やり直し
「人を殺す夢を見た」
出席率の低くなる一限目、凶悪な面をこちらに向けて彼は低血圧特有の低い声でそう言った。眠気と陽気に包まれた室内にはあまりにも似つかわしくないその言葉に僕は呆けた面を晒しておはよう、と噛み合わない答えを返す。こちらの返事に応えることなく彼は隣の席に座り、リュックサックから教材を取り出した。すでに前に立つ教授が、講義の始まりを告げる。説明を求める視線を送っても彼は我関せずと眠たげな視線を前のスクリーンに向けるだけだった。
「なんだったの、あれ」
「そのまんまの意味だけど」
「朝の挨拶にしてはひどくない?」
「面白くなかったか?」
一限目の講義が終わり、次の教室へと移動する最中、数十分前の言葉の真意を問いただす。あれのせいでいつもの三分の一しか説明が入ってこなかった。自分には聞く権利があるはずだ。問い詰める自分の言葉をまだ寝ぼけ眼な彼はのらりくらりと交わして、くあ、と大きな口をあけた。
「また寝不足?」
「そう」
「何時までやってたの?」
「覚えてない」
気付いたら寝てた、と肩を竦める彼を見るのは初めてじゃあない。彼は月に数回、多ければ週に数回、夜遅くもしくは明け方まで文字を叩くことに夢中になることがある。彼曰く、筆が乗った、と。自分には到底理解し得ないが、彼のような創作者は寝食を忘れて何か一つのものに没頭することが多いのだろう。別に彼はそのせいで勉学に影響を及ぼしたことなどないので(寧ろ自分の方が彼に助けられている)好きにしたっていいのだろうが、それによって心身に影響を及ぼす人間をスクリーン上、または歴史上で何人も見たこと聞いたことがあるこちらとしては少々心配になる。言ったところで聞かないことは知っている。
だがそんな彼の今日の夢見は最悪だったらしい。
「どんな夢だったの?」
「人を殺す夢」
「誰を殺したの」
「…知らない人」
彼の返答に頭をひねる。いつもは状況情景を事細かに話してくれる彼にしては質問に対する答えが少なすぎる。もし彼が話したくないのなら、朝の挨拶でそのことに触れるわけがない。言いたいけれど言いにくい。人を殺すところまでは言えてその対象が知らない人だとしたら、他に言えないこととはなんだろうか。
「どんな風に殺したの」
「首を…こう」
彼は両手で輪を作る。別に変な殺し方じゃない、殺し方としてはアナログよりだ。それが生々しかったのを引きずってる?こんな欲望があったのかと悩んでいる?先週の自分であったならその可能性も考えただろうが、先日、夢の中で不名誉な死を遂げて落ち込む自分に対して次やるときは俺も呼べよ、とそれはそれは映画の主人公顔負けの台詞を吐いてくれたのにもかかわらずそんなことがありえるだろうか。というか、そんなことを言った自分にこの話をするか?しないだろうなあ、彼は考えてしまう人だから。じゃあ彼のその言いづらさというのはどこから来るものだろうか。
「何が君の凶悪ヅラを作ってるわけ?」
単語が少し気に障ったのか、眉間にしわを寄せてこちらを見る。おお怖、と笑って見せれば眉間のしわはとけ、ため息が吐き出された。
「知らないやつだけど知らないやつじゃなかったんだよ」
なにそれ、謎なぞ?謎の答えを聞いたのにさらに謎をかけられるとはこれいかに。僕は推理小説を推理せずに読んでいく派なんだけど。答えのページまで飛ばそうと身を乗り出すも始まるぞ、の一言で制される。慌ててノートを取り出していると彼の控えめな笑い声が聞こえてきた。教える気がないのか、自分の慌てる様を楽しんでいるのか。きっと後者だ、と諦めて前を向いたが、結局いつもの半分も集中できずに講義は終わった。
昼になるも自分はとっとと大学の購買へと走り、彼は学食の列に並ぶ。自分は決まってメロンパン、たまにたまごサンドやおむすびに浮気をしつつやっぱりメロンパンの頻度が一番多い。家の近くのパン屋のメロンパンが世界で一番美味しいと思っているが、美味しさと値段は比例するため金欠学生は108円で妥協する。彼はもっぱら日替わり定食を頼み、ご飯大盛りの小鉢を一つ加えるという健康的な男子学生の食事をしている。前にパンを頬張る自分にそれで足りるのかと聞いてきたことがあるが、不思議なことに足りるんだからしょうがない。削れるところは削り、贅沢に使いたい派なのだ、自分は。
今日はメロンパンの気分であったが、気まぐれなセールのおかげで肉まんを追加した。なんともよくわからない組み合わせではあるが、グローバルなのはいいことだ。
彼の今日の定食は油淋鶏で豆腐サラダが一つ追加されている。一切れくださいなどという戯言は一蹴されたため謎解きの答えに話を変えた。
 
「知っている人なのに知らない人って?」
彼は質問に答えず油淋鶏を一切れタルタルソースをつけて食べる。人が食べていると食べたくなるのは世界の法則だ。答えが出るまでお利口に眺めていれば、彼はいつもよりもよく口を動かして入念に鶏肉を咀嚼して、そしてようやく飲み込んだ。答えを言うまでの溜めとしては十分すぎる。
「存在は知ってる、でも会ったことはない」
「はあ、それはまあ」
なんとも奇妙だねと、かの有名なハンチング帽にパイプを咥える名探偵につきそう助手のように、大袈裟な身振りで肩を竦めた。会ったことのない人を殺める、そんなことがあり得るか?いや、そういえばこれは夢の話だった。やはり明瞭な答えをくれない彼に愛想が尽きてきて買ってきた袋の封を破り、ここ特有のしっとりとしたメロンパンにかぶりつく。いつも通りの味。安心と信頼の味。
「そんな人をやっちゃってそんなに機嫌が悪いんだ?」
「機嫌が悪いわけじゃない、気分が悪いだけだ」
ふうん、と一つ相槌を打って一緒に買ってきたお茶を一口飲む。メロンパン最大の欠点は飲料と共に食べないと口の中が砂漠になることだ。
「誰なの?」
「…」
「君を絶望させた彼?」
下手な鉄砲、というわけではないけれどもしかしてと思って口にした人物は当たっていたらしい。一瞬目が見開いて、すぐ元に戻った。彼を絶望させる某、彼と同じものを書く人、彼曰く文章がうまくてそれは彼の書けないものなんだとか。それが一週間か二週間前に彼から聞いた全てでその人の書く文章も僕は何も知らない。多分彼も、某の文章以外は自分と同じ情報量なんじゃないだろうか。そんな人を殺した、夢の中で。
「そう、カッとなってやった」
「よくあるやつじゃん」
ドラマでも現実でもよく聞く動機を口にする彼に少し吹き出す。食べてる途中で笑かさないでほしい。
「昨日はいつも通りの夜だった」
そう語り始める彼をメロンパン片手に見つめながらこれを聞くのに自分は適任じゃないんじゃないかと手の中のパンを齧る。こういうのを聞くのは探偵役として優秀な彼で、自分はもっぱら後ろでペンを走らせる役だ。残念ながら今は探偵が犯人で助手が探偵をするほどこの舞台には人手が足りない。たった二人の舞台なら一人二役にも目をつぶろう。探偵はこういうときにメロンパンを片手に持っているだろうか。まあそういう演出だとしよう、後付けの設定は嫌いだけれど。一口茶を飲み、彼の昨晩の犯行を聞くことした。
昨日はいつも通りの夜だった。
液晶の前でうんうん唸って、時折思いついたようにキーボード叩いて、かと思ったら全部消して、その繰り返し。そうやって試行錯誤してくと、たまにするするするする言葉が出てきて手が追いつかなくなる時がある。一番大変だけど一番好きな時間で、昨日もそんなことをしてた。ぶつくさ言いながらも好きなんだよ、ものを書くのは。それで確か、十二時過ぎぐらいにひと段落ついて凝り固まった体をほぐしてそろそろ寝るか、なんて思ってスマホを見たらさ。あの人が作品あげた通知が来てた。お前にも前話した、すごく素敵な文章を書く人。俺と同じ趣味でやってるらしいけど、すごくすごく心が動かされる文章を書ける人。その人があげた作品のキャプションにさ、上手く表現できないもっと文章上手くなりたいみたいなこと書いてあって笑っちゃったんだよね。その人は今なんて全然見てなくてもっと先、もっとずっと遠くを見てるんだなって思って。今というものを踏みしめて頭ん中と表現をすり合わせて、表現できることに満足してる自分とは違うなって思った。経験談として言うけど、夜中に考え事はよくない。寄せばいいのに、その人の作品を開いた。いや、普通にその人の作品好きだからすぐに読みたいって気持ちもあったんだけど、その人が表現できないと言っていた文章はどんなものなのかなって気になって、リンクを開いた。
で、気づいたらさ、知らない人の部屋にいてさ。その人は液晶の前で座ってた。直感であ、この人って思ったんだよね、あの小説書いてる人だって。そしたらさあ、まず最初に思ったことなんだと思う?驚きとかなんでとかそういうのはまあ置いといて憧れてる人に会ったんだから喜びとか感激みたいな感情が湧いてもいいよな?まあ違ったんだけどさ。最初に浮かんだのがこの野郎って気持ちでさ。憎悪だった、もはや。嫉妬の方が近いかな。この野郎って思って近寄ったらその人がこっち向いてさ、こんにちは、ってこっちは酷い悪人ヅラしてるだろうに平然と笑って言ってきて、顔も声も知らないのに、おかしいよな。でもあの人は笑って挨拶したんだ。それにもう腹が立って腹が立って。目に見える余裕が、俺なんか眼中にない様が、あの人と俺の差を見せつけられているようで。気づいたら首を握ってた。お前がいなくなればって思った。いなくなれば……いなくなれば……。まるで俺から染み出してるみたいに腕がだんだん黒く染まってきてさ。染まれば染まるほど手の力が強くなるようで。あの人がどんな顔してたかは覚えてない。でも抵抗はしてこなかった。それでその人の首がだらんと横に倒れたとき、やっと俺は手を離した。ずっと息を止めていたのか俺の呼吸は荒れていて、腕が痺れて力が入らなくなってた。
ぴくりとも動かなくなったその人を見て死んだんだな、と思った。でさ、どうしたと思う?証拠隠滅に車を走らせる?山奥でスコップ担いで死体を埋める?それとも健全に警察に電話する?俺もそのどれかだったらと思うよ。殺したって夢は夢さ、自分の性格の悪さなんて百も承知だ。それがどんなに鮮明だって現実相手に勝ち目はないんだから。でも夢の中の俺はさ、涙なんて流しやがって。ああもうこの人の小説は読めないんだって、後悔し始めて。ああごめんなさいなんて、神様どうかなんて祈り始めて。そこで目が覚めて、自分に吐き気がして仕方なかった。なんなんだろうな、拗らせてんのかな色々。でもあまりにもしょうもなくてさ。カッとなってやって後悔して神に祈り出すなんてそんな無様なことあるか。映画でも見ないだろ最近は。それでも俺はそれをやって、朝起きてその人の小説にいいねを送ってここに来たわけだ。笑い話にするには吐き気がするししまっておくには無様すぎる。結局その人の小説に打ちのめされて、それまで書いてた小説があまりにもみすぼらしく見えて、寝落ちたその先でその人を殺すくらいに酷い感情抱えて、それで惨めに泣くだなんて。駄作も駄作。こんな話吐き出すだけで精一杯だ。感想も慰めもいらない、一欠片も。
彼は最後にそう言い切って、随分と長い間手の止まっていた食事を再開した。もう何も言わないという断固とした意思を前に僕は最後の一欠片を飲み込んだ。彼の話を聞きながら手持ち無沙汰に減っていった今日の昼ごはんの味は覚えてない。聞き入っていたからだ、彼の話に。
ぼんやりと彼の話を反芻し彼の最後の言葉まで咀嚼してそして自分が何をすべきかを考える。何もすべきことはない、彼の話は終わったから。じゃあ何が言いたいかを考える。何も言えない、彼は慰めも感想も欲しくないと言った。じゃあ慰めでも感想でもない言いたいことは?
「き…みはそれを表現しないの」
彼がこちらを見る。驚いた顔。
「君のそれは形にならないの」
「どういう意味」
「君のここまで語ってきた物語はどこで読めるんですか」
「なにそれ」
「ねえ、今の物語で筆は乗らない?」
「意味わからん」
「だって」
面白かったから。ぐ、と口から出そうになった言葉を飲み込む。彼は感想を求めてない。彼は何にも求めてない。求めているのは僕だ。
「だってそんな経験普通ないから」
「そりゃそうだ」
「だから!」
定食である彼と違い目の前に障害物のない自分は、限界まで身を乗り出す。
「だからそれを表現することには価値があると思う」
「…慰め?」
「君がいらないと言ったものを渡すほど馬鹿じゃない」
彼は身を引き、肩を竦める。訳がわかってないんだろう。言ってる意味がわかっても訳がわからない、そういうことはままある。
「君が日頃書く物語は君の頭の中の世界でしょ、ならさあ夢のこと書いたっていいんじゃないの」
「残しておいてよ、それをさあ、ちゃんと書き残しておいてよ」
「慰めでもなんでもなくてさ、君の物語を聞いた第一人者として」
だって、と心の中で叫ぶ。面白かったから!彼は部屋から一歩も出ず、物語を完結させた。日常から始まって夢へ転じて最後に現実へ。彼は夢から日常へと戻らずに現実へと帰った。もし彼が人を殺して汗びっしょりになって起きるだけなら、なんてことない悪い夢だ。でも彼は泣いて悔やんで神に祈った。こんな現実、残さないなんてもったいない!
「ともかくさ、書くべきだよ」
熱烈な提案にも彼は怪訝な顔のまま腕を組んだ。鐘がなり、昼食の終わりの十分前を告げる。僕は三限目があるから行かなきゃいけない。冷めてしまった肉まんは教室で食べることにしよう。
ゴミを一纏めにし、肉まんを手に持ち、荷物を担いだ。
「きっと面白いからさ、もし書けたら」
捨て台詞の途中で言葉に詰まる。慌ててじゃあまたあとで、と告げて歩き出した。
読ませてよ、とは言えない。そう言えば多分彼は読ませてくれるだろう。自分としては読んでほしいと言われたい。でもそしたらなんだかこの関係が変わってしまう気がする。彼の小説を知らないから彼はあの話をしてくれたのだと思えてならない。その機会を失うのはだいぶもったいない。
「君はいい相談相手程度に思ってるかもしれないけれど、」
まあ、いいかと歩みを進める。自分は少なくとも何もしてない。あれで彼が書いてくれるのなら御の字であるし、書いてくれなくても何も変わらない。いつか殺せるといいね、と思う。彼の持つ嫉妬心、拗らせの根源。でもいつか殺せたら彼は何も書かなくなるような気がする。それが幸せかはわからない。
「まあ、なるようになるさ」
なんてったって、僕の親愛なる友人だから。
はい、ありがとうございました。毎回最後が迷子になりますね。読んでくださる方ありがとうございます、おやすみなさい。
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創作
俺僕シリーズ
初公開日: 2020年04月30日
最終更新日: 2020年05月04日
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