朝、ラップフィルムが熱で溶けるように意識が徐々に鮮明になっていく。何物にも邪魔されることなく目覚めることが出来る土曜日。窓から差し込む光が柔らかい。
ベッドから体を起こしてキッチンの方を眺めると彼の背中が見える。まだこちらには気が付いていないようだ。もうパジャマから襟付きのシャツに着替えている。彼の生活は本当に規則的だ。
彼と同棲することになって一番驚いたのはそのことかもしれない。几帳面で、真摯で、優しい彼のことだから、最初から不安はなかったけれど、予想以上に心地良くて甘えてしまう。私のための料理をする背中というものをこれまで見たことがなかった。
細身の彼の背中はシャツ越しでも肩甲骨や背骨の感じが良く分かる。たくましくないのに変な安心感がある。それは彼が私を存分に甘やかしてくれるからかもしれない。
「おはよう」
声をかけると、「あ、」と言って振り向く。
「おはようみーちゃん。朝ごはんなんだと思う?」
「さぁ、わかんない」
ふふ、と少し笑って彼はキッチンに向き直る。本当は分かっているのだ。彼がいる土曜日の朝食はいつも決まっている。私がそれを心底気に入っていることを彼は知っているのだ。
「もうちょっと待っててね」
「うん」
携帯を眺めていると、カンカンと金属のボウルの音、トントンと小気味良い包丁の音、電子レンジや冷蔵庫を開けるガチャっという音。耳をくすぐるそれらの合奏は、幸せそのものなんじゃないかと思う。
「出来たよー」
彼がテーブルに運んできたのは、私が大好きなタマゴサンドだった。皿に盛りつけられた斜めにカットされたサンドイッチ。喫茶店の厚焼き卵でも、流行のスクランブルエッグ風のふわとろ卵でもない。昔ながら、王道のタマゴサンドだった。変わっている所と言えば、表面を軽くトースターで焼いているところ、パンの耳をカットしていないところくらいだろうか。他は特に変わった所はない。
「召し上がれ」
期待を孕んだような微笑を彼は浮かべた。そう焦ることもない。このタマゴサンドが何物にも代えられないということを私は知っている。
まず大きさがいい。お洒落な四等分カットより思いっきり頬張ることが出来る。そして食パンの間から覗く、タマゴサラダ。食欲をそそる黄色と白のコントラスト。白身がしっかり残っているのが好印象だ。朝の光を浴びたタマゴサンドはどうしてこんなにも美味しそうなのだろう。
「食べないの?」
「ううん、食べるよ」
そう笑って返す。タマゴサンドに手を伸ばすと表情を弛緩させた。愛しい表情が朝食に彩りを添える。
一口かじると、口の中でほのかにカリッと鳴る。少し遅れてタマゴの味が口の中全体に広がった。大きさが不均一で、飽きさせない触感だ。何個でも食べられる感じ。鼻腔をくすぐるバターの香りと、さりげなく塗られた辛子が嬉しい。
「あ、コーヒー飲む?」
「うん、ありがとう」
そういうと彼はそそくさとキッチンに向かう。
「そういえばさ」
彼の食べ終えたパン皿を眺めながら尋ねる。
「いつもおいしいかどうか聞かないよね。やっぱり自信があるの?」
もう数えきれないほど食べているから、そうなんだろうなと思っていると彼は突然笑い出した。
「え、なに?」
「いや、だって」
大層おかしそうににこにこして帰って来る。
「僕そそっかしいから別に料理は得意じゃないよ」
「え、そうなの?」
「うん、多分いつも寝てるから気付いてないだろうけど、結構派手にやってるんだ。もの零したりね。隠滅してるけど」
コーヒーを啜りながらも喜色満面という風で、変にもったいぶって話す。
「すごくおいしそうに食べるから。写真撮って見せてあげたいくらい」
途端に顔が熱くなる。
「え、嘘だ。ポーカーフェイスだよ」
「普段はね。でも僕のご飯食べてるときはほっぺたゆるゆるだよ。本当に幸せそうで。言葉なんていらないくらいに」
「もう……」
悔しくてかじるタマゴサンドの味は変わらずおいしくて、もっと悔しくなる。
「……次は私が作るから」
「ありがとう、早起きできたらね」
彼は空いた皿を颯爽と流しに持って行く。そして口笛を吹きながら洗い出した。私はその憎らしい背中を睨んで、彼が用意した甘いコーヒーをすするのであった。
了