穏やかな午後の日差しが真新しいテーブルの上に降り注ぐ。毛足のさっぱりした絨毯の上に、一人暮らしにしては大きすぎるソファ。部屋の狭さに比べると少し歪なくらいの大きさのそれに、みかの師は膝を組んでゆったりと腰かけていた。湯を用意して台所にいるみかは、ソファ同様一人暮らしにしては少し大きい食器棚から、自分と彼のティーカップを取り出してそこにポットで蒸らした紅茶を淹れる。お土産だよ、と手渡されたそれは外見からして高級そうな代物で、注ぐとジャスミンの安らかな香りが部屋いっぱいに広がった。これで師の望むの通りに淹れられただろうか、などとおっかなびっくりな手つきで二人分のカップを持ってテーブルへと戻ると、宗は何やら懐かし気に目を細めて、手元に視線を落としていた。
「お師さん」
ほい、お待たせ、とカップをテーブルの上に置く。宗は、ああ、ありがとうとそれを受け取って、再び手元へと視線を戻した。
「何見てはるん?」
「いや、何、少し思い出に浸っていただけだよ」
彼が広げていたのは、薄い冊子のようだった。Valkyrieのイメージカラーであるワインレッドの表紙、そこにやや特徴のあるフォントで"PHOTO BOOKLET"という記載がある。
「ああ、これ。いつか発売したアルバムのおまけやね」
「……覚えていたのかね」
「そりゃあもう、お師さんと俺との大事な思い出の断片やもん」
Valkyrieが夢ノ咲で奇跡の復活を遂げた後、プロデューサーに促されて夢ノ咲の主要なアイドルユニットでこれまでのCDアルバムをつくろう、という動きがあった。その際、購入者に特典としてアイドル達の知られざる日常の一面を切り取ったフォトブックレットが付けよう、ということになり、宗が持っていたのはその特典の完成版としてユニットメンバーに配られたものである。元々、この写真集に載せる写真はほぼオフレコのもので構成されているのだが、中にはその場に居合わせたプロデューサーが撮影したものや、ライブの観客などが撮っていたものも混ざっていたりする。みかは宗の隣に腰かけ、ぱらぱらとページをめくる彼に合わせて久々にその中身を見た。
「んん、ここに載っとる写真、お師さんのはほぼおれが撮った奴やんなあ。二人で写っとるのとか、おれだけのとかは、プロデューサーが撮ってくれたりしたもんだったり。あとさすがにライブの奴とかは、多分現地で撮影してくれてた人がおったんやろうね」
どのお師さんもかっこええわ、と改めて写真を見ながらみかは口にする。一年前、宗が零と糸電話をする写真から始まるそれは、みかのバイト姿、マドモアゼルと宗、Switchと合同開催のイースターナイト、流星祭、『名前のない人形展』、体育祭、と続いて、七夕祭、ハロウィンまでの二人の姿が記録されている。そのどれもが、宗とみかが夢ノ咲でValkyrieとして活動していた頃の懐かしい記録だ。
「これ、思うのだけれど……」
「んあ?」
「ショコラフェスと返礼祭がないのは、編集の都合なのだろうね。冬頃にかけてはプロデューサーも僕らも忙しかったし、ファンへの配布時期なども考えれば妥当な選択なのだろうけれど」
そういわれてみれば確かにそうだ。手元にある写真は秋のハロウィンまでで、その先は空白となっている。だが二人は、その時期の写真を持っていないわけではない。それこそ、ハロウィンの後の時期は宗が途端に優しくなり始めてみかが戸惑っていた頃で、その時の写真を見れば、みかはその自分の表情がややぎこちないことを鮮明に思い出せる。優しくなっていく宗に反比例するように不安が募っていったことを隠せていない、と感じるのだ。
「んあ、でもあの時期のは見ると辛くなってまうし、ないのが正解とちゃう?」
もちろんお師さんのは全部欲しかったし、お師さんの舞台は完璧なんやけどね、と大げさなくらいに補足すると、宗に苦笑されてしまった。
「そんなわけはないのだよ。僕としては、この一冊を夢ノ咲時代のValkyrieとして完璧な状態で提供したかったのだが、時間がそれを許さなかった、というのが少し名残惜しい、というわけだ」
何より、と宗は言い置いて、手元のカップの紅茶を一口啜る。
「今の僕から言わせれば、成長した君の姿をここに収めたかった。……だがまあ、それはそれだ。ファンに見せないアイドルの姿があるのも、悪くはない」
それこそ、この余白のように、と宗の指が冊子の真っ赤な部分をなぞった。何もない部分に何かを見出すように、宗はそこで瞳を閉じてふと笑みをこぼす。
「我ながら、ないものを見たいなどと感慨に耽るなんて、愚かだとは思うのだけれどね」
その笑顔を見ていると、みかの胸の奥は締め付けられるような甘酸っぱい気分が満ちる。これは暗に褒められていると取るべきなのか、それとも、海外に渡ってから改めて感じた、二人の距離の感傷と取るべきなのか。いずれにしても、この部屋に満ちるまったりとした空気の正体を、みかは何となく知っているような気がした。いそいそとソファの隣に座った宗に身を寄せ、距離を詰める。
「……こういうの、幸せっていうんやろか」
「何だね? やけに近づいてきて」
「……ううん、いやなんかすっごく、お腹の中がこそばいねえって」
「君、また妙なものを食べたわけじゃないだろうね」
「ちゃう。んん、でも何だろう……昔を振り返るのって、よかったなあって思ったり、切ないなあって思ったりしてしまうんよ」
ごまかすようにカップの中身を一気に呷ると、穏やかな落ち着いたジャスミンの香りに、胸の奥が満たされた。明るい室内に満ちるこのなんでもない空気が、今後の二人の余白をいつまでも、長く埋めてくれることを願いながら、みかは宗の肩に凭れかかる。
「これからもずーっと一緒におってよ。このページが埋まるよりも、もっと長く、一緒にいてほしいんよ」
「もちろんだとも」
預けた頭の上に感じた体温に、ふわふわと安らかな心地が満ちる。手のひらの温度に思わず笑いかけると、宗も呆れたような照れたような笑みを返してくれたのだった。