春を告げるように朝を告げる
「ん……」
鍵のかかっていない主の部屋を開けると、そこには机にうつ伏せになる彼女がいた。
枕代わりの腕の下には書類が見える。
「最近多いな、大丈夫だろうか」
何が、と聞かれればこの状況が、と答える。
彼女はこうして、書類業務や明日の編成を考える際に寝落ちしてしまうことが多い。ベッドの上で寝てくれるならまだしも、今のように机に向かってうつ伏せで寝ては身体を痛めてしまう。
「失礼、マスター」
起こさないよう、なるべくそっと身体に触れる。
肩に手を置いて軽く揺すってみる。が、起きる気配は全くない。
小さい呻き声が聞こえたものの、それもすぐ寝息に変わっていった。
「……重症だね」
何とか習慣づく前にやめさせないと、と思うが今は目の前の彼女が先だ。
「そうだな……」
まずは突っ伏している机から引き剥がすべきか。机の端からマスターの身体までにある僅かな隙間に、腕を差し込む。
「よっ……と」
机に全体重を預けていた分、やや重たい印象を受ける腕を一旦持ち上げる。持ち上げたままマスターが座っている椅子を後ろへ引いて、机と彼女の間に距離をつくる。
「少しだけ我慢して、マスター」
首があらぬ方向へ落ちないよう注意を払いつつ腕を下ろす。
そしてすぐに背もたれと、彼女の膝の下に腕を差し込み力を入れる。
「ぅ、んん……」
「おっと」
咄嗟に力を緩めたが、まだ目蓋を開かない彼女。
よっぽど疲れているらしい。
「もう少しの辛抱だよ」
そう声をかけてから再度腕に力を入れ彼女を持ち上げる。難なく持ち上げられた彼女は未だ夢の中。早くベッドに連れていかないと。
ギシ、と僅かにベッドのスプリングが軋む。片膝に体重を乗せればまた一層軋む音。
女性のベッドに片膝を乗せるなど失礼も良いところなのだが、今回は多目に見てほしい。
そう思いながら、ゆっくりゆっくり彼女の身体を降ろしていく。
起こさないように、起こさないように。
「んん……」
「!」
起こしてしまったか。
一瞬身体が凍りつく。呼吸すらも止まる。
しばらくしてすー、すーという規則的な寝息が聞こえてきて、思わず安堵のため息が出た。
「…………よし」
無事仰向けに寝かせたマスターに、布団をかける。礼装は着たままだが、まぁいいだろう。
さすがに、寝ている女性の着替えを自分が行うのは気が引ける。せめてもの思いで礼装のベルトとファスナーの上部分は寛げさせたが、そこもどうか多目に見てほしい。
やっと気持ちが落ち着いて、ベッドの端へ腰掛ける。
「…………君が頑張っているのは、誰もが知っているよ」
彼女の目の上にかかる前髪をそっと横へ流す。何とも触り心地の良い髪だが、名残惜しさを胸にすぐに離す。
安らかな寝顔の中にちらほら見える疲労の色。度重なる任務に、日々の鍛錬。マスターとしてサーヴァント同士の揉め事に駆り出されたり、時にはそのサーヴァントたちを一纏めにする。
こんな、あどけなさの残る少女が。たった一人で。
「……本当に、君はよく頑張っているよ」
包み込むように彼女の左頬に手を添える。親指で辿った目の下にはうっすらクマが見える。
「僕は、君に何が出来るんだろうか」
君の、助けになりたいと。そう思っているのに。
「いつの間にか君は、僕らの知らないところで何かを背負っているだろう?」
それがとても悔しいのだ。
僕は君の為に、君の戦いに全力を捧げると誓った。いつか来る僕の戦いに、力を貸してもらうのと引き換えに。
いいや、そんな条件など無くとも、君の為に全力を捧げることは間違いない。
それでも、僕は君のために役に立てているのか不安になる。
君の抱えるものはその身にはあまりにも多く、あまりにも重い。果てしない旅路の中で得たもの、失ったもの。同じくらいの喜びと悲しみ。彼女が歩いてきた道のりは、振り返っても残っているものは何もない。特異点だろうと異聞帯だろうと、跡形もなく、今までそこには何も無かったかのように。泡のように消えてなくなる。それでも君は、抱え続けてここまで歩いてきた。
手放してしまえば、いっそ楽になれるはずなのに。
君は一向に手放そうとせず、むしろ離さないようしっかりと抱え直す。
思い出、と言えば聞こえはいいのだろうが、そんな綺麗な言葉で表せるようなものではない気がする。
「こんなに小さな身体で、君はよくここまで歩いてきたね」
誰の記憶にも残らない戦い。
覚えているのは、彼女とマシュと、カルデアの職員たち。
僕らの霊基に刻まれるのはあくまで記録だけ。だから君のことをどれだけ正確に覚えているかなど、期待するだけ無駄なのだろう。
以前メディアが言っていた。
「あの子は、元から強くなんてなかったわ。弱い少女のまま、耐えるしかなかったのよ」
僕が召喚される前のマスターを知るサーヴァントは、皆そう言う。
マスターは元から強い人間なんかじゃない、と。むしろ弱い人間だった、と。
「毎日心が押し潰されたような顔をしていたさ。もちろん、マシュや職員たちの前では極力明るく努めて、だ」
輝けるフィン・マックールはそう言っていた。
「毎日、メディアと牛若丸が心配そうにマスターの横に寄り添っていたよ。それでもあの子は、現状とそれを受け入れられない自分を無理にでも何とか押し込めて、任務をこなしていたさ。…………なぜって? 決まっているだろう? ここに残されたマスターは、あの子一人だけだったからさ」
そうだ。ここにいるマスターはたった一人。僕ら何十騎といるサーヴァント全員のマスターは、彼女だ。
彼女しか、いない。
彼女にしか、世界は救えない。成し遂げられるのかも分からない遠い遠い道のり。それでも、彼女は選ぶしかなかった。
「…………でも、おかげで僕らは出会えた。何とも皮肉な話だけどね」
嬉しい反面、君に辛いことも苦しいことも、何もかもを背負わせる。
誰かが言っていた。
「まるで、人理という鎖に繋がれた犬のようだった」
その人物はこうも続けた。
「どこに行くことも、どこへ逃げることも許されず。ただ目の前の道を歩かねばならない、それも茨生茂る険しい道をな」
あらゆる現実に打ちのめされ、傷つき、悲しみ、嘆き、そうしながら抗い進んだ道のりだったという。
人理修復。かの魔術王ソロモンもといゲーティアにより為された人理焼却、そして七つの特異点。
途中からその旅路に加わった僕ではあるけれど、やはりどの特異点も凄まじい脅威と災難と困難に満ち溢れていた。
「それでも、君は笑い続けていたね」
脅威と災難と困難満ち溢れる特異点と、ゲーティアによる数々の妨害。辛く険しい道のりの中で、それでも彼女は笑っていた。
各時代、それぞれのサーヴァントだけでなくそこに存在する人々にも寄り添い、助け、
笑いかけた。その笑みは時に、彼女がただの少女であることを思い出させる、何とも愛らしいもので。君が、君は、こうも皆を照らしていく。
まさしく、太陽のような輝きだったと。
「そんなところに、僕も惹かれたのだけどね」
今は重く閉じられた目蓋の向こうにある、金色の瞳を想像して。
彼女は元々弱い人間だっった、と僕より前に召喚されたサーヴァントたちは口にする。
それと同時に、こうも言う。
「彼女は、弱いが故に諦めない人間である」
諦めないからこそ、彼女は強い。
何度打ちのめされ、傷つき、悲しみ、嘆き、倒れ伏しても、時間をかけてでも起き上がる。それは、魔術の才能よりも輝かしい、彼女の力。
泥まみれになろうとも、君は構わず走ってきた途方もない旅路。今もその旅路を支えられていれば、君の力になれていれば良いのだけれど。
「でも、そう言ったら君はきっと笑ってくれるのだろうけどね」
嘘偽りのない言葉で、君は真摯に答えてくれるだろう。
この星見の場所は、自分にとってはあくまで通過点だ。自分の旅の終わりはきっとまだ先にある。
「それでも、君との縁がここで繋がったことがすごく嬉しいよ」
太陽のように輝く髪に手を差し込む。何度か梳くように手を動かしても、彼女が起きる気配はない。それでもくすぐったさはあるのか、時々「ふふっ」と笑う。
ふと、頬の絆創膏に目がとまる。
「……またか」
世界を救うことに、楽な道などない。それは彼女の身体がよく証明している。頬、礼装の下にある腕、胴体、脚、指先に至るまで。彼女の身体には生傷が絶えることはない。キャスタークラスをはじめとするカルデアの医療班のおかげで癒えるスピードは速いものの、彼女を守り切れていない事実に否が応でも責め立てられる。
一方で、また違う感情を自分が抱いていることにも気付いている。これを君に言ってしまったら、それこそ軽蔑されるのではと思うほどのもの。
「……少なくとも、今言うべきではないだろうね」
数多のサーヴァントを連れ戦場に立つ彼女の凛々しさ。どんなに強大な敵であっても怖気付くことのない勇敢さ。輝きを失わないその瞳の眩しさ。
そして、血が出ようとも戦場に立ち続ける彼女の、美しさ。
「騎士が考えることとしては恐らく、最低極まりないな」
騎士とは本来、守る者。己の誇り、仕えると決めた人物、国、愛する者たちを、あらゆる災厄・脅威からそれらを守る者。
その最たる者として、「騎士王」という名で呼ばれることもある自分が。彼女を、マスターである彼女を、血を流しても立ち続ける姿に美を感じてしまうなど。
出来ることなら、一瞬でも長くその姿を見ていたいなどと。
自分の役目を忘れていると言っていいほどだろう。守るべき対象が傷つく様を見続けたいとは、騎士の風上にも置けない。
それでも感じてしまった。君が、あまりにも美しいと。
その身に抱える不安も心配も、君の脚を震わせる恐怖、絶望も。それら全てを押し込めて傷だらけで、血だらけで立つ君の小さな背中を。
「矛盾だね。傷つかないよう守りたいのに、君が傷つく様が見たいなんて」
こんなことを他のサーヴァントたちに知られでもしてみろ。恐らく僕は半日で座に還される。かといって立香だけに告げるのは、悪策だろう。恐らく何か勘違いをする。何かは分からないが、まぁ、異常な性癖でも持った英霊だったとでも思われるかな。
どちらにしろ、良い方向に向かうとは思えない。だから、自分だけの気持ちで留めておくに限る。
いっそ君が早く起きてくれれば、僕もこんなことを考えずに済むんだけどな。
未だ目の前ですやすやと眠る彼女。一向に起きる気配は見えない。
「……多分もう起きないかな」
再度肩を軽く揺する。が、結果はもう分かりきっている。
「今日はもう休んだ方がいいね」
名残惜しく彼女から手を離して、立ち上がる。
まっすぐ出入り口のドアに向かい、その脇にあるパネルに触れる。間もなく部屋の明かりは消え、真っ暗になる。ベッドに戻る途中、引いたままになっていた椅子を直す。
「おや」
目に入ったのは、テーブルの上の書類の山。明日の編成や一日のスケジュールについて細かく書いてある。
「……そういえば、伝言があったんだったな」
明日の作戦会議とシミュレーションでの訓練でダ・ヴィンチ女史から言伝をもらっていた。今日中に彼女に伝えておいてほしい、と。だから自分は今この部屋に足を運んだというのに。
「…………そうだな、うん。仕方ない」
しかし彼女は深い深い眠りの中。女史の言伝は、到底伝えられそうにない。
でも明日の予定に響く内容だから、少なくとも朝には伝えなくてはならないだろう。なら、話は簡単だ。
「マスター、悪いけれど今晩は側で君を守らせてもらうよ」
まぁつまり、今夜は立香の部屋で過ごすということだ。そうすれば彼女が起きた時にすぐ女史からの言伝を伝えられるというわけだ。起きた直後で驚くかもしれないが、そんな彼女も愛らしいので良しとしよう。
真っ暗な中で彼女に向けて発した言葉に返事は返ってこない。暗い分その表情も分からず、ただすやすやと整った寝息だけが返ってくる。
「うん。反論が無いということは、良いということだね」
彼女の了承も得たので、僕は改めて彼女の布団を直して部屋を出る。
別に、彼女の護衛をやめたわけではない。
「寝起き……寝起きにぴったりの茶葉はあっただろうか……」
紅茶だけで疲れが取れるとは思わないが、少しでも気が紛れればいい。一晩中部屋にいて、何もしないで朝まで過ごすというのはあまりに気が利かない。
他のサーヴァントならもっと気の利いたことも準備できるのだろうが、生憎自分にはこれくらいしか思いつかない。ならせめて、起き抜けの彼女の気持ちが和らぐような、そんな紅茶を淹れてあげたいと思う。自分の腕は達人の域に達しているわけではないが、無いよりはましだ。
例えば春の訪れを告げるように、少しでも明日が晴れやかなもので始まるような。
「こんな時、茶葉に明るい人間なら良かったんだが」
しかし今そんなことをうだうだと言っても仕方ない。とりあえず香りが良さそうなものをいくつか見繕って、さいあく明日立香に選んでもらおう。
「うん、それだな」
そうと決まれば自室への足取りはやや速いものとなる。早く用意をして、早く彼女の元へ戻らなければ。普段の表情も好ましいが、寝ている時の表情もまた好ましく、愛らしい。今夜は、彼女の寝顔を堪能することにしよう。
はやる心を抑え、僕は自室へ一秒でも速くたどり着けるように歩を進めていくのであった。
おわり。
ご視聴ありがとうございました!
こちらの話は後日ピクシブで投稿します。そっちも見て頂けると嬉しいです。