はいどうぞ、と差し出された包みを両手で受け取る。開けてもいい? と彼を見上げると、お好きにどうぞとばかりに片目をつぶってみせた。
「これ……」
出てきたのは円形のひらべったい物体だった。よくよく観察すれば上半分は蓋で、回して開けるものらしい。なんだろうと角度を変えたり持ち上げたりして見ていたのがよっぽどおかしかったらしく、シルヴァンはとうとう笑い声を漏らした。
「いやあ、すみません。面白いなって思って」
「妻に向かって面白いはないだろう……」
「かわいいなあとも思ってましたよ? 未知のものに遭遇した猫みたいで」
「……そう」
ならいい……のだろうか。自問自答しかけたところで「早く開けてみてくださいよ」と急かされた。好きにしていいんじゃなかったのか。
とにかく蓋を開けてみれば、中身は淡い桃色をしていた。……軟膏だろうか? どういう用途のものなのかはわからないが、彼のことだから普通の、傷薬として使うものを贈り物にしたりはしないだろう。とりあえず確認し終わったので元に戻しておく。
「口紅ですよ、それ」
「これが?」
「はい」
「だって、昔君が持っていたのはもっとこう……細長かったじゃないか」
「あーやっぱりそれ覚えてましたか……」
てのひらに乗るくらいの大きさの、棒状のものを指で形作れば、シルヴァンは額を押さえて天を仰いだ。
「忘れられるはずがないよ」
教師時代、落とし物を拾い集めては持ち主を探していた。私の推理は必ずしも当たらなかったから、あるべき場所に帰るまで時間がかかったこともあった。
眠って起きて五年が経っていたとき、手元に残ったそれらは少なくなかった。……永遠に返せなくなってしまったものも。それでも、使い物にならなくなったり不要になっていたとしてもできるだけ持ち主に返し続けたのは、単純に私の気がすまなかったからだ。
そういう方面に疎い私でもそれとわかるくらい、いかにもという形をした化粧品――――口紅を差し出したとき、彼は泣き出しそうな顔をして、ああ、先生のところにあったんですねと笑った。形のいい眉が寄せられたのを見ていられなくて「返さない方がよかった?」と聞いてしまったが、君は「そんなことないです。ありがとうございます、先生」とそれを受け取った。両手で、まるで宝物を持つかのように。
「あれ、開けてみました?」
「いや……贈り物だと思っていたから。違った?」
「違いませんよ、あれは」
あれは、の続きが出てこない。大男が、自分よりずっと小さい私の表情を上目遣いで伺った。
「今更幻滅したりしないよ、昔の君も含めて愛してるからね」
「なんでそんなにかっこいいんですかねぇ、あんたは」
がりがりと頭を掻き、盛大な溜息を漏らした。絵に描いたような深呼吸が続く。
「……ええ、贈り物でしたよ。不特定多数の女に向けた、ね」
シルヴァンは遠い目をした。過去の話をするときはいつもこうで、怖くなる。このまま君が空気に溶けていなくなってしまうのではないかと。
思わずその手を取った。槍を握る方の手を掴む。シルヴァンは何もかもわかっているような顔をして、私の指に自分のそれを絡めた。
「今思うと俺、女が女としか見えてなかったんですよね。個人としてじゃなくて。だからどうせ女はこういうの好きだろ、こんなことされたら嬉しいだろみたいなことしか考えてなくて空回ってた。あの口紅もそうです、相手にどんな色が似合うとか考慮してなくて」
真っ赤ですよ真っ赤。ねぇ、笑っちゃうでしょ。言いながら笑ってほしそうに顔を歪めるので、その高い鼻を摘んでやる。
君のそういうところが嫌いだよ。言い放てば君は形のよい眉を下げた。安心するといい、嫌いなところも許せるくらい好きだから。
「それはね、お礼です。……あは、心当たりがないって顔してますね」
「実際ないからね」
「俺の落としたもの拾ってくれたでしょ」
「――――五年越しにいらないものを押しつけてきたお返しの間違いじゃなくて?」
「やだなあ違いますよ」
貸してください。字面とは裏腹に有無を言わせない声色で、君は私に譲ったそれを奪い取った。慣れた手つきで蓋を開け、凪いだ水面のような表面にためらうことなく薬指を滑らせる。
「口開けてください」
従えば「もうちょっと控えめでいいです」と言われた。注文が多い。
下唇に彼の指が滑る。もう一度掬いとり、今度は上唇へ。
「真似してください」
人差し指で自分の唇をとんとんと叩く。言われた通り彼の顔をじっと見ながら、上下をすり合わせて離す。
「――――うん、やっぱりすげぇ似合ってます。悩んだ甲斐があった」
疑問が顔に出たらしい。「あんた案外でっかい目してますよね」と夫が笑った。
「そりゃ悩みますよ、かわいい奥さんにはどんな色が似合うんだろって」
もう一度噛みしめるように「すげぇ似合ってます」と言われ、頬がだんだん熱くなってくる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
それ、必ずつけてくださいね。俺が選んだ色ですからね。
シルヴァンはそう言って容器を私の手に握らせると、どこか含みのある笑顔を浮かべた。
男が女に口紅を贈る意味について私が知ったのは、それからしばらくしてのことだった。
※落とし物ネタ。息をするように蒼月→支援S前提。