それは、夜中だってのに遠慮もしないで雨風雷が散々に騒ぎまくっていた、激しい嵐の翌朝のことだった。
よりにもよって俺の布団の真上で雨漏りしやがった屋根の上に上がり、半ば腐りかけていた板を引っぺがしていたところに、幼馴染の与太郎が風呂敷包みを背負ってやって来たのだ。
与太郎は、屋根の下からじいっと俺を見上げて、のっそりと手招きをした。似合いもしない神妙な面構えをしている。あからさまに「ボク、何も考えてません」と主張している普段のアホ面とは、似ても似つかない。
あまりに普段の様子と違うものだから、すわ一大事かとただならぬ気配を感じ取った俺は、念のためきゅっと帯を締め直してから、屋根から下りて我が家に与太郎を招き入れてやることにした。
まだじっとりと湿っている床板に、これまた湿度の高まった薄っぺらい座布団を置いて、弥太郎と二人ちゃぶ台を挟んで腰を下ろす。弥太郎は背負っていた包を脇に置くと、ひとつ深呼吸をしてこう言った。
「俺は、貴族になる」
「また妙なことを言い出しやがったなてめぇ」
なんだかんだと言っても、付き合いの長い幼馴染だ。深刻な表情をしていたものだから、こっちも真面目に話を聞くつもりで身構えていたってのに。
「屋根の修理で忙しいから後にしてくれるか?」
「まあそう言うな! とりあえず、見ろ」
藍色の風呂敷包みが、でん、とちゃぶ台の上に置かれた。鼻歌なんぞ歌いながら――もうすっかり、表情から曇りは消え去っていた。いつもの能天気なアホ面だ――与太郎が結び目を解くと、中から生っ白い球体が転がり出てきた。
少し光沢のある、白い生地で編まれた鞠のようだ。麻や木綿ではない。かと言って絹とも違う。もしやすると、これが風の噂に聞く南蛮の天鵞絨というやつだろうか。
「なんだこいつは。舶来品か」
「知らん。今朝方うちの前に落ちててよ、昨夜の嵐で飛んできたんじゃねぇかと思ってるんだが、どうだい、見るからに高級そうだろ?」
「たしかにな。なるほど、こいつを持ち込んで『やんごとなきお方』に取り入ろうってわけか?」
どうも位が高くなると、そこらにありふれた品物では満足できなくなるらしく、珍しい物好きで希少品に目が無い、なんて公家やら武家やらの話は、そう珍しい物じゃない。ちっぽけな茶器に、国が買えるほどの値が付くこともあるそうだ。
殿様のところにでもこいつを抱えて持っていけば、小金持ちくらいにはなれそうな気がする。だが俺も与太郎も、目利きもできない無学な百姓でしかない。本当にこの球体に、それだけの価値があるのだろうか。
「しかしだからって貴族になれるわけじゃねぇし、高く売れる保証も――」
「いや違う違う! 売るんじゃない! 蹴鞠をするんだよ!」
「――は?」
「蹴鞠こそ大昔からの貴族の遊びだっていうじゃねぇか! この鞠は見るからに高級そうだ、とても庶民に手が出せるもんじゃねぇ、こんなもんを買うのは貴族、ならきっとこいつは蹴鞠用に違いねぇ!」
「お前頭大丈夫か」
「そこでこいつを使って貴族の蹴鞠番付に殴りこもうって寸法よ!」
「その発想はなかった」
「いや、蹴鞠だから殴り込みじゃなくて蹴り込みだな! うははは!」
「人の話を聞け」
というか、何だ、蹴鞠番付って。そんなのあるのか。
「知らん!」
「知らんのか。そもそも蹴鞠ができたからって貴族になれるわけじゃねぇだろ。それに最近の公家の流行は茶会に歌会」
「お前にも俺の足さばきを見せてやるよ!」
人の話も聞かず、与太郎は鞠を小脇に抱えると、草履も履かずに外に飛び出していった。
なぜだかどっと押し寄せてきた疲労感を背負いながら、俺も座布団の上から立ち上がって戸板のところまで出ていくと、与太郎は我が家の前の小道に立って、抱えた鞠を、ぽん、と軽く頭上に放った。
ふわりと鞠が浮いて、落ちて。
「そうら……よっ!」
脛毛に覆われた右足が、勢いよく鞠を跳ね上げる。鞠は、屋根の下から見ていた俺の視界からあっという間に消えてしまった。なるほど、見せてやるなどと言っただけあって、蹴りの威力はなかなかのようだ。
草履をひっかけて外に出る。与太郎の隣に立ってぐっと天を仰げば、嵐の後の青空の中に、ちいさくきらめく白い点が見えた。
「高く上がったなぁ」
「ふふん、だろう?」
「あ、でもおい、あれ……」
指を指す。宙を泳ぐ白点に、すっと近付く影があった。
大きく翼を広げた、雄大な姿。与太郎が蹴り上げた鞠に向かって、一羽の鳶が一直線に飛んできたかと思うと、
「あ」
「ああっ!」
俺と与太郎が見上げたその目の前で、がっしと蹴爪が鞠を捉えて、そのまま遠ざかっていった。
「ああっ! 俺の夢が!」
「ああ、夢だったんじゃねぇのか、鞠を拾ったのも」
「足一本で一国一城の主に成り上がる大江戸アメリカンドリームが!」
「江戸なのか亜米利加なのかはっきりしろ」
喚きながら去り行く鳶を未練がましく睨んでいる与太郎に背を向ける。陽が沈む前には、屋根の修理を終わらせないといけない。
与太郎の嘆きを背中で聞きながら槌を拾い上げたとき、ふと思った。
あの鳶が持って行った鞠は、今度は誰の下に転がるのだろうか。
「ああっ! 落ちた! 落ちたぞ! 今ならまだ間に合う! 拾いに行くぞ!」
「一人で行ってこい」
たぶんこいつではないだろう。きっとまた、別の誰かがあの鞠をひろって、あるいはそいつも、夢を描いてみるのかもしれない。
次はだれが拾うのか。あるいは、どこまで転がるのだろうか。
その行方は、きっと。
(了)