慣れ親しんだ畳とも、板張りの廊下とも異なるつるりとした白いタイルの床を、小夜左文字は踏みしめていた。
つい先日も訪れたばかりのターミナル――政府管轄の超高層建築物の3階に位置し、各本丸とこの施設とを繋ぐ役割を持つその空間は、今日も大勢の人間と付喪神でごった返していた。
「はっはっは。ずいぶんと賑やかなところだなあ。まるで祭りのようだ」
三日月宗近は鷹揚に辺りを見回し、にこにこと楽しそうに呟いた。
天井のあちこちから吊り下げられた看板や、壁に記された矢印、数字、記号、等等――案内表示のために存在しているはずのそれらは、この場所に馴染みがない者にとっては何が何だか分からない。しかし、それゆえに珍しく、見目面白く興味を引く光景でもあった。
「三日月殿、こちらであるぞ」
「ちょっとー、はぐれないでよねー」
忙しなく行き交う人々に一切調子を乱されることなくゆったりと歩く平安刀にそう呼びかけたのは、山伏国広と蛍丸の二振りだった。彼らもあまり態度に出さないようつとめているようではあるが、三日月と同じく、はじめて訪れる非日常の空間に浮足立った様子が見え隠れしている。
「さあ、エレベーターが来ましたよ。これで上へ参りましょう」
宗三左文字が、パカリと口を開けた鉄の扉の前で小夜たちを手招いた。その傍にはどこか緊張した面持ちで俯く五虎退の姿もある。
三日月宗近、山伏国広、蛍丸、宗三左文字、五虎退。この五振りに小夜をくわえた計六振りが、今回の演練に参加することとなった顔ぶれだった。
小夜が、演練参加への嘆願をするため審神者の執務室を訪れたのは、昨日のことだ。にっかり青江の勧めに従い、兄の宗三にも同行してもらった。
この本丸では、ごく一部の者を除いたほとんど全員が演練への参加経験を持たず、そもそも演練というものの存在すらも知らされていなかった。そのことが誰かしらの意図によるものなのだとすれば、今更演練に参加したいと訴えでたところできっと一筋縄ではいかないだろう……そう思っていたけれど。
「ああ、演練? いいわよ。行ってらっしゃい」
いっそ拍子抜けするほどにあっさりと、審神者は言った。
「予約しておくわね。明日でいい?」
彼女は書き物の手を止めて机から小型の携帯端末を取り上げ、その画面を指先でちょいちょいと操作し始める。どうやら参加予約はとても手軽にできるらしい。
「あの」
堀川国広がおずおずとした調子で口を開いたのはその時だった。いつものように審神者の傍らで執務の補佐をしていた堀川は、どことなく不安そうな顔をしているように見えた。
「……演練には、宗三さんも参加されるんですか?」
この時点では、まだ演練への参加メンバーは定まっていなかった。「もし大将を説得できたら、功労者の小夜はとりあえず参加決定だな!」という厚藤四郎の言葉で小夜の参加のみ確定していたけれど、他の面子はじゃんけんかあみだくじででも決めようという話になっていたのだ。
「いえ、まだ今のところ……」
「宗三兄様が、隊長として引率をする予定です」
答えようとした宗三を遮り、小夜はきっぱりと言った。恐らくそう言うべきだろうと思ったのだ。そしてその考えは当たっていたらしく、小夜の言葉を聞いた堀川の瞳には安堵の色が灯った。
「そうですか。よろしくお願いします」
「他の参加者も決まったら教えてちょうだいね」
こうして演練参加の許可を得た小夜はその足で、吉報を待っていた仲間たちに事の次第を伝えて回った。「宗三左文字が隊長を務めるのであれば、演練に参加しても良いと許しが出た」と。
「なら、小夜と宗三さんは参加決定で、あと残り四枠ってことか。夕飯の後に希望者でじゃんけんだな」
「けっこう話広がっちゃってるよね。これは倍率高くなるぞー」
「……まあ、そりゃそうか」
薬研や厚たちの部屋へ連絡に行った際、ふと薬研が何事か納得したらしい調子で呟いたのが小夜は気にかかった。
「どうかしたの」
「いやなに、たいしたことじゃないさ。普段の出陣でも、宗三か堀川のどっちかが必ず部隊にいるだろ。だから、演練でもそりゃあそうなるわな、と思っただけだ」
小夜は、思わず後ろへついてきていた兄のことを振り仰いだ。小夜は自分が出陣する時以外、出陣部隊に誰がいるかということをあまり気にしたことがなかったので、薬研の言ったことの真偽か分からなかった。
「薬研、あなたよく見ていますねえ」
宗三の口ぶりからするに、どうやら本当にそうであるらしい。
「やっぱ決まってんのか? 必ずどっちかが出陣部隊に入るってのは」
「別に、主が決めたことではありませんけれど。堀川がそうしたいというだけで」
「そういや、堀川の前の主は規律に厳しい集団をまとめあげていた副隊長だったっけか。それできっちりしてるんだな」
薬研はなるほどと感心した様子だったが、宗三は肩をすくめてみせただけだった。
エレベーターで3階から20階まであがると、天井の高い広い空間に出た。ターミナルほどゴチャついた感じはしないものの、行きかう人の多さでは勝るとも劣らないといったところだろう。
エレベーターを出た正面の一番奥には何本もの長い行列ができていた。行列の先には小夜と同じくらいの背丈の細長い機械が置いてあり、列に並んだ刀剣男士や審神者は、順に機械の前で鍵――例の、腕に巻き付ける帯状の鍵をかざして読み込ませているようだった。恐らくあれが受付の役目を果たすものなのだろう。
左手側の天井付近の壁には、テレビのような大きな液晶画面が二十ほど横一列に並んでおり、戦闘訓練の様子が代わる代わる映し出されていた。その下にはずらりと自動販売機がある。部屋の中央に設置された椅子にかけて、飲み物を飲んだり、戦闘の様子を眺めたりしながら待ち時間を過ごせということなのだろう。素直にそれに従って過ごしている者もいれば、立って話に花を咲かせている者等もいる。
「では、僕は受付を済ませて参ります。十分くらいで戻ると思いますので、その間は自由に過ごしていて頂いてかまいませんけれど……くれぐれも、はぐれないようにしてくださいね」
宗三は特に三日月の方を念入りに注視しながらそう言うと、列へ並びに向かった。受付は代表者のみで良いらしい。
残された小夜たちは、短い待ち時間をどのようにして過ごそうかと顔を見合わせる。
「あっ、三日月宗近だ!」
その時ふと、三日月の背中の向こうから華やいだ声があがった。三日月本人も含め、小夜たちは声の方へと目を向ける。声の主は、花柄の着物に袴を身に着け、髪を大きな団子のような形に結い上げた幼さの残る少女だった。自分の声がこちらへ届いてしまったことに気がついたらしく、ハッとした様子で口元を押えている。彼女の隣には、きらびやかな武具に身を包んだ髪の長い青年が控えていた。
「主。失礼だよ」
「う、うん。……あの、すみませんでした。三日月さん」
少女は隣の男に促され、ぺこりと頭を下げた。男も一緒に頭を下げる。まるで保護者だ。
「はっはっは。いいぞいいぞ。触ってよし」
しかし懐の広い三日月が当然そんなことで腹を立てるはずもなく、少女たちに穏やかに笑いかけ、それどころか握手を求めるように手のひらを差し出した。
「え!? あ、ありがとうございます!」
顔をあげた少女は頬を赤くしながら、慌てて自分の両手を差し出し三日月の手を握った。
「あのっ、私の本丸、まだ三日月さんが居ないんですけど、いつか顕現できたらなあって審神者になった時からずっと憧れてて、だからその……あ! あなたの主さんは今どちらに?」
「残念ながら、主は今日一緒に来ていなくてな」
「そうなんですね。鍛刀のコツとか聞けたらなって思ったんだけど……」
「ほら、主。あまりゆっくりしている時間はないよ」
しょんぼりと眉を下げる少女に、保護者らしい刀剣男士が声をかけた。この刀の名は確か蜂須賀虎徹だったな、と小夜は記憶をたぐり寄せる。研修の際に他本丸の親切な前田藤四郎から教えてもらった。この蜂須賀も、研修の随伴として人気が高かった「初期刀」の内の一振りなのだ。
「一戦目の時間が近いので失敬するよ。お互い良い訓練になるといいね」
「ああ。武運を祈る。縁があったらまた会おう」
蜂須賀と彼の主は再び頭を下げてその場を後にした。去ってゆく後ろ姿からも、二人が仲睦まじく、互いに信頼し合っているのであろうことが見てとれる。小夜の脳裏にふと、自らの主と堀川の並んだ後ろ姿が浮かんでくる。似ているな、と漠然と考えた。
「へぇー、三日月って人気あるんだ。さっすが天下五剣ー」
「いやあ、偶然だろう」
蛍丸が悪戯っぽい表情で三日月の傍へ来て、彼の人気を冷やかすようにはやし立てた。三日月はゆるりと笑ってそれをかわしてみせた……のだが。
「……あの、僕も握手してもらえませんか?」
「俺も記念に!」
「よかったら私もお願いします!」
「ご利益ありそー」
なんと、先ほどのお団子少女と三日月のやり取りを見ていたらしい他の審神者たちが、握手を求めて三日月の前に列を作り始めていた。これには泰然自若とした態度が常の三日月もさすがに驚いたようで、パチパチとまばたきを繰り返し立ち尽くしていた。
「ふむ。どうしたものか……」
「握手に応えるもまた修行であろうぞ。宗三殿が戻られるまでの間だけでも、応えてさしあげては如何か」
「それもそうだな」
山伏の謎の助言を受け、止める者がないまま三日月の握手会が始まってしまった。小夜はどうすることもできず、五虎退と共に戸惑いながらその光景を眺めるしかなかった。握手を求める列には老若男女様々な審神者たちが並んでいたが、時折鶴丸国永や鯰尾藤四郎などが、面白半分の顔で混じっていたりもした。また、列に並ぶまではしないものの、通りすがりに近くへ来て拝んでいく者もあった。「どうかうちの本丸にも来てくれますように」という切実な祈りが聞こえてくる。
「三日月ってマジでレアキャラなんだねー。本丸にいるとあんまりそんな感じしないけどさ」
小夜たちの傍へ移動してきた蛍丸が、感心した様子でそう呟いた。確かに彼の言う通り、刀剣男士が多数ひしめき合うこの空間をざっと見渡してみても、小夜たちの連れ以外に三日月宗近の姿は無いようだ。が、かく言う蛍丸の姿も同じく見当たらない。周囲の反応を見るに、三日月ほどではないのだろうけれど、蛍丸もまた希少性の高い刀剣男士のようであった。
「……なーんか、変な感じ。うちの本丸、レアは揃ってるのに、コモンがいないってさ。普通逆だよねー」
小夜は改めてぐるりと会場を見回した。蛍丸の放った横文字の言葉の意味は正確には分からなかったけれど、言わんとすることは理解できる。研修の時に小夜も似たようなことを思ったのだ。
同じ姿形の刀剣男士が当たり前のように行き交うこの空間の中で、三日月や蛍丸のように数の少ない刀剣ほど、どこの本丸でも顕現しにくい希少性の高い刀剣であり、逆にあちこちに多数姿の見える刀剣男士であれば、どこの本丸でも比較的顕現しやすい珍しくない刀であるということになるはずなのだ。
にもかかわらず、小夜たちの本丸はその例にあてはまらない。会場でちらほらとしか見かけない鶴丸国永や鶯丸が本丸にいる一方で、先ほどの蜂須賀虎徹や、以前出会った歌仙兼定のような初期刀と呼ばれる刀、会場に多く姿のある――顕現しやすいはずの刀剣男士が本丸にいないのだ。
もちろん、会場に数の多い刀剣男士のすべてが本丸にいないというわけではない。小夜と同じ短刀や、脇差についてはほとんどが見知った顔だ。しかし、それよりも背丈の大きな刀……ちょうど、宗三と同じくらいに見える背の高い刀たちは、半分くらいが見たことのない顔をしているように思われる。
「ねえ、うちの本丸ってひょっとして」
「……あの!」
蛍丸が何か言いかけるのを遮るように、ずっと黙っていた五虎退が声をあげた。涙目の彼が懸命な様子でその先に続けようとする言葉を聞き取ろうとそちらへ意識をやった小夜は、次の瞬間、ドン! と強い衝撃を背中に受けてよろめいた。
「あっ、すみません!」
振り返ると、そこには丸い浅葱の瞳。
堀川国広が、申し訳なさそうな様子でぺこりと頭を下げていた。
「すみません! 僕、よそ見をしていてつい……どこも怪我していませんか?」
「……平気です」
「良かった」
堀川はパッと花が咲いたように笑い、しかしすぐにまた眉を下げてキョロキョロと辺りを見回し始めた。小夜の本丸に居る堀川と同じ顔をしているものの、目の前の彼はどことなく初々しく、忙しない印象だった。
「あの、兼さん見ませんでしたか?」
堀川がおずおずとした調子でそう口にした。「兼さん」というのが誰のことを指すのか、小夜には分からなかった。小夜の本丸にはそう呼ばれる刀が居ない。
「おうい、国広。こっちだ」
「あっ! 兼さん!」
パッと弾かれたように、堀川は声の方へ体ごと向き直った。堀川の視線の先には、大柄で美しい堂々とした佇まいの刀がいた。
黒い長髪に浅葱の瞳。堀川と同じ色を持った彼は、洋装の堀川と違い華やかな和装姿であったが、二人が並び立つ姿はとても自然で、完成したパズルを見ているような心地良ささえ感じるほどであった。
「ったく、人が多いからはぐれるなって言っただろ。あんまチョロチョロすんじゃねえよ」
「うん。ごめんね、兼さん。初めて来る場所だから珍しくって。それに、他の本丸にもたくさん兼さんが居て、傍に僕も居るのを見るとなんだか嬉しくなって、ついよそ見しちゃったんだ」
「なあに当たり前のこと言ってんだよ。オレたちが相棒ってことはどこの本丸でも変わらねえだろ」
「うん、そうだよね!」
そう言って無邪気に笑う堀川の表情は、小夜の本丸の堀川が見せたことのない種類のものだった。小夜の本丸に居る堀川もにこやかかつ朗らかな性格ではあるけれど、なにかが決定的に違って見える。
「ちょっとー! 和泉守も堀川も何やってるのさー!」
「主が待ちくたびれてるよー」
少し離れたところから、堀川と「兼さん」のことを呼ぶ声がした。声のした方には四つの人影がある。一人は審神者であろう、ひげをたくわえた初老の男性。傍に控える黒髪に赤い襟巻をしたつり目の少年は、初期刀の一振りである加州清光だ。その隣で大きく手を振っているのは、加州と同じくらいの背格好で和装に浅葱の羽織と白い襟巻を身につけた優しげな少年。そして彼らより背が高くがっしりとした体つきで、襟足に少し金色の混じった黒髪の青年。またしても小夜の本丸に居ない刀剣男士ばかりだ。
「悪い、今行く! ……あんたらも悪かったな。うちの国広がぶつかっちまって」
「すみませんでした」
「……いえ。大丈夫です」
相棒なのだという二振りは小夜たちに軽く頭を下げると、彼らを待つ仲間の元へと戻って行った。
「もう、堀川はぐれちゃダメだよ。和泉守のやつ、すーぐ国広がいない国広がいないって大騒ぎするんだからさ」
「えっ、そうなの兼さん」
「バカ! んなこと言ってねえだろ!」
「お前たちほんと仲良いよねえ」
「加州さんと安定さんだって仲が良いじゃない」
「げっ、やめてよね」
「ちょっと清光、何その反応」
「こらこら。外でまで喧嘩するんじゃない」
「長曽祢さんの言う通りだ」
仲間たちに囲まれ、堀川は屈託のない笑みを浮かべていた。彼らにはどうも、同じ本丸の仲間であるという以上に深い繋がりがあるように見える。燭台切や太鼓鐘、鶴丸たちのようにかつての主を同じくするものたちや、今剣と岩融のようにかつての主が主従関係にあるもの……小夜の本丸で見られるそういった刀たちのやりとりと、どこか似通った雰囲気があるように思われる。中でも堀川と「兼さん」は特にその感じが強く見える。
小夜は再度、会場を行き交う無数の刀剣男士たちに目を走らせた。堀川国広の姿は意識して探す必要もないほどあちこちにある。椅子に座っているもの、自販機の前にいるもの、受付の列に並ぶもの、エレベーターを待つもの……そしてどの堀川の傍にもほとんど例外なく、先ほどの「兼さん」の姿があった。至極当たり前のように。
「ちょっと、何事ですか!?」
頓狂な声が頭上から聞こえ、小夜の思考はそこで中断された。顔をあげると、受付を終えた宗三が戻ってきたところだった。兄は三日月の握手会を見て驚いたらしいが、その表情はすぐに呆れへと塗り替わる。
「まったくもう、少し目を離した隙に……受付終わりましたからもう行きますよ。だいたい、こんなところに列を作っては通行の迷惑でしょう。早く解散させてください」
「はっはっは、すまんすまん」
こうして握手会は幕引きとなり、小夜たちは宗三に先導され乗ってきたものとは別のエレベーターに乗り込んだ。この建物は21階から70階までがすべて演練会場になっているらしいのだが、最初に乗ったエレベーターではそれらの階に止まらないのだそうだ。
小夜たちの訓練は52階で行われるとのことだった。上へ向かう者たちを乗せた四角い箱は、時折軽やかな音をたててとまり乗客を減らしながら、ぐんぐんと空の中を昇っていった。
一瞬で空気が冷えるような殺気と共に、閃光が迫る。小夜は素早く身を引いて構え、体の前で衝撃を受け止めた。組み合う脇差――堀川国広の一撃は、想像以上に重い。弾き返すことができず、とっさに右側へ避けて受け流す。が、身をかわした先には、より強大な殺気が満ちていた。
「もらったァ!」
素早く背後に目を走らせる。長く豊かな髪と浅葱の羽織が視界の隅で大きくひるがえった。瞬時に地面へ伏せて自身の袈裟を蹴り上げるが、目くらましの効果は薄い。振り上げられた刀身は既に肉迫しており、避けきれない。万事休すか――。
「喰らいなさい」
ガキン! と鉄同士がぶつかる音が響き、小夜の身体は斬撃を免れた。即座に身を転がして距離を取り立ち上がる。小夜の肩口をえぐるはずだった刀身は、宗三左文字により弾かれていた。
「いくぜ、国広!」
「はい、兼さん!」
体勢を立て直した大小が、息を合わせて再び地を蹴った。宗三は刀を構え直す。小夜も姿勢を低くして気配を断つと、音を立てずに兄の背後を回り込んだ。堀川の足に狙いをつける。
≪勝負あり!≫
緊迫した空気を打ち砕くように、頭上で人工的な声が響いた。途端に周囲の景色がほどけ、広々とした屋外の戦場だった場所は無機質な白い空間へと変貌する。
「チッ、いいとこだったのに時間切れかよ」
「仕方ないよ兼さん。……ありがとうございました。良い訓練になりました」
不満そうに刀を収めた相棒をなだめる言葉をかけてから、堀川国広はにこやかに宗三へ片手を差し出した。宗三はしばし黙ってその手のひらを見つめていたが、彼がそれを引っ込める様子がないため、渋々と自分の手を重ね握手に応じた。
「……どうも」
「また一緒に訓練できるといいですね!」
本丸の道場よりもひとまわりほど大きなこの訓練場は、全周の高い位置をぐるりと階段状の観客席に囲まれた空間だった。観客席、といっても誰でも見物に入れるわけではなく、受付を済ませた対戦前後の刀剣男士と審神者しか入れない仕組みになっている。要するに、参加者の控え室のような役割を果たす場所なのだ。
小夜と宗三が厚い扉を押し開け自分たち側の客席に戻ると、他の刀剣男士たちは既に戻って水を飲んでいた。
「あ……お二人とも、お疲れ様です」
「天晴な活躍であったぞ!」
「最後は惜しかったなあ」
小夜と宗三以外の者は勝負がつく前に重傷撤退していた。しかし、仮想空間での戦闘訓練のため傷は残っておらず、手入れの必要はない。
「あーあ。俺も序盤で集中砲火されてなければなー」
「まあ、大太刀を放っておくと後が面倒ですからね」
不満げに唇をとがらせる蛍丸に、宗三がそう声をかけた。先ほどの試合が一日の上限である五試合目だったのだが、五試合とも蛍丸は開戦して即、足の速い短刀や脇差に囲まれる展開になったのだ。急ごしらえの部隊だったので、連携不足もあり、思うように個々の実力を出し切れなかったのが反省点である。
連携といえば……先ほどの戦闘を反芻しながら、小夜は訓練場を挟んだ向かい側の観客席に目を向けた。対戦相手側の観客席にも刀剣男士が戻っており、それぞれに水を飲んだり、荷物をまとめたりしている様子だった。堀川とその相棒は、彼らの主らしい巫女装束の女性に言葉をかけられ談笑しているようだ。距離があるため会話の内容までは分からないが、楽しげな雰囲気は見て取れる。
「……あの方は和泉守兼定さんといって……堀川さんが前の主様の元に居た頃から、本差と脇差として共に振るわれてきた仲なのだそうです」
「え?」
小夜の視線の先を見透かしたように、背後で静かな声がした。小夜は驚いて、声の主の方を振り返った。五虎退が水の入った容器を膝の上でギュッと握りしめ、意を決したように小夜を見つめていた。
「和泉守さんは……堀川さんにとってとても特別で、大切で……かけがえのない方なのだと伺いました」
「誰に、聞いたの?」
「……ご本人に」
小夜はふと思い出した。刀装作りをしていたあの広間で演練の話題が出た時のことだ。
――……演練、参加したことがあるの?
――まあな。一回きりだったけど。五虎退とにっかりさんも一緒だったよな
――それに、堀川くんと太郎くん。僕ら五振りでくんずほぐれつ、ってわけさ
あの時、五虎退は下を向いて黙っており何も言わなかったが、彼も演練参加の経験がある数少ない刀の一振りだったのだ。
そして、ここから先は想像になるが――五虎退たちがかつて演練に参加した時も、恐らく今日と状況は大きく違わなかったのだろう。ターミナル、受付のある待合室、訓練場……あらゆる場所に他所の本丸の堀川国広の姿があり、その傍には和泉守兼定が居た。その光景を、堀川と五虎退は共に見たのだ。
「あの日……演練でこの会場へ来た時に、いち兄や他の兄弟たちの姿を見て、僕たちの本丸にも早くみんな来てくれるといいなあ、と思ったんです。その頃は、まだあまり本丸に刀は揃っていませんでしたから……。ふと見ると、一緒に居た堀川さんも他の本丸の堀川さんと和泉守さんの姿をジッと眺めていて。それで僕、同じ気持ちなんだって思って、嬉しくなって……堀川さんに、あの方のことをお聞きしたんです」
静かに語る五虎退の伏せられたまつ毛の下で、琥珀の瞳が揺れている。五虎退の兄弟刀である一期一振をはじめとした粟田口の脇差、短刀は、今では皆本丸に揃っていた。他所の本丸の堀川が屈託なく笑いかけていた仲間たちは、「兼さん」も含め誰一人顕現していないけれど。
「和泉守さんのことを大切に語りながら、その時の堀川さんは……とても、とても悲しい顔をしていました。僕は、きっと大切な相棒が自分の本丸にまだ顕現していないことがさびしいのだと思って、なんとか励まそうとがんばったん、です、けど……」
涙まじりの声になりながら、五虎退は続ける。
「堀川さんは、なぜか、自分の和泉守さんに会うことをあきらめているみたいで……」
「……あきらめている?」
それは随分とおかしな話に思えた。
この世には、巡り合わせというものがある。たまたまいつも通るのと違う道を選んだことで生涯の伴侶と出くわす運命をつかむ人間がいる一方で、その反対も容易に起こり得るということを小夜は知っている。小夜だけでなく、この世に長く在り人間の生涯を幾度となく見送ってきた刀剣男士であれば、皆それぞれに承知していることだろう。運命は悪戯で、時に残酷なものだ。
確かに、現時点で小夜たちの本丸に和泉守兼定が顕現していないのは事実だ。。三日月宗近や蛍丸が顕現して久しいにも関わらず、堀川が待ち焦がれる和泉守は一向に姿を現さない。けれど、それはあくまで“現時点”での話にすぎない。この先、運命が彼に微笑むかどうかは分からないけれど、分からないからこそ、あきらめてしまう理由などないはずなのだ。
というか、そもそも、五虎退が堀川と演練に行き和泉守の話を聞いたのは、本丸にまだほとんど刀が揃わない頃のことだという話だ。そんな早い段階で、不確定な未来を早々にあきらめてしまうものだろうか。
加えて、堀川がどちらかというとあきらめの悪い性質だというところもこの話の違和感を大きくしていた。優等生然としたあの脇差は一見聞き分けの良い性格をしているようにも見えるが、実際はその逆なのだ。戦場では、自らが手傷を負っても全体の戦況が悪化するまでは粘り強く勝ちをあきらめないし、例え退却を余儀なくされる戦であっても敵大将の片腕を落としてから踵を返す姿を見たこともある。審神者の傍で執務の補佐をする際に置いても例外ではなく、気まぐれでさぼりたがりの困った主に根気よい姿勢で接している。
「……あの、えっと……す、す、すみません!」
五虎退が声を震わせて俯いた。小夜の疑心を感じ取ったのだろう。謝ってはいるものの、小夜の他意なき鋭い視線に耐えかねたというだけで、別に嘘をついているわけではなさそうだ。第一、彼が嘘をついて得をするようなこともない。
「堀川さんがどうして和泉守さんと会うことをあきらめているのか、そこまでは分かりません……けれど、きっと、お話するのもお辛いような事情があるのだと、僕は思いました」
顔を伏せていた五虎退はいつの間にか姿勢よく小夜と向き合っている。日頃は涙に濡れて気弱に揺れる琥珀色の中に、強い意思の炎のようなものを、小夜は見た気がした。
「だから、この後本丸に戻っても、堀川さんに和泉守さんのことを尋ねないでもらいたいんです」
「……あなたは、それを伝えるために今日ここへ来たんだね」
「はい。後藤兄さんに、無理を言って代わって頂いて」
そう、演練の参加者をじゃんけんで決定した時は、五虎退ではなく後藤藤四郎が勝っていたはずだった。しかし今朝になって突然五虎退が代わりに行くことになったと聞いたので、少し不思議に思っていたのだ。彼はあまり好戦的な刀ではない。どちらかというと気が優しく、争いを好まない性質だ。粟田口の短刀の中には演練に出たがっていたものが多くいたから、例え事情があって後藤が出られなくなったのだとしても、その代わりに五虎退が来るというのは意外な感じがしていたが……そういう理由があったのだとすれば納得できる。
「堀川さんはとても優しい方です。普段の生活でも、戦場でも、いつも周りを気にかけて皆さんを助けてくださいますし……それに、ご自分だってお辛いのに、いち兄に会えない僕のことをいつも励ましてくださって、いち兄に会えた時は我がことのように喜んでくださって……そんな優しい方に、もうあんな悲しい顔を、させたくないんです」
「……分かった。堀川さんにあのひとのこと、聞かないようにするよ」
小夜がそう応じると、五虎退はホッとした風に表情をやわらげた。
五虎退の話には不可解な点もあったが、堀川に和泉守の話題を振るのが酷なことは間違いないだろう。他の本丸の堀川と和泉守の姿を見ているだけで、彼らがどれほど確固たる絆で結ばれているのか、お互いを特別に思い合っているのか、十分すぎるほどによく分かる。
「あなたたち、そろそろ帰りますよ」
宗三に声をかけられ顔をあげると、もう皆支度を終えて出入り口のところへ集まっていた。
「ねー、俺お腹へっちゃった。なんか食べて帰ろうよ」
「土産はやはり茶請けになるものにするか」
「拙僧は先程の訓練での反省点を踏まえ、このまま山に籠りたいところであるなあ」
「寄り道もお土産も修行もなしです! まっすぐ帰還しますからね」
奔放で自由気ままな部隊員たちの発言はあっさりと宗三に一蹴されている。小夜と五虎退も立ち上がり、会場を後にする仲間たちの背中を追いかけた。
本丸に戻ると昼餉の時間はとうに過ぎていたが、燭台切がおかずの天ぷらと、余ったご飯で作ったおにぎりを残しておいてくれていた。小夜たちが広間で遅めの昼をとっていると、遠征の任務から戻ってきたものや、出陣の予定がなく余暇を過ごしていたものたちが、次々と集まってくる。皆、演練がどういうものなのか興味津々なのだ。蛍丸と山伏が、演練会場の様子や戦闘訓練中の出来事などを口々に語ってきかせた。三日月の握手会のくだりで大いに笑いが起きた。五虎退も兄弟たちにせがまれ、どんな風に戦ったか説明している。
「僕は演練の結果について主に報告してきますので、お先に」
「待って。僕も行くよ」
兄が空になった食器を重ねてひとり席を立ったのを見て、小夜もそれに倣った。堀川は今日は出陣になっていないはずだから、昨日と同じように審神者の執務室にいるかもしれないと思ったのだ。
この本丸の謎を解き明かす鍵を握っているのは間違いなく堀川だ。五虎退との約束を破るつもりはないが、機会があれば何とか探りを入れてみたい気持ちが小夜にはあった。
しかし小夜の思惑はあっさりと外れた。訪れた執務室にあったのは審神者の姿だけで、堀川はいなかったのだ。
「ふうん。四勝一敗なんて、やるじゃない」
「まあ、三日月はあの通り反則のように強い刀ですし、五虎退と山伏も比較的練度が高いですから。お小夜もがんばってくれていましたしね。まあ、もっと連携がとれてさえいれば、蛍丸の攻撃範囲を生かしてさらに良い結果が出せたと思いますけど」
「あら。練度でいえばあなたが一番じゃない。自分はどうたったのかしら、隊長さん?」
「……僕のことはいいでしょう」
「宗三兄さま、すごかったよ。一度も手傷を負わなかった」
小夜がそう口を挟むと、宗三はついとそっぱを向いてしまった。分かりにくいが照れているのだ。
「傷を負わなかっただけですよ」
「僕を助けてくれたよ」
「へえ! それはぜひ見てみたかったわ」
審神者が面白がってからかうような口調で訓練の詳細を聞こうとするので、宗三は話をそらすためか、審神者が作りかけで机に広げたままにしていた出陣計画にケチをつけた。そこからまた毎度のごとく小競り合いが始まってしまう。小夜のもう一振りの兄である江雪左文字は、宗三と審神者のことを喧嘩するほど仲が良いのだなどと評していたが、本当にそうなのだろうか。終わりの見えないいさかいを聞くとはなしに聞きながら、小夜の頭にはふと、ひとつの疑問が生じていた。
訓練の様子を「ぜひ見てみたかった」と言った審神者は、なぜ今日の演練について来なかったのだろう。見たところ、特に忙しそうな風でもない。演練会場には審神者の姿が多くあり、小夜たちのように刀剣男士だけで会場へ来ている方が特例のような感じだった。
「……うーん、ここにも居ないかあ」
ふと、頭の後ろからひとりごとのように小さく呟く声がした。小夜が振り返ると、障子の向こうから浦島虎徹がひょっこりと顔を覗かせていた。
「誰を探しているの?」
「ああ、堀川くんいないかなーと思ってさ。今日、俺たち馬小屋の当番で……作業は夕方からの約束なんだけど、遠征が思ったより早めに終わったから、堀川くんの手が空いてたらこれからちゃちゃっと済ませちゃおうかなって」
浦島と堀川は同室を使っている。遠征が終わり部屋に戻ったが堀川の姿がなかったので、厨や洗濯場、道場など見て回り、最後に審神者の執務室へ来たのだという。
「ここが一番可能性高いと思ったのになー」
「そういえば、今日は堀川くんこの部屋へ来てないわ。お昼も見てないし、朝ご飯の時に会ったきりね」
「通りであなたの仕事が進んでいないわけです」
「ちょっと、それどういう意味よ」
またしても宗三と審神者がにらみ合い、小夜は小さくため息をつく。
「まあ、当番は予定通り夕方にやるよ。それまでには堀川くん戻ってくるだろうからさ! それより、小夜くんと宗三さん演練に行ったんでしょ? その時の話詳しく聞かせてよー!」
浦島が両の眼をキラキラと輝かせながら身を乗り出した。まるで真昼の海のようにまぶしい瞳に見つめられ、小夜は助けを求めるように兄の顔を窺う。
「小夜、話して差し上げたらどうです。僕はしばらくこの人の面倒をみなければなりませんから」
この人、と言って人差し指で頬を突かれた審神者は、むっとした様子で細長い指をつかんだ。
「たのんでないわ」
「そういうことは、尻を叩かれなくとも一人前に仕事をこなしてみせてから言うことですよ」
「宗三が私のお尻を叩いたって本丸中にふれまわってやろうかしら」
「おや、比喩のつもりだったんですけれど……本当にやりましょうか」
「やらなくていいわよ!」
二人のやり取りを見て、浦島は心底愉快そうに笑った。
「宗三さんと主さんってほんと仲良しだよなあ」
同意を求めるようにそう言われ、やはり江雪以外から見てもこの二人の喧嘩は睦まじさの証のように見えるのか、と小夜は思い、小さくうなずいた。
審神者の執務室に宗三を残し、小夜は浦島に招かれ彼の部屋を訪れた。短刀仲間の部屋を覗いたことは何度かあるが、浦島と堀川の部屋へ来るのは初めてだ。
「はい、座布団。あとお菓子ね。お茶はー……うーんと、いっつも堀川くんがやってくれるからなあ」
「あの、お構いなく」
部屋の中は整然としてよく片付いていた。棚や文机の上にちらほらと浦島の私物らしい物が見えるが、堀川の物はあまり見当たらない。
「それで、どうたった? 演練」
「えっと……良い経験になったと思います」
「俺の兄ちゃんたちには会った!?」
浦島の期待に満ちた眼差しを見て、小夜は即座に理解した。彼が本当に聞きたいのは演練のことではなく、兄達のことだったのだ。浦島の兄……ということは、虎徹の刀だ。
「虎徹……蜂須賀虎徹さんには会いました」
「蜂須賀兄ちゃんに!? ねえ、どんな風だった? かっこよかった!?」
小夜は演練会場で出会った蜂須賀虎徹の姿を思い返した。きらびやかな武具をまとったあの青年の姿は会場のあちこちにあったが、五回の戦闘訓練であたった部隊の中にはいなかった。接触したのは、三日月の握手会のきっかけを作ることになったお団子少女の保護者をしていた彼と会話をした時くらいだ。
「……戦っているところは見ていないけど、少しだけ話しました。とても物腰穏やかで、品があって、幼い主を支えているみたいでした」
「へえー! そうなんだ……いいなあ。俺も会いたいなあ」
浦島は、兄との再会を夢見るようにうっとりと目を閉じた。兄のことを心から慕っているのだろう。懐っこい彼のことだから、兄たちからも可愛がられるに違いない。
「ねえ、長曽祢兄ちゃんには会わなかった?」
「長曽祢……」
その名には聞き覚えがあった。蜂須賀と話した少し後、よその本丸の堀川にぶつかられた時だ。
加州清光と連れの刀の小さないさかいを取りなしていた体格の良いひげの男が、確かそう呼ばれていた。言われてみれば少し、浦島と雰囲気が似ている気がする。
「長曽祢兄ちゃんは新選組の局長の愛刀だったんだ! 堀川くんも新選組の刀だったから、ちょっとだけ聞いたことあるんだけど、すごく強くて頼りになるんだって言ってた!」
「しんせんぐみ」、と小夜は声に出さずに口の中で呟いた。よその堀川が屈託のない笑顔を見せていた仲間たち。いかにも気の置けない間柄、という風に見えた五振りの刀。加州と喧嘩になりかけていた白いマフラーの少年と、和泉守兼定は、同じ色の羽織を身に着けていた。彼らの繋がりはそれか、と小夜は納得した。
「堀川くんには山伏さんって兄弟がいるけど、新選組の仲間とは、刀派以上の濃い繋がりがあるみたいでさ……だから、堀川くんは俺に優しくしてくれるのかも」
「優しくって?」
「あ。いや、それ抜きにしても堀川くんは優しいんだけど!」
そう前置きをして、浦島は続けた。
「俺がこの本丸に来た時、堀川くんは山伏さんと青江くんと同室だったんだ。だけど、わざわざ兄弟と同じ部屋を出てまで俺と同室に名乗り出てくれて……俺は兄ちゃんたちが来るまで一人部屋でも仕方ないって思ってたんだけど、やっぱちょっとさみしかったし、正直堀川くんが来てくれて嬉しかったんだよな」
今は、山伏とにっかりの部屋には、にっかりと刀派を同じくする数珠丸が加わって三振りで部屋を分け合っている。この本丸では特に部屋割りの決まりはなく、新しく来たものは一部屋をもらうこともできるが、当番が部屋ごとに割り当てられる都合上、基本的には既に本丸にいる刀の中で縁のあるものの部屋へ入れてもらうことが多い。だから、新しく顕現した浦島が、堀川や山伏たちの部屋へ加わっても良さそうなものであったが、恐らく浦島はまだ見ぬ兄たちと部屋を分け合う生活を夢見て、一人部屋をたまわったのだろう。それを見かねて、兄たちが顕現するまでの間だけでもと、堀川が浦島の部屋へ来たのだ。
「一人だと当番が大変ってのももちろんあるけどさ、たぶんそれだけじゃなくて、兄ちゃんたちと会えない俺の気持ちが堀川くんにも分かるんだと思う。堀川くんの仲間だった新選組の刀も、まだ誰も来てないらしいから」
「その、新選組の刀のこと……堀川さんは何か話してましたか」
思わぬところから求めていた情報が手に入りそうで、小夜ははやる気持ちを落ち着かせながら浦島に問うた。浦島は少し不思議そうな顔をしつつも、視線を宙にさまよわせて、記憶の中から堀川との過去のやり取りをすくいあげているようだった。
「うーん……長曽祢兄ちゃんがどんな風だったかは聞いたりしたけど、そういえば他のことはあんまり。堀川くん、自分からはそういうこと話さないからなあ」
「……和泉守兼定のことは?」
小夜は心の中で五虎退に詫びつつ、その名を口にした。堀川に向かい直接言ったわけではないが、堀川と同室で会話の機会の多い浦島にその名を告げることで、堀川の耳に入る可能性がぐんと高くなることは承知の上だ。それでも、小夜は知りたかった。
「いずみのかみ? 聞いたことないけど……あっ、すごく大事な相棒がいるって話なら前にちらっと聞いたから、その相棒の名前かなあ」
「そうですか」
この本丸の堀川は誰にでも分け隔てなく親しみを持って接する刀だが、中でも特に浦島とは仲が良く気を許していた。少なくとも、小夜にはそう見えていた。先ほど浦島から聞いた境遇が似ているという点も含めて、彼にならひょっとすると話しているのではないかと思ったが……浦島ですら聞いていないということは、恐らく堀川は、直接問う機会のあった五虎退以外には誰にも、自主的にかつての仲間のことを話していないのだろう。
「あの……和泉守さんの話……できれば堀川さんにはしないでもらいたいんですけど」
今更ではあるし、効果があるかどうかも定かではないが、なるべくなら五虎退との約束を反故にしたくないと思い、小夜はそう言った。ダメ元くらいの気持ちだった。
「……大丈夫。言わないよ」
浦島からあっさりとそんな返事がかえってきたので、小夜は自分で頼んでおきながらも少し意外に思う。てっきり、理由くらいは問われるかと思っていた。
「詳しいことは分かんないけど、堀川くんがあんまり昔の話したくないってことはなんとなく分かってるからさ。そういうの、自分から聞かないようにしてるんだ! あっ、もちろん堀川くんから話してくれるんなら、それは超大歓迎! だけどね!」
ニカッと太陽のように笑う浦島をまぶしい気持ちで眺めながら、小夜は堀川が浦島に特に気を許す理由も、また気に掛ける理由も分かったような気がした。
そして、この本丸の堀川がいかに周囲から愛されているのかということも。
五虎退も、浦島も、堀川がかつての仲間について触れられたくないことを知っていて、追求しないでいる。ひょっとすると、小夜が知らないだけでそういう刀は他にもたくさん居るのかもしれない。例えば、今日も演練を共にしていたが特に変わった様子のなかった堀川の兄弟の山伏国広や、かつて演練に出た経験があり、堀川と同室だったこともあるというにっかり青江。そして、兄の宗三左文字。宗三は、自らを「初期刀」だと称した堀川の次に鍛刀されたのだと言っていた。審神者の随伴として何度も本丸の外に出ている兄は、堀川が「初期刀」だというのが明らかな嘘だと知っているはずだった。堀川のかつての仲間や相棒のことも、きっと薄々分かっているのではないかと思う。それでも黙っている。それは、兄が素直に表に出さない堀川への優しさなのだろうか?
「あー兄ちゃんたちも、堀川くんの仲間も、早く本丸に来てくれるといいんだけどなー! 特に長曽祢兄ちゃんね! そうしたら、俺も堀川くんも嬉しいし、この部屋で三人で過ごせるし……あっ、でもひょっとしたら、兄ちゃんの取り合いになっちゃうかもしれないけど……ほら、俺たち脇差だから、やっぱ打刀見てるとつい世話焼きたくなっちゃうっていうかさ」
ぼんやりと浦島の話を聞いていた小夜は、急にハッとした。浦島の言葉の中にひっかかりを覚える部分があったのだ。目の前の景色が消え、続くおしゃべりの内容も何一つ耳へ入ってこない。それくらいに全神経を集中させて、浦島の先ほどの言葉を頭の中で反芻した。
――……ほら、俺たち脇差だから
――やっぱ打刀見てるとつい世話焼きたくなっちゃうっていうかさ
「……うちがたな」
そうだ。ようやく気がついた。小夜はやにわに立ち上がると、話の途中で退出する非礼を詫びて、部屋を飛び出した。「江雪に稽古をつけてもらう約束をしていたのを忘れていた」なんていうとっさの出まかせに、浦島は気を悪くした様子もなく笑って見送ってくれた。
小夜が足早に向かったのは、もちろん江雪の元でも、道場でもない。母屋へ続く渡り廊下を抜け、広間の前を通り過ぎ、客間を回り込み、玄関前に出る。
出陣や遠征のため表へ出るものはもちろん、自室から広間や風呂、はたまた道場へ行く際にも必ず通ることになるこの玄関前の通路……そこの壁には、大きな掲示板が設置されていた。
掲示板の左側には色々な知らせやら注意事項やらが書面にしたためられ張り出されている。そして右側には――当番札がかかっていた。
当番札というのは、食事や掃除、洗濯、畑の世話など、刀剣男士たちが毎日交代でこなす仕事の割り当てがその日誰にあたっているかを分かりやすく示すためのものだ。掲示板に貼られた「厨番」「畑番」「馬番」……等という仕事内容の下に、先の曲がった金属の器具が四つほど横並びで取り付けてあり、そこへ名前の書かれた木の札を引っ掛けるのだ。こうしておけばその日誰がなんの当番をしているのか、誰の手がすいているのか、当番があたっている本人たち以外であっても一目で分かるという寸法だ。
名前を記した木の札は、本丸にいる刀剣男士全員分ある。毎日かけかえるので、当番があたっていないものの木札も下の方に一緒にさげてあるのだ。
そして、木札には刀剣男士の名前だけでなく「刀種」も共に記されていた。
小夜は壁にかけられた木札を端から順々に確認した。太刀、脇差、短刀、太刀、短刀、短刀、大太刀、槍、短刀、脇差、薙刀、短刀、太刀――……
「打刀」の札が無い。
いや、正確には無いわけではないのだ。兄の宗三左文字は打刀だった。それは知っている。だが、宗三以外に打刀の二文字を名前の上へ冠した木札が一枚も無いのだ。つまり、この本丸には宗三左文字以外の打刀が一振りもいない。
小夜は研修、演練で、よその刀剣男士が多数集まる場所へ行った時の記憶を脳内でたぐり寄せる。
様式の扉の前でまごつく小夜に、開け方を教えてくれた歌仙兼定。歌仙とは刀だった頃からの旧知だ。よく知っている。彼は打刀だ。
それから……名は分からないけれど、研修の控室で周りと交流することなく壁際に腰掛けていた刀剣男士たち。一振りは全身黒っぽい和装で顔に大きな傷のある短髪の男で、もう一振りは浅黒い肌色をした細身の男だった。彼らがどんなものを腰にさしていたかまでは記憶に残っていないが、背丈や外見から脇差という感じではなかったし、大太刀や槍であれば刀が印象に残ったはずだ。
今日出会った浦島の兄達にしてもそうだ。蜂須賀虎徹に、長曽祢虎徹。宗三と同じくらいの背格好をしていた。そして、和泉守兼定。堀川の相棒であり、本差しであるという彼も、もちろん打刀だろう。
――堀川さんは、なぜか、自分の和泉守さんに会うことをあきらめているみたいで……
五虎退から聞いた不可解な台詞が、頭の中によみがえってくる。
希少性が高いわけでもない、よその本丸には普通に存在する刀剣男士がこの本丸にはいない。そして、その刀剣男士の刀種はすべて「打刀」だという奇妙な一致があり、堀川は「打刀」である相棒がこの本丸へ来ることをあきらめている。
この本丸には「初期刀」がいない。そして、宗三以外の「打刀」もいない。新しく判明したこの事実が、いったい何を意味するのか。「初期刀」がいないことと関係があるのか……。
分かったようで、けっきょくのところ何も分かっていない。小夜は胸にかかったもやを晴らすことができぬまま、すごすごと自室へ戻った。