クロフェリ百合ちゅっちゅ
それはただの嫉妬から始まった、小さな火種に過ぎなかった。
曰く、最近の構い方が雑だの、女子生徒を茶会に誘っただの。前者は知らないが後者に関しては恒例行事で他学級の人間でも見飽きているほどいつものことである。
む、と眉を寄せて恋人を見つめる姿は外から見てる分には可愛らしい嫉妬だと笑っていられたのだ。自分のものが人に取られてたまるか、という幼い焼き餅。
シルヴァンがまたいつもの口説き文句を垂れ流している場面に出くわした。たまたまフェリクスに鬱憤が溜まりに溜まっていた状態で、たまたま近くにいたのがクロードだった。
シルヴァン、と怒りを隠しもしない低音で赤髪が振り返った時。襟首を引っ張られて、フェリクスとクロードの唇が重なってしまった。無理やり重ねられた、が正しく、引っ付けるだけのそれは簡単に離れていく。他人とキスをしたことを見せつけるためだけに使われたわけだ。この時点でクロードは面倒なことになることを確信していた。
チッ、と自ら人の唇を奪っておいて舌打ちとはいかに。シルヴァンはこちらを凝視して、固まっているらしい。そりゃ自分の恋人が他の男と、しかも自分に見せつけるように口付けをしていたら驚くに決まっている。構ってほしいからといって巻き込むのはやめてほしいものだ、と口を裾で拭いながら、クロードは嫌なものを見つけてしまった。
蒼の双眸をこぼれ落ちそうなほど見開いたディミトリ。すなわちクロードの恋人だ。ここでようやくクロードは理解した。これは面倒どころの話ではなくなるな、と。
「フェリクス。どうすんだ、ここから」
「知らん」
逃げの算段はあるのかと尋ねればあっさりと告げるフェリクスに頭を抱えたくなる。ここからの逃走もこれからの状況も全部丸投げされた。こいつ何にも考えずに行動に移しやがったな、と恨み言は後にする。とにかくここから身を消し去ることが先決だ。獣に身をやつすつもりか? と言いたくなる瞳をした二人から逃げ切らなければ明日はない。絶句している今の隙にフェリクスの腕を掴んで走り出した。
ガルグ=マク大修道院の敷地はかなり広い。室内も含めればかくれんぼに有利なのは断然隠れる側だ。
一先ず身を潜めてしまえば簡単に見つけられることはない。とはいえ、一度距離を開けたため振り切ることには成功したがまだこの辺りを捜索しているだろう。
どうしたものかと思案していればフェリクスが苦々しく口を開く。
「俺の思考は悔しいことにあの馬鹿に読まれやすい。その点お前は使える」
この事態を引き起こした諸悪の権化であるとの自覚があるのか、無策なりに考えた末の人頼み。とはいえそれが最善であると理解した故の答えならばそれでも構わなかった。しおらしさを見せられて揺らぐ程度の心臓はしていないのだ。じゃあ、と胸の中心を押してやれば身体がぐらつく。倒れはしなくとも体重が掛けられた生垣が揺れればその音にひかれてこちらに気が付いてやって来る。
「っ、!」
「お前を囮にして俺が逃げ切るってことで!」
シルヴァンがすぐ近くにいて、ディミトリは少し離れた場所で机の下を覗いている。そして近接する目標はクロードには興味はないだろう。つまりはフェリクスがここで脱落するわけだ。隠密行動には単体で動くに限る。捜索の目も一つ減って一石二鳥。
お前の感情で巻き込んだんだから、そちらの処理は勝手にやってくれとばかりに駆け出す。ディミトリが気付く前に足跡を消して飽きるまで姿を隠してしまおう。あの状況のディミトリに捕まったら何をされるかわかったものではない。己の安寧は自ら掴み取らねばならぬと、幼い頃からクロードはよおくその身で知っているのだ。
「フェリクス、今のどういう事だよ」
「ハッ、いつまでも女にかまけているのが悪い」
ここから逃げに転じるには距離がなさすぎる。腕に捕まり大人しく諦めたのか、挑発的に笑うフェリクスの言葉尻が飲み込まれたのを見届けることもなくクロードは走り出した。
さて、フェリクスの明日はどうなることやら。他人の明日より自分の未来だ。卑怯もクソも、飛び火させた火種が悪いに決まっている。追いかけっこが始まり数時間が経過したにもかかわらず未だに探し回っているらしく、陽光を吸い込んで輝く金糸と肩に着けられた青を揺らしながら隅々まで目を走らせている。
決定的瞬間を目撃したといえど、逆に言えばそこしか見ていないわけだ。夢か見間違いだと諦めてはくれないものか。クロードの願いも虚しく、時間が経つほどにディミトリの纏う何かがどす黒くなっている気がする。闇の一端をこんなところで垣間見るとは、嫉妬とはかくも恐ろしいものである。
捕まるわけにはいかないと決意を固め、木の上へと身軽によじ登り、地上からは簡単に目視できない位置へと腰を下ろす。幹がどっしりとしているため枝も太く、身を隠す葉も多分にある。最悪ここで一夜を過ごすことになりかねないな、と明日の事を考えるが、間違いなくディミトリの手に落ちた時の方が酷いことになる。あの妄執に取り憑かれたような顔はやばい。
フェリクスは生きてるかな、と士官学校の寮の方角へと視線を向けるが、ご愁傷様とだけ念じてやるか。と、綺麗な金色が近付いてくる。じっと身を潜ませて通り過ぎるのを見守り、息を吐いた。
「クロード」
通り過ぎたはずの影が木の下にあった。ひ、と油断していた心臓が飛び出しそうになるのをぐっと飲み込む。絶対に外からは見えないというのに、何故。かさりと鳴った葉擦れの音は風だと思って去ってくれ。
「そこに居るんだろう」
地を這うような声が適当に目をつけたところへ語りかけているわけではないと、お前は見つかったのだと突きつけてくる。それでも返事をするほど間抜けではない。何故此処だと確信しているのかは不明だが、全部気のせいで直観も外れるのだと諦めて部屋に引き籠れ。そして記憶を失くしてくれ。
「降りてこないならば、仕方がない。この木はなにも悪くはないが、運は悪かったな」
すぅ、と息を吸う音が聞こえたと思えば、木が揺れた。魔獣が体を打ち付けたのかと思わせるほどの衝撃。咄嗟に枝に抱き着き落ちることは逃れたが、第二撃の構えを見て血の気が引く。
嘘だろ。クロードが抱きついても腕が回らないほどの太さを持つ大樹がしなるように揺れている。折れるのでは、と手に汗が滲んだ。枝とはいえ、クロードが乗っても軋むことなく受け止めていたというのに、その安心感は何処に、想定外の事態に息を飲む。
ドガッッ。人が蹴り一つで出すにはその身を使い潰すことになりそうな衝撃音が轟いた。圧倒的な外圧に耐えかねたのか、一層のたわみに耐えきれずにとうとう手を滑らせて背中から落下する。猫のような、と形容されることはあれどクロードは猫ではない。突然投げ出された空中で体勢を立て直して綺麗な着地は難易度が高過ぎる。
叩きつけられる。足から落ちればこの高さでは良くて骨折か。とにかく衝撃を殺さなければ。受け身をとろうと身構えたが、別の何かによって受け止められた。
「でぃみ、んぅ」
貪るように重ねられた唇に呼吸を奪われる。深く、他の男に掠め取られた分を取り戻すような子供っぽい荒さを嫌うことも出来ず、抱き留められたままその腕に収まる事を選んだ。泣きそうに歪む表情を見せられれば、折れてやるのはいつだってこちらだ。出来るだけ優しく扱って欲しいものだが。明日の心配はその時にしよう、と口蓋を擽る舌に応えるために更に深く、疑いようのないほどの愛を注いでやる。
翌日。
予想通り腰の痛みで動けない二人は授業の欠席を伝えてもらい、今日一日、少なくとも痛みが引くまでは部屋で安静にとこの不調の原因である男たちが気を回していた。
一人で天井を見るだけでは退屈だろうとの心遣いか、なぜか揃って同じベッドに寝かされている。昨日の不貞疑惑はすっかり忘れ去られたのか。ただのフェリクスによる戯れであるとしっかり理解してくれたのだと思うが。
当然、フェリクスにもクロードにも無意味な悪戯を謀る気はさらさらなかった。フェリクスの構ってもらえなかったという小さな嫉妬心による事件だったが、熱く愛されたのか満足げな表情をしている。
「プレーダッドの紋章、あれはヤバいな。下手すりゃガルグ=マクも怒れる獅子一人で陥落出来るんじゃないか?」
「……」
「おいおい、お前が発端なんだからそんな睨むな」
ケラケラとやけに明るい調子のクロードに、囮にされたことを頭からすっぽ抜けることもなく根に持っているらしい。問題の根幹はフェリクス自身で、結局満たされているのなら文句はない筈だがそれはそれ、のようだ。顔を背けるために寝返りを打とうとして、腰の痛みに呻いていた。
「巻き込んだことは謝罪する」
「随分上からな物言いだな?」
「……対価を求めるならば俺の出来る範囲で支払うが」
「いやいや、それはいい。十分貰ったもんだしな」
昨晩はあの猪突猛進王子に手酷く抱かれたという事実がある。立ち上がれないほどの痛みで、実際今も腕や首から上しかまともに動いていない。表情が豊かな分見せたい感情はよく伝わるが。
何のことだと視線で訴えかけるが教えてやんないと笑ってそのまま目を閉じてしまった。じくじくと痛む度に、愛されていた実感と一人にしてはならない危機感を抱きながら眠れなかった分を取り返そうと意識を落としていった。
ンエェ……
暴れ狂ったディミトリがクロードを抱きしめてキスをしていたの見られてた
あの二人がそういう関係だと密やかに噂されることになる
チャンチャン