よーしいくぞー!!!!
降新だけじゃなくて新蘭のターンもあります!!!!
「降谷さんごちそうさまです」
ごきげんに頬を緩ませた新一くんが、ねらった上目使いで僕に笑いかける。かわいい恋人だ。おごってもらったお礼に僕が喜ぶことをしてくれている。直視すると変な気を起こしそうなので「気にしないで」と歩き始めた。
「駅はどっちだっけ」
「酔いざましに少し歩きませんか?」
「ここからだと家が逆方向だけれど、どちらへ行く気だい」
「降谷さんち。さっきうまい日本酒をもらったっていってたじゃないですか。あれ俺も気になるなー」
僕が断らないことを知っている言い方。
「明日、大学休みなんですよね」
加えてしおらしく言うものだから僕はこらえきれずに笑ってしまった。
「もう単位足りてて気ままに大学生活を送っている暇人がなにか言ってる」
「でも恋人が多忙だからなかなか二人の時間が取れなくて寂しいなー」
「かわいさに免じてなんでもつまみを作ってあげよう」
「俺、あんたのそういうところ好き」
新一くんが僕の手を取って歩きだす。
夏も過ぎて涼しくなってきた夜風が心地いい。
酔っている新一くんは、ふわふわと笑っていた。アルコールで上機嫌な新一くんは、いつもに増してかわいい。
「そうそう聞いてくださいよー。この前、なんか変な夢を見たんですよ」
「君が夢の話なんて珍しい」
「なんだか気味が悪い夢で。そのうちに忘れるかなと思ったんですけどまだ記憶にこびりついているんですよ」
「話してごらん。僕も気になってきた」
新一くんの指が僕の指と深くからまり、きゅっと握られる。
「夢の中で俺は、蝶を追いかけているんです。蝶はアゲハチョウくらいの大きさで、刻々と色を変えてました。俺はどうしてもその蝶が桜色のときに捕まえたかったんですけど、やっとのことで捕まえると淡い黄色で、あんなに俺から逃げていたのにまとわりついてくるようになったんです」
「かわいい夢じゃないか」
「でも、蝶を眺めているうちに空が落ちてきていることに気がついて」
「空が落ちる?」
「地面が上がっていたのかもしれないです。よくわからないんですけど、夢の中の俺は空が落ちてきていると気がつくんです。そして誰かの声が聞こえる。『どうすればいいのかわかっているんだろう』って。そうしている間にも空は落ちてくるので、俺はついに蝶の羽をもぎ取って食べるんです。すると蝶の胴の部分がどんどん長くなって、つっかえ棒のように空を支える。それを見届けて口の中の羽を吐き出すんですけど、それはもうブルーグレイに鈍く光るたくさんの金平糖になっていて、俺は後悔するんです」
新一は目を伏せる。
「なにを後悔するんだい?」
「夢の中での話ですよ。なんで蝶の胴まで食べてやらなかったんだろうって後悔して、白い百合の花弁の中に金平糖を入れて蝶に戻そうとするんですけど、花の中から出て来るのは南瓜くらいの大きさの青い林檎でした。次に俺がその林檎を隠そうとして食べてゆくと、今度は中から動物の……もしかしたら人のかもしれない骨が出てくるんです。そこで目が覚めたんですけど、なかなか気味が悪いでしょう」
「たしかに不思議な夢だね。ルイス・キャロルみたいだ」
僕の言葉に、新一は納得したように頷いた。どうやらその気味の悪い夢はルイス・キャロルのように不条理でナンセンスであるようだった。本の虫である新一くんがもっとも好む推理小説とはまったく毛色の違うものだ。物語の最後まで読もうとも、不思議な謎は謎のまま残って終わる。
きっと新一くんが気味の悪い夢を忘れることができなかったのは、論理的な物語を好む新一くんの感性から外れたところにあったからなのだろう。
「なんだかようやく納得できた気がします。でも夢ってどうしてあんなに脈絡なくへんてこなものなんでしょうね。夢を見るメカニズムは解明されてきてますから、そのうち誰もが見たい夢を見るようになったりするんですかね」
「どうだろう。僕みたいに夢をほとんど見ない人からすると、へんてこな夢を見られるのも楽しそうだ」
「ね、今夜は一緒に寝ましょう。俺と一緒なら変な夢が見られるかもよ」
「うちのベッドはあのあまり広くないやつしかないけどそれでよければ」
「降谷さんち泊めてくれんの、ラッキー!」
最初からそのつもりだろうに白々しい。
「それともこのあたりでホテル探す?」
「明日も朝からのんびりいちゃいちゃしたいから降谷さんちがいい」
新一くんはそれきり静かになって、歩きながらも僕にもたれかかるようにして体を寄せてきた。ああ、しあわせだな。
失恋に落ち込む新一くんを見ていられなくていろいろと世話を焼いているうちに好意を寄せられて。どうやって断ろうかと頭を悩ませていたころからすると信じられないくらいにしあわせだ。断っていたらまた新一くんが落ち込むことはわかっていたのに、あのときの自分がなぜ新一くんを遠ざけようなどと考えていたのか今更ながら理解に苦しむ。新一くんはこんなにかわいくて、仕事に理解もあって僕にぴったりの恋人なのに。
乾いた夜風に吹かれ、僕たちは指先から腕まで絡ませて歩いた。世界には僕たちふたりだけのように新一くんの体温しか感じられない。
しばらく人通りの少ない道をふたりで歩いていると、僕の家へ帰る路線の地下鉄の駅が見えた。
「ねー、もうひと駅だけ歩きましょうよ。俺まだ明るいところに行きたくない」
新一くんが僕の腕にしがみつく。
「僕としては早く家に帰って君ともっといちゃつきたいな。タクシー呼ぶ?」
「じゃああっちの大きな道に出ようぜ」
「了解」
その前にとでも言いたげに、新一は背伸びをして形のいい唇をつきだした。かわいいなあもう。タクシー乗るまで待ってといつもなら言うところだが、周囲には誰もいないから期待に応えてあげた。
新一くんがしあわせそうに笑うから、僕もしあわせだ。
僕たちはタクシーを拾うべく、方向転換して腕を組んで歩き始めた。
行く先に見えている大通りは夜でも明るく行き交う車も多いようだが、大通りを少しでも外れた住宅街はとても静かだ。街灯が点々と輪郭のあやふやな道を作っている。
闇に呑まれたような町の中。
僕はそこにあるはずのない小さな人影を見た。
「コナンくん!」
間違いない。
僕は居ても立ってもいられず、腕にまとわりついているものを振りほどく。
「ちょっと!」
案の定、彼女から不満げな声が上がる。
「あの子には手を出さないように言ってあるでしょう。忘れたとは言わせないわよ」
ベルモットは豊満な胸の下で腕組をして僕をにらみつけていた。彼女の機嫌の悪いときの決まったポーズだ。
まったく冗談じゃない。組織の仕事でもなく送迎のためだけに僕を呼んでおいておいて、どこまでも自分勝手な魔女だ。
「こんな時間に小さな子供を放っておけるわけがないでしょう。毛利探偵事務所へ送ってきます」
ベルモットの返事を待たず、僕は走った。
小さな探偵くんは、自動販売機の影にかくれてなにかを見ていた。僕はコナンくんに勘づかれないように足音を消して息を潜め、背後から忍び寄る。
そして一瞬のうちに右手で口を塞ぎ、左腕で体を拘束した。
「やあこんばんは」
腕の中のコナンくんがもがく。そんな怯えた目をしなくとも、君の前ではポアロの安室さんでいるしかないのに。小さな鼻息が手にかかり、くすぐったくて口を解放した。
いくら僕を組織の人間だと警戒していたとしてもこの子は誘拐だと騒ぎはしない。騒ぎ立てて犯人を刺激して危害を加えられるより、大人しくしながら虎視眈々と脱出の機会をうかがうタイプ。
「子供がこんな時間にひとりだなんて感心しないな。家まで送るよ」
「ボクひとりで帰れるから大丈夫だよ」
「君の大丈夫は信用できないなあ。すぐそこに車があるんだ。乗っていきなよ。それともこのままだっこで連れていってあげようか?」
「自分で歩ける」
コナンくんは観念したように言った。僕もにこりと笑って体の拘束を解いてやった。逃げられても癪なので、僕の左手はそのままコナンくんの右手首をがっちりつかむ。ずいぶんと細い手首だった。まだ小学一年生なのだから当然ではあるが、なんだか違和感のある細さだった。隣に並ぶ体もこんなに小さかっただろうか。
「どうしたの安室さん。帰るんじゃなかったの」
「いや……君はこんなところで何をしてたんだろうかと考えていてね」
コナンくんは「ふーん」と不満げに答えると口をつぐんだ。答える気はなさそうだ。僕もさして興味はなかった。
近くの駐車場に僕の車は停めてあって、乗ってからもコナンくんは運転する僕の横顔を静かに見つめていた。
僕はコナンくんを送り届けているだけだから探ろうとしても無駄だよ。送るのに打算的な理由があるとしたら、それは同じくコナンくんに手を焼く大人として毛利小五郎の懐に入りやすくなる、という程度のものだ。
毛利探偵事務所が見えたところで赤信号に捕まった。
「もうここでいいよ。送ってくれてありがとう安室さん」
「おやすみ」
「……おやすみ」
車のドアが閉まる音がして、コナンくんはいなくなる。
なんであっさり僕から離れるんだろう。コナンくんの本当の家ではない毛利宅へ帰るくらいならもっと僕の車に乗っていればいいのに。
信号はまだ桜色だ。
僕の他には誰もいない信号を待ちながら、僕は大きく息をついた。この信号は次には淡い黄色になるはずだ。さっさと桜色なんて消えてしまえ。
どんよりとした曇り空の下で僕は信号を待つ。
信号が青になると同時に雲の間から日が差して、僕は目を細めた。喫茶ポアロの窓ガラスに反射しているのも見える。天気がよくなるようだから、今日はアイスコーヒーを多めに用意しておこう。
春休みの喫茶ポアロは、朝から混んでいた。
ランチなんてそれこそ戦場で、マスターがドリンク類、梓さんが注文取りと配膳、僕が調理にそれぞれつきっきりだ。僕の料理をマスターが評価してくれて僕のいる日は春休み限定ランチセットなんて始めたものだから、それを目当てのお客さんも増えた。
今日のランチセットはナポリタンで、もう飽きるほどにトマトソースを見続けた。なにかと神経のすり減る探偵業のかたわらでのんびり落ち着いた雰囲気の喫茶ポアロのバイトをしてるはずが、すっかり料理人の気分だ。
ようやく昼のピークも過ぎて、まず梓さんに休憩に行ってもらい、僕は片付けをしながらひと息ついた。店内にはまだお客さんはいるが、ドリンクをテーブルに置いて会話を楽しむ人や、本を読むのに夢中になってる人がいるだけ。
しばらくは注文も退店もないだろう。
穏やかな春の日だ。きっと桜もたくさんの見物人に見上げられながら美しく咲いていることだろう。桜を探しながらドライブなんて楽しそうだ。
カラン、店のドアのベルが鳴る。
「こんにちは」
「いらっしゃい、蘭さんに工藤くん」
「どうも。アイスコーヒーふたつ、お願いします」
この喫茶店の上に住む蘭さんとその恋人である高校生探偵の工藤くんは、いつものように窓際の席についた。幼馴染みの二人はデートらしいデートに出掛けることもあるが、こうしてこの喫茶店で時間を過ごすことも多い。
楽しげな蘭さんの声がよく聞こえてきた。
注文の通りアイスコーヒーをふたつ、手早く用意してふたりのテーブルへ。
「それでね、白い百合の花が咲いてたからその花の中に金平糖を入れてみたの」
蘭さんが夢の話をしている。
「ふーん?」
工藤くんは頬杖をつきながら興味なさげに相づちを打っている。いくら恋人とはいえ、工藤くんのように理路整然とした物語を好む人は脈絡のない夢の話なんて退屈なのだろう。それでも蘭さんが話したいから話すのを止めはしないでいるのが幼馴染みから恋人になったふたりの飾らない距離感だ。
「私は蝶に戻ってほしかっただけなんだけどね。その金平糖がどうなったと思う?」
「知るかよ」
ああ、なんだかとても羨ましい。
羨ましいどころか少し腹立たしさもあるのは、きっと僕はもう得ることができないからかな。幼馴染みから恋人になってくれる相手なんてのは大人になってからほしいと思ったところでどうしようもない。
「お待たせしました」
ふたりの邪魔をしないようにアイスコーヒーを差し出す。本当はふたりの頭の上からアイスコーヒーをぶちまけてやりたいが、今の僕は安室透なのだから大人しくしていた。
ガムシロップの入れられた蘭さんのアイスコーヒーのグラスの中には、透明なもやができていた。
「ごゆっくりどうぞ」
僕に会釈して、蘭さんの瞳は再び工藤くんに向けられる。
「夢の中って不思議よね。金平糖を百合の花の中に入れると、今度は金平糖が林檎になったのよ」
蘭さんの言葉に、僕はカウンターへ戻ろうとしていた足を止めた。その夢の話を僕は知っている気がした。
「……南瓜ほどの大きさの青い林檎」
僕の口から記憶の欠片がこぼれ落ちる。
そうだ、僕はこの夢を知っている。
いつか自分で見た夢だったか。しかし僕は普段は夢なんて見ない。今の工藤くんのように聞かされたのだったか。
僕がふたりの方へ振り向くと、工藤くんと目があった。工藤くんは鋭い視線を僕に向けていた。蘭さんは目を丸くしていた。
「そう、ちょうどそれくらいの大きさの林檎に……。安室さん、どうして分かるんですか?」
蘭さんに訊かれ、僕は言葉につまる。おそらく誰かに聞いた夢の話と同じだからと言ってもいいのだが、肝心の誰に聞いたかを思い出せなかったからなにも言えなかった。中途半端に話して、すべてを見透かすような工藤くんからの追及を逃れたかった。
「安室さん?」
僕は工藤くんの刺すような視線に耐えられなくなった。
「なんだか僕が前に見た夢に似ていてね」
「あなたの夢に南瓜ほどの大きさの青い林檎が出てきた」
「そうさ。これくらいの大きさのまだ青い林檎」
「まだ青い、ということはグリーンですね。……蘭、オメーが見た夢の青い林檎は何色だった?」
「私が見たのはグリーンじゃなくてブルーの青よ」
蘭さんの言葉に僕は息を呑んだ。僕は青い林檎という言葉のイメージで黄緑色の青林檎をイメージしていた。
「つまり、蘭と安室さんが見た夢は似ていても別物だったということです。もしくは、蘭と同じ夢を見た人から伝え聞いた話を自分が見た夢だと嘘をついたか」
あれ。
僕はこの夢の話を工藤くんに聞いたんじゃなかったか。
そうだ。工藤くんに聞いた。新一くんに聞いた。僕の恋人である新一くんに聞いたんだ。
じゃあ今ここにいる蘭さんの恋人である工藤くんは誰だ。本当に工藤新一なのか。
工藤くんは不適に笑っている。
「ウソつき」
「君に言われたくはないさ……」
僕はコナンくんにそう返した。だってそうだろう。大きな嘘をかかえた君にだけはウソつきだなんて言われたくない。
僕たちはそれきり視線を逸らさず見つめあったまま、お互いに言葉を探した。
コナンくんが昨日の今日でわざわざこんなことを言いに来たということは、安室透を名乗る僕が公安警察の降谷零であることも知っている、と言外に伝えるためだろう。
コナンくんが懇意にしている工藤新一の家で起きたことと赤井秀一が生存していたことは密な連携のもとに行われたことだろうから、どうせコナンくんにも知られたことはわかっている。
しかしコナンくんと沖矢昴とFBIの関係についてはまだ確たる証拠がないのだから、これからコナンくんに詳しく話を聞いてみてもいいのかのしれない。
僕のそんな意図を感じ取ったのか、コナンくんはばつがわるそうにぽりぽりと頬を指先で掻いている。
ひとまずお互いの腹の中は置いておいて、喫茶店員と小学生に戻ろうか。
「なにか飲んでいくかい?」
「ええと、ボク安室さんの顔を見に来ただけだしもう帰ろうかな」
「遠慮しないでもっと見ていきなよ。お客さんも一段落ですいてるし、僕がごちそうするよ」
コナンに示しながら見渡した店内は、ひとりの常連客が新聞を読んでいるだけで閑散としていた。他には誰もいない。誰もいなかった。さっきまではもっとお客さんがいた気がした。
「……アイスコーヒーでいいかな?」
「うん。じゃあお言葉に甘えてごちそうになるね」
コナンくんは窓際のテーブルではなくカウンターの席についた。
グラスにひとつひとつ氷を入れて、冷蔵庫に用意していたアイスコーヒーを注ぐ。ちょうどこの一杯で終わりだった。そうだ、今日はアイスコーヒーを多めに用意していたんだ。このアイスコーヒーはコナンくんのために残っていたのかもしれない。夜に向けてまた準備しておかなくては。
アイスコーヒーを出されたコナンくんは、はじめこそ僕の様子をうかがっていたが、次第にぼんやりとテーブルに頬杖をついて考え事をしていた。昨晩は忙しかっただろうから、コナンくんの知り合いと顔を合わせて猫をかぶっているよりならこうして休んでいた方が気も休まるだろう。
しばらくしてまたお客さんが増えてきたころ。コナンくんが席を立った。
「コーヒーごちそうさま」
氷だけになったアイスコーヒーのグラスを僕に差し出す。
「またおいで」
「またごちそうしてくれる?」
「よろこんで。僕が店にいるときはいつでもおいで」
コナンくんは「やったー!」と無邪気っぽく笑う。いつものコナンくんで、相変わらずねだるのがうまい子だ。
「じゃあまたね」
コナンくんは小さな手を振って、ドアノブに手をかけた。
カラン、店のドアのベルが鳴る。
開いた入り口の向こうに見える景色は、ガラス越しに見える町の景色と似ているようでまったく別物にも見えた。景色は刻々と色を変え、気がつくと宵闇にぽつぽつと街灯が浮かび上がる。
さて、そろそろ毛利探偵事務所も店じまいだ。その前に組織から受けた命令の方を進めておこう。唯々諾々と従う気はないが、懐に飛び込むチャンスをふいにはしない。
現在、求められているのは工藤新一についての情報だ。情報を渡すだけ渡して、あとはこちらでどうにでもすればいい。命だけ助けてほとぼりが覚めるまでどこかに閉じ込めておくでもいいだろう。
僕は店のあまりそうな食材で毛利小五郎への差し入れのハムサンドを作った。
「毛利先生のところへ差し入れに行ってきます」
そうマスターに告げて店を出た。外では細い月が光っていた。
「こんばんは毛利先生」
「おう安室くんか。こんな時間に来てももう今日はなんもねーぞ。ま、朝からなにもなかったんだけどな」
「それはそれで平和でいいじゃないですか。名探偵のお力を必要とするような事件もなかったんですから」
あとは差し入れを渡して適当に機嫌を取っておけばいいだろう。工藤新一の情報なら、小五郎より蘭に接触した方がいい。そのために蘭と接触しやすくしておくに越したことはない。
「毛利先生、これ――」
差し入れを渡そうと人好きのいい笑顔を作って小五郎の顔を見ると、口をへの字に曲げて不機嫌さを示していた。
「あの探偵ボウズ、俺の手柄をかっさらいやがって~!」
僕の胸がどくんと強く脈打つ。
「探偵ボウズってまさか例の高校生探偵ですか」
「ったく、ふらっとどっか行って蘭に心配ばかりかけるくせによ、帰ってきたかと思えば今度は俺の仕事の邪魔だ」
「工藤新一くんが戻ってきているんですか?」
僕が訊ねると、小五郎はじっとにらんでくる。
「蘭が言うには、そうらしいぜ。まあ、俺のようにじっくりこの町に根差している探偵と違って、あいつはまたすぐふらふらどこかへ行っちまうんじゃねーか」
ああ、僕というミーハーな見習い探偵が眠りの小五郎から高校生探偵に乗り換えるんじゃないかと心配しているのか。授業料と称してけっこうな金を渡しているからな。
僕は小五郎の機嫌を損ねないように差し入れを渡して事務所から退散した。
工藤新一が帰ってきているなら、そちらから直接に探ればいい。
ポアロのシフトを終え、僕は一度家に寄って用意を整えた。闇に紛れる全身黒ずくめの服に、目立つ淡い黄色の頭髪も黒いキャップに隠した。
時刻は夜の11時を過ぎたころ。道行く人はほとんどおらず住宅街はすっかり静かになっているが、家々の明かりはついている。慎重に移動し、工藤新一の家へ向かった。
あの家についても調べている。組織の方でも二度あの家の捜査をしたらしいが、記録にある通りにこの家の優作・有希子夫妻は数年前から生活の拠点をロサンゼルスに移し、一人息子の新一はジンの手によって殺された。しかし人目につくトロピカルランドの中でのことで死体を放置したにも関わらず、ニュースにもならなかった。このことを不審に思った組織が彼の家を捜索したが誰かが家にもどった形跡はなく、組織としては工藤新一は死んだものと判断した。
その工藤新一が生きている可能性があるとして、探り屋として評価されているバーボンの僕に工藤新一の現在についての情報を集めろと指令が来た。
幼馴染みの蘭が会ったというなら生きている可能性は高いと見ていいだろう。ベルモットの変装のようなものである可能性もあるが、それでは幼馴染みを継続的にだますことはむずかしい。工藤新一に化ける意図はわからないが、この町に留まるリスクはおかさないだろう。
工藤新一が本当に生きているならそう報告するまで。ただし工藤新一の命が奪われないようにこちらの準備が整うまでは組織へ露見しないようにしなければならないし、そのためには工藤新一には大人しくしていてもらわなくてはならない。
工藤邸には明かりがついていた。一階は暗く、二階の一部屋にだけ明かりがついている。報告にあった工藤新一の寝室。
僕は組織の報告にあった裏口の鉄門を外側から開け、敷地内へ入る。建物の周囲を注意深く歩いていると、一ヶ所、窓の鍵が開いていた。
不用心なのか、僕を誘い込む罠なのか。
耳を澄ましてもなにも聞こえない。
一日様子を見るべきか。いや、手がかりが明日もそこにいてくれるとは限らない。
僕は外開きの窓に手をかけ、ゆっくり引き開ける。人の気配はない。
窓にかけられていた青い空色のカーテンが風に揺れた。
僕は靴を脱ぎ家の中へ入る。
「おかえりなさーい」
玄関からまっすぐ廊下の向こう。まぶしい青空の下。開け放った窓からひょこりと麦わら帽子が顔を覗かせた。ほしい本のための小遣いの増額と交換条件である草むしりは、家をぐるっと一周と決めたのは今日の朝。玄関から始め、僕が家を出るまでに数メートルしか進んでいなかったのに、半分を終えているようだ。
「もうそんなところまで進んだの」
「草むしりくらい、ボクにだってできるさ」
すっかり日焼けしたコナンくんは、窓枠に頬杖をついてわざとらしく首をすくめる。このごろ成長期なのかぐっと背が伸びたが、まだ骨の成長に肉がついていっておらず、その腕はひょろひょろっとしている。
「今アイスコーヒーを入れるよ。今日の草むしりはそこまでにして休憩にしなよコナンくん」
「そうする。あ、トマトがすっかり赤くなっていたからついでに収穫しておく」
「胡瓜も大きくなりすぎる前に採っておいて」
コナンくんは「りょうかーい」と応えて庭の方へ向かった。
僕は平和な日常の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで深呼吸をした。やはり庭付きの戸建てにしてよかったなと実感する。
組織を壊滅に追いやっても元の体に戻ることは叶わなかったコナンくんを静かに養育するために移り住んだ田舎では、今までの人生が嘘だったかのように穏やかな日々を送っていた。
僕の生きる場所は戦いの中にあると思っていた。幼いころからハーフであることで受ける様々な差別と戦ってきた。警察官を自分の生涯のかけるものと決めてからは戦うものも増えた。自分自身の良心とだって戦って、ときには押し殺しもした。
それが今はどうだ。
全校生徒数が50人に満たない中学校へ通うコナンくんと自分だけの世話をしながら、のんびり庭の家庭菜園を楽しんでいる。
仕事はしていない。とコナンくんには言ってある。今のご時世、ネットさえあれば僕にできる仕事なんていくらでもあった。それでも多くて日に2時間。コナンくんが学校へ行っている間に余裕で終わる。つまり夏休みの始まったこの一週間はまったく仕事はしていない。
家事と家庭菜園と、必要性の感じられないコナンくんの家庭教師。それだけの生活が僕を満たしていた。
「零さん野菜」
「ボウルに水を張っておいたからこの中へ。野菜は僕が洗っておくから、手を洗っておいで」
流水を溜めている銀色のボウルの中で真っ赤なトマトと青々とした胡瓜がぷかぷかと遊んでいる。林檎ほどの大きさに育ったトマトはつややかで自慢の出来だ。野菜を作るにはやはり土だ。家庭菜園とはいえ年々土作りを勉強して改良してきた、文字通りの成果だ。
コナンくんとの仲だって確実に深くなっている。
澄んだ空気や広い青空や美味しいトマトが僕を満たしているわけではない。きっとこれらだけだったら一年も経たないうちに僕は田舎に飽きて東京へ戻っていたことだろう。
コーヒーのためにスイッチをいれていた電気ケトルが音を立てて僕を呼んでいた。僕はトマトと胡瓜を水から上げてからハンドドリップの準備をした。豆は今朝に挽いたのがまだ残っている。きっと僕が帰ってきたころにこうしてふたりで飲むだろうと思って多めに挽いておいたのだ。
コナンくんはアイスコーヒーにするから氷で薄まる分を考えて濃いめに淹れる。氷の入ったグラスにコーヒーを注ぐと、氷はみるみる溶けていく。カラン、氷が鳴る音はなにかに似ていた。
余ったコーヒーはカップへ注ぎ、同量ほどの牛乳を入れた。黒いカップの中で混ざり合い、泥のような茶色になった。
「あー、やっぱり零さんのコーヒーはうめえな」
コナンくんがグラスを傾けると、また氷がカランと鳴った。
「今日の夕食はなにがいい?」
「あれがいいな、ナポリタン」
「トマトは胡瓜と一緒にサラダにしようと思ったけど、あれ使ってナポリタンにする?」
「胡瓜とは別にした方がいい気がして」
コナンくんの言った意味がわからなくて、僕は首をかしげた。
「ほら、前に作ってくれた胡瓜の酢の物。あれも食べたいなーって」
「そういうことなら任せてよ」
コナンくんからのリクエストなら張り切って作ろう。ナポリタンならいつからか得意料理だ。
●夕食シーンどうしようね
「おやすみ、零さん」
「おやすみ、コナンくん」
コナンくんは僕の額にキスを預けて、自室のある二階へ上がった。
放っておくといつまでも夜更かしするので、23時には布団へ入るように言っている。コナンくんも知識として成長期の睡眠時間の大切さは知っているから、こんなことで僕を困らせようとはしない。
僕も寝るにはまだ早いが、やることもないので布団を敷いて寝ることにした。大人の体にだって睡眠時間は大切だ。
眠れはしないが布団で寝転んでいると、時間の流れが止まってしまったかのように静かだった。一面に積もった雪は音を吸収する。
トントンと階段から音がする。そして家庭菜園へ出るガラス戸が開く音。コナンくんが外へ出たようだ。
僕は身を起こして、コナンくんを追いかける。
コナンくんは家庭菜園の真ん中にしゃがんで南西の空を見上げていた。空には満天の星空が広がっていた。南西の空にはもっとも明るいシリウスが輝いている。
「眠れないの?」
「うん」
コナンくんは僕を見ずに応えた。
「あのね零さん、ボク変な夢を見たんだ」
しずかな声に僕は嫌な予感がした。コナンくんをたしかめたくて、後ろから抱きしめる。コナンくんは嫌がりもせず、僕に体重を預けた。
「どんな夢かは聞きたくないな」
「あなたがそう望むならそうします」
まだ声変わりもしていないコナンくんはやけに大人びた様子で言った。
不確かな夢の話なんて話してくれなくていい。
コナンくんはただこうして僕の腕の中にいてくれればいい。
ぎゅっと腕に力を込めると、まだ成長途中のコナンくんの華奢な体が温かかった。
「そろそろ部屋に戻ろうコナンくん」
「……どっちの部屋に?」
「僕の部屋においで」
「夏休みになってもなにもしないから、もうその気はないのかと思った」
コナンくんはくすりと笑う。さすが中身は24歳の青年らしくつやめかしい。
「休みがどれだけあると思っているんだい。休みだからってこんなことばかりしていたら、なし崩しにずっとしてしまいそうになるじゃないか」
「零さんは俺のなに?」
「保護者」
コナンくんは声を上げて笑った。
「恋人って言ってほしいところだぜ」
「犯罪者にはなりたくないんだよ。勘弁してくれ」
「じゃあ零さん、ボク気味の悪い夢を見てひとりじゃ寝れないから今日は一緒に寝よう?」
「しかたないなあ」
僕は腰を落としてコナンくんの腹の辺りに腕を回し、そのままひょいと抱え上げた。コナンくんの青いサンダルが地面に落ちるが拾うのは明日でいい。
体を反転させて僕の首に腕を回したコナンくんが僕の首に吸い付いて、ちゅと皮膚が震えた。
「こら、部屋まで待ちなさい」
「だめ我慢できない。好き零さん。星空なんて見るんじゃなかった。闇夜色の蝶なんてボクいらない!」
話を聞いていたくなくて、僕は自室へ駆け込んだ。布団の上へ落とすようにコナンくんを放り投げてその上に覆い被さる。ベッドのスプリングが軋んでギシギシと音を立てた。
暗闇にふたりだけ。
服を脱がそうと手を伸ばすと、身をよじられた。恥ずかしがって自分で脱ぎたいのか。でも僕は待てなくて、ぬくもりに抱きついた。
そこで僕は違和感に気がつく。コナンくんの腕はこんなに太くはない。こんな筋肉で硬いふとももだって違う。顔も、あの柔らかい頬がない。頬杖をつくとむにっと形を変える頬がない。
「なにすんだよ!」
誰かが叫ぶ。
窓から月光が部屋の中に差し込む。
「なにもんだあんた」
工藤新一が僕を睨んでいた。
僕は工藤新一の体を強引に押し、ベッドに沈めて腹の上に馬乗りになる。そして腕を伸ばして頬をつねった。趣味の悪い変装ではないらしい。
「やはり生きていたんですね、工藤新一」
僕は黒いキャップを深くかぶり直した。
「だったらなんだ。このごろ町を離れていたが、なぜそれを俺とは面識のないあんたが気にかける」
「さあなぜでしょううね」
月に照らされた工藤新一はしずかに僕を見ていた。このまま僕が両腕を伸ばして体重をかけて首を絞めることだってできるというのに。僕の冷静さをすべて吸いとられているかのようだった。
「あなたが私の家に侵入した目的は?」
「言うとでもお思いですか」
「あなたがなにも話す気がなくてそこから退く気もないなら、少し私の話を聞いてください」
工藤新一は僕の目を見ていた。
「僕はつい先程まで夢を見ていました。夢の中の私はきれいな桜色の蝶を追いかけていると、空が落ちてきていることに気がついた」
僕は口を挟むこともなく工藤新一を見ていた。
「空の色は少しくすんでいて、ちょうどあなたの瞳の色に似ていた。そんな空が刻一刻と落ちてきて、ついに僕は空に呑み込まれた」
なぜか僕は苛ついていて、体を倒して工藤新一の顔の両脇に手をついた。
工藤新一は僕の目を見て嗤った。
「ほうら、落ちてきた」
「なぜ空が落ちてくるのを待っていた」
「ただの夢の話ですよ。私は別に空が落ちてこようとどうでもいいことなんです。今のあなたのことだってどうでもいい」
鼻と鼻が触れあうような距離まで顔を近づけても工藤新一は微動だにしない。
「本当にどうでもいいのか」
僕の口から冷たい声が出る。
「どうでもいいですよ」
いっそ憎んでほしかった。
僕は君に触ることのできない空ではないし、善良な侵入者でもない。
「なんどでも言います。あなたのことなんてどうでもいい。気が済むまでそうしていてくださって構いませんよ」
そんなに憎んでほしいのなら、憎まれてやる。
僕は拳銃を取り出した。
それでも工藤新一は僕を見ていた。
「工藤新一は死んでいたと報告するよ」
「それであなたの気が済むのなら」
気に入らない言葉を発するその唇へ銃口を捩じ込んで、僕は引き金を引いた。
工藤新一は死んだ。
なにも問題はない。
しかし僕は工藤新一の腹の上から動くことができず、気が済むまでその顔を眺めていた。少しも動かない工藤新一など、僕にもどうでもよかった。
僕はいずれ昇る太陽から逃げるように工藤邸を出て、まだ深い闇に包まれた夜道を歩きながら組織へ工藤新一を殺したと報告した。これであとは組織の方であの死体はどうにかしてくれる。僕が気にかけることなんてこれっぽちも残ってはいない。
家へ帰った僕は翌日の予定を思い出す。
今日は安室透としてポアロで勤務後に組織関係の予定がある。人使いの荒い組織だ。
それまで少し休もう。
僕はベッドで目を閉じる。
夢を見ることもなく目を覚ますと、もういつも通りの安室透の部屋だった。
今日の安室透はロックが好きな安室透。
そう調整して服を選んだ。
よーし明日朝早いからここまで!ノシ
これR18いる???いらんね!
R18ではないけど死ねた??かな???