めつけている。
 彼の意識を奪う『ボルヘス怪奇譚集』を貸したのは紛れもない私であるし、他に貸す宛があるのでなるべく早く返して欲しいと言ったのも私であるが、何も今開く必要は無いだろう。今日は久しぶりに休暇が重なり約1ヶ月ぶりに顔を合わせたのだ。そんな日に見つめるのが彼女の顔では無くて一冊の本だなんてつまらない。
 私の責める様な視線を他所に、彼は一心に頁を繰り続けた。確かにその本は面白くて夢中になってしまうのも分かるけれど、私を放って置いて良い理由にはならない。
「ねえ。」
「ん?」
 彼は視線すら向けず、私の呼び掛けに気の抜けた短い返事を返したきり何も言わなかった。長い脚を組むとテーブルに膝がぶつかるからと椅子を少し斜めにして腰掛けているから、此方から見えるのは彼の横顔だけ。さらさらしていて少し癖のついた白花色の髪の毛を耳にかけ、溢れたおくれ毛の向こうに透ける枯れ色の瞳と長い睫毛。筋の通った高い鼻と小さく薄い淑やかな唇は、出会った頃と何一つ変わらない。
 私と彼が出会ったのは高校2年生の春。始業式の日だった。私は、クラス表が張り出されたボードに黒い頭の群れが集まって制汗剤とかシャンプーの香りが混ざる空間に近付きたくなくて、群衆から少し離れた後ろの方で人が減るのを待っていた。徐々に群れが散り散りになってゆき漸く我慢出来る程度になった頃、ポードの前からじっと動かず立ち尽くしている男子生徒の存在に気がついた。他の生徒は自身の名前とクラスを確認してすぐに昇降口へ向かって行くのに、彼だけは何分経っても動かない。何をしているのか不審に思ったそろそろ私もクラスを把握して教室に向かわなくてはいけない時間だったので彼の傍に並んでボードを仰ぎ見た。すぐに見つかった私の名前の脇には『2年B組』の記載があって、昇降口に行く前に一度、ずっとボードを見ている彼にちらりと視線を向けると彼は瞼を細めて丸い大きな瞳をきょろきょろ動かしていた。
「ねえ。」
「ん?」
「もしかして文字見えないの?」
 おずおずと漏らした私の声に、彼は瞳の動きをぴたりと止めてゆっくりと私に顔を向ける。色素の薄い髪が日差しに溶けて眩しい程にきらきらと光り、輝いていた。
「コンタクト、忘れてきちゃったんだよねえ。」
「へえ…。私が見てあげようか。名前は?」
「源髭切。」
 珍しい名前だと思ったが他人の名前をとやかく言うのは失礼だと弁えていたので、私は黙ってボードに向き直り『みなもと ひげきり』の文字列を探すべく視線を左右に振る。
「漢字は?」
「みなもとは源氏物語の源で、ひげは普通に髭。きりも普通に切る。」
 説明とも呼べない其れで理解した私は、小さい文字群の中から遂に彼の名を探し当てた。明朝体の『源髭切』という名は力強く、どうにも彼の事であるという印象を抱けない。彼は2年B組に組分けられていた。
「B組だって。私と一緒だね。」
「ありゃ、そうなの。」
「登校出来たんだからコンタクトが無くても教室まで行けるよね?私は先に行ってるから。」
 私の顔も見えているのか分からない彼にそう言い残して彼の後ろを擦り抜けて昇降口へ足を進めた瞬間に、私の右手首は何かに捕らえられ、身体は慣性の法則に従って彼の側に引き戻されてしまった。手首に巻きつく白くも大きな掌は春の陽気の様に温かい。湖面に似た潤んだ虹彩に私を写して離そうとしなかった。
「君、名前は何ていうの?」
「私?」
「僕の名前は教えただろう?僕にも教えてくれなきゃ不公平だよ。」
 『貴方が困っていたから手助けするために名を聞いただけなんですが』とは言えなかった。逆光を浴びた彼の顔が眼前に迫り、拒絶出来る空気ではなかったからだ。その顔があまりに美麗で思わず顔を背けてから、小さく漏らすように名を呟いた。そうすれば彼はあっさりと手を離し、呆然とする私を置いてさっさと昇降口に向かって歩き始めていた。
 彼は出会った時からマイペースで自分勝手な男だったのだ。偶然同じ大学に進学して、いつの間にか恋人という関係に発展して今に至るまで、私は彼に振り回されてばかりいいる。
「本、面白い?」
「ん。」
「私と話すより面白い?」
「ん。」
「…へえ。」
 会話とも呼べない短い応答は、私を落胆させ溜息を吐かせるには充分であった。こんなに虚しい思いをするくらいなら映画館で解散しておけば良かったと後悔してしまうくらいにはうんざりしている。私と共に彼が本から意識を寄越すのを待っているコーヒーだって湯気を出し切って冷めてしまっているし、私一人では食べきれないからと二人で食べる為に注文したオレンジのパウンドケーキもする事が無くて口寂しい私が結局一人で食べてしまった。手持ち無沙汰にストローを掻き回してもグラスに残った溶けた氷が軽い音を立てるだけで、この行為は何の生産性も持たない。
 ぶすくれて机に頬杖をつきテラスに設えられた柵の向こうを行き交う人達に視線を向ければ、中には家族連れや恋人達がちらほら見受けられる。皆表情には幸福と愉快さを湛え、自分が主人公であるかのように人混みを裂き闊歩している。
「ふふ。」
 不意に鼓膜を揺らしたのは、吐息の混ざった彼の笑い声であった。その本は確かに面白い。クスっと笑える皮肉まじりの話もあった。恋人を放って読むに本がそんなに面白いかと、幸せそうな人々を見て機嫌を悪くした私の眉間に寄る皺は濃くなる一方だ。
「君の不機嫌そうな顔って、子供みたいで可愛いよね。」
「…は?」
 明らかな私への呼び掛けに、眉間の皺はそのままに声の方向へ顔を向ければ本を閉じてテーブルの端に置きコーヒーに口をつけながら彼が笑みを見せて此方を向いていた。早く私に意識を向けて欲しいと思っていたくせに、いざそうなれば今更なんだという気持ちにもなる。きっとこういうのを天邪鬼と言うのだろう。其れに加えて子供みたいだなんて小馬鹿にされれば怒りが収まる筈もなく、可愛いと言った表情そのままに彼を睨める。
「その顔だよ。可愛い。」
「本読んで私を不機嫌にして気は済んだ?」
「概ね満足したよ。」
「…分かってる?私怒ってんのよ。」
「分かってるよ。久しぶりに会えたのに本ばっかり読んで構ってくれない僕に怒ってるんでしょ?」
「馬鹿にしてんの?」
「まさか。」
 へらへらと軽薄な笑みを浮かべて慈しむような眼差しを私に向ける彼は、私がこれまで溜め込んできた不満が今、この瞬間に溢れ出ていると言う事をきっと分かっていない。いつもの様に小さな事で機嫌を直して許してやる私が、心の底から呆れて怒っているなんて考えもしないのだろう。今日という今日は絶対に許してやるものか。何を言われても何をされても、真に反省するまで口を聞いてやらない。メッセージも(元々そんなにやりとりはしないけれど)返さないしもうすぐ来る記念日も無視してやる。
「ありゃ、ケーキ食べちゃったの?」
「…。」
「また可愛い顔してる。そんな可愛い子にはこれをあげるよ。」
 ふいと顔を背けていた私の視界の端に、彼の手から何やら白くて丸い何かがテーブルに置かれるのが見えた。すぐに直視するのは釈だったのでゆっくりと時間を掛けて白い其れを横目で見遣れば、柔らかなシルク質のクッションの真ん中に鎮座する銀色があり、わずか数センチの物体に私の視線は釘付けになってしまった。
「あはは。固まってる。」
「これ、なに…?」
「指輪だけど。」
「そうじゃなくて、なんの指輪?」
 欠けた月の形に歪む枯色に問う。質問の意図は分かっている癖に私を試すように明確な回答をしないでいる彼に「なんで指輪…?」と繰り返せば、柔い頬に折り曲げた指の背をくっつけて頬杖を付き薄い桜色の唇から短く吐息を漏らし、漸く焦がれていた言葉を吐いた。
「結婚、する?」
 映画やドラマなどの創作物で見るプロポーズは、する側が酷く緊張していてシチュエーションに拘り、この上無くロマンチックなイベントであると考えていた私にとって、彼の『結婚する?』と言う言葉はただの質問でしか無く日常の延長線に座した世間話のように耳にすうっと入ってきた。
 ただ瞠目して一言も発せない私を他所に、彼は冷め切ったコーヒーを飲み下して細く節くれた指でクッションの隙間にぴったり収まった指輪を摘み上げてその全容を見せつける。上品な小粒のダイヤをひとつだけ乗せた細身に日光を反射させた幸福の象徴は、私の指が持ち上がるのを待っているのだ。
「結婚とか、考えてたの。」
「うん。」
「いつも適当で自分勝手で、私の事振り回して、放って置いたり、私の気持ちわかってる癖に。」
「うん。」
「それでいざ本気で怒っても、気にする訳でも機嫌とる訳でも無くて、私だけ腹立ててる事に自己嫌悪して…それで結婚なんて考えてたの。」
「うん。」
「なんで私と結婚したいの。なんで私なんかと結婚したいの。短気で単純で、短絡的で気分屋で、それこそ子供っぽい私と。結婚したってきっと私は変わらない。いいお嫁さんになんてなれないよ。それでも私と結婚したいっていうの…?」
 私の澱んだ独白を、彼はまた短い返事を以て相槌を打つ。短所を否定する事はせず、ただ『私と結婚したいのか』という問いにのみ回答をした。其の眼差しは今日の日和よりも温もりを持ち、母のような慈しみを孕んでいる。
「なんでと言われても、君の事が好きだからとしか答えられないよ。」
「じゃあなんで私の事好きなのよ。」
「君が優しい人だから。クラス発表の時、困っている僕に気が付いて声を掛けてくれたのは君だけだった。大学で迷った時も、連絡したらすぐに来て呆れた顔しながら教室まで連れて行ってくれた。小説や映画の登場人物に感情移入してぽろぽろ泣くのも、買い物袋をぶちまけたお婆さんを手伝ってあげてたのも全部君が優しいから出来た事だよ。だから僕は優しい君に優しくしてあげたいと思った。」
「私は優しくなんかない。クラスを見てあげたのも大学の時も気紛れ。映画を見て泣くのは可哀想だからじゃないし目の前で慌ててる人を放って置いたら私の目覚めが悪いから自分の為にしただけ。それに、貴方が私に優しくしてくれた事なんて数えるくらいしか無いじゃない。」
「そういう素直じゃない所も好きだよ。」
 好意を抱く理由を並べ立て指輪を摘んだままでいる彼に、私はもう何も言えなかった。その代わりに指の間で踊る銀色を引ったくって立ち上がり、目を剥いた彼を見下ろした。
「私の決心がつかないから結婚はまだしない。決心がついたらこの指輪をはめて貴方に会いに行くから。それでどう。」
 此れは振り回されてばかりいる事への意趣返しだ。会うたびに私の薬指に自分が贈った指輪が輝いているか、毎回気にかけるが良い。いつ私の気持ちが固まるか毎晩気を揉んで眠れなくなるが良い。眼下の彼はそんな私の思惑を他所に、一驚の表情を潜め声を上げて笑い出した。存外大きな笑い声に、テラスの柵のを隔てて歩む人達が足を止める事なく視線だけを向けている。そして一頻り笑った後で、目尻に浮いた涙を拭ってからリングケースを手に取って私に差し出した。指輪を握っていない方の手を伸ばせば、不意に彼の掌が私の手首を引き寄せて枯色が近付いてくる。白花色の髪が揺れてたっぷりの睫毛が上下している。柔らかい感触が唇に伝わり、彼の匂いが鼻腔を擽り、離れていくにつれ徐々に彼の顔に焦点が合っていく。全てが一瞬の事であるのに私の瞳には彼の一挙一動がゆっくりと見えていた。
 彼はリングケースを私の掌に置いてからカップの底に僅かに揺らいでいたコーヒーを煽り荷物と伝票を持って立ち上がって、リングケースと指輪を握りしめて突っ立ったままぼうっとしている私の手を引きレジへ歩き出した。
 
「オレンジケーキ、美味しかった?」
「…うん。」
「また来ようね。僕も食べたかったんだから。」
「…うん。」
「指輪しまったら?」
「うん…。」
 会計をしながら振られた話題に対し上の空のまま相槌を打つ私を見て彼は呆れる様子もなく微笑を向ける。恋人同士なのだからキスしたっておかしくない。今更恥ずかしがっている訳でもない。けれども、先程の半ば強引な口付けに強熱している。『ありがとうございました』という店員の声を背に受け、未だ腕を引かれながら出口のガラス戸の前に辿り着いた時、彼は一度だけ足を止め、髪の毛に隠れた私の耳に唇を近づけた。
「早く僕のお嫁さんになってね。」
 そして返事を待つでも無くガラス戸を押し開けた彼に引き寄せられるがまま『カフェ プリエール』から出ると、先程まで眺め見ていた喧騒の中へ私たち二人も溶けていった。
※おわり
※半分も書けなかった
また明日書きます
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turb夢かくよ1
初公開日: 2020年04月30日
最終更新日: 2020年05月01日
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