「ノン! 何という事だ!」
影片みかが部室のドアを開けると宗が頭を抱えて蹲り、床に向かって何やら叫んでいるのが見えた。その視線の先にあったのはマグカップ。先日、宗が土産にもらっていたとみかに自慢していた、金縁の縁取りが付いた、花と兎の模様が付いた舶来の品だ。相当気に入っていたカップのようで、宗は毎日紅茶を飲む際に必ずそれを利用していた。それが、宗の目の前で無残にも割れてしまっていたのである。
「誰だ……誰だね、こんな惨いことをしたのは……この部室の施錠は完璧だ。そしてこの部屋に入れるのは、手芸部員だけなのだよ……」
宗は独り言をつぶきながら、割れてしまったカップの破片ををわなわなと震える手で回収しようとしていた。みかは慌ててその場から宗のもとへと駆け寄る。
「ああ、お師さん! そんな素手で破片に触れたら危ないで! お師さんの綺麗な指が傷ついてまう!」
「影片! やはり君かね!? 君なんだね! 僕の大事なカップを落としたのは!」
ああ嘆かわしい、と早くも宗はこの事態をみかがやったものと決めつけ、キッとこちらを睨みつけて来た。しかしみかはそれには首を振りながら、部室に備え付けの掃除用具入れから、箒と塵取りを出して手早くその破片を回収していく。
「いやいや、おれやないで。第一、おれやったら、お師さんの大事なカップ割ってしもうたら、嘘つく前に名乗り出るよ」
隠せる気がせえへんし、と続けると、宗は訝しがりながらも渋々、それもそうか、と納得した。
「では一体誰が……と言っても、そこまで来るともうあと心当たりは一人しか……」
「こんにちは~!」
「青葉貴様ァッ!!」
「うわわ、何ですかいきなり!」
タイミング悪くやって来てしまった、おそらく宗の脳裡にいたもう一人の候補が、勢いよく手芸部の扉を開いた。その瞬間、宗はやって来たその人物――青葉つむぎに掴みかからんかの勢いで迫り、その姿を頭のてっぺんからつま先までまじまじと眺める。状況の分からないつむぎは、何ですか、なんですか、と慌てふためくばかり。みかに助けを求めるように視線をこちらに寄こして、ずれてしまった太縁の眼鏡を人差し指でぐいと持ち上げた。
数秒して状況を説明すると、つむぎは落ち着きを取り戻し、なるほど、と頷く。
「んー、それは確かに一大事ですねえ。確かにこの部室には、部員である俺たち以外に犯人候補がいませんし。まあ宗君からしてみれば俺を疑うのも無理はないかもしれませんけど」
でも僕は違いますよ、ここ数週間部室に来てませんでしたし、とつむぎは続けた。言われてみれば、確かにここ数週間、つむぎはこの部室に姿を現していなかったようにみかも記憶している。とすれば、それが彼が犯人ではないアリバイとなるわけだ。
「こういうのは、状況を整理して考えたほうがいいと思います。カップが割れていたのは、いつのことですか?」
「今日、部室に来た時からだと思う。少なくとも、昨日の夕方、紅茶を飲んで後片付けをしたときには無事だったのだよ」
「んー、ならおれやお師さんが部室から帰った後やんなあ。昨日の夕方から今日ここに来るまで、おれはずっと外におったし、お師さん本人もここには来とらんだろうから、その間はここにはずっと誰もおらんかったはずや」
部室に誰もいなかった、と考えてしまうと、もはや誰が落とした、などと断言できる要素は何一つなかった。仮に誰かが候補に挙がったとしても、証拠らしいものがない限りは冤罪のでっち上げのようになってしまう。早くも行き詰ったのでは、とみかがふと視線を上げると、開け放たれた窓から入って来た風が、ひらり、と部室のカーテンを揺らした。夏に向かって徐々に蒸し暑さが増してくる最近は、よくこうして窓を開け放している。空調の激しい風よりも自然の風の方が肌によいから、という理由で、今のところまだここでは冷房をかけていないのだ。そろそろ暑さも増してくるから、いい加減点けたほうがいいのでは、と提案しているのだが、まだそれでは宗は納得せず、外気を取り入れるに留まっている。
いや、風ではない。あれは。
みかが目を凝らしてみた先に、部室の窓下の壁をやすやすと乗り越えてそれが入って来た。艶のある毛並みとピンと立った耳。着地の瞬間に揺れる前足と、その体を支える優美な後ろ足。それはあまりにも俊敏に音もなくやって来たかと思うと、先ほどまで宗が蹲っていた場所――食器棚の下あたりに陣取り、我が物顔でそこに居座りを決めた。棚の一番下で、上を見上げて前足を伸ばし、何やらカリカリと爪を立てている。
「お、お師さん、あいつや! 多分、あいつやないかな……!」
みかが指さした先を、隣にいたつむぎと、宗が同時に振り返る。二人とも、その姿を確かめるなり呆気にとられた様子で口を半開きにしていた。おそらくこの時、三人は同じ予想をしただろう。昨日の夕方から今日の朝にかけて、カーテンの裏側で開けていた窓の鍵を閉め忘れ、そのまま宗とみかは帰宅。夜の間に忍び込んだ猫が部室を乱して棚の中にあった宗のカップを割ってしまったのだ、と。全員の視線を釘付けにした張本人は、どうやらまだ甘いものが欲しいのか、今度は紅茶の砂糖瓶が入った場所を嗅ぎつけて一生懸命に両の前足を伸ばしている。その姿は、いかにも呑気で、それでいながら無邪気だった。
「どうする? あいつ叱っておく?」
「いや……そうしたところで、反省しなさそうだからね、あの子は」
みかが尋ねると、宗はやれやれといったように両手を振った。これ以上部室を荒されては叶わない、と判断するであろう宗に従って、みかはその猫に近づき、両手で抱き上げる。どうしようもない気まぐれな猫は、思いのほか腹が温かかった。また来てくれとは言えないものの、別の場所なら可愛がってやれないこともないなと思いながら、みかは部室の窓からその猫を逃がした。
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探偵
初公開日: 2020年04月25日
最終更新日: 2020年04月25日
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