インカローズの模様が散りばめられた毛足の長い絨毯の上。丹で艶めく深い茶色の丸テーブルに着いた私とキリシュタリアは、静かな攻防を繰り広げていた。
お互いの指は珈琲がたっぷりと注がれたカップを乗せたソーサーの上に触れており、両端から力が加えられて液面は細かく震え、陶器が触れ合う軽い音が談話室に響いていた。
事の発端は私にある。最近ブラックコーヒーが飲めるようになり、調子付いて豆を多く入れてドリップしてしまいかなり濃い珈琲が出来上がった。「ブラック飲めるようになったのよ。」と息巻いた手前、カフェオレを持って席に戻る訳にも行かず、飲めるはずもない其れを手に、素知らぬ顔で彼の向かいへ腰掛けた。
話をしながら一口含むと、酸っぱいやら苦いやらで顔の筋肉が強張る。彼はその様子を意地悪くも指摘して来たが、此方も強気で「これ、あげる。」と彼にカップを差し出す。
キリシュタリアは得意気に香りを確かめ、「良い香りだね。」なんて言っちゃって、薄く色付いた貝殻みたいな唇で珈琲をひとくち含む。刹那、眉間やら目尻やら皺という皺を寄せて「う゛」と汚い声を漏らしたものだから、私は我慢できずに吹き出してしまった。
それが火種になって、クソまずい珈琲の押し付け合いが始まったのだ。
「飲んでってば。」
「君が飲める様になったからと用意して来たんだから、君が片付けるべきだ。」
「やっぱ飲めなかった。おいしくない。」
「私だってこんなに濃い珈琲は飲みたくない。一口のんだ私の顔見ただろう?老婆みたいな顔になってた筈。」
「どちらかと言うとジジイでしょ。飲んでおじいちゃん。」
「…。」
「…何その顔。拗ねてんの?自分で言い出したんでしょ!」
「というか見栄を張ってブラックコーヒーを煎れて来た癖に挫折が早すぎないか?」
「こんなもの飲むくらいなら恥かいた方がまし。」
「用意した君が言うな。」
言い合いに比例してソーサーに触れた指に込める力が強くなり、とうとう液面が波打ち始め、カップの底が僅かに浮き出した。ていうかもう何方かが飲まなくても捨てたら良いんじゃないかと思い始めた矢先に談話室の扉が開いたので、ふと其方に視線を向ける。入って来たのはデイビットと候補生の藤丸君だった。
藤丸君は良く図書室を利用するし、私と同郷という事もあり結構仲良しなのである。少し不安気な面持ちで入室した彼だったが、私の姿を認めると途端に表情は晴れ、デイビットの後ろからひょっこりと私の側まで寄って来た。
「#name1#さんこんにちは。休憩中にすみません。」
「藤丸君こんにちは。どうしたの?デイビットと一緒なんて珍しいね。」
「#name1#さんの居場所を聞いたら此処まで案内してくれました。」
何故デイビットが私の居場所を知っているのかについてはカルデアのクソ常識を参照してほしい。どんな手段を使って把握しているのかは私にだって分からないのだ。キリシュタリアに目配せすると、彼は「うん」と頷いて私と同タイミングで手を離す。傾いていたカップは平静を保ち、揺らめく液面も次第に落ち着きを取り戻していった。
藤丸君に着席を促せば彼はキリシュタリアと私の間に腰を掛けたのに、何も言われていないデイビットは椅子を引き寄せて態々私のすぐ脇に腰を落ち着けた。不自然すぎるその行動に、この場にいる誰も指摘をしないのは、それが何時もの事であり、言っても無駄だと分かっているからだ。
デイビットが落ち着いた所で、藤丸君が私を見て申し訳なさそうに声をあげる。恐らく、私を探していた理由を話してくれるのだろう。
「大した用でも無いんですが…どうしても聞きたいことがあって。」
「何?私に答えられる事なら良いんだけど。」
「彼女に対する私的な質問はオレを通してくれ。」
「デイビットが言う事は全て無視してね。」
マネージャーの様に言い放った彼に、藤丸君は苦笑いを浮かべる。正しい反応だと思った。
「内容の一部は覚えているんですけど、タイトルがどうしても思い出せない本があって。」
「どんな内容?」
「何処かの国の女王が捕虜になったか何かで捕らえられて、息子の肉で作ったパイを食べさせられる場面があったとだけ…。」
藤丸君が話した内容に、私は覚えがあった。けれども私よりも先にキリシュタリアが彼の質問に答えてしまった。
「恐らく、ウィリアムシェイクスピアのタイタスアンドロニカスだね。主人公のタイタスが娘を強姦した女王の息子を殺して肉のパイを作り、強姦を企てた女王に食べさせる。終わりかけの場面だ。」
「…答えを掠め取られたけど、私もそうだと思う。タイタスアンドロニカスは閉架にあるから、読みたいのなら後で届けようか。」
「いえ、そんな。俺が取りに行きます。すみませんけど出しておいて貰っても良いですか?」
「うん。分かった。」
「キリシュもありがとう。」
「役に立てて光栄だよ。」
喉に引っ掛かった小骨が取れた様なスッキリとした顔で笑う藤丸君は非常に可愛い。年下であるから尚の事甘やかしたくなるし、人懐っこい性格も姉心を巧みに擽ってくるのだ。キリシュタリアも彼を気に入っている様で、夜中にちょくちょく彼の部屋を訪れては夜通しゲームに励んでいるらしい。私より仲良しじゃないか。
「強姦と殺人だ。」
「え?」
今まで黙って私の髪の毛を触っていたデイビットが突然物騒な言葉を口にしたので、藤丸君が驚いて声を上げた。私とキリシュタリアの視線もデイビットへ送られる。
「タモーラの息子達は、タイタスの娘ラヴィニアを強姦した。ラヴィニアは、犯人を告発できない様に舌と両腕を切り落とされ、森の中を彷徨う。目論見通り、彼女は犯人の名を口にする事も、書き記す事も不可能になったが、口に木の枝を咥えて地面に犯人の名を記し、父に告発した。錯乱するタイタスの元に、息子達は皇帝との宴会を開かせる為、復讐の女神の使者であると身分を偽って訪れ進言した。息子達の偽りの名が“強姦”と“殺人”だ。」
「でもタイタスは、復讐の女神と強姦と殺人の正体を知っていたんだ。知っていて態と彼らの計略に乗り、2人の息子を宴会へ招待する。タモーラは後から向かう手筈になっているという事も知っていたから、タイタスは息子達を殺して屍肉でパイを作った。此処からは立香が知っている内容だよ。」
2人の天才の口からすらすらと紡がれたネタバレに、藤丸君は気圧されている。一度読んだことがある様だから、これをネタバレと言って良いのかは分からないが、読み返そうとしている人間に詳しく内容を言い聞かせる必要はあったのだろうか。
「2人とも、良く覚えてますね。」
「読了した本の内容は覚えている。」
「私は何となく覚えていただけだよ。」
「あの、司書より本に詳しいのやめてもらえます?立つ瀬がないと言うか、自分が無能思えてくるので。」
「司書は本を管理するのが仕事だろう。本の内容を覚えている必要はない。」
「そうそう。それに#name2#だって立香の話でタイトルを思い出せたのだから覚えていたって事じゃないか。」
「フォローもやめて。あとデイビットは私の髪を三つ編みにするのやめて。癖になるから。」
髪に触れるデイビットが耳の横でもぞもぞと何をやっているのかと思えば、高い位置から幾つかの三つ編みを作っていた。折角毎朝ストレートアイロンで真っ直ぐに伸ばしているのに変なウェーブがついたらどうしてくれる。こいつは本当に余計な事ばかりする。止めろと言っているのに手を止めない。私に構うな。
「え、っと。俺の疑問は解決したので、これで失礼します。」
「え!もう行くの?折角来たんだからお茶しようよ。」
「君も休憩中だろう?ゆっくりしていくと良いよ。ほら、珈琲もあるし。」
「それくそ不味いやつ。ねえデイビット、紅茶煎れてよ。」
自分が飲みたくないからと、口に合わない珈琲を藤丸君に押し付けようとしたキリシュタリアを静止してデイビットに声を掛ければ、彼は何故か嬉しそうに給湯室へ向かった。大方「オレを頼りにしているんだな」なんて思っているんだろう。いつもそうだから分かる。それに、直接言ってはやらないが、デイビットは紅茶を煎れるのが上手だ。オフェリアの次の次の次くらいに。
「鬱陶しいのが居なくなったから、暫くは静かな訳だけど。2人は仲良しなんだよね?最近なんのゲームしてるの?」
頬杖をついて2人を仰げば、2人は顔を見合わせて少しだけ考える素振りをし、各々に口を開いた。
「うーん…それがまちまちなんですよね。」
「デドバしたりどうぶつの森をやったり、その日の気分によってゲームを変えてるな。」
「うそ、キリシュタリアどうぶつの森するの?」
「立香が買っていたから私も一緒にやりたくて買ったんだよ。最近ニコバンが引っ越してきてくれてね。」
「この間離島に行った時にスカウトしたんですよ。紫色の猫なんて珍しいとか言って。」
「そう言う観点?」
「#name2#さんはゲームしないんですか?」
「デドバはやってるよ。主にキラーだけど。」
「じゃあ一緒にやりましょうよ!フレンド申請させてください。デドバはカドックもやってるのででもう1人くらい探してプライベートマッチしましょう。」
「#name2#のお気に入りキラーは?」
「私凛ちゃん。えっちだから。」
「煩悩…。」
「えっち…。」
「性能ならレイス。一番使いやすい。あと可愛い。」
「レイスを可愛いと思ったことが無いからそれは理解し難いのだけれど、皆でゲーム出来るのは楽しみだな。」
「キリシュの部屋でやろう。良い匂いするし。」
「キリシュタリアの部屋って良い匂いするの?キリシュタリア自体良い匂いするからなんとなく分かるけど。」
「構わないけど手狭だと思う。なんてったってベッドが大きいからね。」
「なんで?」
「キリシュはベッド買い替えたんですよ。シングルだと転がり落ちちゃって、朝床で目覚めるらしくて。」
「ドジっ子〜!貴方そういう所あるよね。カドックの部屋でやったら良いんじゃない?物が少ないしモニター何個か置いてたからプレステ持ち寄って床に座ってやろうよ。」
「やけに盛り上がっているな。」
ゲームの話に花を咲かせていると、後ろから低い声が聞こえてきた。振り向けば、デイビットが茶器を乗せたトレイを持って仏頂面で突っ立っている。
「盛り上がってた。お茶ありがとうね。」
「おまえの為に煎れてきた。」
「恩着せがましいな…。あ、そうだ。デイビットはゲームしないの?」
椅子を元の位置に戻す事もせず私の真隣に腰掛けてティーセットを広げている彼に問うと、即答で「しない。」と返ってきた。じゃあ駄目だな。
「プラベやるならもう1人探さないと。誰かいる?」
「何の話だ?」
「デドバ。」
「デドバ…ヒナコがやっていた様な気がするが。」
「芥さんですか!?」
「彼女、ゲームとかするんだね。アレなのに…。」
「アレって何?」
「こっちの話だよ。」
「デドバとやらを始めれば夜中におまえとの逢瀬が叶うのならオレもやろう。」
「え、別にいいよ。」
「#name2#さん、デイビットさんには辛辣だね…。」
「好意を伝えるのはとても良い事だとは思うけれど、デイビットは加減を覚えた方が良いかもしれない。」
私達のやりとりを見て、藤丸君とキリシュタリアがひそひそと何かを話している。大方、反応が冷たいとかそういった話だろう。バッサリと切り捨てられたデイビットは特に気にした様子も無くカップに紅茶を注ぎ入れ、ソーサーにビスケットを添えて各々へ押しやる。くそ不味い珈琲の後味を消す様にひとくち含めば、香り立つアッサムが鼻腔を抜けて行き身体の力が抜ける感覚を覚えた。
「やっぱり珈琲よりも紅茶がいい。」
「あの地獄の液体はまだサイフォンに残っているのかな。」
「4杯分くらい作ったからまだあると思うよ。」
「きちんと片付けるんだよ。」
「…あの珈琲はおまえが煎れたのか?」
カップを傾ける私に対し、デイビットは何処か恐々とした声で尋ねる。カップを持つ手が心なしか震えている様に見えた。
「そうだけど…。なに?」
「冷め切っていたから流してしまったんだが…勿体無い事をした。」
「え、飲むつもりにしてた?やめた方がいいよ。キリシュタリアが言ったけど、冗談抜きで口が地獄になるよ。」
「おまえが作った地獄なら喜んで飲む。」
「気持ちわる。」
「え、キリシュ。地獄を俺に勧めようとしたの?」
「私も#name2#も飲みたく無かったから。」
「酷いよ!」
「じゃあ今夜21時にカドックの部屋集合でデドバやるのはどう?メンバーは私とキリシュタリアと藤丸君とカドックと芥さん。」
「私は構わないよ。」
「俺も大丈夫です!」
「芥さんにはキリシュタリアから言っておいてもらえる?もし今日無理でもいつかやりましょうって事で。」
「分かった。」
「おまえ、そんな夜半に男の部屋へ行くつもりか?」
「言うと思ったよ。貴方はもっと遅くに私の部屋に来るじゃない。」
「入れては貰えないが。」
「当然だろ。」
「…オレも行く。」
「来てどうすんのよ。」
「見張る。」
「何を。」
「おまえに危害を加えられない様見張る。」
「一番危害を加えそうなのはお前だ。」
「ま、まあデイビットさんもゲーム見てみて面白そうならやってみたら良いんじゃないでしょうか。気に入ったら買って皆でプレイ出来ますし。」
「デイビットは意外と上手いかもしれない。キラーをやってみたら良いんじゃないかな。人の思考を先読みして追い詰めるのが得意だからね。」
「キリシュタリアは、普段思考を先読みされて追い詰められてる人間の気持ち考えた事ある?」
「君が相談に来るから少しは理解しているつもりだけど。」
紅茶の香りで満ちた談話室で、いつもとは違うメンバーが集い午後のひと時を過ごす。会話の内容はあまり中身がないけれど、普段業務に追われる私達にはこういった他愛もない世間話をしながら緩やかに過ぎていく時間が心地良かったりするのだ。各々背負うものも性格も違えど、年が近くて気の置ける、友と呼べる存在は貴重である事に変わりは無い。
この場を解散したとしても今夜21時にまた顔を合わせる事が出来るのだと、年甲斐もなく心が躍る。多分、いや絶対にその集まりにはデイビットも来るのだろうが、コントローラーを手にモニターを凝視する私に一体何を仕掛けてくるつもりなのか、それすらも僅かに楽しみにしている私が居て、お茶請けのビスケットを咀嚼しながら口元が綻ぶのを感じていた。
「嬉しそうだな。」
「そう見える?貴方も来るつもりなんでしょ?お菓子持ってきてね。私は甘いの持っていくから、貴方は何かしょっぱいの用意して。」
「生憎、持ち合わせはリコリス飴しかない。」
「やっぱり来なくて良いよ。」
おしまいです!お付き合い頂きありがとうございました!