私のバイトのシフトが遅いとき、アオイさんが店の近くで私が終わるのを待ってくれて、家まで送ってくれることが何度もある。
その日のバイトの内容や、アオイさんのその日の出来事なんかの他愛ない出来事をぼそぼそと話しながら歩く。夜遅いから、二人の話し声は囁き声みたいになり、自然と距離が近く。ぶつかるみたいに手が触れたときに、少しだけ手をつないでくれるのが嬉しくて、私は週に何度も最終シフトを入れてしまったりもした。
手をつなぐ時、彼は人差し指と中指の二本だけをちょろっと絡めてくる。まるで偶然みたいに。私はその瞬間が恥ずかしくも大好きだった。
手をつないだ瞬間から、それまで話をしていた雑談はどうでも良い前座へと変わる。そして、二人ともただ黙って寄り添って歩くのだ。
けれど、アオイさんはもう何週間もバイト先に現れない。
『ごめんな、ちょっと立て込んでて。落ち着いたら遊ぼうな。バイトが遅くなる日でも気をつけて帰れよ』
私を気遣うメッセージは毎日のようにくれるけれど、あの暖かみを知ってしまった私にはそれだけでは物足りなくなってしまっていた。
たった数週間会えないだけで、顔が見たい、声が聴きたいと思う権利なんて、私に無いのに。
私のことを特別だって言ってくれただけで良い夢見せてくれたと感謝しなくちゃ。
事故の日。目覚めるまでは私の人生にアオイさんはいなかった。でも、今の私には彼がいることが自然で、当たり前で、彼がいない人生を考えることが怖い。いつまで経っても彼のことを思い出せない私のことを、彼が見限ってしまう可能性だってあるのに。
グズグズ考えても仕方ない。私にできることをしよう。
そして、私の人生最大の計画が始まった。
『今週どこか開いてる日はありますか。五分で良いです、時間をください』
大体の準備が整い、勇気を出してアオイさんにメッセージを送る。しばらくして返信がピロンと戻ってきた。
『ちょうど日本にいるから平気。金曜日はどう? 久しぶりに夜メシでも食おう』
えっ。ちょっと待って。私はスケジュールアプリを開いてパニックになる。金曜日って…まさに決戦の当日なんだけど。その日にご飯って、それ、私、どうすれば良いの? え? やっぱり作っておもてなしするのが筋ってものよね? ど、どうすればいいの?
なんと返信すればいいのか考えあぐねている間に、
『おーい、どした?? 都合が悪ければ別の日でも良いんだぞ』
と、疑問符がついたスタンプが送られてくる。
『いえ、ごめんなさい、まったく持って大丈夫です。えっと、じゃあ、うち来ます?」
『え? 小間園地?』
小間園地って何? なんて読むの? スマホを見つめていると、すぐに訂正のメッセージが送られてきた。
『変換間違った。おまえんちって書こうとして途中でおくった、ごめん。遠慮しておくよ』
『そうですか』
これが電話じゃなくて良かったと思う。私今まともな声出せないと思うから。…なんか、悲しくなってきた。
『違っ。お前の家に行きたくないとかじゃなくて! むしろ逆! お前の家から俺多分帰らなくなっちゃうから。な? 察してくれよ』
アオイさん、私の表情が読めるんだろうか。慌てたような追伸がスマホに表示される。
えっと、帰らなくなっちゃうってどういうこと? 
その文字を見つめたまましばらく考える。やがて、その意味を理解した時、血液がぶわっと全部顔に集まったのを感じた。と、とにかく返事を打たなくちゃ。
『かしこまりました。それではどこで待ち合わせ致しますか』
『十七時三十分に、この前の駅の』
指定されたのは、以前連れて行ってくれた紅茶のおいしい喫茶店のある駅だった。
『そうだ。この前のワンピース着て来いよ』
この前のっていうと、加賀見グループのパーティーの時にプレゼントしてくれた、まるでドレスみたいなアレのことよね? そんな大袈裟な服が似合うようなお店って一体どこ? そんな大げさなところなの?
『身構えんなよ、普通のレストランだって。この前のかわいかったから俺がまた見たいだけ。じゃ、また金曜日に』
『はい、たのしみにしています』
返信をして、すぐに私は『ひとり 背中 チャック ファスナー ワンピース』と検索をしたのだった。
うそつき。ドアマンがいるのは普通のレストランじゃないもん。
アオイさんが連れて行ってくれたのは高層ビルの上の方にある、大きな窓から夜景を見ることができるすてきなフレンチレストランだった。
「アオイさんはこういうお店よく来るんですか」
アオイさんがワイン、私はソフトドリンクのオーダーをした後、小さな声でアオイさんに話しかける。
「それ」
ところが、彼は質問には答えてはくれず、すこし厳しい顔をして人差し指でコンコンとテーブルを少し叩いた。
「え? どれです?」
「呼び方。『さん付け』に戻ってる」
…気にしていないわけではない。でも、やっぱり普段は呼び捨てにすることに抵抗がある。あの時は絶対に呼び捨てで正解だったと思っているし、もし同じことがもう一度起きても、やっぱり私は彼のことを呼び捨てするだろう。
でも…普段はやっぱり、まだちょっと恥ずかしいし、相応しくない気がする。
「まあ、別に、俺はどっちでも良いけど。お前が呼びやすい方で」
私が黙っていると、アオイさんはピアスに手をやりながらそう言ってくれる。良かった、そうその時は思ったのに。
その日彼は始終そわそわして心ここにあらずだった。会えない間の些細な話題にも相槌がいい加減だったし、しょっちゅうピアスを触るし、頬杖もつくし。
…無理して時間作ってくれたんだもんね。本当は私と会いたくなかったのかもしれない。
いくらこんな綺麗な格好したって、所詮普通の小娘だ、こんな素敵な店には不釣り合いで、連れてきたことを後悔しているのかもしれない。
そもそも、マナーがなっていなくて幻滅してしまったのかもしれない。
だって今日は、一年のうちでも大切な日なんだもの。
私なんかと過ごすより、本当はもっと、ほかの誰かと…。
どんどんいろいろなことを考えすぎて、だんだんとせっかくのお料理の味が分からなくなってきてしまう。なんとか全てを食べ終えたときには、二人の会話はまったくなくなってしまっていた。
本当は、デザートの後のコーヒーの時に彼に感謝の気持ちを込めて渡したいものがあったのだ。でももうこんな状態で渡す勇気なんて無い。
きっと迷惑だもの。
顔見ただけでもよしとしよう。
会う前は、これ渡したらどんな顔してくれるかな、とかなんて言ってくれるかな、なんてちょっと想像してたのに、今のこの状態とのギャップが酷すぎて、本当に泣きたくなってくる。
帰り道もバイトの時みたいな寄り添った感じは一切なく、アオイさんがひたすらスタスタ私の前を歩いて行く。
もう、やだ。こんなはずじゃなかったのに。もっと素敵な日にしたかったのに。何がいけなかったの?
「……」
「おわっ…な、なんだ、どうした?」
私が彼のジャケットの裾を急に掴んだから、彼がつんのめるようにして止まる。私は手を離すことができず、ただ、俯いていた。今手を離したら、もう二度と会えない気がして…。
「…嫌いにならないで…」
やっと声を絞り出す。同時に涙がころりと転がり落ちた。
「え? なんでそういうことになってんだ?」
彼はぎゅっと裾を掴んだままの私の指を一本一本優しくほぐし、代わりに自分の手を握らせる。そして膝を折り、私の顔を優しく覗き込んだ。
「今日…アオイさん、ずっとソワソワしてたから…。大切な日に私と一緒にいるの嫌なんだなって思って…そう考えたら、嫌われちゃったんだって悲しくなってきて…」
「どうしてそうなるんだよ」
少し呆れたように彼は私から視線を逸らした。
「だってぇ…」
声に出したら余計悲しみが実感として押し寄せてきてしまい、なんとかせき止めていた涙が決壊した。
「わかったわかった、良い子だから泣くな。な?」
よしよし、と頭を撫でて、背中をなん度もさすってくれる。その優しさにまた涙が出たけれど、やがて悲しみの波は緩やかに引いていった。
「あのさ。俺が今日ソワソワしてたのは、今日、もしかしてお前からもらえるんじゃないかって期待してたから」
「…貰える?」
「そう。今日は二月十四日だろ。…まあ、分かっててこの日にデートセッティングしたんだけどさ。
お前を誤解させるくらいなら、最初からチョコくれるんだろ?って言えばよかった」
彼は首のあたりに手をやり、眉をしかめる。
「しかも、この様子だとチョコくれるわけじゃないんだろ。あーもー、俺カッコ悪い」
「あります、チョコ。ここに」
「え?」
今までで一番おどろいた顔のアオイさんを見たかもしれない。私は鞄の奥に隠すように入れていた箱を取り出し、両手で彼に差し出す。
「渡す勇気がなくてごめんなさい。バレンタインのチョコレートです。召し上がってください」
目を丸くしたまま、アオイさんがチョコレートを慎重に受け取る。そして、そっと箱の脇や
裏を覗き込んだ。
「これ、ロゴ入ってない。まさか、お前の手づくりなのか?」
とてもアオイさんのお口に合うかどうかの自信がないため、控え目に頷くことしかできない。
「今一つ食ってもいい?」
彼の瞳が期待に輝いているのが夜なのによくわかる。私がうなづくと、アオイさんは箱のリボンを丁寧にはずし、箱を開けた。
「うわ、すげぇ。きれい。お店のみたいっていいかた、褒め言葉としてあってんのかどうかよくわかんないけど、とにかく嬉しい」
「すげえうまい、大人の味。え、これ本当に手作り? 食堂のおばちゃんじゃ無く?
食堂のおばちゃん? 誰のことです?
あ、いや、こっちの話。
俺、去年のバレンタインが人生で最高だと思ってたけど、確実に、それ、超えたわ。
いやいや、もちろん、昨年のも最高だったけどな。なあ、チョコレートって永久保存できねぇのかな。
アオイさん…喜びすぎだよ。
よし、これなら渡せる。そう思える作品ができあがるまで、一体何キログラムのチョコレートを無駄にしただろうか。もちろん、失敗作は後で私が食べるつもりで冷蔵庫に入れてあるんだけど…冷蔵庫全体が暗くなるほどチョコレートが占領している。…今度実家にも持っていこう。
途中で何度もくじけそうになって、どこかのデパートで高級チョコを買おうとネットを開いたりもした。
でも、どうしても今回は手作りにしたい、という強い気持ちがそれを押しとどめた。前世でなにかあったんだろうか。
あの…さ、これ、えっと、お前が配るチョコは、みんなこれ?
ううん。アオイさんにだけ、だけど。
え。まじ。どうしよう、外で良かった。本当に、今日お前おの部屋じゃなくて良かった。俺、理性保てないわ。
俺…お前のこと抱きしめたい。
いいですよ。
え?
ちょっとなら…いいですよ。
え。お前。いいのか。今更取り消せないからな。
はい。えっと、あれですよ。西洋のハグみたいな感じです。一生懸命作った私にご褒美のハグ、です。
わかった。いいよ、お前はそう思ってれば。
おいで、と腕をひろげる。そっと寄り添う。アオイさん、暖かくて安心する
ああ、もう。ほんと、お前将来男に騙されるよ。
アオイさんにだったら、いいよ。
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ライヤー7
初公開日: 2020年04月04日
最終更新日: 2020年04月05日
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練習しているので、大雑把に筋を書いたものに肉をつけていきます。