「とぅいんくる、とぅいんくる、りーるすたー、はぅわいわんだー、わっゆーあー」
日向が変な歌を覚えてきた。妹が学校で習ってきたのを家でずっと歌っていたら知らぬ間に覚えていたらしい。所構わず下手くそな発音の下手くそな歌を聞かせられた俺までも頭の中でぐるぐるとその歌が回ってしまって、授業中昼休み登下校と永遠とぅいんくる、とぅいんくる、と星が揺らめいている。なんという傍迷惑。最近じゃ月島ですら無視しているのだから止めようが無い。そういう訳で、一時期烏野高校排球部で異様にこの歌が流行った。
「とぅいんくる、とぅいんくる、りーるすたー」
菅原さんが言うに、原曲は外国の、恋の歌らしい。きらきらひかる、おそらのほしよ、とかいう曲はそれがどっかに渡ったやつを和訳しただけだとか。一時間したら忘れるような雑談の延長線、どうしてそんなものを覚えているかと言うと理由は単純。なんとなく共感したと言うだけで。
『みんな好きな人なしに生きられるのかな?』
ある日突然世界に色が付いた。踏み締めていた足元すらガラガラと崩れ落ちて積み重ねてきた幾重もの光の粒がパッと散っては消えていく。視線を、意識を、感覚を、思いを、そこに居ただけの男に奪われた。途端に俺を取り囲んでいた世界は色付いて輝いて眩しくなって、息のしづらい空気が急に肺に入り込んできた。感覚が冴える。今までの数倍、数十倍。そうして次の瞬間にはもう一度世界が死んで、生まれ変わってしまった。経験したことも無いほどに頬も血液も沸騰したみたいに熱くなって、目眩がして、酸素が足りなくて、痛いくらいに跳ねる鼓動に乾いた唾液。この感情の名前など知らないが、異常なことだけは分かっていた。混じっていい類の感情じゃないことだけは知っていた。吐息に色が混ざらないように必死に噛み殺して、太陽より悪質なその陽に照らされて目を細めたまま、……とうとう、踏み外してしまった。溺れるほどの信頼にインクみたいに滲んでいく情欲の塊。
それは決して真っ当な感情じゃない。
『それまで私の支えは仕事の杖と犬だけだったのに』
噛み殺す。消し去る。濁った信頼を隠しきる。踏み外した道から糸を辿って少しずつ戻るように、触れる理由の足りない距離感を愛おしみながら星の落ちる確率よりも低いイフの話を夢見ては手を下ろす。今日も何も変わらない。明日も何も変わらない。ダメにはなりたくなかった。それこそ裏切りであるのだから。ほんの少し浮き上がる心と甘い思いに知らないフリして少しずつ目を逸らす。奪われ続ける視線を、焦がれ続ける意識を、煩い続ける感覚を、狂い続ける思いを。殺せてしまえたらどれだけ楽だろう。でもこれを殺したら、世界はまたモノクロに戻ってしまうのだろうか。
それは少し、怖かった。
『私に言わせりゃ、飴玉のほうがまともでいるよりすてきなの』
とぅいんくる、とぅいんくる、手は届かない。
とぅいんくる、とぅいんくる、踏み外しちゃった。
とぅいんくる、とぅいんくる、星屑は飴玉。
『きらめく、きらめく、小さな星よ。あなたは一体何者なの?』
とぅいんくる、とぅいんくる。
その横顔に恋をする。子供みたいな無邪気な笑顔に恋をする。手を伸ばしかけて、またやめる。触れる理由が足りない。触れていい理由が無い。
「とぅいんくる、とぅいんくる、りーるすたー、はぅわいわんだー、わっゆーあー」
「……まだ歌ってんのかよ、それ」
「なーんか耳に残るんだよなぁ」
カラカラ自転車を引く隣の奴へ返事の代わりに鼻を鳴らした。拙い戦慄がふわふわと耳の奥に揺蕩っている。伸ばしかけた手を咎めるようにポケットの中に突っ込んだ。
「恋って星みたいなもん?」
不意に日向が呟いた。訝しげに隣を見ると冷たい空気にほぅと白い息を吐いて空をぼーっと見上げていた。またおかしなことを言い出した。今夜は雲が少なくて月のない夜だったから、落ちてきそうなくらいに輝いた星々が良く見えて皮肉な程に綺麗だった。
「甘くてーキラキラでー……あっ金平糖」
「……金平糖では、ないだろ」
「似たようなもんじゃね?」
「似てねぇよ」
星は甘くないし金平糖は別にキラキラしてないしあと恋は、……恋は、甘くもなければ、キラキラしてもいない。押し黙るようにマフラーへ顔を埋める。
「きーら、きーら、ひーかーるー……」
ヒュウ、と風が吹き抜いて、真隣から小さく悲鳴が上がった。小さく息を吐く音の後にへっぷし! と変なクシャミが聞こえてきたから無言でポケットティッシュを差し出す。ズビズビ鼻を啜る日向はへらりと笑って、当然のように俺の手にちっこい手を重ねてそれを奪っていった。
「とぅいんくる、とぅいんくる、りーるすたー……」
返ってきたティッシュを鞄に突っ込んで、歩く速度をメトローム代わりに小さく歌ってみた。キラリと目を輝かせた日向がそぉっと同じ音程を乗せてきたからちょっぴり鼓動が跳ねる。とっくの昔に日は落ちていて、辺りにあまり街灯は無くて。月のない、星だけが空を照らしていた。なんで歌ってんだかよく分からないけど笑えてきた。
最後まで歌いきってしまって、コツコツと同じリズムの違う足音だけの音楽で。そうして歌った時間と同じくらいの時間が流れた後、不意に息を吸う音が聞こえてきた。少し横を向くと、十数センチ下の飴色の瞳の中に、星が、落ちて
「影山は、ちょっと金平糖に似てる」
ふにゃりと緩んだ目尻と口元。夜空を映した目の中はキラキラで、飴玉みたいな星屑がゆらりゆありと回っている。
「甘くて、キラキラで、綺麗だから」
だから、ちょっと似てる。って。
その瞬間にカァッと血が昇って、頬も血液も沸騰したみたいに熱くなって、目眩がして、酸素が足りなくて、痛いくらいに跳ねる鼓動に乾いた唾液。瞳に映る星屑が、手を伸ばせば触れられるくらいに近くって。向けられた真っ直ぐな視線にほんのりと熱を感じる。
触れる、理由が。
理由は、ある。
もしかしたら、もしかして、星が落ちてくるよりも低確率なイフの話が、現実になってしまったかもしれない。
とぅいんくる、とぅいんくる。
星に手を伸ばす。
おしまい!!!!!!!!