国境の尾根を越えると、そこはド田舎だった。
「……唯一の交通手段が徒歩ってどうなってんだよ。頭イカれてんだろ」
 排気ガスの汚染を一切受けていない山の空気は、たしかに物凄く清々しいし深呼吸するだけで気分が良い。けれども今の俺に必要なのは、楽して坂道を上ったり下ったりできる科学の力だった。
「あ゛ー、クッソ疲れた……でもまだあるんだよな……あとちょっとだけど……」
 眼下に広がるのは、ごく小さな盆地だった。青々と茂る緑の山々に囲まれて、何本かの小川が走り、その周りに古臭い作りの住宅が数十軒ほど並んでいる。
 今俺が立っている道を、あと三十分ほどかけて下りていけば、あの集落の入口へとたどり着く。
 外界と隔絶された、人口百人ばかりの小さな集落。四方を山に囲まれていて、隠された道を見つけなければ、立ち入ることすらできない場所。空間の歪みに切り取られたこの集落は、この国の地図には載っていない。
 そんな秘境中の秘境とも言えるこの場所こそが、俺の母親の故郷であるらしかった。
「……っし」
 リュックサックから取り出した水を一口含み、ねばついた口中の唾を洗い流してから、、止めていた足を動かす。
 尾根は越えた。後は下り坂だけだ。もうこれ以上体を引っ張り上げなくてもいいと考えるだけで、ちょっと足が軽くなる。実際のところ、登山では下り坂の方が危ないのだが。
 重力に引っ張られてついつい早く回ってしまいそうになる両脚を鋼の意思で制御しながら、柔らかい土を踏んで集落を目指す。
 時刻は昼過ぎ。遠目にざっと見渡してみたが、田畑に人影は見えなかった。みんな家に戻って昼飯でも食べているのかもしれない。
 ……そんなことを考えていたら、急に腹が減ってきた。
 まあ、到着してしまえば後はもう動く必要もない。まずは腹いっぱい食べてから――。
「いや待てよ?」
 ――そういえば、俺の昼食は用意されているのだろうか。
 よくよく考えてみれば、今日向かうという話にはなっているはずだが、到着時刻までは連絡がついていない、はずだ。そもそもアポ取ったの俺じゃねぇし。
 唐突に沸き上がった不安が、一気に胸中に広がった。山を下りきって、足元が柔らかい土から踏み固められた土に変わった程度のところで、俺の足運びが一気に早くなる。
 ほとんど走っているような勢いで、俺は集落の中を進み、目的地へと急いだ。
 視界が揺れて、自分の呼吸音が跳ねる。そうしているうちに、一軒の家が見えてくる。屋敷と呼んでも差し支えない、堂々とした構えのその建物から、小柄な人影が姿を見せた。
「ばあぁぁちゃぁあん!!」
 走りながら、叫んで、手を振った。人影の頭上、三角の耳がぴんと上がって、小さな手が振りかえされた。俺がおばあちゃんと読んだその人の顔には、皺ひとつありはしない。
 齢七十を超えてなお、その見かけは十代前半の少女のようにしか見えない。しかしこの人こそが俺の祖母。この狐の隠れ里の住人にして、不老の化け狐。
「りっくーん! よー来たのー!」
 俺の妹よりも若々しい声が、俺の名前を読んだ。久々に耳にする声は、以前とちっとも変わっちゃいない。懐かしさが俺の胸いっぱいに広がって、意識せずとも口元が笑顔の形を作っていく。
 再会の喜びを乗せて、俺は声を張り上げた。
「俺の飯ィ、あるー!?」
 あんまりにも不躾な挨拶だったが、それでも俺のおばあちゃんは、仕方ないなぁという雰囲気で笑ってくれたのだった。
     *
「やっぱり、男の子じゃの……」
「? 何が?」
「んふふふ。気にするでない。それよりほれ、まだ食べるんじゃろ?」
 俺よりも二回り以上小さな手が、すっと差し出された。残っていた一口分の米に浅漬けを乗せて口中に放り込み、茶碗を空にしてからおばあちゃんの手に渡すと、すぐに山盛りになって返ってくる。
 このお代わりも、もうこれで三回目だ。
「ありがとな、ばあちゃん」
「良い良い。遠慮なんぞせずに、たーんとおあがり」
 朝からの山越えを終えてようやく目的地である祖母の家にたどり着いた俺は、荷物を置いて手洗いを済ませた後、すぐに食卓に座らされた。なんでも俺がこの時間に、それも腹を空かせてやって来ることは占いでわかっていたそうで、その場にはもう鍋とおひつが用意されていたのだ。
「……美味しいかい?」
「んまい」
「んっひひひ! そうかいそうかい」
 自家製の根菜類の浅漬けと、これまた自家製味噌とキノコ出汁の味噌汁がこれまた絶品で、食べ応えのある五分づきの米が進む進む。そのうえ茶碗が小さいものだから、お代わりが止まらなかった。
「おかわり」
「あいよ。……すまぬの。もっと大きなどんぶりでもあれば良かったんじゃが……生憎この村にはロリババアかショタジジイしかおらんからの!」
「……どこでそんな単語覚えてきたんだよばあちゃん」
 祖母が言うとおり、この隠れ里にいるのは不老の化け狐ばかりだ。それも、何故か全員十歳前後の人間の姿を取りたがる変態の集まりである。
 今の俺と祖母の姿も、端から見れば幼女に狐耳を着けさせて甲斐甲斐しく世話を焼かせる変態の図に見えるだろう。
(……食事中に変なこと考えるもんじゃねぇなぁ)
 もしや俺も実は変態なのでは? という疑問を蹴っ飛ばして、目の前の飯に集中する。たくさん食べて良いと当の祖母が言っているのだから、遠慮する必要は無いだろう。
「ところでばあちゃん」
「何じゃ? デザートなら水ようかんが冷蔵庫に入っとるぞ」
「マジで!? 食べる食べる! ……じゃなくて」
 本当はわらび餅の方が良かった。……でもなく。
「あのさ、俺が持ってきた荷物って、何だったのあれ。母さんに聞いても教えてくれなかったんだけど。あとおかわり」
「アレか? アレはのぅ……」
 祖母は茶碗にごはんを盛った後、手にしたしゃもじをそのまま自らの顔の前に持っていき、口元を隠してから、にんまりと三日月形に目を細めた。
「ひ・み・つ、じゃよ」
あと30分でドゲンジャーズ始まるのでこのへんでやめます。ありがとうございました。
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エ キ ノ コ ッ ク ス バ バ ア
初公開日: 2020年04月26日
最終更新日: 2020年04月26日
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唐突に田舎風味の狐娘が書きたくなったので配信しながら考えます
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定時退社だったのでテキストライブやりますTwitterで開催されている世界観共有企画「魔女と黒騎士」…
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