それはまるで、春の嵐のように突然のこと。
 廊下の角から勢いよく、つんのめるようにして人影が飛び出してきた。昼をまわって傾きはじめた陽の光がたっぷりたまって黄色くなった空気の中に、ぶわりと長い髪が舞う。一緒に小さな雫も舞った。それが涙だと、少し離れた位置にいた堀川は一拍遅れで気がついた。
「……主さん?」
 重力を取り戻した髪が元の位置へ収まり、涙のぬし――審神者の白い顔が陽に照らされる。いつものきりりとした瞳がわずかに見開かれ、堀川のことを映して揺れていた。
 足音がしていたので、誰かが角の向こうから走って来ているのには気づいていた。元気を持て余した短刀やわんぱくな気質の刀が本丸を駆けまわるのは日常茶飯事で、特別珍しいことでもない。だから堀川は、角から元気に飛び出してきた誰かとぶつかり野菜のカゴをひっくり返さないよう、角の手前で立ち止まって待っていたのだ。しかし、まさか飛び出してくるのが審神者だなんてことはゆめにも思わなかったので驚いた。この本丸の主はいつも淡々と仕事をこなす落ち着いた性格で、喜怒哀楽もそれほど大きく表へ出す方ではない。そんな彼女がバタバタと廊下を走り、おまけに泣いているだなんて、どう考えてもただ事ではなかった。
「あの、主さん」
 堀川がもう一度声をかけると、審神者はようやく我に返ったらしかった。野菜カゴを抱えたまま心配そうに立ち尽くす堀川をちらりと見るも何も言わず、身をかわすようにして横をすりぬけて行ってしまう。
 堀川は振り返り、パタパタと小さく遠ざかってゆく主の背中をぼんやり見送った。明らかに取り乱した審神者の様子は気になったけれど、かといって、ここで自分が追うべきではないとも思う。
 堀川は、この本丸に数ある刀剣の中で主と特別親しいわけではなかった。何かわだかまりがあるだとか、まだ打ち解けられていないとかでは決してないし、顔をあわせれば世間話のひとつくらいはするけれど、立ち入った個人的な話ができる程の深い仲ではない。そんな堀川があえて深追いしたところで、反対に主を困らせてしまう可能性の方が高いだろう。それよりも、加州清光とか、鯰尾藤四郎とか、主と仲の良い刀剣男士に伝えて声をかけてもらった方がずっと良いはずだ。堀川の兄弟であり、審神者にとっては初期刀でもある山姥切国広に相談してみるのも良いかもしれない。
 そんなことを考えながら、まずはいったん腕の中の野菜を届けてしまおうと、当初の目的地であった厨を目指し堀川は足を踏み出した。
 しかし、厨を訪れた堀川は再度面食らうこととなった。相棒の和泉守兼定が、小さな木椅子に腰かけて頭を抱え項垂れていたのだ。
「兼さん! 一体どうしたの?」
 堀川は慌てて野菜カゴを床に置き、和泉守の元へ駆け寄った。和泉守とは、ほんの十五分ほど前まで一緒に畑で過ごしていた。文句を並べる相棒をなだめすかしながら仲良く作物の世話をおこなっていたのだが、そろそろ作業を切り上げようという時になってトマトの支柱が一部外れているのに気がついたので、自分もすぐに戻るからと言って和泉守だけ先に引き上げさせたのだ。
 威風堂々という言葉そのもののように、常に前を見据えて凛々しく不敵に微笑む自慢の相棒がこんな風に小さくなってしまうなんて、自分が目を離したこのわずかの間に一体どんな尋常ならざる事件があったのか。堀川は胸をざわめかせながら膝を折り、和泉守の肩を叩く。
「兼さん、兼さん! しっかりしてよ! 何があったの?」
「……ちまった」
「えっ?」
「……プリン……食っちまった」
「プ、プリン?」
 思いがけない単語に、堀川の声が裏返る。
 そういえば、と、堀川は畑での会話を思い起こした。
 よし、こんなもんだろ。そろそろ終わりにしようぜ国広。
 うん、そうだね兼さん。だけど僕、もう少しだけ気になるところがあって、それだけ済ませちゃうから先に戻っててよ。
 おう、じゃあ悪ィがそうさせてもらうぜ。
 あっ、兼さん、そういえば冷蔵庫にプリンがあるから食べてもいいよ。
 そう、プリン。確かにプリンの話をした。山姥切が三つセットになったプリンを少し前に買ってきて、その内の一つをもらったけれど、すっかり食べ損ねてしまっていた。それをふと思い出し、和泉守にあげようと思いついたのだ。畑仕事などの雑務を好まず文句もアレコレ言うけれど、それでも真面目に仕事に取り組む相棒を喜ばせたい一心だった。
「プリン、食べてもいいって言ったの僕だよ。食べて良かったんだよ」
 相棒のこの落ち込みっぷりとプリンにどんな因果関係があるのか皆目見当もつかず、堀川は必死で和泉守に声をかける。和泉守はふるふると頭を振って、ようやく堀川と目を合わせた。非常に気まずそうな様子で。
「間違えた」
「間違えたって? 何を?」
「……間違えて、主のプリン食っちまったんだよ」
「えっ」
 堀川はふと、和泉守のそばの机に空き容器が置かれていることに気づく。確かに、その形状は見慣れた量産型のものとは少し形が違っているように見えた。
「あーそれはやっちゃったね、堀川」
 鯰尾藤四郎は左手のメモと右手の調味料のラベルを交互に見比べながら、軽やかな調子でそう言った。調味料は手に取ったもので正解だったらしく、一本、二本と四角い買い物カゴの中へ放り込まれてゆく。
「加州くんにも同じことを言われたよ」
「だろうね」
 応じる鯰尾の声は、同情半分、からかい半分といった感じだった。実際、たいしたことではないのかもしれない。けれど堀川は一向に気が晴れず、はあ、と何度目になるか分からないため息をついた。
「おーい! そっち終わった?」
 調味料売り場で足を止めていたふたりのもとへ、元気よく手を振りながら浦島虎徹が合流する。腕にひっかけた買い物かごには大量のスナック菓子が入っていた。その後ろには、同じく色とりどりのお菓子のカゴを二つのせた買い物カートを押す、骨喰藤四郎も居る。
「堀川がやる気出さないからまだ終わってませーん」
 鯰尾がメモと棚を見比べながら、茶化すように言った。堀川はうっと言葉に詰まる。確かに、自分に割り当てられたお使い品は、まだ半分しかカゴの中に入っていない。
「……調味料コーナーは難易度が高い。手伝おう」
 骨喰がカートを端に寄せて置き、つかつかと歩み寄ってくる。堀川の隣へ立つと手の中のメモをジッと覗き込み、棚に目を走らせ始めた。
「堀川くん、大丈夫?」
 反対側からは浦島が声をかけてくる。
「最近、元気が無いように見えるけど……なんか悩み事?」
 浦島は堀川の肩に手をやり、心配そうな調子で尋ねた。こんな風に親身になってもらうのもいっそ申し訳ないような気持ちを抱きながら、堀川は、先ほど鯰尾にも話した内容を再度語り始める。
「実はね、おとつい、兼さんが主さんのプリンを食べちゃって……」
「えっ!」
 このリアクションを見るに、浦島も知っていたのか……と堀川はほろ苦い気持ちになった。
「えっ、あの、主さんのプリンって……一個七百円する……?」
「あの限定販売で常に半年待ちのプリンか」
 どうやら骨喰も例のプリンの価値を知っていたらしい。両側から熱い視線を浴びながら、堀川はコクリと頷いた。
「でもね、兼さんも悪気があったわけじゃなくて。僕が冷蔵庫のプリン食べていいよって言っちゃったせいなんだよ。この前、兄弟がくれたプチンとプリンが一つ残ってたから……」
「それと間違えて食べたのか」
「うわー……主さん、めちゃくちゃ怒ったんじゃない……?」
 浦島が恐る恐る聞いてくる。やはり審神者の甘党は有名な話らしい。しかも、限定ものに特に弱いのだとか。堀川はそんな話ちっとも知らなかったのだが。
「……僕は見てないけど、兼さんがプリン食べてるの見つけた時はすごく怒ってたらしいよ。あとで兼さんと部屋まで謝りに行った時は、もう気にしてない、って言ってたけど」
「そっかー。まあ、堀川くんたちも悪気があったわけじゃないもんね」
 確かに、悪気があったわけではない。堀川は和泉守に自分のプリンをあげたかっただけで、和泉守はプリンを食べていいという言葉を素直に受け止めただけだ。堀川がもらったプリンが冷蔵庫の奥の方の分かりにくい場所へ追いやられていたのも偶然ならば、審神者が買った限定高級プリンがこの日届いたのも同じく偶然のことだった。良くない偶然が重なってしまった結果の悲劇だった。だから、堀川たちに怒りを向けるのは筋違いだと審神者も分かっているはずで、それゆえに「気にしてない」と応じてくれたのだろう。
 しかし、実際のところ感情はそう簡単に割り切れるようなものではない。「気にしてない」と言った彼女がどう見ても気にしていないわけがないのは明らかだったし、
 浦島の言うように怒ってもらえた方が幾分か気が楽だったのではないかという気がする。
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原稿

※二次創作 ※刀×審神者
執筆開始 : 2020年02月08日 23:03
最終更新 : 2020年02月11日 20:20

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