夕暮れが終わる頃、透きとおった電車に乗って、終点まで揺られていたい。うるさくて静かな車内がいい。席はだいたい埋まっていて、隣には知らない人が座っているくらいがちょうどいい。
 電車の名前はきっと、星間鉄道、黄昏行き。四車両目の真ん中の、向かい合った席の右端。私はそこに座って静かに帰路に着きたい。進行方向に背を向けて座って、後ろから流れてくる町並みを、ぼんやりと眺めていたい。
 窓の外を流れてゆくビル群は、皆、一番星が輝き始めた空に向かってぼんやりと阿呆のように突っ立っているだけで、なんの感動も与えてこないかもしれない。だが広告とネオンで情報がオーバーフローした都会の風景は、物思いにふけるにはちょうど良いから好きだ。茜色が薄れて、地平線に、だんだん黄色が滲んでゆく。逆光で黒く染まったビルを見つけては、いつかあの中に足を運んでみたい、と思いを馳せるのだ、と――。
 それは講義の合間に思いついたとりとめもない空想だった。電車が透明だったなら、景色をもっとゆっくりと眺めることができるだろうし、満員電車では情緒がない。かと言って、一人では寂しすぎるから、席は適度に埋まっていてほしい。
 そういう思いつきを他人に話せば「相変わらず結衣はファンタジーが好きだね」と嘲笑されるのがオチだから口にしたことはほとんどなかった。だから、星間鉄道のことを誰かに話したのは薫さんが初めてだった。私自身、初デートで立ち寄った喫茶店でそういう突拍子も無い話をしてしまうとは、思ってもみなかった。
「星間鉄道というのは、だから、私の想像で……」
 話し終えてからはっとした。私は人と話すのが得意ではない。沈黙が怖くてつい余計なことまで話してしまう。今はデートの最中で、薫さんは無口な人で、私は酷く緊張していて。
「ごめんなさい、こんな話を」
 言い淀んで、恐る恐る薫さんを見た。顔色をちっとも変えずに私の話を聞いていた彼は、目が合うと恥ずかしそうに顔を伏せながら、
「結衣ちゃんは、そういうの、好きなんですね」
 薫さんの口調に嫌なところは一つもなかった。彼はアイスティーを飲んで、それからふわりと微笑んだ。その長い睫毛に赤い夕日が刺して、榛色に輝く色素の薄い双眸がとても穏やかだった。
 その笑顔に救われたような気がして、ほっと安堵の息を吐いたのも束の間。
「じゃあ、次のデートは、そこにしましょうか」
「えっ――」
「行き方、調べておきますから」
「そうじゃなくて、あの」
「いやですか?」
 少し丸みを帯びた、優しげな相貌が残念そうに歪む。その口調はとても冗談を言っているようには思えず、私は言いかけていた言葉を呑み込んだ。
 これほど素敵な人が私の空想癖を馬鹿にせず、まともに取り合ってくれたことのほうが、ずっと嬉しい――。
「また、連絡しますね」
 薫さんはビルを手に取ると席を立ち、ウェイトレスに「お会計を」と声をかけた。私は呆然としてしまってしばらくその細い背中を眺めていた。ふと我にかえって「私も払います」と立ち上がったとき、彼は柔らかく微笑んで「今度でいいですよ」と囁いた。
 デートの予定が決まったのはそれからすぐだった。待ち合わせは、午前11時、京都駅ビルの中央改札のすぐ外で。
 服装や髪型や化粧に散々悩んだ挙句、結局私が選んだのはいつものブラウスと使い古したガウチョパンツで、駅のトイレで汗ばんだ化粧を直しながら、ださい格好で出て来てしまった自分を恥じた。
 薫さんは11時ぴったりに改札に現れた。几帳面な彼のことだから、きっと五分前には着いているだろうと思って早めに待っていたのに、慌てもせずに現れた彼の落ち着きようを見て少し拍子抜けした。
「お待たせしましたか」
 薫さんが柔らかく微笑んで、私に会釈した。彼が高そうな紺色のジャケットをさらりと着こなしているのを見て、私は少し、息が上がった。
 待つのは大好きです、と答えると、薫さんはさもおかしそうに笑って、何か言いたいのを堪えるような表情をした。そのえくぼのある横顔を見ながら、「今来たところです」とか、もっとマシな言い方があっただろうにと思ったけれど、そんなことを考えたって遅すぎた。
「じゃあ、行きましょうか」
 薫さんは慣れた仕草で私を階段のほうへとエスコートしながら、続ける。
「知っていますか? 京都駅にはね、ー1番ホームがあるんです」
「ー1番ホーム?」
 マイナスイチバン。聞き慣れない言葉に、思わず鸚鵡返しにしてしまう。京都駅は不思議な駅で、「0番ホーム」の名を冠する線路があるところまでは知っていたけれど、その下をいくとは初耳だった。
「俗称ですがね。0番ができるより前にあった、今はもう使われていない古い線路だから、マイナス1番」
「それが、星間鉄道とどんな関係が?」
「その線路には星間鉄道が走っているのです」
 私は息を呑んで薫さんを見つめた。その表情はどこまでも真剣そのもので、やっぱり、冗談を言っている風ではなかった。
 あり得ない。星間鉄道は私の頭の中にしかない作り話だ。それに、私は京都に十年以上住んでいるし、この駅を何度も利用しているから、わかる。ー1番なんて、嘘だ。
「この駅に詳しいんですね。ー1番線なんて、どこで知ったんですか」
 問うと、彼は意味ありげな表情をした。
「私の想像です」
「えっ――」
「かつてだれかが、想像できることは、実現できると言ったでしょう。ー1番線も、星間鉄道も、想像できるなら、きっとそこにあるのです」
「何を、言って……」
「魔法を使うのに呪文なんて必要ないのです。強く信じること――そうすれば魔法はかかります」
 薫さんは私の言いかけた言葉を遮って、素早く言葉を紡いだ。
 急に薫さんが立ち止まったので、はっとする。目の前の光景を見て、息が止まった。
 京都タワーのたもと、普段は大勢の人だかりで賑わっているはずのその場所に、今は誰一人いない。青空の下、澄んだ空気に覆われて、古い線路が敷かていた。京都駅にある他のどんな線路よりずうっと古い、赤錆の線路。
 薫さんが、ぱちんと指を鳴らした。
 気付けば私たちは駅のホームに立っていて、そこに配置されているポスターも椅子も、埃だらけで風化した化石のような姿をしているのだった。
 ここは、いつもの駅ではない。どこ?
 疑問を口に出そうとした私の声を、駅のアナウンスが遮った。
 ジジ、ジ、とくぐもっていて、けれどどこか懐かしいような、暖かな声が聞こえる。
「電車が参ります。星間鉄道、黄昏行き。黄色い線まで下がってお待ちください」
 静かな朽ちたホームに走ってくる、紺色の車体。金と銀の線が一本ずつ引かれていて、先頭のランプは星のように光の粒を撒き散らしながら、きらめく。
 私が頭の中で思い描いていた光景が、そこにあった。
 薫さんが電車のほうを見つめたまま、私に囁いた。
「僕が魔法使いだと言ったら、信じますか?」
「信じます」
「妖怪だと言ったら?」
「信じます」
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